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王都出店のために契約結婚した元商売敵の仕立て屋ですが、お姫様に最高のドレスと「次世代」を期待されています  作者: 蒼山りと


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第13話「王者の来店と、亡き妻の肖像」

 婚約式という名の茶番劇を終え、私たちの日常は少しだけ変化していた。

 指輪の重みにも慣れ、お互いを「あなた」「エル」と呼ぶのも客前では板についてきた。

 店はそこそこ繁盛している。バルドの宣伝効果と、夜会での話題性のおかげだ。

 しかし、セドの機嫌は低空飛行を続けていた。


「……違う」


 セドがスケッチブックを乱暴に閉じる音が、店内に響く。


「何が違うのよ」

「全部だ。王都の連中が求めているのは、俺の『最高傑作』じゃない。もっとこう……分かりやすい派手さだ」


 彼はカウンターに頬杖をつき、通りを歩く着飾った人々を睨みつけた。

 コンテストでの敗北。ガストンの優勝作品のような、王道の豪華さが評価される現実。それが彼のプライドを削っていた。


「俺の美学は、ここでは通じないのか……?」


 弱気なセドなんて見たくない。

 私が何か言い返そうとした時、カランコロン、とドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 入ってきたのは、一人の老紳士だった。

 年齢は六十代後半だろうか。白髪を綺麗に撫で付け、口髭を蓄えている。

 着ているのは、一見すると地味なグレーのスーツ。しかし、見る人が見れば分かる。最高級のウール地、完璧な縫製、そして長年着込まれて体に馴染んだシワさえも美しい。

 手には黒檀の杖をついている。


「……ふむ」


 老紳士は鋭い眼光で店内を見回した。

 セドがハッとして姿勢を正す。


「い、いらっしゃいませ! オーダーメイドでしょうか?」


 セドの声が上ずっている。彼も気づいたのだ。この客がただ者ではないことに。

 老紳士はセドを一瞥し、静かに言った。


「噂の『新婚仕立て屋』の腕を見に来た。……ジャケットを一着、頼めるか」


  * * *


 セドは張り切った。

 最高級の生地(なけなしの在庫)を広げ、最新の流行を取り入れたデザインを提案する。


「お客様の風格には、こちらのダブルブレストがお似合いです。肩周りを強調し、威厳を出すカッティングで……」

「……ほう」


 老紳士は無表情のまま、セドの採寸を受ける。

 セドの手際は完璧だ。メジャーを操る指先に迷いはない。

 しかし、仮縫いの段階で、老紳士は眉をひそめた。


「……窮屈だ」

「え?」

「肩が凝る。息が詰まるようだ」


 セドは顔を赤くした。


「そんなはずはありません! 数値通り、完璧なゆとりを入れています!」

「数値など知らん。私が『窮屈だ』と言っているのだ」


 老紳士は冷たく言い放つ。

 セドの額に青筋が浮かぶ。職人としてのプライドと、客への敬意の間で揺れている。

 空気が凍りつく。

 私は見かねて、作業の手を止めた。


「……セド、ちょっと待って」


 私はカウンターから出て、老紳士の前に立った。


「失礼します」


 私は彼の右肩にそっと手を触れた。老紳士がピクリと反応する。

 そして、彼が持っている杖を見る。


「……お客様。右肩、痛みますか?」

「……!」


 老紳士の目がわずかに見開かれた。

 セドが驚いて私を見る。


「おいエル、失礼だぞ!」

「違うのよセド。見て、この杖。右側だけグリップが摩耗してる。それに、立っている時、無意識に右肩を庇うように少し下がっているわ」


 私はセドに向き直った。


「数値通りじゃダメ。右のアームホールをあと五ミリ下げて、芯地を柔らかいものに変えて。背中のゆとりも、右側だけ少し増やして」

「……左右非対称にするのか? シルエットが崩れるぞ」

「崩れないように縫うのが、あんたの腕でしょ?」


 私は挑発するように言った。

 セドは私を睨み、それから老紳士の右肩をじっと見た。

 数秒後、彼はフンと鼻を鳴らした。


「……分かったよ。やってやる」


  * * *


 一時間後。

 補正を終えたジャケットを羽織った老紳士は、鏡の前で腕を回した。


「……」


 沈黙が落ちる。

 セドが固唾を呑んで見守る中、老紳士は深く息を吸い、そして吐いた。


「……軽いな」


 その声は、先ほどまでの冷たさが消え、驚きを含んでいた。


「重さを感じない。まるで着ていないようだ。……だが、鏡に映る姿は崩れていない」


 老紳士は鏡の中の自分を見て、初めてニカっと笑った。その笑顔は完全にただの服好きの好々爺だった。


「技術の坊主と、目の嬢ちゃん。……いいコンビだ」


 彼は満足げに代金を支払った。

 そして、去り際に一枚の名刺をカウンターに置いた。


「次は私の店に来なさい。美味い茶でも出そう」


 ドアが閉まる。

 残された私たちは、名刺を覗き込んだ。

 そこには、金色の箔押しでこう書かれていた。


 『王室御用達 ガストン・テーラー』


「……は?」


 セドの声が裏返った。


「ガ、ガストン……!? あのコンテスト優勝者の!? 俺を負かしたあのジジイか!?」

「……嘘でしょ。なんであんな大物が、うちなんかに……?」


 私たちは顔を見合わせ、絶叫した。


  * * *


 恐る恐る訪ねたガストンの店は、私たちのボロ屋敷とは格が違った。

 重厚なマホガニーの扉。磨き上げられたショーウィンドウ。

 通された奥の工房も、塵一つなく整頓されていた。


「よく来たな」


 ガストンは作業着のエプロン姿で迎えてくれた。手には淹れたての紅茶を持っている。

 工房の壁には、歴代の王族や貴族の写真が飾られている。まさに「王都の歴史」そのものだ。


 しかし、私の目はある一点に釘付けになった。

 作業机の一番近く。常に視界に入る場所に飾られた、一枚の小さな肖像画。

 優しそうな瞳をした、美しい女性の絵だ。


「……綺麗な方ですね」


 私が呟くと、ガストンは紅茶を置き、その絵に視線をやった。

 その眼差しは、店で見せた鋭いものとは別人のように穏やかで、そして寂しげだった。


「妻だ。……もう随分前に亡くなったがな」


 ガストンは椅子に座り、私たちに座るよう促した。


「先日は礼を言う。あのジャケット、実に具合がいい。……私の古傷を見抜いたのは、ここ数年でお嬢ちゃんが初めてだ」

「い、いえ……たまたまです」

「謙遜するな。……そして坊主。お前の技術も大したものだ。私の歪んだ体に合わせつつ、美しいラインを保つ。並大抵の腕ではない」


 セドは褒められて、居心地悪そうに頭を掻いた。


「……アンタに勝つつもりで作りましたから」

「ハハッ、威勢がいいな」


 ガストンは笑い、そしてふと真面目な顔になった。


「……お前たちを見ていると、羨ましくなるよ」

「え?」

「店でのやり取りだ。あーだこーだと言い合いながら、一つの服を作り上げる。……いい『仕事仲間』だな」


 セドがギクリとして私を見た。

 私たちは慌てて「夫婦」の仮面を被り直そうとした。


「あ、あの、私たちは夫婦で……!」

「ああ、知っている。だが、それ以前に『仲間』だと言っているんだ」


 ガストンは肖像画に目を戻した。


「私の妻はな……仕立てには全く興味を持ってくれなかった」


 その声には、深い哀愁が滲んでいた。


「私がどんなに良い服を作っても、賞を獲っても、彼女は『綺麗ね』『すごいわね』と言うだけだった。……もちろん、愛していたさ。だが、私の『核』である服作りの苦悩や喜びを、本当に共有することはできなかった」


 ガストンは自嘲気味に笑った。


「孤独なものだぞ。理解者がいないというのは。……頂点に立てば立つほど、周りから人は減っていく」


 彼は杖を手に取り、セドを真っ直ぐに見た。


「喧嘩ができるほど、同じ方向を見ている。互いの足りない部分を補い合える。……いい妻を持ったな、若造」


 その言葉は、私の胸の奥にストンと落ちた。

 セドも同じだったようだ。彼は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと私を見た。

 その青い瞳に、私自身の姿が映っている。


「……ええ」


 セドは静かに言った。いつもの憎まれ口ではなく、素直な声で。


「……口うるさくて、生意気で、可愛げのない妻ですが。……俺には必要なパートナーです」


 私の顔がカァッと熱くなる。

 何よそれ。褒めてるの? 貶してるの?

 でも、悪い気はしなかった。


 ガストンは満足げに頷いた。


「大事にしろよ。その絆こそが、お前たちが私を超えるための唯一の武器になるかもしれん」


「……ところで」


 帰り支度を始めた私たちを、ガストンが呼び止めた。


「お前たち、生地の仕入れはどうしている? 王都の問屋は、新参者には冷たいだろう」


 図星だった。セドが苦虫を噛み潰したような顔をする。

 実際、私たちは在庫の端切れをやり繰りしている状態で、新しい高級生地など手に入らなかったのだ。


「……まあ、在庫でなんとか」

「ふん、強がるな」


 ガストンはメモ用紙にサラサラと何かを書き、渡してきた。


「『シルク・ロード商会』だ。ここの主人は私の古い馴染みだ。この紹介状を持っていけば、門前払いは食らわんはずだ」

「……ありがとう。恩に着る」


 セドが素直に頭を下げてメモを受け取る。

 ガストンはフンと鼻を鳴らした。


「礼はいらんよ。私はただ、いい服が見たいだけだ。……楽しみにしているぞ」


 帰り道。

 王都の夕暮れは、いつもより優しく見えた。

 私たちは並んで歩いていた。手は繋いでいないけれど、その距離は以前よりもずっと近く感じられた。


「……超えるぞ、ガストンを」


 セドがボソッと言った。


「ええ。手伝ってあげるわよ、パートナー」


 私が答えると、彼はフンと鼻を鳴らして笑った。

 夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。


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