第27話「薔薇色の宿と、乙女の悩み相談」
王都を出て三日目。
私たちは街道沿いにある、ひときわ大きな宿場町に到着した。
ルネの手紙によれば、ここで落ち合うことになっている。
馬車を降りると、宿の入り口で手を振る人影が見えた。
「エルー! セドーー!」
ルネだ。
彼女は満面の笑みで駆け寄ってくると、勢いよく私に抱きついた。
「久しぶり! 会いたかったわ!」
「ルネ! 元気そうでよかった」
一ヶ月ぶりの再会。
ルネは少し日焼けして、以前よりも健康的に見えた。そして何より、全身から幸せオーラが溢れ出ている。
後ろから、バルドもゆっくりと歩いてきた。
「よう。遠いところ悪かったな」
「全くだ。……お前ら、随分と楽しそうじゃないか」
セドが呆れたように言うと、バルドはニカっと笑った。
「おうよ。毎日が冒険だからな」
その言葉に、私は手紙の内容を思い出してしまい、思わず視線を逸らした。
冒険。実験。……うん、深く考えるのはやめよう。
「さ、中に入りましょ! 部屋取ってあるから!」
ルネに手を引かれ、私たちは宿の中へ入った。
ロビーは豪華で、磨き上げられた床が照明を反射して輝いている。
チェックインを済ませ、部屋へ向かう廊下で、ルネが私の隣に並んだ。
そして、不意に顔を寄せ、声を潜めた。
「ねえ、エル」
「ん? 何?」
「ちょっと相談があるんだけど……」
ルネの頬が、ほんのりと朱に染まっている。
彼女は周囲を伺うようにキョロキョロしてから、私の耳元に唇を寄せた。
「あのね……私、声がハスキーじゃない?」
「え? うん、まあ、少し」
「だからね、その……通っちゃうみたいで」
「通る? 何が?」
「……声が、よ」
ルネは恥ずかしそうに身を捩った。
「バルドが止まらなくて、私もつい……。でも、壁が薄いと困るじゃない? 私、我慢するのが苦手で……」
ドクン、と心臓が跳ねた。
声。我慢。壁。
点と点が繋がり、私の脳内でとんでもない映像が再生される。
「エルはどうしてるの? やっぱり、口を塞いでもらったりするの?」
「へっ!?」
変な声が出た。
顔が一気に沸騰する。
「な、ななな何言ってるのよ! そ、そんなこと……!」
「あ、ごめん! エルたちレベルになると、もう『無音の境地』なのかもね! さすが師匠!」
ルネは一人で納得し、尊敬の眼差しを向けてきた。
違う。そうじゃない。
否定したいが、声が出ない。
ルネは私の背中をバンと叩いた。
「勉強になります! ……あ、ここが二人の部屋よ!」
通されたのは、最上階の角部屋だった。
ドアを開けると、そこには天蓋付きの巨大なダブルベッドが鎮座していた。
枕元には薔薇の花びらが散らされ、サイドテーブルには怪しげな色のドリンクが置かれている。
「ハネムーンスイートよ! ゆっくり休んでね!」
「……おい、ルネ」
セドが引きつった顔で言った。
「お前らの部屋はどこだ」
「隣よ!」
ルネは満面の笑みで隣のドアを指差した。
「壁一枚隔ててお隣さん! 何かあったら呼んでね! ……あ、でも夜中は呼ばないでね? 取り込み中かもしれないから!」
ルネはウィンクを残し、バルドと共に隣の部屋へ消えていった。
バタン、とドアが閉まる。
残されたのは、私とセド。そして、薔薇の散らばるダブルベッド。
「……」
「……」
沈黙が痛い。
さっきのルネの言葉が、頭の中でリフレインする。
声が通る。我慢できない。
隣の部屋からは、楽しげな話し声と、時折ドスンという物音が聞こえてくる。
「……どうする、これ」
セドがベッドを指差した。
「……寝るしか、ないでしょ」
私は精一杯の虚勢を張った。
「床で寝て風邪引くわけにもいかないし。……広いから、端と端なら平気よ」
「……そうだな」
私たちは順番にシャワーを浴び、着替えてベッドに入った。
広い。確かに広い。
大人二人が寝ても十分なスペースがある。
でも。
背中合わせに寝ているのに、セドの体温が伝わってくる気がした。
シーツが擦れる音。規則正しい寝息。
その全てが、私の神経を逆撫でする。
……声が、通っちゃう。
ルネの言葉が蘇る。
もし、私たちが本当の夫婦だったら。
私も、あんな風に悩んだりするのだろうか。
自分の声を聞かれて、恥ずかしいと思ったりするのだろうか。
……バカ。何考えてんのよ。
私は枕に顔を埋めた。
隣の部屋からは、微かに、けれど艶っぽい声が漏れ聞こえてきた気がした。
今夜は、長い夜になりそうだ。
その時。
壁の向こうから、くぐもった声が聞こえた。
「……ちょっとバルドぉ、エルたちがいるんだよ? ……聞こえちゃう……」
「大丈夫だって。……気にすんな」
……聞こえてるわよ!!
私とセドは同時に布団を頭まで被った。
もう、絶対に寝てやる。




