第3話「錬金術師と古着の再生」
翌朝の店内は、朝日が差し込むことでその惨状がより鮮明になっていた。
埃が舞い、床板は腐りかけ、壁紙は剥がれ落ちている。窓ガラスの隙間からは容赦なく風が吹き込み、蜘蛛の巣が揺れていた。
一週間でここを「王都の仕立て屋」としてオープンさせる? 魔法でも使わなければ不可能だ。
私はマスクをして箒を構え、途方に暮れていた。
「……どこから手を付ければいいのよ、これ」
「弱音を吐くな。俺は生地の調達に行ってくる」
セドはスケッチブックを片手に、さっさと出かける準備をしている。彼はどんな時でも身だしなみを崩さない。今日も完璧にアイロンのかかったシャツを着て、革靴を磨き上げている。この廃墟には似つかわしくないほど綺麗だ。
「王都の問屋なら、最高のシルクが手に入るはずだ。お前は……まあ、床の穴くらいは塞いでおけ」
「『まあ』って何よ! あんたも手伝いなさいよ!」
「俺はクリエイティブな作業に集中するんだ。雑用は妻の役目だろ?」
「偽装でしょ! ……もういい、行ってらっしゃい! 二度と帰ってくんな!」
セドはひらひらと手を振って出て行った。
残された私は、広い廃墟に一人ぼっち……ではない。
「エルお姉ちゃん、私も手伝うよ!」
リアが腕まくりをして、小さなバケツを持ってきてくれた。健気だ。
「ありがとうリア。でも無理しないでね。埃っぽいから」
「平気だよ! ここをお城みたいに綺麗にするんだ!」
私たちはため息をつきながら、そして、リアは元気よくハタキを動かすが、埃が舞い上がるだけで一向に綺麗にならない。喉がイガイガする。
「はぁ……。前途多難すぎる」
その時、ドアがノックされた。コンコン、と控えめだが、どこか急いたような音だ。
「ごめんくださーい! ここに『エル』という仕立て屋さんがいると聞いて!」
お客さん? こんな廃墟に?
恐る恐るドアを開けると、そこには小柄な女性が立っていた。
実験で爆発でもしたのかと思うようなボサボサのショートヘア。分厚いレンズのゴーグルを額にかけ、薬品のシミがついた白衣を着ている。
「エル! やっぱりエルだ! 王都に来たって噂、本当だったのね!」
「ルネ!?」
私の数少ない友人であり、錬金術師のルネだった。
彼女は以前、私が作った「燃えない作業着」を気に入ってくれて以来の常連客だ。
「どうしてここに?」
「ギルドで噂になってたのよ。『田舎から来た凄腕の仕立て屋が、幽霊屋敷に入った』って。エルなら、私の新しい作業着の相談に乗ってくれると思って!」
私は苦笑いした。
「作業着どころじゃないのよ……見ての通り、この有様で。来週までに店を直さないと、追い出されちゃうの」
ルネは店内を見回し、ゴーグルの奥の瞳を輝かせた。好奇心旺盛な猫のような目だ。
「へえ……ボロボロね! これなら、私の新作試薬の実験台にぴったりじゃない!」
「え?」
* * *
ルネの協力は劇的だった。
彼女が鞄から取り出したのは、プルプルと震える緑色のゼリー状の物体。「超強力・汚れ分解スライム」だそうだ。
それを床に撒くと、スライムたちは意思を持ったように這い回り、長年の黒ずみを飲み込んでいく。通った跡は、磨き上げられたようにピカピカだ。
さらに「自動修復ニス」を塗れば、腐りかけた床板がメキメキと音を立てて再生し、新品のような強度を取り戻す。
まさに魔法――いや、科学の力だ。薬品特有のツンとした匂いが充満するが、カビ臭さよりはずっとマシだ。
「すごーい! スライムさんがお掃除してる!」
リアは目を輝かせてスライムを追いかけている。子供は順応性が高い。
夕方、セドが帰ってきた時には、店内は見違えるほど輝いていた。
「……は? なんだこれ、魔法か?」
入り口で固まるセドに、ルネが得意げに胸を張る。白衣の裾がバサリと揺れた。
「いいえ、科学(錬金術)です! 効果抜群でしょ?」
「おかえり、セド。紹介するわ。私の友達で錬金術師のルネ。掃除を手伝ってもらったの」
「……お前の友達、変な奴ばっかりだな」
「失礼ね! これでも王都の錬金術ギルドじゃ期待の星なんだから!」
ルネがぷりぷりと怒る横で、私はセドの手ぶらな様子に気づいた。
彼の表情は暗く、いつもの自信に満ちたオーラが消えている。
「で、生地はどうだった?」
セドは気まずそうに視線を逸らした。
「……全滅だ」
「え?」
「新参者には売ってくれないらしい。『どこの馬の骨とも知れん奴には売らん』だとさ。金を見せてもダメだった」
私は絶句した。
生地がなければ、ドレスは作れない。期限は来週だ。
「ええっ!? じゃあドレスはどうするの? 姫の課題、クリアできないじゃない!」
「分かってるよ! ……くそ、どうすれば……」
セドが悔しそうに拳を握りしめる。爪が食い込むほど強く。
その時、ルネが天井を指差した。
「ねえ、さっき掃除してて見つけたんだけど。屋根裏に『宝の山』があったわよ?」
* * *
私たちは屋根裏部屋へ上がった。
そこには、木箱に入った大量の布地や古着が眠っていた。かつての宮廷仕立て屋が残した遺産だろう。
しかし、どれも虫食いやカビで変色し、ボロボロだった。埃っぽい匂いが鼻をつく。
「うわぁ、お化けが出そう……」
リアが私の服の裾を掴んで隠れる。
「……ゴミじゃないか。こんなボロボロの布、使い物にならない」
セドが吐き捨てる。
でも、私は一枚の布を手に取り、その感触に息を呑んだ。
指先に伝わる、繊細で力強い織り目。今の王都ではもう作られていないような、伝統的な技法だ。腐っても鯛、ボロでも錦だ。
「……待って。これ、すごい生地よ」
私は布を光にかざした。
「穴は塞げばいい。色は染め直せばいい。……ルネ、このカビと汚れ、落とせる?」
「任せて! 『繊維修復ポーション』を使えば、強度は新品以上に戻せるわ!」
私はセドを振り返った。
「聞いた? セド。姫の課題は『再生』。新品の生地で作るより、この屋敷の遺産を蘇らせる方が、テーマに合ってると思わない?」
セドは私の手にある古びた布をじっと見つめた。
その青い瞳に、職人としての光が宿るのが分かった。計算し、構築し、美を生み出そうとする、あの目だ。
「……なるほどな。『過去の遺産』を『最新のモード』に生まれ変わらせる、か。……面白え。やってやるよ」
「決まりね! ルネは生地の修復、私は縫製と染め、セドはデザインと仕上げ! チーム『偽装結婚』、始動よ!」
「チーム名は却下だ」
セドが即座に否定する。
すると、リアが私の服の裾をキュッと掴んで、上目遣いで言った。
「へへ……お姉ちゃん、お兄ちゃん。チーム名は『家族』にしようよ」
私とセドは顔を見合わせた。
リアは少し寂しそうに、でも精一杯の笑顔で続けた。
「嘘でもいいからさ。……ね?」
その言葉に、胸が締め付けられるようだった。
セドはふいっと顔を背け、スケッチブックを開いた。
「……勝手にしろ」
それは、彼なりの承諾だった。
私はリアの頭を優しく撫でた。
「うん。そうね。チーム『家族』で頑張ろう」
鉛筆が紙を走る音が、心地よく響く。
廃墟だった屋敷に、希望の灯がともった瞬間だった。




