第23話「氷の王子と、燃えない人形」
王宮の庭園は、残酷なほどに美しかった。
咲き乱れる薔薇、手入れの行き届いた芝生、そして白いガゼボの下で向かい合う二人の王族。絵画のような光景だが、そこに流れる空気は氷点下だった。
「……それで、国境付近の関税についてですが」
イリシアーナ姫が切り出した。
扇子を閉じた彼女の表情は真剣そのものだ。ただの世間話ではない。国の利益に関わる重要な外交案件だ。
しかし、対面に座るアーロン王子は、紅茶のカップを置くと、冷ややかな瞳で姫を見据えた。
「イリシアーナ姫」
その声は、よく通るバリトンだったが、感情の色が抜け落ちていた。
「難しい話は、大臣たちに任せればいい。君が気にする必要はないよ」
「ですが、これは両国の民にとって……」
「君は」
アーロン王子は言葉を遮った。
「君は、ただ美しく咲いていればいいんだ。この庭園の薔薇のようにね。……政治という泥臭い仕事は、君のような飾り人形には似合わない」
決定的な侮辱だった。
控えにいた私とセドは、思わず息を呑んだ。
飾り人形。
それは、姫が最も嫌う言葉だ。彼女は誰よりも国を憂い、自分の足で立とうとしている。それを、この男は。
姫の手元で、扇子がミシリと音を立てた気がした。
しかし、彼女は怒鳴らなかった。
ゆっくりと扇子を開き、口元を隠す。その瞳だけが、静かに、けれど激しく燃えていた。
「……そうですわね。私は人形かもしれません」
姫の声は甘く、毒を含んでいた。
「では、殿下。その『人形』の強さを、ご覧に入れましょうか」
姫がパチンと指を鳴らした。
それが合図だった。
庭園の奥から、セドたちが用意した「姫そっくりのマネキン」が運ばれてくる。着ているのは、リアが着ていたのと同じ、桜色のドレスだ。
そして、その横に立つのは、派手な衣装を纏ったバルドだった。
「……なんだ、あれは」
アーロン王子が眉をひそめる。
姫は答えず、ただ微笑んだ。
ジャラ〜ン♪
バルドがリュートを掻き鳴らす。
朗々とした歌声が、庭園に響き渡った。
「♪〜 聞け、古の物語
業火に焼かれし 哀れな姫君
されどその魂は 灰にならず〜 ♪」
バルドの歌は、いつになく熱がこもっていた。
舞台袖で見守るルネへの愛か、それとも職人としての意地か。その歌声は、聞く者の心を揺さぶる力を持っていた。
歌が佳境に入る。
バルドがリュートを高く掲げた。
「♪〜 燃え上がれ、不屈の炎よ! ♪」
轟音と共に、バルドの手から巨大な火球が放たれた。
それは一直線にマネキンへと向かう。
「なっ……!?」
アーロン王子が立ち上がった。
護衛たちが剣に手をかける。
しかし、遅い。
紅蓮の炎が、マネキンを飲み込んだ。
ゴオオオオッ!!
熱風がガゼボまで届く。
美しいドレスが、顔が、全てが炎に包まれる。
普通なら、一瞬で灰になるはずだ。
だが。
炎が晴れた時、そこには信じられない光景があった。
「……馬鹿な」
アーロン王子が呻いた。
マネキンは、無傷だった。
ドレスは煤一つついておらず、むしろ炎の熱を受けて、より一層艶やかに輝いている。
魔法が解除されたわけではない。直撃したのだ。攻撃魔法の熱量に、あの薄い布一枚が耐え切ったのだ。
静寂が訪れた。
鳥のさえずりさえ聞こえない。
姫は扇子を閉じ、呆然とする王子に向かって微笑んだ。
「……いかが? 私という人形は、炎の中でも枯れませんわよ」
それは、勝利宣言だった。
どんな侮辱も、逆境も、私を燃やし尽くすことはできない。
その意志が、ドレスを通して伝わったのだ。
アーロン王子は、しばらく言葉を発しなかった。
ただじっと、無傷のマネキンを見つめ、そして姫を見つめた。その瞳から、冷ややかな侮蔑の色が消えていく。
やがて、食事が終わった。
食器が片付けられ、庭園にワルツの調べが流れ始める。
アーロン王子が立ち上がった。
彼は姫の前に歩み寄ると、恭しく手を差し出した。
「……一曲、いかがですか?」
姫は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優雅に頷いた。
「ええ。喜んで」
二人は庭園の中央へ進み出た。
手を取り、腰に手を添える。
ステップが踏まれる。
先ほどまでの冷戦が嘘のように、二人の動きは調和していた。氷と炎が溶け合い、一つの美しい流れを作るように。
曲が終わる。
アーロン王子は、その場で片膝をついた。
最上級の礼だ。
彼は姫の手の甲に、額を押し当てた。
「……謝罪させてほしい。私は今まで、貴女をただの飾りだと侮っていた」
その声は、震えていた。
「あの炎の中でも揺るがない貴女の意志と、それを支える技術に……心から感服した」
彼は顔を上げ、姫を真っ直ぐに見つめた。
「イリシアーナ姫。どうか、私と手を携えてほしい。貴女となら……共に良い国を作れると確信した」
それは、求婚にも似た、魂の同盟の申し出だった。
姫は満足げに微笑み、彼の手を握り返した。
「ええ。……良い国を作りましょう、アーロン殿下」
夕日が二人を照らしていた。
それは、新しい時代の幕開けを告げるような、温かく力強い光だった。
私たちはその光景を、誇らしい気持ちで見つめていた。




