第14話「学校の友達と、無邪気な初恋」
王都の朝は早い。
通りの石畳を馬車が駆ける音で目が覚める。
私はあくびを噛み殺しながら、店のシャッターを開けた。
「おはよう、エルお姉ちゃん! 行ってきまーす!」
リアが元気よく飛び出していく。
彼女は王都の学校に転入して一ヶ月。新しい制服がよく似合っている。
最初は「田舎者っていじめられないかな」と心配していたけれど、持ち前の明るさですぐに馴染んだようだ。
「気をつけてねー」
私は手を振って見送った。
平和だ。
ガストンに紹介された「シルク・ロード商会」との取引も始まり、素材の問題は解決しつつある。
あとは、肝心の「売れる服」を作るだけなのだが……。
「……うーん」
奥の工房から、セドの唸り声が聞こえる。
彼はまだ、ガストンの言葉と格闘しているようだ。「独りよがり」からの脱却。それは口で言うほど簡単ではない。
* * *
夕方。
カランコロン、とドアベルが鳴った。
「ただいまー! お兄ちゃん、エルお姉ちゃん、友達連れてきたよ!」
リアが帰ってきた。
その後ろに、一人の男の子が立っていた。
「……お邪魔します」
私は思わず作業の手を止めた。
美少年だ。
金色の髪は夕日を浴びて輝き、碧眼は澄んでいる。着ている制服はリアと同じものだが、仕立ての良さが段違いだ。育ちの良さが全身から滲み出ている。
「へえ、リアに彼氏か?」
セドが工房から顔を出した。ニヤニヤしているが、目は笑っていない。完全に「品定め」の目だ。
「違うよ! クラスメイトのレオ君! ……お友達」
リアが後半を小声で呟いたのを、私は聞き逃さなかった。顔が赤い。これは……「脈あり」だ。
「初めまして。レオナルドです。リアさんとは、図書委員で一緒なんです」
レオは帽子を取り、優雅に一礼した。その所作は、大人の貴族顔負けだ。
セドの眉がピクリと動く。
「……丁寧なガキだな。まあいい、茶でも飲んでけ」
* * *
「へえ……ここがリアちゃんの家か。すごいね、本当に服を作ってるんだ」
レオは工房に入ると、興味深そうにミシンやトルソーを眺めた。
「うん! お兄ちゃんは天才なんだよ! エルお姉ちゃんもすごいんだから!」
リアが得意げに胸を張る。
すると、レオが自然な動作でリアに近づいた。
「ねえリアちゃん、これ何?」
「あ、それはボビンケースだよ。こうやって糸を巻くの」
二人が並んでミシンを覗き込む。
近い。
肩が触れ合っている。いや、むしろレオが少しリアに寄りかかっている?
「へえ、難しいんだね。……あ、リアちゃん、髪に糸くずついてるよ」
「え? どこ?」
「ここ。……じっとしてて」
レオがリアの顔を覗き込み、そっと髪に触れる。
その距離、数センチ。
リアは顔を真っ赤にして固まっているが、嫌がってはいない。むしろ、うっとりとレオを見つめている。
「……取れた! あ、リボンがちょっと緩んでいるよ。待ってね」
「も、もう……レオ君ったら……」
二人は見つめ合い、へにゃりと笑い合った。
完全に二人の世界だ。周りが見えていない。
それを少し離れた場所から見ていた私とセドは、凍りついていた。
「……おい」
セドが小声で囁く。
「……なんだ、あれは」
「……青春、ね」
私たちは言葉を失った。
あんなに無邪気に、あんなに自然に、肌を触れ合わせている。
計算も、駆け引きも、ビジネスもない。ただ「好き」という気持ちが溢れている。
私は思わず、二人に声をかけた。
「ふふっ、仲良いんだねぇ〜」
私の冷やかしの声に、二人がビクッと反応した。
レオがハッとして、リアの髪に触れたままの自分の手と、リアとの距離を見る。
「あ……」
レオの顔が、みるみるうちに真っ赤になった。
「す、すみません! 僕、つい……! その、無意識で……!」
レオは慌てて飛び退いた。
リアも顔を覆ってしゃがみ込む。
「えへへ、そ、そのぉ。ただの友達だもん」
何これ。可愛い。
さっきまでの無邪気さはどこへやら、急に初々しい反応を見せる二人。
その純情さが、逆に眩しかった。
「……見てられないな」
セドが顔を背けた。耳が赤い。
私も妙に居心地が悪くなって、視線を逸らした。
「……そうね。なんか、こっちが恥ずかしくなるわ」
私たちは「偽装夫婦」だ。
一応、世間的には新婚ということになっている。
でも、あんな風に見つめ合ったことなんて一度もない。髪についた糸くずを取るのだって、「おい、ついてるぞ」と指摘して終わりだ。
ふと、セドと目が合った。
一瞬の沈黙。
脳裏に、さっきのレオとリアの距離感がよぎる。
もし、私たちが「本物の夫婦」だったら、あんな風にするのだろうか?
「……っ」
セドがバッと視線を逸らした。
「……茶、淹れ直してくる」
「あ、うん……お願い」
逃げた。
私も逃げるようにミシンに向かった。
心臓が、少しだけ早鐘を打っていた。
もんもんとする。
学生の恋愛を見せつけられて、偽装とはいえ大人の夫婦が動揺するなんて、情けないにも程がある。
* * *
レオが帰る時、衝撃の事実が発覚した。
「じゃあね、リアちゃん。また明日」
「うん! 気をつけてね!」
名残惜しそうに手を振る二人。
レオは最後に、私たちに向かって礼儀正しく挨拶した。
「お邪魔しました。……あ、言い忘れてましたが」
レオはニコリと笑った。
「僕、イリシアーナ姉さんの従弟なんです」
「……は?」
「姉様から聞いて、どんな人たちか気になって。……でも、来てよかった。リアちゃんに会えたから」
レオは爽やかに去っていった。
残された私たちは、呆然と立ち尽くした。
「……イリシアーナ姫の、従弟?」
「……マジかよ」
でも、さっきの純情な反応を見た後では、なにか意図があるとも思えない。
セドは深いため息をついた。
「……くそっ。妹が……王都の魔の手に……」
「でも、リアは幸せそうよ?」
「それが問題なんだよ!」
セドは叫び、そしてボソッと言った。
「……あんな顔、俺には見せたことねえのに」
それは、妹を取られた兄の嫉妬か。
それとも、あんな風に誰かを想えることへの、羨望か。
夜。
私たちはそれぞれの部屋で、なかなか寝付けなかった。
恋人とはどういうものか、現実を知ってしまったからだ。
壁一枚隔てた向こうにいる相手のことを、いつもより少しだけ意識しながら。




