第7話「ダメ男バルドの歌声」
店は順調だった。
バルドの宣伝効果もあり、近所の主婦や職人たちがひっきりなしに訪れるようになった。裾上げ、破れの補修、子供服の仕立て直し。私のミシンは一日中唸りを上げている。
「……はぁ」
一方で、セドのため息は深くなるばかりだ。
彼はカウンターで頬杖をつき、私が縫い上げた作業ズボンを恨めしそうに見ている。
「俺は王都に『美』を提供しに来たんだ。ズボンの穴を塞ぐために来たんじゃない」
「でも、これが今の私たちの収入源よ。家賃も払わなきゃいけないし」
「分かってる。分かってるが……俺のドレスが売れないのは事実だ」
セドの作るドレスは美しいが、高価で、着ていく場所を選ぶ。庶民には手が出ないし、貴族たちはまだ「新参者」を警戒している。彼の焦りは痛いほど分かった。
* * *
ある日の夕暮れ。
私は買い出しの帰りに、路地裏から聞こえる怒鳴り声に足を止めた。
「おい! ぶつかっておいて謝罪なしか!」
「あー……わりぃわりぃ。ふらついちゃってさぁ」
聞き覚えのある、気の抜けた声。
覗き込むと、バルドが二人の強面の男に絡まれていた。彼は酔っ払っているのか、足元がおぼつかない。ボサボサの金髪はさらに乱れ、以前直してあげたコートも泥だらけだ。
「バルド!」
私が駆け寄ると、男たちは「チッ、連れかよ」と舌打ちして去っていった。
バルドはその場にへたり込んだ。
「おー、エルちゃん。……へへっ、また助けられちまったな」
「何やってるのよ。せっかく直したコートが台無しじゃない」
私は彼の手を引いて立たせた。酒臭い。
「……歌はどうしたの? ビッグになるんじゃなかったの?」
「あー……それは、まあ……」
バルドは急に歯切れが悪くなり、視線を逸らした。琥珀色の瞳が揺れている。
「俺さ、ダメなんだよ。路地裏で歌うのはいいんだけど、ステージに立つと……足が震えちまって」
「あがり症?」
「ああ。スポットライトを浴びると、自分がちっぽけなゴミみたいに思えてくるんだ。『お前なんかに華はない』って、誰かに言われてる気がして」
彼は自嘲気味に笑った。
その笑顔は、いつものふざけたものではなく、ひどく脆く見えた。
* * *
店に連れ帰ると、セドは露骨に嫌な顔をした。
「また拾ってきたのか。ここは託児所じゃないぞ」
「いいから手伝って。……セド、あんたの出番よ」
「は?」
私はバルドを椅子に座らせ、セドに向き直った。
「彼に、ステージ衣装を作ってあげて」
「断る。俺の服は、着る人を選ぶ。こんな薄汚れた男に……」
「あんたの服なら、彼を変えられるでしょ?」
私はセドの青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あんたの服には力がある。着る人の背筋を伸ばし、自信を持たせる力が。……証明してみせてよ。あんたの『美』が、ただの飾りじゃないってことを」
セドは少しの間、私とバルドを交互に見た。
やがて、彼はフンと鼻を鳴らし、メジャーを手に取った。
「……いいだろう。ただし、俺の美学に従ってもらうぞ」
* * *
数日後。
バルドが出演する小さな酒場のライブ当日。
楽屋で着替えたバルドが、鏡の前で呆然としていた。
「……これ、俺か?」
彼が着ているのは、派手なスパンコールの衣装ではない。
深みのあるミッドナイトブルーのジャケットと、細身のパンツ。素材は上質だが、デザインはシンプルだ。しかし、計算し尽くされたカッティングが、彼の猫背を補正し、だらしない立ち姿をスタイリッシュに見せている。
無精髭を剃り、髪を整えた彼は、まるで別人のような色気を放っていた。
「背筋を伸ばせ。その服は、そう着るように作ってある」
セドが腕組みをして言った。
「お前はゴミじゃない. 俺が仕立てた男だ。胸を張れ」
「……へへっ。なんか、強くなった気がするぜ」
バルドはジャケットの襟を正し、ニカっと笑った。
* * *
ステージの幕が上がる。
スポットライトがバルドを照らす。一瞬、彼の足が震えたように見えた。
しかし、彼は深呼吸をし、ジャケットの胸元をギュッと握りしめた。そこには、私が縫い込んだ「お守り(小さな刺繍)」がある。
彼が歌い出した瞬間、酒場の空気が変わった。
力強く、哀愁を帯びた歌声。堂々とした立ち姿。
客たちはグラスを置くのも忘れ、彼に見入っていた。
「すごい……」
舞台袖で見ていたリアが呟く。
セドも、満足げに口角を上げていた。
「当然だ。服が人を作るんだよ」
ライブは大成功だった。
拍手喝采の中、バルドは深々と頭を下げた。その姿は、紛れもなくスターのそれだった。
帰り道、バルドは興奮冷めやらぬ様子で私たちに言った。
「ありがとう! この服のおかげで、魔法にかかったみたいだった!」
「魔法じゃないわ。それが本当のあんたよ」
バルドはポケットから、くしゃくしゃになった紙幣と小銭を取り出した。今日のギャラだ。
「これ……今の俺の全財産だ。全然足りねえと思うけど、手付金ってことで……」
差し出された金を見て、セドは鼻で笑った。
「バカだな。足りねえよ」
「えっ」
「俺の仕立て代は高いぞ? そんなはした金じゃ、ボタン一つ分にもなりゃしねえ」
セドはバルドの手を押し戻した。
「もっと稼いでこい。ビッグになって、札束で俺の頬を叩きに来るんだな」
「……セドの旦那ぁ……!」
バルドは涙ぐんでセドに抱きつこうとしたが、華麗に避けられた。
「へへっ……。分かったよ! この借りは、必ず返すからな! 出世払いで!」
バルドは夜の街へ消えていった。その背中は、もう小さくは見えなかった。
「……悪くない仕事だったな」
セドが呟く。
「でしょ? あんたの服は、やっぱりすごいのよ」
私が言うと、セドは少し照れくさそうに顔を背けた。
王都の夜風が、心地よく吹き抜けていった。




