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レーヴ・ブラン

作者: 星賀勇一郎





 アイマスク越しに光るライトを感じながら、その椅子に沈んでいた。


 女医の烏山は私の右の手の甲にポンポンと同じリズムで指先を落とす。


「秋乃さん……。心配はいらないわ……」


 烏山女医が自分の椅子を引き寄せる音がした。

 多分、横に座ったのだろう。


 大きく呼吸をして胸を膨らませる様に突き出し、身体の力を抜いた。


「さあ、まずは秋乃さんの好きなモノを教えて下さい……。ゆっくりで良いから……」


 烏山女医は囁くような声でそう言った。


 小さく頷くと、唇を舐めた。


「黒……、パスタ、コーヒー牛乳、コンバース……。夜……。安西巧……」


 メトロノームのスイッチが入れられて、カチカチという音が響き出す。

 そのリズムに合わせてアイマスク越しにフラッシュが光るのを感じた。


「黒はいつから好きなの……」


 烏山女医の声が心地よく聞こえてきた。


「三歳くらい……」


「どうして好きになったの」


 また胸を突き出す様に身体をくねらせた。


「春香とお揃いで買ってもらった服……。同じ服だけど、春香は白で私は黒だったから……。本当は私も白が着たかったけど、私の服は黒で……。だから私は黒を好きになった……」


 烏山女医の落とす指が止まる。

 そして今度は鳥の囀りが聞こえてくる。

 わかってる……、それは本当の囀りではなく、烏山女医が準備した効果音。

 私をリラックスさせるための……。


「今も白い服が着たいの……」


 首を回すように動かした。


「いいえ……。今は黒が好き……。白は春香の色。私の色は……」


「私の色は……」


「黒……」


 メトロノームの音は徐々に早くなり、フラッシュの光もどんどん早くなっていく。

 意識はそれに伴い、私から離れ、自分のモノでは無くなって行くのがわかる。

 不思議な事に心地良く、身体から体重を奪い、性的快感に似たモノが身体を支配していく。

 下半身が熱く濡れているのもわかる。


「安西巧さんとは……」


 その名前に身体は反応する。


「別れた彼氏……」


 意識とは裏腹に、言葉を発する。

 そしてチカチカと光るフラッシュの中に巧の姿が浮かぶ。


「まだ、好きなのね……」


 ゆっくりと項垂れる様に頷く。


「いつ別れたの」


「一年前の十一月」


「どうして」


「……」


 巧と何故別れたんだったっけ……。


 ゆっくりと首を動かす。


「彼とのセックスは感じた……」


 またゆっくりと頷いた。


「そのセックスを思い出す事はある」


 暗闇の中に聞こえる声に素直に頷く。


「彼への未練は愛情、それともセックス……」


 その言葉にも頷く。

 そして、


「その両方……」


 そう答えたと思う。

 もう私が答えているのではなく、奥深くにある意識が勝手に声を発していた。


 また、下半身が熱くなるのがわかった。

 そして溢れ出ている事も……。

 そのまま私は白に包まれて意識と離別した。

 





 どうやって自分の部屋に戻ったのか思い出せなかった。

 でもちゃんと着替えてベッドで眠っていた様だった。

 ガラスのテーブルの上に投げ出す様に置いたバッグを引き寄せて中から携帯電話を取り出し、SNSのメッセージを見た。

 春香と何度かやり取りしている様だった。

 

 床に落ちたクリニックの領収書を見た。

 三千円程の料金をちゃんと支払って帰って来ている事が判り安堵した。

 春香にメッセージを入れ送信した。

 しかし既読にはならない。

 春香は気紛れで、すぐに返信を返してくる事は少なかった。


 また白い闇の中に沈んだ。


 昨日のクリニックでの記憶を辿って行くが、やはり全てのピースが揃わない。

 所々の記憶はあるのだが、それが時系列に上手く並べられた事は一度もなかった。


 烏山女医は何度も同じ質問をしてくる。

 そして同じ答えをいつも返し、最後は同じように白い闇の中に沈む感覚を覚える。

 そんな治療をもう半年以上続けている。

 クリニックに通っている事は春香だけが知っている。


 ベッドから起き上がると服を脱いでシャワーを浴びる。

 熱いシャワーを浴びながら目を閉じると白い闇がフラッシュバックする。


 巧と別れた後、男性不信になった。

 酷く病んでいたんだと思う。

 それはどんどん酷くなり、同性さえも拒絶するようになり、仕事を辞めた。

 幸い少し蓄えがあり、今はそれで生活している。

 その心の病を克服するべく、春香が探してくれた心療内科に通っている。


 バスタオルを身体に巻き、濡れた髪を拭く。

 そして冷蔵庫からコンビニで買ったスムージーを出して飲んだ。

 昨夜から何も口にしてなかったのだろう。

 そのスムージーが渇いた身体に沁み込んで行くのが分かった。


 精神的に弱いのは遺伝で、母が父と離婚した後に同じように病んでいた事がある。

 両親が離婚した時に、私は母に引き取られ、二つ年上の春香は父に引き取られた。

 

 春香とは仲も良かったのでショックだったが、幼い頃からずっと連絡は取り合っていた。

 母の居ない間に電話したり、FAXを送ったりして。

 

 母が再婚する事になったのをきっかけに家を出た。

 再婚で母は精神的にも落ち着いたので良かったのかもしれない。

 同じ頃に父も再婚する事になったらしく、春香も家を出たらしい。

 春香は幼い頃から絵が上手く、イラストレーターの仕事をしているそうだ。

 私にはそんな才能もなく、少し前まで文具店の事務をしていたが、巧と別れた後、誰も信用する事が出来なくなり、その会社を辞めた。

 今考えると誰一人として疑う必要のある人など無く、皆、心配してくれていたのだと思う。


 クローゼットを開けて、白い下着を出し、身に着ける。

 黒いモノしか身に着けない私の唯一の抵抗。


 小さなドレッサーの前に座り、下着姿のままドライヤーで髪を乾かす。

 鏡に映る自分の顔を見ると春香を思い出してしまう。

 それ程に私と春香は似ている。


 母からもたまに電話がある。

 病気はしていないか、食事はちゃんと食べてるか、お金はあるか……。

 いつも決まった話だけど、母がそれを口にすることで安心するようなので、その時間を訊き流す様にして過ごす事に慣れてしまった。

 そしていつも春香の事を話そうとして止める。

 母は別れた父を恨んでいるのかもしれない。

 そして父に着いて行った春香の話も聞きたくないのかもしれない。

 そう思うと春香の事を飲み込んでしまう。


 髪が乾くと服を着る。

 クローゼットの中は黒一色。

 中に友達にもらった茶色のコートなんかもあるが着た事は無い。

 黒のスカートとニットのセーターに黒いジャケットを出した。

 別に今から約束がある訳でもない。

 少しだけ街を歩いてみようという気になった。

 これも私にとっては珍しい事で、いつもは近所のコンビニかスーパーまで行くと良い方で、街に出ようと思う気分の良い日なんてそんなにない。


 残ったスムージーを飲み干して、そのパックをゴミ箱に入れると両手首にプールオムを吹きかけた。テーブルの上のバッグを掴む様に取るとコンバースを履いて部屋を出た。


 エレベーターの中で春香からの返信を確認したが、まだ返って来ていない様だった。


 マンションを出て、すぐに地下鉄の入り口を入る。

 この距離は傘もいらない程度。

 行く場所によっては傘を差す事も無い。


 人は傘に守られているから、その雨の冷たさを知らない……。


 好きなクレイシノワ・ルクトの言葉。

 その雨の冷たさを知れば、傘の存在の重要さに気が付く。

 私は勝手にそう解釈した。


 街までは数駅、時間にして十分も無い。

 切符を買い、お気に入りのコンバースで改札を潜った。

 ホームでまた携帯電話を見るが、春香はまだメッセージを見ていないようだった。

 イラストレーターの仕事なんてしていると昼と夜が逆転してしまう事もあるのだろう。


 ホームに電車が滑る様に入ってくる。

 不意に数歩下がり、勢いよく流れ始める独特の匂いのある風から、髪を守る様に手を添える。


 目の前のドアから電車に乗り、座席の横にあるパイプに寄りかかって携帯電話を見る。

 春香にまたメッセージを送る。

 ひょっとするとその着信の音で春香も気付くかもしれない。


 今から街に行ってくるよ。

 少し気晴らしになるかもしれないし……。


 それだけ書くと送信した。






 冬の空は独特で、雨など降っていないのに、寒さを落としてくる。


 宛てなどないまま、繁華街へと歩く。

 気晴らしに出て来た街。

 しかし何処をどう歩けば気晴らしになるのかもわからなかった。

 思えば昨日もクリニックへ通うために街に出て来ていたが、通院のために歩く街と気晴らしでは大きく違う。


 横断歩道で信号が変わるのを待つ。

 最近はあとどのくらいで信号が変わるかを表示してくれている。

 その目盛が半分を切った。

 

 ふと、周囲を見ると、同じように並んでいる人混みの中に私をじっと見ている男の姿があった。

 知っている人ではなかった。

 その視線を無視して信号が変わるのを待った。

 落ちてくる前髪をかき上げて正面の歩行者信号を見た。

 そのタイミングで信号が変わり、歩き出した。

 すると私の前にさっき私を見ていた革ジャンを着た男が立った。


「久しぶり」


 男はそう言う。

 しかしその男に合った記憶はなかった。


「誰ですか……。ごめんなさい。急いでるんで……」


 その男を避けて横断歩道を渡った。


 男は私の横を着いてくるように歩いた。


「もう忘れた……」


 男は横から私を覗き込んだ。


「すみません。多分人違いですよ……」


「そんな事無いって……名刺渡したでしょ……この間」


 どうやら何かのスカウトっぽい……。


 私は横断歩道を渡り切り、繁華街への人の流れに着いて行く。

 男は何度も私を覗き込む様にして微笑んできた。


「ごめんなさい。本当に知らないんですよ……。誰かと間違ってるんだと思いますよ」


「そんな事無いって……。俺は職業柄、一度見た女の子の顔は忘れないんだよ」


 男は携帯電話を出して、何かを見ていた。

 そしてその携帯電話を私の前に出して来た。


「ほらね……。これ、君でしょ」


 男の見せる携帯電話には私の写真が映っていた。

 私は立ち止まりその写真を見た。


 確かに……私……。

 でもそんな写真を撮られた記憶もなかった。


「隠し撮りですか……」


 そう言ってみたが、写真は隠し撮りのアングルではなく、ちゃんと正面から写され、笑顔も浮かべていた。


「えーっと……。なんだっけ、上月さんだな……」


 男も名前までは覚えていなかった様子で、携帯電話を触りながら私にそう言った。


 上月……。


 以前の名前だった。

 そう、父の姓。


 そう男に言おうとして止めた。


「そうそう。上月春香さんだ」


 男は勝ち誇る様に携帯電話を見ながら春香の名前を言った。


 私は苦笑して俯いた。


「それは私の姉……。私じゃないわ……」


 私と春香は似ている。

 写真に写るアングルによっては間違う程だった。


「ホントに……。おかしいな、そんな間違いしない筈なんだけどな……。双子なの……」


 男は携帯電話の写真を再び出して、比べる様に見ていた。


「二つ違いよ……。双子じゃないわ……」


 そう言って歩き出す。

 しかし男はまた後ろを着いて来る。


「じゃあこの街にこんな美人が二人もいるって事か……」


 男は私の周りをクルクルと回る様に歩く。


「姉は福岡よ……。この街にはいないわ……」


 自分でそう言って言葉を止めた。

 そして立ち止まると、男を見た。


「ねえ……。姉と何処で会ったの……」


 男は眉を寄せて少し考えた。


「この先……。本屋の手前の角の所……だった筈だけど……」


 そんな筈はない。

 春香は福岡に住んでいる筈。

 それにこの街に来たなんて話は春香には聞いていない。


 俯いて考えた。

 そして顔を上げた。


「ねえ……。詳しく話して……。姉と会った時の事」


 男はニッコリと微笑むと頷いた。


「良いよ。でもここじゃ寒いから、そこの喫茶店にでも入ろうか」


 男は地下の喫茶店の看板を指差した。






 何が何だかわからなかった。

 男はキャバクラのスカウトマンで名前を進藤と言った。

 そんな名前が本当かどうかはわからない。

 進藤の話では、先々週、この繁華街で姉の春香に会ったという。

 春香は、この街に住んでいて、妹が福岡でイラストレーターをやっていると進藤に話したらしい。

 まったく逆。

 ここに住んでいるのは私で、福岡にいるのは姉、春香。

 イラストレーターをやっているのも私ではなく、春香……。


 一体どうなってるの……。


 春香の携帯電話を鳴らし続けたが、一向に出る様子はなかった。


 ベッドの上で爪を噛みながら、足元に転がる携帯電話を見つめていた。

 「春香」と表示の浮き出る携帯電話の画面はそのままだった。

 携帯電話を切ると、崩れる様にベッドに横になった。


 春香……。

 信じていたのに……。

 もう誰を信じれば良いのか……。


 目の裏から込み上げてくる様に頭痛が始まる。


 まただ……。


 強く目を閉じて、その頭痛が収まるのを待つ。

 その痛みで意識はどんどん遠退いて行く。

 そしてまた白い闇に包まれる。






 ふと、目が覚めると春香が私を覗き込んでいた。


「ごめんね……。急ぎの仕事でこっちに出張してたのよ。何度も電話くれたのね……」


 春香は微笑みながら言う。


「春香……」


 身体を起こそうとすると、春香は私の身体を抑え、再びベッドに倒した。


「横になってなさい。かなりうなされてたわよ……」


 そう言って冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持ってきた。

 そのボトルを受取り、口に含んだ。


 春香はカーテンを開けて窓の外を見た。


 その春香の背中を見た。

 窓の外は既に暗く、白いコートを着た春香の姿がその闇に浮き上がる様に見えた。

                                                                                                                                                                   「ねえ、春香……」


 進藤の話を春香に訊こうと思い口を開いた。

 春香は振り返りもせずに話し出した。


「ごめんね……。先々週にも来てたのよ。ここに寄る時間なくて帰っちゃったけど……。あなたが聞きたいのは進藤の事よね……」


 スッキリしない頭を振って上半身をベッドに起こした。


「進藤から電話があったわ。昼間、あなたに会ったって……」


 春香は振り返ると微笑んだ。


「面倒だったから、進藤には適当な事を言って誤魔化したのよ……」


 私は項垂れて、頷く。


「そうだったのね……」


「うん……」


 春香は私が手に持つミネラルウォーターのボトルを取り、口にした。


「ごめんね……」


 そう言うと私の肩を抱いた。


 安心している自分を感じる事の出来る瞬間だった。


「ううん……。ちゃんと理解できたから……。春香を疑わずに済む……」


 春香の顔を見上げて微笑んだ。


「今日は泊まって行く……」


「ごめん……。帰らなきゃいけないのよ……。また仕事が落ち着いたらゆっくり来るから……」


 春香は手に持ったペットボトルをガラスのテーブルの上に置いた。

 そして私をベッドに寝せると毛布を掛けた。


「ほら、今日はゆっくり休みなさい……」


 その春香の声に頷いて目を閉じた。

 また私の意識を白い闇が包んで行った。






 不思議なくらい瞬間的に目を覚ました。

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。


 ちゃんと部屋着に着替えてベッドで眠ってた。

 春香が着替えさせてくれたのだろうか。


 身体を起こしてガラステーブルの上に置いたミネラルウォーターのボトルを取った。

 昨夜、春香が冷蔵庫から持って来てくれたモノだった。

 水を口に含むとお腹が空いている事に気付いた。

 考えてみれば昨日から何も食べてなかった。


 ベッドを抜けて服を脱いだ。

 そしていつもの様に熱いシャワーを浴びる。


 春香はいつ帰ったのだろうか……。


                                         そんな事を考えながら熱いシャワーを頭から浴びた。

 目を閉じると、また白い闇がフラッシュバックする。


 バスタオルを身体に巻き、髪を拭きながらクローゼットを開けた。

 クローゼットに昨日着ていた服が掛けられていた。

 その服を出してポケットを探ると進藤の名刺が出て来た。

 その名刺をガラステーブルの上に投げ出すと服をクローゼットに戻した。


 ふとクローゼットの中の天井を見ると、点検口の蓋がずれている事に気付く。

 手を伸ばしてその点検口の蓋を直そうとしたが、上手くはまらずにその蓋が外れてしまった。

 そしてその点検口から白いコートとスカート、そして春香の持っていたバッグが落ちてきた。


 私は驚いて床に座り込む。


 何……。


 床に転がる春香のモノを手に取った。


 一体、どうなってるの……。


 恐る恐る春香のバッグを手に取り、中を見た。

 中から電源の切られた携帯電話と、進藤の名刺が出て来た。


 ゆっくりと振り返るとガラステーブルの上に置いた進藤の名刺と手に持った名刺を並べた。

 同じモノだった。


 何……。

 どうなってるの……。

 春香は近くにいるの……。


 口に手を当てて、床に転がる春香の服とバッグをじっと見つめていた。






 何も信じられなくなり、目を閉じると浮かび上がる白い闇が怖くなった。

 そして何日も眠れない日が続く。

 あの日以来、春香にも連絡は取っていない。


 烏山女医のクリニックのドアを体重で押す様に開けて中に転がり込んだ。

 よろける私を二人の看護師が支え、そのまま診察室へと連れて来られた。


 診察室にある高級な椅子に足を投げ出して座りながら、頭を回す様に動かしていた。


 烏山女医は白衣を着ながら診察室へと入って来た。


「秋乃さん……。大丈夫……」


 烏山女医は私を覗き込んだ。


「春香に……、姉に裏切られて……。もう私は何を信じたらいいのかわからなくなりました……」


 掠れる声で言い烏山女医の腕を掴んだ。


 烏山女医は優しく微笑むと私に何度か頷いた。

 そして椅子に付いたペダルを踏むと、私の座る椅子をクルリと回した。


「わかったわ……。とりあえずリラックスしましょうか……」


 烏山女医は横に座り、私の腕を同じリズムでポンポンと叩き始める。


「春香さんはあなたを裏切る事は無いのよ……」


 その言葉が優しく、迫り来る白い闇の中から響いてくる。


 烏山女医は私の座る椅子をゆっくりと起こした。

 そして正面にある大きなモニター電源を入れた。

 青い画面がまぶしく思えた。


「荒療治だけど、仕方ないわね……」


 烏山女医はそのモニターに映像を流し始めた。


「秋乃さん……。心配はいらないわ……」


 この椅子に横たわりアイマスクをした私の映像が映っている。


「さあ、まずは秋乃さんの好きなモノを教えて下さい……。ゆっくりで良いから……」


 烏山女医がカメラを微調整しながら私の姿を撮影していた。


「黒……、パスタ、コーヒー牛乳、コンバース……。夜……。安西巧……」


「黒はいつから好きなの……」


「三歳くらい……」


「どうして好きになったの」


 身体をくねらせながら私は細い声で答えている


「春香とお揃いで買ってもらった服……。同じ服だけど、春香は白で私は黒だったから……。本当は私も白が着たかったけど、私の服は黒で……。だから私は黒を好きになった……」


「安西巧さんとは……」


「別れた彼氏……」


「まだ、好きなのね……」


 目を見開いてモニターの中の自分を見た。


 下半身をくねらせて、唇を薄く開けていた。


「そのセックスを思い出す事はある」


 烏山女医は私の濡れた下着を映している。


「彼への未練は愛情、それともセックス……」


「その両方……」


 そう答えた後、私は大きく息を吐いて項垂れた。

 そして勢いよく起き上がった。

 そこからの私の記憶はなかった。


「巧は私のモノよ……秋乃なんかには渡さないわ……」


 驚いて身を乗り出す。


 何が起きてるの……。


「あなたは誰……」


「私は春香。秋乃の姉よ」


 明らかに表情の違う私、いや……見たことない程に目つきの悪い春香の姿がそこにはあった。


「春香……」


 ビデオの中の春香は立ち上がって診察室の中を裸足でペタペタと歩き回る。


「小さい頃から辛い事を全部私に押し付けて、秋乃にはもうウンザリしてるのよ……。おまけに巧までひとり占めしようなんて……」


 春香は立ち止まり自分の姿を見る。


 そして、


「何よ。黒、黒、黒……。大嫌いなのよ、この色」


 そう言って服を脱ぎ下着姿になった。


 烏山女医は黙ってその春香の姿を撮影し続けている。


「秋乃が言っている白い闇は私が出る時に見えるモノ……。秋乃にそう教えなさい」


 春香は烏山女医の胸倉を掴んでニッコリと笑った。

 そこでビデオが切れ、砂嵐が映った。


 何もかもが分かった気がした。


 春香は私の中にいた。


「巧さんとあなたは別れていないのよ。ただ巧さんがあなたに会う時は、あなたの代わりに春香さんが前に出て来ていたのね……」


 砂嵐の映るモニターを見たまま烏山女医の言葉を聞いた。


「あなたの中の春香さんを表に出さなくする治療を始めるわ……。あなたの人間不信の原因は春香さん……。それをあなたが理解するだけでコントロールできることなのよ……」


 そっか……、春香なんていないのか……。

 白い服、着ても良いんだ……。








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