第9話「焦燥のコンテストと、涙のドレス選び」
王都の夏は、熱気と共にやってきた。
街の至る所にポスターが貼られている。「ゴールデン・ニードル賞」。王都最大の服飾コンテストの開催だ。
優勝者には王室御用達の称号と、莫大な賞金が与えられる。仕立て屋にとって、これ以上の栄誉はない。
「……獲るぞ。絶対に」
セドはポスターを睨みつけ、闘志を燃やしていた。
しかし、その瞳にはいつもの輝きがなく、どこか焦燥感が漂っていた。
その理由は、数日前の姫の言葉にあった。
* * *
「コンテストの授賞式で、あなたたちの婚約式も行うわ」
王宮のサロンで、姫は優雅に紅茶を飲みながら爆弾を落とした。
「えっ……?」
「優勝して、その栄光の中で婚約発表。最高にドラマチックでしょ? 国民も盛り上がるわ」
「で、でも姫! もし優勝できなかったら……」
「あら、弱気ね。私の支援を受けていて、負けるつもり?」
姫の赤い瞳が冷たく光った。
「優勝しなさい。そして、最高の笑顔で指輪を交換するの。……これは命令よ」
逃げ場はなかった。
セドには「優勝しなければならない」という重圧が、私には「公衆の面前で嘘の誓いを立てる」という重圧が、のしかかっていた。
* * *
それからのセドは、見ていて痛々しいほどだった。
工房にこもり、デザイン画を描いては破り、描いては破りを繰り返している。床には丸められた紙屑が散乱し、足の踏み場もない。
「……違う。これじゃライバルには勝てない。もっと斬新な、もっと衝撃的な……」
彼はブツブツと呟きながら、髪を掻きむしっている。目の下には濃い隈ができていた。
私はコーヒーを差し入れたが、彼は見向きもしなかった。
「……置いておいてくれ。今、集中してるんだ」
「少し休んだら? 根詰めすぎよ」
「うるさい! お前には関係ないだろ!」
怒鳴り声が響く。
私は唇を噛み締め、工房を出た。
関係ない、か。そうね、私はただの偽装妻だものね。彼の才能に口出しする権利なんてない。
* * *
コンテストまであと三日。
セドのデザインはまだ完成していなかった。当然、婚約式で私が着るドレスを作る余裕などない。
仕方なく、私たちは店にある過去の作品や、既製品の中からドレスを選ぶことになった。
店の試着室。
私は白いドレスに袖を通した。セドが以前、練習用に作ったシンプルなドレスだ。
鏡の前に立つ。
そこには、花嫁の格好をした私がいた。栗色の髪をアップにし、白いシルクに包まれた私。
客観的に見れば、幸せな花嫁に見えるだろう。
「……綺麗」
思わず呟いた。
でも、次の瞬間、胸が張り裂けそうなほどの虚しさが襲ってきた。
これは全部、嘘だ。
このドレスも、婚約も、セドとの関係も。
コンテストが終われば、私たちは「ビジネスパートナー」に戻る。いや、もしセドが優勝できなければ、王都を追い出されて終わりかもしれない。
本当の結婚なら、どんなに幸せだっただろう。
セドが心から私を愛してくれて、私が彼を支えて……そんな未来があったなら。
「……うっ……」
涙が溢れてきた。
一度出ると止まらなかった。鏡の中の私が、ボロボロと泣いている。
惨めだった。偽物の幸せに縋って、勝手に傷ついている自分が。
カーテンが開く音がした。
「おいエル、サイズはどうだ……」
セドが入ってきた。
そして、泣いている私を見て、凍りついた。
「……エル?」
「あ……ご、ごめん……なんでもないの……」
私は慌てて涙を拭ったが、遅かった。
セドの表情が、みるみるうちに歪んでいく。驚き、困惑、そして……深い傷つきへ。
「……そんなに、嫌か」
「え?」
「俺との婚約が。……泣くほど、嫌なのかよ」
彼の声は震えていた。
違う。そうじゃない。
私は首を横に振ろうとしたが、言葉が出てこない。なんて言えばいい? 「嘘なのが悲しい」なんて言ったら、私の気持ちがバレてしまう。
私の沈黙を、彼は肯定と受け取ったようだ。
セドは自嘲気味に笑った。
「……悪かったな。無理強いして」
「セド、待って……」
「いいよ。ドレスは適当に選んでおけ。……俺は、頭冷やしてくる」
セドは背を向け、店を出て行った。
ドアベルがカランコロンと鳴る。その音が、やけに遠く聞こえた。
「……違うのよ、バカ……」
私はその場に崩れ落ちた。
白いドレスが涙で濡れていく。
「お姉ちゃん……?」
奥の部屋からリアが出てきた。
彼女は開け放たれたドアと、泣き崩れる私を見て、状況を察したようだ。
いつも無邪気な彼女の顔から、血の気が引いていく。
「お兄ちゃん……行っちゃったの?」
「……ごめん、リア。私が……」
「嫌だ……! お兄ちゃん、帰ってこないの!? 私たち、捨てられちゃうの!?」
リアが取り乱して泣き叫んだ。
彼女は私の服を掴み、涙でぐしゃぐしゃになった顔で見上げてきた。
「エルお姉ちゃん……ちゃんと夫婦やってよ……!」
「リア……」
「嘘でもいいって言ったじゃん! 家族ごっこでいいから、仲良くしてよ! じゃないと……私、辛いよ……!」
その言葉は、鋭い棘となって私の胸に突き刺さった。
いつも明るく振る舞っていた彼女が、どれだけ不安を抱えていたか。私たちの不器用な関係に、どれだけ心を痛めていたか。
私はハッとした。
泣いている場合じゃない。私がしっかりしなきゃ。この子を守らなきゃ。
私は涙を拭い、震えるリアを抱きしめた。
「ごめんね……。大丈夫。絶対連れ戻すから。……私に任せて」
コンテストまであと三日。
私は覚悟を決めた。




