第20話「王宮からの使者と、二つの試練」
工房は、熱気と緊張感に包まれていた。
「あと少しだ。もう少しで、理想の布になる」
セドが呟きながら、織り機を操作する。
その横で、ルネがフラスコを片手に数値を読み上げている。
彼女が開発した完全耐火・耐魔繊維。その強度は実証済みだが、ドレスとして仕立てるには、まだ課題があった。肌触りだ。
兵士の鎧ならともかく、姫が着るドレスだ。シルクのような滑らかさと、鋼のような強さを両立させなければならない。
近々、イリシアーナ姫とアーロン王子の密会が行われる。
表向きはただのお茶会だが、実際は国の命運を賭けた交渉の場だ。そこでこのドレスをお披露目し、王子の度肝を抜く。
失敗は許されない。
私は二人にコーヒーを差し入れながら、祈るような気持ちで見守っていた。
その時、ドアベルが鳴った。
カランコロン、という音が、張り詰めた空気を裂く。
「いらっしゃいませ」
私が店に出ると、そこに立っていたのは、背筋の伸びた老婦人だった。
上質な黒のドレスに身を包み、白髪をきっちりと結い上げている。その眼光は鋭く、ただの客ではないことは一目で分かった。
「セド&エルという仕立て屋は、こちらで間違いありませんか」
静かだが、よく通る声だ。
「はい、そうですが」
「私はレオナルド様の教育係をしております、マーガレットと申します」
「レオ君の?」
奥からセドが顔を出した。その表情が険しくなる。
「何の用だ。レオのやつ、また何かしたのか」
「いいえ。本日は、リア様とのご交際について参りました」
空気が凍りついた。
ついに来たか。
レオは王家の血を引く貴族。庶民であるリアとの恋が、周囲に歓迎されるはずがない。
セドが私の前に立ち、リアを庇うように背後に隠した。
「別れろって言うのか」
セドの声が低くなる。
しかし、マーガレットは表情一つ変えずに首を横に振った。
「いいえ。レオナルド様のお気持ちは、一時の迷いではないようですから。無理に引き裂けば、かえって燃え上がるだけでしょう」
老婦人はリアをじっと見つめた。
「ですが、コソコソと密会を重ねるのは、レオナルド様の名誉に関わります。また、リア様にとっても、良からぬ噂が立つのは本意ではないでしょう」
「それは……」
「お付き合いを続けるなら、堂々と王宮でデートなさいませ。衆人環視の中で、清廉潔白な交際を」
「王宮でデート?」
私たちは耳を疑った。それは、事実上の公認ということだろうか。
しかし、マーガレットの言葉には続きがあった。
「ただし。王宮に足を踏み入れる以上、相応の振る舞いをしていただきます」
彼女は扇子をパチリと閉じた。
「リア様には、王宮にふさわしい淑女としての作法を身につけていただきます。それができなければ、王宮への出入りは禁止。すなわち、レオナルド様とはお会いになれません」
それは、試練だった。
身分差という壁を、自分の力で乗り越えてみせろという。
「やります」
即答だった。
リアがセドの背中から飛び出し、マーガレットの前に立った。
その瞳は、恐怖ではなく、強い意志で輝いていた。
「私、レオ君の隣に立っても恥ずかしくない女の子になりたいです。だから、教えてください」
「リア……」
セドが驚いたように妹を見る。
マーガレットは、ほんの少しだけ口元を緩めたように見えた。
「よろしい。では、今から特訓を始めます。覚悟はいいですね」
「はい!」
その日から、店は二つの戦場になった。
工房では、セドとルネが繊維と格闘し、リビングでは、リアがマナーと格闘する。
「背筋を伸ばして! 歩幅が大きすぎます!」
「紅茶の飲み方がなっていません! 音を立てない!」
マーガレットの指導は厳しかった。
普段はお転婆なリアが、頭に本を乗せて歩かされたり、何種類ものカトラリーを使い分けたりさせられている。
何度も失敗し、叱られ、それでも彼女は泣き言を言わなかった。
私は両方の部屋を行き来し、夜食を作ったり、励ましたりすることで精一杯だった。
みんな、必死だ。
誰かのために、何かのために、限界を超えようとしている。
ある日の夕方。
特訓の合間に、レオがこっそり店を訪ねてきた。
「リアちゃん……」
やつれたリアを見て、レオが痛ましそうな顔をする。
「無理しないで。僕がマーガレットに言って、もっと手加減させるから」
「ううん」
リアは首を振った。
「私が頑張りたいの。レオ君の隣に、胸を張って立ちたいから。だから、邪魔しないで」
その言葉に、レオは言葉を失い、そして愛おしそうに彼女を引き寄せた。
「……分かった。待ってるよ」
レオは自然な動作でリアを抱きしめ、そのままチュッと音を立ててキスをした。
あまりにも滑らかな一連の動作。まるで呼吸をするかのように自然だった。
「え、え?」
見ていた私が動揺して声を上げる。
今、したよね? キスしたよね?
しかし、リアは私の反応に気づき、不思議そうに首を傾げた。
「お姉様? どうしたの?」
顔を赤らめるでもなく、キョトンとしている。
彼女にとっては、レオとのスキンシップはもう日常の一部になっているらしい。
私は言葉を失った。もう、私たちが心配するような段階はとっくに過ぎていたのだ。
その光景を見ていたセドが、ボソリと言った。
「……妹が頑張ってるんだ。兄貴が負けてられるかよ」
セドは工房に戻り、鬼気迫る表情で織り機に向かった。
その背中は、いつになく大きく見えた。
そして、一週間後。
ついにその時は来た。
「できた……!」
工房から、セドの歓喜の声が響いた。
完成したのだ。燃えない、そしてシルクのように滑らかな、最強の布が。
時を同じくして、リビングでもマーガレットが静かに頷いた。
「……合格です。最低限の所作は身につきましたね」
「やったぁ……!」
リアがその場にへたり込む。
マーガレットは懐から一通の招待状を取り出した。
「来週、王宮でイリシアーナ姫主催のお茶会が開かれます。そこで、レオナルド様とご一緒なさい」
招待状の日付を見て、私は息を呑んだ。
それは、姫とアーロン王子の密会が行われる日と同じだった。
「……なるほどな」
セドが布を抱えて出てきた。
「姫様のドレスお披露目と、リアの王宮デビュー。同じ舞台ってわけか」
セドは不敵に笑った。
「上等だ。まとめて面倒見てやるよ。俺たちの最高傑作でな」
二つの試練は、一つの舞台へと収束していく。
私たちは覚悟を決めた。
王宮という魔窟で、自分たちの価値を証明するために。




