第10話「雨の日の迎えと、未完成のドレス」
セドがいなくなって二日が過ぎた。
私は王都中を探し回った。生地問屋、公園、図書館、彼が行きそうな場所は全て回ったが、影も形もなかった。
明日はコンテスト当日だ。もう時間がない。
「……どこ行ったのよ、バカ」
雨が降り始めた。冷たい雨だ。
私はふと、ある場所を思い出した。
あいつは昔から、本当に辛いことがあると、殻に閉じこもる癖がある。誰にも見つからない、自分だけの城に。
「……まさか」
私は馬車を飛ばした。行き先は王都ではない。
私たちが生まれ育った、あの田舎の商店街だ。
* * *
数時間後、私は懐かしい商店街に立っていた。
雨足は強くなっている。人通りはなく、シャッターが閉まった店が並ぶ中、二軒の空き家だけが静かに向かい合っていた。
私の店と、セドの店。
私はセドの店のドアに手をかけた。鍵は開いていた。
ギギギ、と錆びついた音がしてドアが開く。
中は埃とカビの匂いがした。家具は運び出され、ガランとしている。
「……セド?」
返事はない。
私は奥の工房へ進んだ。
そこに、彼はいた。
床に散らばった古いデザイン画の山。その真ん中で、セドは膝を抱えてうずくまっていた。
着ているシャツは泥だらけで、髪もボサボサだ。いつもの完璧な彼はどこにもいない。まるで捨てられた子犬のようだった。
「……セド」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
その目は赤く充血し、生気がなかった。
「……エル……?」
「こんなところで何してんのよ。みんな心配してるわよ」
私は努めて明るく言ったが、声が震えた。
セドは力なく笑った。
「……ここが一番、落ち着くんだ」
彼は周りのデザイン画を指差した。それは、私たちがまだ子供だった頃、彼が描いた夢の数々だ。
「王都なんか……王都なんか、行くんじゃなかった」
セドがポツリと言った。
「無理だったんだよ、俺には。才能もねえ、金もねえ……お前を幸せにする資格もねえ」
「セド……」
「偽装結婚もうまくいかねえ。俺は仕事人間だ。お前と同じさ」
彼は自嘲気味に笑った。
「頭の中は服のことばかり。気の利いた言葉も言えねえし、記念日も忘れる。……恋愛なんて無理なのさ。誰かを愛するなんて、俺には……」
彼は顔を覆って泣き出した。
プライドの高い彼が、私の前でこんなに弱音を吐くなんて。よほど追い詰められていたのだろう。
私は胸が締め付けられた。
私はそっと彼に近づき、その泥だらけの体を抱きしめた。
雨に濡れたシャツは冷たかったが、彼の体温は熱かった。
「……エル?」
「よしよし。……辛かったね、セド」
私は彼の背中をゆっくりと撫でた。子供をあやすように、優しく、一定のリズムで。
セドの体が強張り、やがて力が抜けていく。彼は私の肩に額を押し付け、声を殺して泣いた。
私は黙ってそれを受け止めた。彼の涙が私の服を濡らしていく。
しばらくして、彼が落ち着いた頃を見計らって、私は体を離した。
そして、彼の胸ぐらを掴み、無理やり立たせた。
「……よし、泣くだけ泣いた?」
「え?」
「じゃあ、次は私の番ね」
パァン!
乾いた音が響いた。私は彼をビンタしていた。手がジンジンと痛い。
セドは呆然と私を見ている。頬が赤く腫れ上がっていた。
「……いったぁ……」
「当たり前でしょ。いい子いい子してあげたんだから、お代はいただかないと」
私はフンと鼻を鳴らした。
「痛い? 痛いわよね。でも、私の心の方がもっと痛いのよ!」
私は涙を流しながら叫んだ。
「あんたが才能ない? 笑わせないでよ! あんたの服で、どれだけの人が笑顔になったと思ってるの! バルドも、ロミイたちも、そして……私も!」
「エル……」
「私を幸せにする資格? そんなの、私が決めることよ! 勝手に決めつけないで!」
私は彼の肩を揺さぶった。
「あんたはただ、最高の服を作ればいいのよ! 王都だろうが田舎だろうが関係ない! セドはセドでしょ!?」
私の言葉が、雨音に混じって響く。
セドはしばらく私を見つめていたが、やがてその瞳に、少しずつ光が戻ってきた。
「……痛えな、クソ」
彼は頬をさすり、ふっと笑った。いつもの、憎たらしい笑顔が少しだけ戻っていた。
「……帰るか」
「ええ。コンテスト、まだ間に合うわよ」
「デザインは……まだ白紙だぞ」
「移動中の馬車で考えなさいよ。天才なんでしょ?」
私は彼の手を引いた。
その手は冷たかったが、強く握り返してくれた。
* * *
翌日。コンテスト会場。
私たちはギリギリで到着した。
セドは徹夜で仕上げたドレスを抱えている。
それは、煌びやかな装飾を一切排除した、極限までシンプルな純白のドレスだった。
テーマは「原点」。
彼が田舎の店で、最初に作ったドレスのリメイクだ。
結果は――優勝ではなかった。
優勝は有名デザイナー、ガストンの豪華絢爛なドレス。王都の流行を完璧に捉えた作品だった。
セドのドレスは「地味すぎる」と評された。
でも、私は知っている。
会場の誰よりも、そのドレスが美しかったことを。
そして、セドが吹っ切れた顔をしていることを。
「……負けたな」
「ええ。完敗ね」
私たちは顔を見合わせて笑った。
帰り道、雨上がりの夜空には星が出ていた。
セドがふと、足を止めた。
「なぁ、エル」
「ん?」
「俺がもしだよ……本当に好きな娘ができたら、お前はどう思うんだ?」
唐突な質問に、私は心臓が跳ねた。
セドは真剣な目で私を見ている。
どう思う? そんなの決まってる。
泣くほど悔しいし、悲しいし、でも……。
「……そうね」
私は夜空を見上げて、精一杯の強がりを言った。
「その子のために、最高のドレスを作ってあげなさいよ。……私が認めるくらいのね」
セドは少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「……そうか。厳しいな、お前は」
王都での戦いは、まだ始まったばかりだ。
そして、私たちの関係も。




