第1話「嘘つきのウェディングドレス」
タタタタタ、と軽快なリズムが、静まり返った店内に響いていた。
足踏みミシンのペダルを踏む私の足は、一定の速度を保ち続けている。視線は針先に一点集中。指先で布を送り出す感触だけが、今の私の世界の全てだった。
作業の邪魔にならないよう、私は栗色の髪を後ろで無造作に束ねている。着ているのは、生成りのエプロンドレス。ポケットが多くて機能的だが、色気とは無縁の代物だ。
私の店は、王都から馬車で半日ほど離れた、のどかな商店街の片隅にある。ショーウィンドウには、流行のドレスも、煌びやかな宝石も飾っていない。並んでいるのは、丈夫な麻のシャツや、動きやすいズボンばかりだ。
服は、生活の道具だ。寒さを凌ぎ、肌を守り、その人の仕事を支えるためのもの。それが私のポリシーであり、亡き父から受け継いだ誇りだった。
カランコロン、とドアベルが鳴る音が、私の集中を途切れさせた。
ミシンを止め、顔を上げる。入ってきた人物を見て、私は小さく、けれどわざと聞こえるようにため息をついた。
「よお、地味な店だな相変わらず」
幼なじみのセドだ。
少し長めの黒髪が、アンニュイに前髪にかかっている。切れ長の瞳は、深いサファイアブルー。黙っていれば美形なのだが、口を開けばこれだ。
彼は首に商売道具の黄色いメジャーをかけ、無駄に仕立ての良いシルクのシャツを着崩している。ボタンを二つも開けているのは、自分の鎖骨に自信があるからだろうか。鼻につく男だ。
向かいにある彼の店は、私とは正反対だ。芸術的で、装飾過多で、実用性よりも美しさを追求している。店の前を通るたびに、香水の匂いが漂ってくるような店だ。
「冷やかしなら帰って。今、忙しいの」
私は再び視線をミシンの針に戻そうとした。澄んだ緑色の瞳が、冷ややかに彼を射抜く。
「つれないこと言うなよ。仕事を持ってきたんだ」
セドはニヤリと笑うと、カウンターに一枚の羊皮紙を置いた。
ペラリ、と乾いた音がする。そこに書かれた品目を見て、私は思わず手を止めた。
「……ウェディングドレス?」
顔を上げると、セドは待っていましたとばかりに、もったいぶった様子で胸を張った。
「へへん、驚けよ? 俺はな、イリシアーナ姫という最強の顧客がついたんだ」
「イリシアーナ姫って……あの王都の?」
私は椅子から立ち上がった。
イリシアーナ姫。ファッションに目がなく、気に入った職人には金に糸目をつけないという、噂の王女様だ。
「そうだ。俺の服を気に入ってくれてな。『今度、王都に店を出さないか』って言われてるんだよ。資金も場所も、全部姫持ちだ」
王都に、店を。
その言葉は、私にとって眩しすぎる響きだった。職人なら誰もが憧れる場所。流行の最先端。そこで自分の腕を試すことは、叶わぬ夢だと思っていた。
セドは、本当に行ってしまうのか。
胸の奥がチクリとした。置いていかれるような、焦燥感。けれど、私はそれを表情に出さないように、唇をきゅっと結んだ。
「すごいじゃない……夢、叶うのね」
「ああ。だが、条件がある。『世帯を持って、夫婦二人で来い』だとさ。信用問題らしい」
「ふーん。で、そのウェディングドレスは?」
「姫がお金を出してくれる、俺の結婚式の衣装だ。相手はまだ決まってないが、とりあえず『準備は進んでます』ってアピールしなきゃならねえ。だから作るんだよ。最高の一着をな」
相手もいないのに、ドレスだけ先に作る。いかにも見栄っ張りの彼らしいやり方だ。
私は呆れ半分で、カウンターの上の注文書を指先で弾いた。指先には、長年の針仕事でできた小さなタコがある。
「へえ、おめでとう。で、相手は? 採寸しないと作れないわよ」
「うるせえ。サイズなんか適当でいい」
セドは悪びれもせずに言った。窓から差し込む日差しが、彼の整った横顔を照らしているのが余計に腹立たしい。
「そうだな……モデルを用意するのも面倒だ。お前のサイズでいいよ」
私は耳を疑った。
「はあ? 一生に一度のドレスよ? ちゃんと測ってあげなさいよ」
「お前、女としては標準体型だよな? 胸にせよ、尻にせよ。だから、お前が着れるなら問題ないだろう」
ピキッ、とこめかみで何かが切れる音がした。
私はカウンターをバンと叩いた。
「……はあ? デリカシーって言葉、辞書で引いてから出直してこない?」
「事実だろ? 期限は三日。頼んだぞ」
言いたいことだけ言って、セドは店を出て行った。ドアベルがカランコロンと虚しく鳴る。
残された私は、注文書を睨みつけた。
標準体型。胸にせよ、尻にせよ。
あいつ、いつか絶対、針山にしてやる。
* * *
怒りは創作のエネルギーになる。
私はその夜、工房にこもってドレスを縫い続けた。
ランプの灯りだけが頼りの薄暗い部屋で、私は最高級のシルクと格闘していた。触れるだけで指に吸い付くような滑らかさ。光沢のある白は、私の荒れた指先とは対照的だ。
セドのデザイン画は、悔しいけれど洗練されていた。無駄な装飾を削ぎ落としつつ、女性の体のラインを美しく見せるカッティング。
――サイズが私と同じ。
縫い進めるたび、その言葉が頭をよぎる。
偶然だろうか。それとも、私の体型を一番知っているから?
バカみたい。期待してどうするの。これは、セドの奥さんになる人のためのドレスだ。私には関係ない。
チクッ。
考え事をしていたせいで、指に針を刺してしまった。赤い血が滲む。私は慌てて指を口に含んだ。
血の味がした。
完成したドレスをトルソーに着せると、狭い工房がそこだけ発光しているように見えた。
ため息をつき、自分の体に当てて鏡を見る。
鏡の中の私は、疲れ切った顔で、髪もボサボサだ。緑色の瞳だけが、妙にギラギラと光っている。
似合わない。私は職人だ。花嫁じゃない。
* * *
約束の三日後。
私は完成したドレスを大きな箱に入れ、店を出た。
初夏の風が頬を撫でる。向かいのセドの店へ届けに行こうとした、その時だ。
「やあ、エルちゃん」
立ちはだかったのは、小太りの大家だった。手にはなぜか真っ赤なバラの花束を持っている。嫌な予感がした。
「大家さん……。家賃なら、もう少し待って……」
「いやいや、お金の話じゃないんだ。その……僕もそろそろ身を固めようと思ってね」
大家はモジモジしながら、じりじりと距離を詰めてきた。整髪料の甘ったるい匂いが鼻をつく。
「エルちゃん、僕のお嫁さんになってくれないかな? そうすれば、家賃なんて気にしなくていいし、この店も君にあげるよ」
「えっと……お気持ちは嬉しいですが……私、仕事が恋人みたいなもので……」
「そんなこと言わずに! 僕なら君を幸せにできるよ! 毎日美味しいもの食べさせてあげるし! ね? いいでしょ?」
断っても断っても、ニコニコと迫ってくる。悪気がない分、タチが悪い。「断りにくい善意」の圧力が、私を窒息させそうだった。
どうしよう。はっきり断ったら、角が立って店にいづらくなる。でも、結婚なんて死んでも嫌だ。
何か、諦めてもらうための理由は――。
私は箱を抱きしめる腕に力を込めた。
「ご、ごめんなさい! 私……もう結婚する相手がいるんです!」
口から出まかせが飛び出した。
大家の目が点になる。
「えっ!? そ、そうなの!? 誰だい!?」
「えっと、それは……」
誰? いない。そんな相手、どこにもいない。
焦る私の視界に、抱えている白い箱が入った。中には、ウェディングドレス。
これだ。
「このドレスの依頼主よ!」
私は箱を開け、中の純白のドレスを見せつけた。太陽の光を浴びて、シルクが眩しく輝く。
「これは私のドレス! 今から、彼に届けに行くところなの!」
「彼って……まさか、向かいのセド君か?」
「そ、そうよ!」
言ってしまった。もう後戻りはできない。心臓が早鐘を打つ。
その時、タイミング悪くセドが店から出てきた。
「おいエル、遅いぞ。納期ギリギリ……あ? なんだその空気」
私は大家を振り切り、セドに駆け寄った。
驚く彼の腕に、強引にしがみつく。彼の腕は意外と筋肉質で、温かかった。
「ねっ、あなた! ドレス、ありがとう! 私たち、もうすぐ結婚するのよね!?」
私は必死の形相で目配せを送った。
お願い、話を合わせて! 大家さんが求婚してきて困ってるの!
セドは私と大家、そしてドレスを見て、一瞬で状況を察したようだった。
呆れたようにため息をつき――そして、ニヤリと笑った。
「……ああ、そうなんですよ大家さん」
セドの声色が、よそ行きのものに変わる。
「灯台下暗しってやつで。こいつが、俺の妻になる予定の女です」
乗ってくれた!?
大家が「な、なんだってー!?」と叫ぶ前で、セドは私の腰をぐいと引き寄せた。顔が近い。彼の吐息がかかる距離だ。
「このドレスは、エルが自分のために作った最高傑作だ。サイズもぴったり。……そうだろ、エル?」
「……は、はい! 私たち、愛し合ってるんです!」
顔から火が出そうだった。
大家は「そ、そうだったのか……お幸せに……」と肩を落とし、すごすごと帰っていった。
* * *
嵐が去り、二人きりの店内。
私はへたり込んだ。心臓がまだバクバクしている。
「……助かった……。ありがと、セド」
「礼には及ばん」
セドはやれやれといった顔で、私の腰から手を離した。
私は少し調子を取り戻し、ニヤニヤと彼を見上げた。
「でも、なんで乗ってくれたの? ひょっとして……ガチで私に惚れてたとか?」
「は?」
「そっかー、好きな子に意地悪しちゃうタイプだもんね、セドは。ガキねぇ〜。私のこと好きなら、素直に言えばいいのに」
調子に乗って肩をツンツンすると、セドは冷ややかな目で見下ろしてきた。
「……バーカ。自意識過剰だ。俺が乗ったのは、パトロンのイリシアーナ姫が出した、王都に店を出すための条件なのさ」
「え?」
「『結婚して王都に来て世帯を持つこと』。それが、俺が王都に店を出すための絶対条件だったんだよ。ちょうどいい。お前がいれば、俺は王都に行ける」
私は瞬きをした。
王都に行く条件。結婚。
「……は? じゃあ、あのドレスの注文って……」
「ああ。ただ単純にプレゼンのためのドレスだ、ガチでお前なんかどうでもいい」
「私なんか、どうでもいいっ?? 言うわね、あんた! 」
「放っておくと、お前一生その服着なさそうだからな。どうだ? 夢が叶ってよかっただろ、エル。自分だけのウェディングドレスだぞ?」
カァッと頭に血が上るのが分かった。
「……バカ!! あんたと結婚なんて、悪夢よ!!」
「ひでえ言い草だな。まさか、お前の方から俺にプロポーズしてくるとは思わなかったぜ! 『私たち、愛し合ってるんです!』だっけ?」
「な、なによ! あれは口だけで……!」
「口だけ? ……ふーん。じゃあ、来月は助けんぞ? 大家のところへ戻るか?」
言葉に詰まった。
大家のあの粘着質な笑顔と、甘ったるい整髪料の匂いを思い出すと、背筋が凍る。戻りたくない。でも、こいつの言いなりになるのも癪だ。
「嫌なら、俺の妻役を続けろ。……というわけで、エル。荷物をまとめろ」
「は?」
「王都へ行くぞ。夫婦としてな」
「はあぁぁぁ!? 偽装結婚ってこと!?」
「嫌なら大家のところへ戻れ」
「……うぐぐ」
逃げ場はなかった。
私は悔し紛れに、彼を睨みつけた。夕日が彼の背後で燃えていて、逆光になった彼の表情はよく見えなかった。
「……やってやるわよ! その代わり、私の店も王都に出すからね!」
「交渉成立だな」
セドは満足げに笑った。
夕日が、私たちとウェディングドレスを赤く染めていた。




