第4話「蘇るドレスと夜会のダンス」
夜会前日の工房は、まさに戦場だった。
充満しているのは、薬品のツンとした匂いと、染料の湿った香り。そして、布を断つハサミの音だけがリズムを刻んでいる。
ルネが調合した「繊維修復液」に浸された生地を、私が慎重に引き上げる。
ボロボロで色褪せていた古布は、鮮やかな、しかし深みのある「夜明けの青」に染まっていた。見る角度によって、深い藍色から鮮烈な群青へと表情を変える。
「染まった! ルネ、乾燥お願い!」
「了解! 『急速乾燥の風』!」
ルネが白衣を翻し、魔法陣を展開する。ふわりと温かい風が巻き起こり、濡れた布を一瞬で乾かしていく。
乾いた端から、待ち構えていたセドがハサミを入れる。
迷いのない、大胆なカッティング。彼の青い瞳は、布の繊維一本一本を見極めているようだ。頭の中には、すでに完成形が見えているのだろう。
「いい色だ。これなら、古臭さは『ヴィンテージの品格』に変わる」
セドは猛烈なスピードでミシンを走らせていく。
その横には、別の黒い生地も置かれていた。しっかりとしたウール地だが、どこか古めかしいデザインのジャケットだ。
「あれ? その黒い生地は?」
「俺の礼服だ。屋根裏にあった執事服をリメイクしてる。姫の隣に立つんだ、俺も完璧じゃなきゃならねえ」
私は呆れつつも感心した。この期に及んで自分の服まで作る余裕があるなんて。しかも、執事服をモードな礼服に作り変えるなんて発想、普通は出てこない。
「……あんたのその自信、どこから来るのよ。でも、手際はいいわね」
「お前こそ。この染めムラ、計算か? 光の当たり方で色が変わる……悪くない」
「ふふん、当然でしょ」
私たちは言葉少なに手を動かし続けた。
徹夜の作業だったが、不思議と疲れは感じなかった。隣でミシンを踏むセドの呼吸と、私の呼吸がシンクロしていく感覚だけがあった。
* * *
そして迎えた夜会当日。
王宮の大広間は、シャンデリアの光と、着飾った貴族たちが放つ宝石の輝きで埋め尽くされていた。むせ返るような香水の匂いと、さざめくような話し声。
ファンファーレが高らかに鳴り響き、重厚な扉が開く。
「イリシアーナ王女殿下の入場です!」
姫が現れた瞬間、会場が静まり返った。
彼女が纏っているのは、深い青色のドレス。
クラシックなシルエットだが、スカートのドレープは波のように複雑で、動くたびに色が揺らめく。古着特有の重厚感と、最新のデザインが融合し、まるで夜空そのものを身にまとっているようだった。
プラチナブロンドの髪と、赤い瞳が、その青の中で鮮烈に映える。
「なんだ、あのドレスは……? 見たことのない生地だ」
「古風なようでいて、新しい……。どこの仕立て屋の仕事だ?」
ざわめきの中、姫は満足げに微笑み、扇子を開いた。
「皆様、ご紹介するわ。私の新しいお抱え仕立て屋、『セド&エル』よ」
姫の後ろから、私たち夫婦が進み出る。
セドは、あの執事服をリメイクした黒の礼服を完璧に着こなしていた。細身のシルエットが、彼のスタイルの良さを際立たせている。
私は、自作のシンプルなエプロンドレス風の正装だ。栗色の髪をアップにし、少しだけ化粧もしている。
心臓が口から飛び出しそうだ。足が震えて、ヒールがカツカツと鳴る。
「胸を張れ、エル」
セドが小声で囁いた。
「俺たちは今、王都の中心にいる」
「わ、分かってるわよ……!」
音楽が優雅なワルツに変わる。
姫が私たちを振り返った。
「さあ、あなたたちも踊りなさい。私の自慢の仕立て屋夫婦として、その美しさを見せつけるのよ」
「えっ!? む、無理です! 私、ダンスなんて……!」
「行くぞ。俺の礼服の動きやすさもアピールしたいしな」
セドは私の手を取り、強引にフロアへ連れ出した。
ちょっと! と抗議する間もなく、彼は私の腰に手を回し、ステップを踏み始めた。
彼の掌の熱が、ドレス越しに伝わってくる。
慣れないヒールでよろけそうになるが、セドがしっかりと支えてくれる。
「力抜くんだよ。俺に合わせろ」
「……あんた、なんで踊れるのよ」
「コンテストの授賞式のために練習してたんだよ。……ほら、ターンだ」
彼のリードは的確で、私の体は自然と動いた。
ドレスの裾が美しく翻る。周囲の貴族たちからも、感嘆の声が漏れるのが聞こえた。
シャンデリアの光が流れるように過ぎ去っていく。世界が回る。
「……悪くないドレスだったぞ。お前の染めもな。あのボロ布が、ここまで化けるとはな」
踊りながら、セドがボソッと言った。耳元で囁かれる低い声に、背筋がゾクッとする。
私は少し顔が熱くなるのを感じた。
「……あんたのデザインもね。古臭さが消えて、すごく綺麗」
「だろ? 俺たちなら、王都でもやれる」
至近距離で見つめ合う。
その青い瞳には、自信と野心が満ちていた。
一瞬、これが偽装結婚であることを忘れそうになる。私たちはただの幼なじみで、商売敵で、そして――最高のパートナーなのだと。
* * *
夜会が終わり、帰りの馬車の中。
窓の外には月明かりが流れている。私は緊張の糸が切れ、ぐったりとシートに沈み込んだ。
「……疲れたぁ……。もう一生分の愛想笑いしたわ」
「だが、評判は上々だった。これで店も正式にオープンできる。注文も殺到するぞ」
セドは上機嫌だ。ネクタイを緩め、満足げに笑っている。
「注文……ってことは、また二人で作るの?」
「当たり前だろ。俺たちは『夫婦』で売ってるんだ。これからも頼むぜ、相棒」
セドはニカっと笑った。
その無邪気な笑顔に、少しドキッとした自分をごまかすように、私はふいっと顔を背けた。
「……はいはい。稼がせてもらうわよ、旦那様」
* * *
店に着くと、明かりがついていた。
ドアを開けると、留守番をしていたリアが飛び出してきた。パジャマ姿で、眠い目をこすりながらも元気いっぱいだ。
「おかえりー! お兄ちゃん、エルお姉ちゃん! どうだった? 夜会!」
「ただいま、リア。大成功だったぞ」
「うん、すごく疲れたけどね……」
リアは私たちの顔をジロジロと見比べ、ニヤリと笑った。
「ふーん……。なんか二人とも、顔赤くない?」
「は? 気のせいだろ」
「そうかなぁ? ねぇねぇ、夫婦として踊ったんでしょ? ね、キスぐらいはした?」
ブフォッ!
セドがむせ返り、私は硬直した。
「す、するわけないでしょ! バカ!」
「そうだぞリア! 俺たちはあくまでビジネスパートナーで……!」
「えー、つまんないのー! せっかくの夜会なのに!」
リアはケラケラと笑いながら、奥の部屋へ走っていった。
「お風呂沸かしてあるよ! 一緒に入っちゃえば?」
「入るか!!」
私とセドの声が重なった。
顔を見合わせ、また気まずくなって逸らす。
私たちの王都での生活は、まだ始まったばかりだ。




