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田代に半ば先立てられるように洗面所に向かわされ、私は鏡に映る自分の容姿に再び対峙していた。
(……あれ?藤宮律花ってハーフだったっけ?)
よく見ると髪の毛は明るい茶髪でウェーブがかっていて目の色素も薄め、日本人にしては顔の彫りが深い気がする。さきほどこの容姿に“日本人離れ”した印象を受けたのも、さもありなんという感じ。ただ、顔面についた肉がすべてを台無しにしてるけど。
つまり、痩せていればそれなりに…否、かなり可愛い部類に入るんじゃなかろうか。それこそ、私がテレビで見た律花の母親は中年にしてかなりの美人だった。事件のせいか鶏ガラのように痩せていたが、それでも損なわれない美貌の持ち主。なんでも若い頃は歌手だったとか。さすがは芸能人である。…じゃ、なんで娘の方はこんなに太ってるんだよ。
そんでもって、頭の上の“天使の輪”は結局何なの?
藤宮律花は実在した人間であり、彼女が生きている時間に巻き戻って、この私“リツカ”が成り変わった。つまり、この場所は現実と地続きであって異世界では無いのに、何だってこんなファンタジックなオマケが付いてるんだよ。未来で死ぬ予定だから?それとも、私がこの身体に成り変わったせいで本来の律花の人格が追い出されたから?本物の律花は私のせいで天に召されましたってか?その罪を背負えっていう視覚的アピールか?私が望んでそうしたわけでも無いのに?むしろ、現実世界で私の方が死んでますよってこと?だとしたら、急性アルコール中毒で死んだのか、私は。…え、マジで?
そんな数ある疑問のうち、一つはすぐに解明された。
「律花様、もしかしてご気分が悪いのですか?」
「いいえ」
「いいえ、って…いつもの半分も召し上がってないじゃありませんか」
「…ごめんなさい」
(いや、多すぎるんだよ…‼︎)
100%果汁と思しきオレンジジュースに、バターがふんだんに使われたクロワッサン、ポタージュのスープに野菜と鶏肉とフルーツのサラダ、牛肉の赤ワイン煮込みがメイン…と思いきや、ベーコン入りスクランブルエッグにオリーブオイルとソースがかけられた正体不明の白身魚、じゃがバターにソーセージ、おまけにデザートとしてカラメルソースに生クリームの添えられたプリン、バニラアイスの乗った蜂蜜たっぷりのワッフルまで出た。
(カロリーが…カロリーが多い…!太るわけだよ…‼︎)
多分、この身体のキャパ的には完食できたんだろうが、私が精神的に無理だった。赤ワイン煮まで何とか食べ終えたところで普通に限界だった。精神的満腹だ。
あと食事中、他人にじっと様子を伺われるのも落ち着かない。田代は私の食事のタイミングに合わせてカトラリーを差し出し、ジュースを補充することを使命としているらしく、文字通り片時も私から目を離さなかった。
そして、今はあの電気ケトルで沸かしたお湯を使って、ハーブティーなるものを淹れている。
(やっっっと視線が離れた…マジで鬱陶しかった…)
ところで、透明なガラスのポットの中では、やたら赤黒く、紫がかった謎の液体が生成されていくんだけど、大丈夫なんだろうか。ねえ、それ、人間が飲んでいいヤツ?
差し出されたカップに戦々恐々としながら口を付けたが、幸い味は私の好きなベリー系だった。酸味があって美味しい。
問題はその後だった。
「律花様。食後のお薬も飲んでしまいましょうね」
(…ああ、藤宮律花って病弱なんだっけ。こんな食生活してりゃ追い討ちな気がするけど)
わざわざガラス皿の上に出された白い錠剤を手に取ったその瞬間、
ブゥン、と。
まるで警告のように頭上から音がした。空気を歪ませる不協和音。
声こそ上げなかったが、顔が引き攣ったのが自分でもわかった。「律花様、ハーブティーはまだおかわり出来ますから。頑張りましょうね」と田代が見当違いな応援をしてくる。
そんな田代の肩越しに、鏡に映った自分を見る。青ざめた顔。頭上で先ほどより強い光を放ち、ぐるぐる回転しているように見える天使の輪。鳴り続ける不協和音。
「田代さん」
「はい」
「窓を開けてもらえませんか」
「え?」
私は、先ほど自分が自殺を図った窓ではなく、その手前の窓を指差した。ベッドのすぐ脇にある窓で、ちょうど木立の影になっている場所だ。
「…いいんですか?虫が入りますよ?」
嘘だろ網戸ないのかよ。金持ちのくせに。
「少しでいいの。隙間を開けるくらい」
「隙間、ですか」
「蝉の声が聞きたくて」
「はあ」
イマイチ納得していない様子だが、田代は素直に従った。田代がその窓の前に立つと、外が暗い分、窓ガラスが鏡のようにその姿を映しているのがわかった。
つまり、田代からはベッドの上に座る私もよく見えるはずだ。
窓越しの視線を肌で感じながら、私は皿の上の錠剤を3粒一気に口に放り込む…フリをして、全て袖口に滑り込ませた。
「……まあ律花様、一度に飲んでしまわれるなんて!喉に詰まらせませんでしたか?」
グビグビと派手に喉を鳴らし、如何にも飲み込みづらいものを流し込むようにハーブティーを飲み干す。そのタイミングで態とらしく振り返った田代。
さて。
(貴様、私に何飲ませようとしやがった?)
さっそく第一容疑者発見である。
「…でも、あの子が病気というのは嘘なんだろう?」
「ちょっと!そんな大声で言わないでよ!」
「事実じゃないか」
「そうだけど!奥様に聞こえたらどうするの!」
朝食後、屋敷探検に出ていた私は再び自室に戻って来ていた。ひどく疲れていた。藤宮家広すぎ。体感にして2時間は歩き回ったが、多分敷地の半分も回れていない。
まあ、こんな豚足じゃあな。
とりあえず、探検の序盤でトイレや風呂の場所を把握できたのはよかった。いくら子供だからだって、普段から使用している場所をうっかり質問しようものなら記憶喪失を疑われかねないし。
(そういや、窓開けっぱなしだったな…)
田代が気を利かせたのか、窓のそばにアース◯ーマットらしきものが設置されているのに気づく。そのコードを踏まないように窓辺に近づき、庭で話し混んでいるらしい男女を見下ろす。女の声は思った通り田代だったが、年老いた男は誰だろう。格好を見る限り庭師っぽいけど。
「それにしても、病気でもないのに毎日薬を飲んで大丈夫なのか?かえって体に悪いだろう」
「ああ、あの子がいつも飲んでいるのはただのビタミン剤だから」
「なるほど」
ただのビタミン剤…ねえ。よく言うよ。
3階とはいえあまり窓に張り付いていると見つかる気がしたので、自室を軽く見て回ることにした。学習机にかかっていたランドセルの中身を見て、なんと藤宮律花がまだ小学一年生(!)であることがわかった。先ほど田代に日付を確認したら7月31日だと言っていたので、今は夏休みの真っ最中。
夏休みの宿題とかあるのか?あるんだろうな。明日目が覚めてもこのままだったら1日で終わらせよ。
「もちろん体に悪いものじゃないし、味だってしないはずなんだけど…今朝は珍しく嫌がったのよね」
「へえ…まあ、本人は薬だと思い込んでるわけだろ?薬を飲むっていう行為がそもそも嫌なんじゃないか、小さい子供は」
「小さい子供、ねえ。ウチの子の5倍もかさがありそうだけど?」
「おいおい田代さん…」
「なによ。それこそ事実でしょう」




