第18話「姫の涙と、燃えない決意」
深夜。
激しい雨が、店の窓を叩いていた。
王都の夜は静まり返り、雨音だけが世界を支配しているようだった。
ドンドンドン。
不意に、ドアを叩く音がした。
風の音かと思ったが、違う。誰かがいる。
「……こんな時間に、誰だ?」
セドが怪訝な顔でランタンを手に取る。
私は不安を感じながら、彼のエプロンの裾を掴んでついて行った。
ドアを開ける。
そこに立っていたのは、一人の小柄な人物だった。
フードを目深に被り、雨でずぶ濡れになっている。震えているのが分かった。
「……あの、店はもう……」
セドが断ろうとした時、その人物が顔を上げた。
雷光が、その顔を照らし出す。
「……姫様!?」
イリシアーナ姫だった。
いつもの豪華なドレスではなく、地味な旅人のような服。従者もいない。
その顔は蒼白で、雨と涙でぐしゃぐしゃだった。
「……入れて。……お願い」
消え入りそうな声。
私たちは慌てて彼女を店内に招き入れた。
* * *
暖炉に火を入れ、温かいハーブティーを出す。
姫は毛布にくるまり、カップを両手で包み込んでいた。ガチガチと歯が鳴っている。
「……落ち着きましたか?」
私が聞くと、姫は小さく頷いた。
「……ごめんなさい。こんな夜更けに」
「いえ。……一体、何があったんですか?」
セドが問う。
姫はカップを見つめたまま、ポツリポツリと語り出した。
「……求婚されたわ。アーロン王子に」
やはり。パレードの時の不穏な空気は、これだったのか。
「……断れないの。マギレルム王国との同盟は、我が国の生命線。私が嫁げば、魔法技術の供与が約束される」
「……政略結婚、ですか」
「ええ。王族の義務よ」
姫は自嘲気味に笑った。
「でもね、あいつ……言ったのよ。結婚したら、君の好きなファッションなどというくだらない趣味は捨ててもらう。君は私の飾りであればいいって」
姫の手が震え、紅茶が波打つ。
「……私、ずっと寂しかったの。王宮の中で、誰も私を見てくれなかった。だから、服が好きだった。服だけは、私を綺麗にしてくれる。私を私として輝かせてくれる……唯一の友達だった」
姫の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「それを……否定された。私の人生を、あいつの都合だけで塗り替えられようとしている」
姫は顔を覆って泣いた。
プライドの高い彼女が、私たちの前で声を上げて泣いている。
その姿は、ただの傷ついた少女だった。
しばらくして、姫は顔を上げた。
その目は、深い後悔の色を帯びていた。
「……その時、気づいたの。私があなたたちにしたことの残酷さに」
姫は私とセドを交互に見た。
「私の都合で、あなたたちを結婚させて。私の都合で、王都に連れてきて。……私のために服を作れって」
「……姫様」
「同じよ。私が王子にされていることと、私があなたたちにしたことは。……私、最低ね」
姫はふらりと立ち上がり、そして――床に膝をつこうとした。
「おいっ!」
セドが慌てて支える。
「何してんだよ!」
「謝らせて。……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
姫はセドの腕の中で、崩れ落ちるように頭を下げた。
「もういいわ。偽装結婚なんて、やめていい。店もあげる。……あなたたちを、自由にするわ」
「……姫様」
「私は一人で嫁ぐ。……それが、せめてもの償いよ」
それは、彼女なりの精一杯の誠意であり、そして諦めだった。
部屋に沈黙が落ちる。雨音だけが響く。
私はセドを見た。
セドも私を見ている。
言葉はいらなかった。私たちは、同じことを考えていた。
確かに、最初は強制だった。
でも、この王都に来て、ガストンに出会い、ルネやバルドに出会い、そして……お互いのことを知った。
それは全部、この姫がいたからだ。
「……断る」
セドが短く言った。
「え?」
「自由? いらねえよそんなもん。……俺たちはもう、ただの偽装じゃねえ」
セドは姫を椅子に座らせ、真っ直ぐに見据えた。
「それに、俺たちのパトロンが不幸になるなんて、寝覚めが悪い。……俺の服を着る女は、世界一幸せそうな顔をしてなきゃダメなんだよ」
「セド……」
「そうよ。私たちの服で、姫様を世界一いい女にしてあげる」
私も続いた。
「そうすれば、あんな王子なんてイチコロよ。……あるいは、もっといい男が寄ってくるかもね」
「……ふふっ」
姫が涙目で笑った。
「……生意気ね。……でも、ありがとう」
* * *
その時だった。
バンッ! とドアが勢いよく開いた。
「できたー!! できたわよエル! セド!」
飛び込んできたのは、ルネだった。
彼女もずぶ濡れだが、その目は爛々と輝いている。手には、一枚の布を握りしめていた。
「ルネ!? どうしたの?」
「完成したのよ! 完全耐火・耐魔繊維が!」
ルネは姫がいることにも気づかず、布を掲げた。
「これならドラゴンの炎だって防げるわよ! 魔法攻撃なんて蚊に刺された程度ね!」
空気の読めない乱入。
しかし、その言葉を聞いたセドの目が、鋭く光った。
「……貸せ」
セドはルネから布をひったくり、手触りを確かめる。
そして、ニヤリと笑った。
「……これだ」
セドは布を持って、姫の前に立った。
「姫様。これが、あなたが支援してきた道楽の成果です」
「え?」
「ただの服じゃない。兵士の命を守り、国を強くする鎧にもなる。……魔法大国の脅威に対抗できる、唯一の切り札だ」
姫が目を見開く。
ファッションだと思っていたものが、国の守りになる。
「私たちが作ります。姫様が、胸を張って王子様の隣に立てるような、最強のドレスを」
私の言葉に、姫の目に光が戻った。
迷いは消えていた。
「……そうね。私は逃げない。この国の技術を守るためにも、私が王子と対等に渡り合わなきゃ」
姫は立ち上がった。
その瞳には、王族としての誇りと、一人の女性としての覚悟が宿っていた。
「ありがとう。決心がついたわ。……私は王子と結婚する。そして二人で、この国をもっと強くしてみせる」
姫は涙を拭い、不敵に微笑んだ。
「でも、ただ嫁ぐだけじゃ癪だわ。……王都コレクションで、その燃えないドレスをお披露目したい。あいつの度肝を抜いて、私の価値を認めさせるのよ!」
セドと私は顔を見合わせ、力強く頷いた。
「もちろんです、姫様」
夜が明ける。
雨はいつの間にか止んでいた。
私たちの戦いは、ここからが本番だ。




