第21話「決戦の段取りと、招かれざる客」
王宮の空気というのは、どうしてこうも重たいのだろう。
案内された応接間は、私の店が丸ごと入りそうなほど広かった。天井にはシャンデリア、床は大理石。窓にかかるカーテン一つとっても、庶民の年収が吹き飛びそうな重厚さを放っている。
私は借りてきた猫のように、ソファの端にちょこんと座っていた。胃が痛い。キリキリと締め上げられるようだ。
「……おい、エル。顔が引きつってるぞ」
隣に座るセドが、口を動かさずに囁いてきた。
彼は仕立ての良いダークネイビーのスーツを着こなし、足を組んで優雅に紅茶を飲んでいる。見た目だけは立派な若手実業家だ。
「……あんたこそ。カップを持つ手が震えてるわよ」
「うるせえ。武者震いだ」
強がりを言うセドの視線は、一点に釘付けになっていた。
部屋の中央。そこに、今日の主役であるリアが立っている。
彼女が着ているのは、私たちが心血を注いで作り上げた新作ドレスだ。淡い桜色の生地は、ルネが開発した「耐火シルク」。光沢がありながらも落ち着いた風合いで、リアの可憐さを最大限に引き立てている。
しかし、今のセドの心配事はドレスの出来栄えではないらしい。
コツ、コツ、と硬質な足音が響いた。
扉が開き、イリシアーナ姫と、その護衛としてレオナルド様が入ってきた。
「ごきげんよう、皆様」
姫は今日も完璧だ。深紅のドレスを纏い、扇子片手に優雅に微笑んでいる。
そして、その斜め後ろに控えるレオナルド様。王宮騎士の正装である白の礼服が、彼の端正な顔立ちによく似合っていた。
その瞬間、空気が変わった。
リアがすっと背筋を伸ばす。
彼女はレオナルド様に向き直ると、スカートの裾を摘み、ゆっくりと膝を折った。
「……お初にお目にかかります。リアと申します」
完璧なカーテシーだった。
背筋の角度、膝の曲げ方、そして伏せられた睫毛の影まで、どこに出しても恥ずかしくない淑女の礼だ。マーガレットさんの地獄の特訓の成果が、ここにある。
レオナルド様は一瞬、目を見開いた。
しかし、すぐに表情を引き締め、騎士の礼を返す。
「……お会いできて光栄です、リア嬢」
他人行儀な挨拶。
公の場だ。親しげに話すことは許されない。
けれど。
レオナルド様が席を勧め、リアがソファに座る。その一瞬の動作の中で、二人の視線が絡み合った。
言葉はない。
ただ、レオナルド様がリアのエスコートをする際、その手がほんの少しだけ長く、彼女の背に添えられた。リアの頬が、桜色のドレスよりも淡く染まる。
紅茶が運ばれてくる。
レオナルド様がカップをリアの前に置く。その指先が、触れるか触れないかの距離でリアの指先を掠めた。
ビクッ、とリアの肩が跳ねる。
彼女は上目遣いでレオナルド様を見つめ、そして恥ずかしそうに視線を逸らした。レオナルド様もまた、口元を片手で覆い、咳払いをして誤魔化している。
……甘い。
砂糖を入れすぎた紅茶のように、空間そのものが甘ったるい。
二人の間には、誰も入り込めない結界が張られているようだった。無言の会話。視線だけで通じ合う熱量。
マナーは完璧だ。誰が見ても非の打ち所がない。
けれど、その完璧な所作の端々から、「好き」という感情がダダ漏れしている。
私は頭を抱えたくなった。
バレる。これは絶対バレる。
隣を見ると、セドが般若のような顔になっていた。
「……あの野郎。俺の目の前で……」
「しっ! 静かに! 聞こえるわよ!」
私は慌ててセドの太ももをつねった。
その時だ。
「あら」
パチリ、と扇子を閉じる音がした。
イリシアーナ姫が、楽しげな瞳でこちらを見ていた。
「あなたたちも、どうぞ?」
「……は?」
「いちゃついてもよろしくてよ? 夫婦なんでしょう?」
姫の視線が、私とセドを行ったり来たりする。
その目は完全に面白がっていた。
「えっ、いや、その……私たちは……!」
「ば、場所をわきまえておりますので……!」
私とセドは同時に言い訳をし、そして同時に口をつぐんだ。顔を見合わせ、また慌てて逸らす。
しどろもどろになる私たちを見て、姫は呆れたようにため息をついた。
「はぁ……。リラックスなさい。そんなにガチガチでどうするの」
姫はカップをソーサーに戻した。
「明日の本番は、もっと緊張するわよ。相手はあの『氷の王子』アーロンなのだから」
氷の王子。
その二つ名を聞いただけで、室温が下がった気がした。
姫は真剣な表情に戻り、私たちを見据えた。
「さて、段取りを確認しましょう。リアのマナーは合格点よ。問題は……」
姫の視線が、リアの着ているドレスに向けられる。
「そのドレスの性能を、どうやって証明するかね」
セドが居住まいを正した。
ここからは、職人の領分だ。
「プランがあります」
セドは自信たっぷりに言った。
「言葉で説明しても、あの王子は信じないでしょう。ですから、目の前で見せます。……火炎魔法を」
「魔法?」
「はい。マネキンにこのドレスを着せ、至近距離から最大火力の炎を浴びせます。それでも燃えないところを見せつければ、ぐうの音も出ないはずです」
姫は興味深そうに眉を上げた。
「面白いわね。でも、誰が撃つの? 王宮の魔術師を手配する?」
「いいえ。適任がいます」
セドはニヤリと笑った。
「開発テストに協力してくれた、腕利きの吟遊詩人がいます。彼なら、炎を自在に操り、ただの実験ではなく『極上のショー』として魅せることができます」
バルドのことだ。
あいつの歌と炎なら、間違いなく王子の度肝を抜ける。
姫は少し考え、そして満足げに頷いた。
「いいわ。その男も呼びなさい。退屈な会談には、少しばかり刺激的な余興が必要よ」
許可が下りた。
私は胸を撫で下ろした。これで、役者は揃った。
セド、私、リア、ルネ、そしてバルド。
私たちの総力戦だ。
「……覚悟しておきなさい」
帰り際、姫は私たちに背を向けたまま言った。
「明日は、私たちの未来が決まる日よ」
姫は扇子を閉じ、真っ直ぐに前を見据えた。
「……気を引き締めて参りましょう」
その声は厳しかったが、どこか温かかった。
私たちは深く頭を下げ、王宮を後にした。
外に出ると、夕日が王都を赤く染めていた。
明日は、熱い一日になりそうだ。




