第25話「旅立ちの朝と、二つの作業着」
早朝の王都は、白い霧に包まれていた。
城門の前には、一台の馬車が止まっている。
旅装束に身を包んだルネとバルドが、私たちに向かって手を振っていた。
「行ってきます! エル、セド、元気でね!」
「お土産、期待してろよ!」
ルネの顔は晴れやかだった。
隣に立つバルドとしっかりと手を繋いでいる。その姿は、どこからどう見ても幸せな新婚夫婦だった。
私はこみ上げる寂しさを堪え、精一杯の笑顔で手を振り返した。
「気をつけて! 変なもの拾ってこないでよ!」
「分かってるわよ! ……エルも、幸せになってね!」
ルネが最後に叫んだ言葉が、胸に刺さった。
馬車が動き出す。
蹄の音が遠ざかり、やがて霧の向こうへと消えていった。
後に残されたのは、私とセドだけだった。
見送りに来ていた姫やレオナルド様も、それぞれの公務へと戻っていった。
私たちは無言で店へと歩き出した。
いつもなら賑やかな工房が、今日はやけに広く感じる。ルネの実験道具が片付けられた棚が、ぽっかりと口を開けているようだった。
「……行っちまったな」
セドがポツリと言った。
彼は作業台に向かい、布を広げたが、手は動いていない。
「そうね。……静かになっちゃった」
私は自分の左手を見た。
薬指にはまった、安物の真鍮の指輪。
ルネたちは「本物」になって旅立った。じゃあ、私たちは?
王都で店を持つという夢は叶った。姫との契約も果たした。
この「偽装結婚」を続ける理由は、もうどこにもないはずだ。
「……なぁ、エル」
セドが背中を向けたまま言った。
「ルネたち、いい顔してたな」
「……そうね。羨ましいくらいに」
「……なぁ。俺たちもさ」
セドが振り返った。
その顔は少し赤く、視線が泳いでいた。
「偽装結婚でもさ、……ちょっとは夫婦らしいことしてもいいんじゃないのか?」
心臓が跳ねた。
夫婦らしいこと。
それは、契約以上の関係を求める言葉だ。
「……え、それって、どういう……」
「だから! ……例えば、デートとかさ」
セドは耳まで赤くして叫んだ。
デート。
その響きに、顔が熱くなるのが分かった。
でも、素直に「うん」と言うのは癪だった。私たちは商売敵で、ライバルで、腐れ縁なのだ。
「……はあ? デート? あんたと??」
「ああそうだよ! お前とな! 悪かったな!」
「……ふん。いいわよ。でも、ただのデートじゃつまらない」
私は腕を組んで、ニヤリと笑ってみせた。
「対決よ! どっちが相手を楽しませられるか、格上を決める勝負!」
「……対決? それデートなのか?」
「悪い?」
「……いや、いいだろう。受けて立つ」
セドも不敵に笑った。
「ルールは簡単だ。互いに『サプライズ』を用意する。……判定は、あの口うるさいガストンさんに頼むことにしよう」
「上等じゃない。見てなさいよ、腰抜かさせてやるから」
私たちはそれぞれの作業台に向かった。
デートの準備という名の、戦争だ。
私は最高級の麻布を取り出した。
作るのは、作業着だ。
色気はない。でも、これが私なりの愛だ。
動きやすくて、丈夫で、ポケットがたくさんある。セドが仕事をする時に一番必要なもの。
それを、3着作る。
型紙も残しておく。
……もっといい仕事しなさいよ。3着あるから、壊れても安心でしょ?
型紙もあるから、なくなったら言ってね。
その服がなくなるまでは、夫婦でいてあげてもいいわよ。
そんなセリフを練習しながら、私はミシンを踏んだ。
翌日。
私たちは互いのプレゼントを見せ合った。
「……はい、これ」
私が差し出したのは、実用性重視の作業着セットだ。
セドはそれを見て、目を丸くした。
「……作業着? しかも3着?」
「あんた、すぐ服汚すでしょ。……これなら、いくら汚しても大丈夫よ。型紙もあるから、一生分作ってあげる」
遠回しなプロポーズ。
伝わるだろうか。
セドは少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「……ありがとな。大事にする」
そして、彼が背中から包みを取り出した。
「俺からは、これだ」
広げられたのは、見たこともない服だった。
作業着だ。でも、フリルやレースがあしらわれ、シルエットも洗練されている。
めちゃくちゃ可愛い。
街着としても十分通用する、いや、パーティーにだって行けそうな作業着だ。
「……な、何これ」
「作業着だ。……作るの大変だったんだぜ? 機能性はそのままに、可愛さを追求した」
セドは鼻の下を擦った。
「お前、いつも地味な服ばっか着てるだろ。……たまには、そういうの着て、俺の隣を歩けよな」
顔から火が出そうだった。
こんな可愛い服、作業着になんてできない。
「……バカ! こんなの、もったいなくて使えないじゃない!」
「はあ? 使えよ! 作業着だぞ!」
「汚れたらどうすんのよ!」
私が抗議すると、セドは呆れたように、でも力強く言った。
「俺は夫婦やめる気ないから。……汚れたら、また作ってやるよ」
「え……」
「せっかく王都に来たしな。……一生、専属で仕立ててやる」
その言葉に、私は言葉を失った。
また作ってやる。
一生、専属で。
……完敗だ。
私はへなへなと座り込んだ。
ガストンさんのジャッジを待つまでもない。
この勝負、引き分けだ。
「……分かったわよ。着てやるわよ」
「おう。似合うはずだ」
私たちは顔を見合わせ、吹き出した。
窓の外には、王都の青空が広がっている。
私たちの「新婚生活」は、まだ始まったばかりだ。




