第24話「姫の決断と、吟遊詩人の約束」
王宮での騒動から数日後。
工房には、いつもの穏やかな時間が流れていた。
セドは織り機に向かい、私はミシンを踏む。ルネは奥の実験スペースでフラスコを振っている。平和な日常だ。
しかし、その平和は唐突に破られた。
店の前に、王家の紋章が入った馬車が止まったのだ。
降りてきたのは、イリシアーナ姫とレオナルド様。お忍びではない。正式な訪問だ。
私たちは慌てて手を止め、出迎えた。
「……急に来てごめんなさいね」
姫の表情は、いつになく神妙だった。
彼女は私たちを座らせると、単刀直入に切り出した。
「私、隣国のアーロン殿下の元へ嫁ぐことになったわ」
えっ、と声が出た。
確かに、あのお茶会で二人の距離は縮まった。でも、まさか結婚なんて。
「これは政略結婚よ。でも、私自身の意志でもある。……両国の同盟を強固にするためには、血の繋がりが必要なの」
姫は気丈に言った。
そして、視線をルネに向けた。
「そこで、お願いがあるの。……ルネ、あなたも一緒に来てくれないかしら?」
「……え?」
ルネがキョトンとした顔をする。
「今回の同盟の鍵は、あなたが作った『燃えない布』の技術供与なの。アーロン殿下は、自国の兵士を守るために、その技術を喉から手が出るほど欲しがっている。……だから、技術責任者として、あなたを派遣したいの」
ルネの顔から、血の気が引いていった。
技術責任者。隣国への派遣。
それはつまり、この店を離れ、知らない国で暮らすということだ。
「い、嫌よ……」
ルネが震える声で言った。
「私、行きたくない……。私はただ、面白い素材を作りたかっただけで……政治とか、戦争とか、そんなの知らない!」
「ルネ、聞いて。あなたの技術は多くの命を救うの。待遇は保証するわ。研究環境だって……」
「嫌っ!!」
ルネは耳を塞ぎ、叫んだ。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 私はここがいいの! エルもいるし、セドもいるし……バルドだって!」
彼女はその場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。
いつもは冷静な研究者の彼女が、今はただの怯える少女だった。
姫が痛ましそうに顔を歪める。レオナルド様も、かける言葉が見つからないようだ。
私もセドも、動けなかった。彼女の才能が世界に必要とされていることは分かる。でも、親友を犠牲にしてまで?
その時だ。
店の奥から、バルドが出てきた。
彼は無言でルネに歩み寄ると、床に座り込み、泣き叫ぶ彼女を強く抱きしめた。
「……っ! な、何よ! 離して! バカ!」
ルネはパニックのまま、バルドの胸をポカポカと叩いた。
暴れる彼女を、バルドは離さない。
その腕は力強く、けれど壊れ物を扱うように優しかった。
「……悪かったな。俺たちが凄すぎるもん作っちまったせいで」
バルドが耳元で囁く。
その低い声と体温に、ルネの抵抗が次第に弱まっていく。
彼女はバルドの服をぎゅっと握りしめ、彼の胸に顔を埋めた。
「……バルド……」
ルネが顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、彼にすがった。
「ねえ、バルド。……私を連れ去ってよ」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「こんなわけの分からないことより、あなたと旅がしたい。……どこか遠くへ逃げたいの」
それは、逃避の願いだった。
全てを捨てて、愛する人と逃げたい。
研究も、責任も、名誉もいらない。ただ、あなたがいればいい。
バルドは、愛おしそうにルネの頭を撫でた。
そして、ニカっと笑った。
「いいぜ」
即答だった。
「じゃあ、こういうのはどうだ? ……一年かけて、旅しようぜ」
「え……?」
「俺はお前に見せたいものがたくさんあるんだ。北の雪山にある珍しい鉱石も、南の海に沈む夕日もな。……お前の知らねえ世界を、俺が全部案内してやる」
バルドはルネの涙を指で拭った。
「で、そのあと、ここに戻ってこよう。……な?」
それは、「逃げ」ではなかった。
一年間の猶予。新婚旅行のような、自由な時間。
世界を見て、心を癒やして、そしてまた戻ってくるという約束。
ルネは瞬きをし、そしてボロボロとまた涙をこぼした。
今度は、安堵の涙だった。
「……うん。……うん!」
ルネは何度も頷き、バルドに抱きついた。
姫が、ふぅと息を吐いた。その顔には、優しい笑みが浮かんでいた。
「……分かったわ。アーロン殿下には私が話をつける。一年間、技術供与は待ってもらうわ」
「姫……」
「その代わり、一年後には必ず戻ってきなさいよ? ……最高のお土産話を持ってね」
姫はウィンクしてみせた。
粋な計らいだった。
バルドはルネを抱きしめたまま、姫に向かって親指を立てた。
「任せとけって。……最高の旅にしてやるよ」
夕日が二人を照らしていた。
泣き虫な錬金術師と、風来坊の吟遊詩人。
二人の旅が、ここから始まる。




