第36話 才能には勝てない
影の世界に沈んだ黒煙の気配が遠ざかっていく。
その中心で、下南はひとつ息を吐いた。
「最初から全力で行かせてもらう。......聞いてるか、黒煙。俺に感謝なんて絶対すんなよ。痛い目を見るのは俺なんだから」
その声音は軽くふざけているようで、どこまでも本気だった。
対する"茨姫"こと楠しのは、余裕たっぷりに髪をかき上げる。
『私に勝てると思ってるの?
――私たち勇者組の力、29位の力を見せてあげる』
その言葉は傲慢、しかし同時に事実でもあった。
「......来いよ。遠慮はいらねぇ」
2人の口が、同時に紡ぐ。
「【勇者】」
『【解離展開】
――――――――――
【勇者】:その名の通り勇者の適正がある人間と同等のステータス(強化倍率)を得る。しかし、本来の勇者とは異なり不完全である。
【解離展開】:魔法陣を幾重にも重ね圧縮し、針を飛ばすかのように圧縮された魔法を飛ばす。
――――――――――
世界が、歪んだ。
下南の身体に金の光が宿り、筋肉と感覚が爆発的に跳ね上がる。
同時に楠の背後には、魔法陣がいくつにも重なり合い、音もなく圧縮されていく。
『距離が近いと分が悪いから、少し離れさせてもらうね?』
「にっげんな!」
下南は一息で間合いを詰めた。
抜き放つは"偽りの聖剣"。
斬撃が風を裂き、楠の胴を断ち割ろうと迫る。
『甘いね』
「!?」
楠は紙一重で身をずらし、逆に針のように鋭い魔力の弾丸を撃ち込んだ。
次の瞬間、下南の腹部と太腿に穴が開いた。
「ぐ......っ!」
『知らないんだ?私たちが使う固有能力にも【隠密】系統のスキル効果を付与できること。まぁ、付与できるスキルは限られるけどね』
楠の声は軽い。
だが、そこに宿る力は軽くない。
『今のはまだ序の口。休む暇なんて、与えないよ?』
楠が手をかざすと、5つの魔法陣が展開された。
『《解離展開・五重》。捌けるかな?』
「舐めんな。――《咎ノ一閃》!」
斬撃が白光を放ち、直後に黒く染まる。
地面ごと抉るその軌跡は、確かに魔法陣を斬り裂いた。
「正直この技は使いたくなかったんがな......。
......思った通り、俺にデバフが無いんなら、そういうことだ」
その後も下南は、楠のスキルを雨のように浴びせ続けられた。
下南の目に宿る覚悟が、地に濡れた地面に落ちていく。
だが――。
楠は笑っていた。
『えー!思ってたよりやるじゃん!じゃあもう1つ教えてあげるね?』
新たな魔法陣が展開される。
その色は薄灰色――無属性。
『過剰に与えられたバフって、デバフになり得るんだよ。
《解離展開・無属性》。
ま、強化系に慣れてるなら耐えられると思うけど......君はどうかな?』
その攻撃は物理的でなく、肉体的に下南の疲弊した身体に浸透した。
「ふっ......ぐ......っ。
......ギリ、だな。俺のスキルはそれ以上でもそれ以下でもない。
これ以上アイツの攻撃に耐えられるかは......時間の問題だ」
汗が、血が、地面に落ちる。
視界が揺らぐ。
対する楠は、まるで散歩でもしているかのような余裕だった。
『そろそろ終わりにしよっか。もし捌ききれなかったら死んじゃうかもね?』
周囲の魔力が一気に楠へと吸い込まれていく。
空気が震え、森が軋む。
『まだ慣れないけど......今の私の最大攻撃。
――《解離展開・超重》』
圧縮された魔法陣は、数百......いや数千層。
視認できないほどに濃密だ。
「おいおい、まじかよ......。
だが――俺も、ここで死ぬわけにはいかねぇ」
下南は剣を掲げ、祈るように目を閉じた。
「鎮めろ、戒めろ――《堕天ノ誓剣》!!!」
黄金の光が迸り、世界が白に染まった。
土煙が爆ぜ、衝撃が木々を薙ぎ払う。
すべての音が消えた。
――そして、静寂が戻ったとき。
立っていたのは、楠だった。
『へ~、あれ防ぎきったんだ。でも余波で結構やられた感じかな?』
視線の先で、下南は膝を折り、剣を杖のようにして立っていた。
だが、もう戦えない。
『ま、下南のこと殺す気は無いから。
......次、街で顔見せたら殺す気で行くけどね。
黒煙さんも。――あんたも』
そう言い残し、楠は振り返ることもなく禁域を後にした。
残ったのは、静寂と、血の匂い。
そして――圧倒的な"才能の差"を見せつけられた傷跡だけだった。




