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回復魔法なんてなかった  作者: 仄々 とろろ
第1章 忘れさせられた記憶 編
9/13

第九話 【こんにちは、ディーナーさん】

 

「おはようございますー」


 女性は扉を開けながら部屋にむかって挨拶をした。

 返事はなく、真っ暗な部屋の冷え込んだ空気に彼女は肘をさすりながら身震いをした。

 壁に掛けてあった支給の黒い衣装を羽織って女性は前のボタンを下からとめていった。


「誰も居ないか――」


 ドアの側の棚に箱の中に乱雑に置かれた魔道具を一つ取り出すと引っ張ると中心から火が起こった。その火を洋灯に移した。


「ま、生きてる人は、ね」


 火をつけて照らされて、まだ肉がこびりついた頭蓋骨が暗闇から浮き出てきた。壁一面に依頼書や連絡先、その横にメモ書きがたくさん入った解剖図所がびっしり壁一面に張ってあった。奥の木でできた扉の奥も照らされた。

 女性は手を振って魔道具の火を振り消した。台に寄りかかって涼んだ空気に息を吹きかけ白い息が部屋を漂うのをしばらく見つめていると、

 朝早くからめずらしい呼び鈴がドアの向こうから聞こえてきた。


 彼女は床に身を戻してドアの向こうの受付へと足を運んだ。


 その瞬間、目の片端で不愉快な陰が動いた。身を引こうと振り返ろうとするも、喉に突き立てられた鋭い先端が身を硬直させた。

 目の下にきらめく刃先は少し動き、受付からの光を反射した。


「動かないでください」


 首をかすかに振り返らせ、目を限界まで横に押しやると、フードをかぶった暗闇の顔の中からナイーブで優しそうな眼球が鈍くきらめいていた。

「俺の顔、われて大丈夫なの?フードで隠しても体格とかあるし、そもそもフードで顔を隠せるとは思わないんだけど。

 そもそもジルの遺体を見たいって言って次の日にその遺体が盗まれたら俺、怪しすぎでしょ」


 メリーは顔を上げて眉間をにしわを寄せながら半目で俺を見た。


「大丈夫よ、証拠がないんだから顔を見られなければいいじゃない」


「いや、だめだろ」


 村社会ではないようだ。実力主義で見つからなければ良い。衛兵はそのためにいるのだがその衛兵を殺せるほどの実力があればわりといけるらしい、だけどその場合は実力波の話題と顔が割れているので容疑にはかかるようだ。


 幸運なことに俺は何者でもない、ただし、ジルとパーティを組んでいたということは大きな仇になる。

 遺体を盗むならあきらかな容疑者がいない場合当然近しい人が怪しまれる。つまり、俺だ。


「俺たちと関係ない人――」


 一同は唯一俺たちと無関係の人物、ステイルさんを見た。

 彼女は一人でのんきに飲んでいる酒を一口飲んで顔を上げた。

 目をパチパチさせて、きっぱりと言い放った。


「私はやらないよ」


 一同は肩を落とした。かなりお世話にはなっているステイルさんだがあくまで無関係である。手伝ってくれるかてはない。


「黒曜石を作ってくれるんですよね?だったらちょっと手伝ってもらうことは無理ですか…?ステイルさんが適役なんですが」


「私は黒曜石を作ってあげるだけで、それ以外の面倒ごとは関与しないし、そのリスクは犯す意味なんてないじゃない」


 彼女は顔を背けて酒をもう一度ちょびちょび一口すすった。ドンが前にエルフについて言っていたことを思い出した。


『耳っエルフどもは自分のやりたいことに忠実で、しごく利己的な連中だ。自分の時間を他人のために使うことを嫌っているわけではない、ただ自然とその思考に陥らないんじゃよ』


 こちらは黒曜石を作ることをお願いする側だから何も言えない。俺はため息をつくと仕切り直して話しを続けた。


「じゃぁ、俺がやるよ。一番俺が体格的にもばれにくいだろうし」


「決まりね、任せたわよ」


 ひとまず俺が潜入することになった。とにかく身分を隠していきたい。


「帰りちょっとだけ市場に寄っていい?」


 ――――――


 俺は受付の呼び鈴を鳴らして誰か居ないか確認した。正直このまま人が居なかったらそのままこっそり中にお邪魔しようかなとも思っていた。しかし期待は外れて奥の扉から真っ黒い衣装に身を包んだ女性が顔を出した。


 俺はあの帰りにとんがり帽子を深くかぶってほぼ顔が見えないようにしていた。礼儀正しくはないが雪を避けるためにかぶっていても不自然ではない。こんな死体安置所にわざわざ訪れる人物などあまり一般的なの職業についていない人も多いだろう。


 女性は大きな目と長いまつげを瞬きながら光に目がくらんだようで目をこすりながら受付に出てきた。


「何かご用でしょうか――――お嬢さん?」


 俺は淡い金髪の長髪を手でいじった。一番安かったかつらだが、なんにしても声変わりしきっていない身体は頑張れば中性的になる。メリーからは少し危ない目で見られたがドンが大笑いしてくれてちょっと気が楽になった。

 ディーナーは受付に向かってきた。黒くすすんだ床をヒールの音がコツコツと響き、それと同時にきしみがまじって不協和音を奏でた。くせっ毛の頭をかきながら受付に立った。俺のふてくされたように伏せながら目だけ女性に向けているのを見ると、


「はい、ここの従者ディーナーですが。何かご用でしょうかっ?」


 ここのディーナーという女性は胃がキリキリする目つきでわざと目をまっすぐ見ながらこちらを見てきた。俺は負けんと目をしっかり見つめながら喉を手で押さえて訪ねた。


「朝早くにすみません、昨日こちらに魔法使いの死体が運び込まれたと思うんですけど、もう保管はされていますか?」


 女性は頭をかいたまま返事をせずに見つめてきた。するとめんどくさそうに受付台に置いてある用箋挟を手に取り用紙をめくっていった。指を走らせて最新の項目を見ていると、顔を上げた。


「はい。――入荷しましたよ」


 人の友達の亡骸を「入荷」と呼ぶことに少しひっかかりを感じつつも、我慢してしばらく立った後に続いて訪ねた。


「僕、その魔法使いの友人の、魔法使い、です。最後に顔を見ておきたくて。可能でしょうか?お願いします」


 女性は再度頭をかきむしって俺の着ている服を見定めるようにじろじろ見た。何か俺に聞こえないようにつぶやいてから、手招きをしてついてくるように合図した。俺は受付の横を通って奥の扉をくぐって窓一つもない真っ暗い部屋に通された。


 ――――――


「で、どうだったの」


 俺は安置所の建物から降りてきて門の横で仁王立ちしているメリーをみた。俺はとんがり帽をを後ろに外してため息交じりに答えた。


「運び込まれてたよ、ジルが」


 そう言うといったんみんなで話し合うために町の外れの大きな木の麓へ歩き始めた。メリーはついて歩きながら俺の顔を見てきた。


「で、どうする?」


「それを考えるためにゆっくり話し合うんだろ」


「どんな人がいた?武器とかは?護衛兵は?」


「だから、それをゆっくり説明するから。俺もちょっと考えたいんだ」


 メリーはむっと口をとがらせながら目をぐるりと回して腕を組んだ。前を歩いていたドンの横に行くと無言のままさっさと先導した。


 町のはずれの木にくると相変わらずその大きさには驚かされた。青々と元気な枝は横に広がっていて春にはちょうどよい日陰を作るが、今は冬なので積もる雪を避けることができた。その下には誰かがおいて放置した椅子とテーブルがあった。人は冬にはあまりいないし、座れるので相談事にはちょうど良かった。


 みんなで腰掛けるとさっそく俺は記憶を巡ってみんなに中で見てきたことを説明した。


 ――――――


 その建物はすすんで今にも崩れそうで、幾度なき時代を重ねて補強でかろうじて立っているたくましい建物だった。まるで小学校みたいに横に長くて四角かった。その入り口には繊細な彩飾が施されている以外はのっぺりとした機能的な建物だった。雨や風にも長い年月耐えそうな見た目だった。

 さりげなく建物を一周したが、裏口が二つ建物の左右にあるだけで、それ以外の入り口は、正門だけだった。屋根は平べったく屋上があるようで、一つ大きな煙突がある程度だ。窓はなく、中の様子は見えないし、これでどうやって中で暮らすのか疑うほどのっぺりとただ壁があるだけだった。


 正門に戻って扉を通って中に入ると開けた野ざらしの部屋に受け付け用のカウンターが部屋の奥に設置されていた。その横には一つの大きな扉があり、他は依頼のチラシなどが散乱して壁にびっしり張ってあった。

 あまり有益になりそうなものは部屋になかったので受付の呼び鈴を鳴らした。


 そこでさっきのディーナーが大きな扉からの出てきて、先ほどの会話をして中に通してもらった。

 あまりキョロキョロするのも気が引けたが、部屋の暗さに目を疑った。周りは何も見えなくなり、ただ少し奥においてあった洋灯からの光した光源がなかった。ディーナーの女性がそちらに歩いて行くとすぐに黒装束は闇に消えて見えなくなった。焦って俺は足を止めたが、洋灯に照らされたディーナーが再び見えるようになると、彼女はこちらに振り返った。

 暗さに戸惑っている俺を見かねたのか彼女は何も言わずに手を振ってきた。俺はそれを信じて光の方に足を一歩ずつゆっくり歩いた。

 後ろで扉は勝手に閉まり、俺は完全に闇に取り残された。行く当てもなく台の洋灯まで足を進めると、足にこつりと何かが当たりながらも、滑るように足を進めた。


 台につく頃には俺はすでにディーナーの側を絶対に離れないように決めた。

 彼女は俺の顔をぼんやりと見つめて、しばらく何も言わずに立っていた。俺は周りを見ながら、暗闇で何も見えずに、これじゃ来た意味がないのではと不安を覚えていた。


「その…魔法使いなんですよね?」


 彼女はさっきとは違う様子で落ち着きをはなっていてどこか頼りがいがある様子に変化していた。

 俺は素直に魔法使い見習いです、と答えると。彼女は興味をなくしたようにそっぽを向くと、こっち、と洋灯を持って奥へと案内した。

 それに照らされて奥の台にはまだ解剖中の人体が置かれているのが見えた。俺は、ひっ、とうめき声を上げた。

 彼女は振り返ると、あざ笑うかのように嫌みのある笑みで、置いてある施術用具の一つを手に取った。


「ごめんなさいね、ちょっとキツかったかな?」


 俺もそれほどナイーブではなかったのが、彼女がフォークのような用具で死体のあばら骨をカリカリと音を立てて触るとさすがに少し吐き気を覚えた。しかし、そこで死体を見て初めてあることに気づいた。


 この部屋では腐臭がしないのだ。


 大抵は何事にも匂いはあって、それが死体のように強烈なものでなくても何らかの匂いはするものだ。メリーの部屋だってたまに汗臭いし、前遊びに行ったドンの工房なんて強烈すぎていろんな匂いが乖離してそれぞれ俺の感覚を強烈に刺激してその日は食欲も起きなかった。


 それなのにこの部屋、いや建物には匂いというものがなく、全くの無臭だった。だから死体があるなんて気づかなかったし、当然のようにある死体の不気味さを強調した。だとしたらこの建物は他にどんな物が置かれているのか気になったし、怖くなった。

 ディーナーは用具を置いて、俺についてくるように奥に案内した。


「急に死体があってびっくりしたんですけど、なんでこの建物は死体の、いや、そもそもなんでこれほどに無臭なんですか?」


 彼女は質問を無視して、俺に自慢げに見せるように洋灯をあちらこちらに振りながら歩いた。

 俺は黙ると、自分で何か手がかりを見つけようと彼女の洋灯を照らすところを目で追いながら興味深く見ていった。


 奥にはもう一つの大きな部屋が横に広がっていた。奥のつきあたりまでいくと壁一面に棚が並んでいた。奥に行くほど室温は下がっていき、今は棚が凍るほど空気が冷たくなっていた。つきあたりまで行くと彼女はいきなり振り返り、腕を横に大きく広げて自慢げに言った。


「こんなに人の臓器、見たことある?」


 壁が照らされて、壁一面の棚は見えない天井までずっと上に続いていた。ディーナーは無邪気そうな笑みを浮かべて子供が施設から盗んだおもちゃを自慢するように見える。人の死体をただの物のように扱う彼女に嫌気がさして俺はついに口を開いた。息は白く濁って宙に漂った。


「あの、ディーナーさんであるとはいえ、仕事であるとはいえ必死に生きていた人間の死体をただの物みたいに扱うのって、良くないと思います」


 彼女は顔を曇らせてから、腕を下に落として、洋灯を身体の前に持ってきた。小さな身体は光に照らされて陰が大きく棚に移った。


「この人達、生きてる?」


 俺は血が沸騰するかのように顔が熱くなって目をくい開いた。何かが切れたように身体が言うことをきかなくなった。感情が高ぶりすぎて涙も大きく見開いた目に浮かんだ。


「人が死ぬときにどんな気持ちで死んでいったのかわかるんですか?」


 俺を見てディーナーは不思議そうに見て、やっと俺が怒っているのがわかったようであわてて丁寧な言葉に戻ってなだめた。


「あ、すみません。私変なこと言っちゃったみたい、ごめんなさい」


 必死に謝っているようだったが何か壁があってこうすれば許してくれると思っているのが見え隠れしてもっと腹が立った。


「こっち、あなたの友人様が保存されています」


 彼女は案内すると番号をチラリと見て、壁沿いを伝って案内した。

 俺は怒りが治まらず手が震えながらもついて行った。


 ――――――


「そのディーナー、ちょっと頭沸いてるんじゃない?」


 俺はふと顔を上げるとメリーは椅子に足を組んで座り腕を組んでいた。何も言わずに聞いていたみんなの沈黙を破って言った。


「まぁね、ちょっと抜けてるところがあった気がする。悪い人じゃないだろうけど」


 メリーは鼻で笑って天を仰いだ。腕を組んで聞いていたドンは話しを戻した。


「それで、ジルの遺体は建物の最深部に保存されていたのか?」


 俺は姿勢を前屈みにすると続けた。


「あぁ、だけどこの話しにもまだ先があるんだ」


 ――――――


 空気の冷たさもあってか感情の高ぶりも治まってきた。

 俺はディーナーの後についていきながらふとしたことに気づいた。

 この部屋の壁沿いには臓器の明細しか記されておらず、ずっと壁沿いをすすんでも遺体が保管されている気配はなかった。

 いったい死体はどこに保管されているのか訪ねようとしたときに、彼女はこちらを顔だけ振り返って俺がちゃんとついてきているか確認した。すると足を止めて、側にある手すりに手を置いた。

 彼女は手すり側に洋灯を照らした。入り口と同様に綺麗に幾何学的な装飾が施されていた。少し違うところといえば位置で、この扉は部屋のど真ん中に位置していた。それは墓場にぽつりとたたずむ休憩所のような、四壁、屋根、扉だけの小さな小屋だった。

 ディーナーは俺を確認するようにじっとり見てきたが、彼女が先導して扉を開けた。

 中に入る彼女に続いて俺は中を覗くと、階段がらせん状に下に続いていた。彼女に続いて階段を降りていくと、俺の後ろで扉はまたしても勝手に閉まった。


 下に一段ずつ降りていくと手すりはなくなり、階段のみになり、左右の壁はなくなりつつぬけで広い空間を感じた。洋灯でも照らしきれないほど広い地下空間だった。

 地下の床までつくと、ここには先ほどの綺麗に整頓された棚と比べものにならないほど乱雑に棺桶が積まれて放置されているだけだった。一つ一つ番号や記号が記されて入るが、整理整頓されているとは思えなかった。


「お名前、聞いてなかったですね」


 ディーナーは急に俺に話しを振ってきた。

 監獄のように空気が澄んでいるがよどんでいる空間に息を詰まらせながら、ただここから出たい意識を押さえて答えた。


「チェルストーです。遅れました。お名前を聞いてもいいですか?」


 彼女は振り返った。澄んだ顔で、先ほどまで裸眼だったが新たに黒縁のめがねをかけた。


「私はディーナーですよ。知っているでしょ?」


 ふふっ、と口の笑みから白い息を漏らした。


 急に寒気がした。奥に進むほど下がる冷気とともに、どんどんと人里から離れる不安感と、閉じ込められているかのような息苦しさから背筋が徐々に凍り始めていた。誰かから肩越しに見られているかのような不安もあった。こんなに寒くて暗くて閉鎖的な環境でよくこの人は毎日仕事をしているなと彼女は――


「この奥です。彼女の遺体が保管されているのは」


 彼女は俺に洋灯を渡してきた。俺はあっけにとられながらも受け取って、部屋の角へと進んだ。積まれている数々の棺桶の一番奥に、まだあまり積み重なっていない箇所があった。そこに新し目の棺桶が置かれていた。下の棺桶の様子と比べると、一番新しく持ち込まれた棺桶なようだ。膝をついてその棺桶の縁を照らすとそこにはジルの本名である『ジリアン』と、彼女の年齢が表紙に記されていた。


 後ろから物音がしたのでディーナーが足下が見えなくなったのか心配になり振り返った。そこには暗闇しかなく、ディーナーの姿は黒装束に包まれて全く見えなかった。不安になり俺は立ち上がると、声だけ鮮やかに聞こえてきた。


「私は大丈夫ですよ。暗闇には慣れています。いま目が見えなくなっても普通に生きていけるほど安心感に包まれています!」


 俺はその声を信じて再びジルの棺桶に振り返った。また後ろから物音がしたが、気にせず棺桶を開く取っ手を素早く探した。見つけるとそれに手をかけて思いっきり引っ張り上げた。固定がされていなかったため蓋は横に大きな音を立てて落ちた。周りが静かだからこそ、衝撃音は際だった。舞い上がる埃を手で振り払って洋灯で棺桶の中を照らした。


 そこにはジルがいた。


 本物の、生きていたときとそっくりのジルが腕と足を固定されて横になっていた。しかし生前と違い赤くほてった頬は今では真っ白に青白く、氷が肌を走っていた。息をしているわけもなく、静止して横たわっていた。おもちゃの人形みたいに。


 前世の祖母の葬式を思い出す。棺桶に入った花にうずくまって横になっているばあちゃんはプラスチックの人形みたいだった。そのときに感じた驚愕と虚無感は今でも覚えている。今のジルはあそこまで人前で見せれるほどに身体は整っていなかった。


 しばらくその姿を目に納めた後に、後ろを振り返った。またしてもディーナーさんの姿は見えなかったが、声だけすぐに聞こえてきた。


「ご満足いただけましたか?」


 彼女は暗闇から一歩踏み出して光が届くまで俺の側まで近寄った。ジルの顔を一目して、洋灯を受け取るために手を差し伸べた。俺はなすがままに洋灯を渡すと、重い蓋を持ち上げて、ジルの上にかぶせた。

 また棺桶はただの棺桶に戻った。


「それでは上に戻りましょうか」


 彼女は手招きをして横について歩くように合図した。最後に部屋を見渡したが、やはり地下はこのバカでかい死体安置所だけなようだ。棺桶以外は物一つもなかった。中央にぽっかりと開いた地面があるだけだ。


 受付まで戻っていく道なりでもう一度一通り部屋達をさりげなく観察したが、特に変わりはなく、相変わらず何も見えなかった。変わるのは温度が極寒からただの冬の寒さに戻ったくらいだ。


 受付に戻るとディーナーさんはめがねを外すと、用箋挟に何か書き込んでから、しばらく何か書物をめくっていた。

 俺は受付の前で突っ立っていると、彼女はしばらくして顔を上げた。


「まだいたんですか?何かこれ以上のご用でもあります?」


 俺はびっくりして、そのまま出て行けば良かったのかと度肝を抜かれて一礼だけ述べて脚を返した。

 外に出てからもう一度だけ振り返ると、すでに彼女は奥に戻ったようで姿は見当たらなかった。


 ――――――


「なるほどね」


 メリーは深くうなずいた。最初は綺麗に組んでいた脚も、今では椅子の上であぐらをかいている。


「つまり、バカでかい上に真っ暗で何も見えなくて、その上に入り口は一つしかないし極寒、と」


 メリーはテーブルに肘を置くと、しばらく考え込んだ。ドンも腕を組みながら目を閉じて館内をイメージを頭に描いてる様子だった。


「チルくん。その子、黒装束の下には何を着ていた?」


 ステイルさんが急にディーナーの服について聞いてきた。何の関係があるのかわからなかったが言うとおりに思い返した。


「そういえば、受付で床に物を落としたときに、胸元がはだけて下にワイシャツを着ていたのが見えた気がする」


 ステイルさんはそれを聞くと興味がでたようでもっと深く聞いてきた。


「襟が見えたってことね、何色の?襟に何か模様とかあった?」


 俺は一生懸命その一瞬、目の片端に視界に入った彼女の服を思い出した。


「白くて、長い襟だった気がします。たしか、銀のおまもりみたいなのが襟についてました」


 ステイルさんは納得した表情でうなずいた。


「チルくんがなんでそこまで彼女の胸元をすかさず見たのかはひとまず置いておくとして。

 その子は一騎塔学院の生徒なようだね。もっというと屍術ネクロマンス専攻の生徒か」


 教会がスポンサーの魔術学校か、大きな学校であることは耳にはさんでいた。考えるとジルからいろんなことを教えてもらったんだな。

 俺が遠くを眺めているとメリーが割り込んできた。


「とにかく、三つのことを絶対に守ること!


 ひとつ、絶対に証拠を残さない魔法も念のため使わない。


 ふたつ、誰にも見られない、ディーナーには絶対で忍び込むときにも人気が少ない夜間に、そして顔をとにかく隠す。


 みっつ、ジルの遺体を丁寧に運び出すこと、重いだろうから入るよりも持ち出すほうが難しいわよ」


 まとめてくれてけっこう。やることは決まったので実際にどうするかを決めよう。まずは――


「ステイルさん、黒曜石を生成するために実際のところどのような儀式をするんですか?」


 ステイルさんはガムをかみながら、とっさに服のボタンを外し始めた。とっさに俺は胸元を垣間見たが、フレッシュピットに落ちる前に初めてで会った時に着ていた白いワンピースが見えた。使い古しているようで襟元が少し黄ばんでいる。彼女は胸に手を突っ込むと首にかけてあった首飾りを外した。それを卓にことりと置くと、口を開いた。


「簡単よ、といっても”私にとっては”だけどね」


 ドンがエルフを嫌いになる理由が少しわかった気がする。これで彼女は悪気がなく当然のこととして言っていることもたちが悪い。


「遺体に紐付いている魂を引っ張り寄せてここにくくりつけて持って行くということね、単純に言うと」


 仕組みを聞こうと思ったがやっぱりやめた。あまり細かいことを聞くと俺の自尊心が壊されかねない。メリー達も同感なようで腕を組みながらいつもより鋭い目つきでステイルを見ていた。


 となると遺体持ち出す必要はないのかもしれない。


「遺体は持ち出さないといけないわよ。そこで儀式をすることもリスクがある。だったらもう持ち出してしまって安全なところで儀式をする方がいい」


「証拠が残らないという面で、その黒曜石にジルの魂が紐付けられてるってことはばれないの?まずは彼に調査が入るかもしれないし」


「それは大丈夫よ、相手がエルフじゃない限り魂を関知する術はない。私でさえ生き返らせる方法は荒技以外は知らないんだから」


「その荒技って?」


 ステイルは肩をすくめた。


「エルフの人にしか教えませーん、まぁエルフだったら大体の見当はつくだろうけど」


 メリーは器具を手に取った。それを日にすかしながら目を細めた。


「妖精術に関係しているってわけ?」


 メリーは目だけをステイルを向けると、じっくり見ながら確かめるようにゆっくり言った。ステイルは微動だにせぬまま笑みを浮かべて彼女を見返した。草原の風でしなやかな髪が顔をなでた。日は正午になり真上から木を照らして、ほのかな木陰を地面に移し揺れた。


「ステイル、一つだけ確認しておきたいことがあるんだけど」


 ステイルはガムを地面に吐き出した。口を指でぬぐってからどうぞ、と片手を突き出した。


「――ジルの魂は、意識はあるの?」


 口をぬぐってからエルフは突き出した手をテーブルに置いた。俺たちは息をのんで返事を見守った。ステイルはその注目に少し気まずそうに睨んで、目を閉じて息を吐くと答えた。


「魂は肉体が死んだ後も基本的には”起きない”。意識がないって言ったら嘘になるけど、ただ存在しているだけで人間性はないわ」


 ステイルはメリーがテーブルに戻した黒曜石を拾い上げて首にかけると、胸の中にしまって服のボタンを閉めた。


「感覚はないから当然痛覚もないし、時間の流れを感じることもない、自意識を持たないから自分を持つこともない。ただ存在しているだけよ。心配なら言ってあげるけど、その魂が”起きる”ことはまずないし、もしその魂を”起こす”ことができて魂だけで自意識を持たせることができたなら、それ自体かなりの偉業だろうね」


 みんなは安堵のため息を漏らした。言うところ、ジルの魂を黒曜石に入れても意識が芽生えたり苦痛を味会わせることもないらしい。これにみんなは安心したのか空気が和んだ。


 決行は今日、善は急げ、この数日見張っていて見張っていてわかったがディーナーさんは受付の側にある階段から上がると寝室があり泊まり込みで働いているようだ。そして必ず夜の一定の時間になると寝室に上って朝まで過ごす。その期間を狙って忍び込む。


 ジルの魂が遺体から離れてしまう前に、運び出して黒曜石に紐付ける。決行は準備ができ次第の夜分、町が寝静まった時に俺たちは夜の世界へ足を運ぶ。しかしもう一つやっておかなくてはいけないことがある。


「あ、もう一つなんだけど」


 一同が一斉に俺を見る。


「手先が器用な、指効きを勧誘したい」


 ――――――


 賑やかな酒場では今日も仕事帰りの人々で賑やかだった。


「賭け事」


 メリーは意外にも賭け事が好きなようで酒場に入り浸っていた。


「あそこのテーブル?」


 俺はカウンターの前のテーブルに銃座している荒くれ者達を首で指した。


「そんなところじゃやらないわよ」


 彼女は机を縫って奥に歩いて行くと、その先にでは酒場の柱の横に隠れている奥ぼったテーブルに向かった。

 五人座っていて、割と狭そうで肘がそれぞれあたりそうなほどキツく座っていたが、手はテーブルの下に隠されていた。


「入れて」


 メリーは組に近づくと、仁王立ちして黒いフードに包んだ女性の隣に無理矢理席を押し込んだ。

 その女性はちらっと顔を上げるも特に気にしないように席をずらした。




 女性は指を二本上げてバーテンダーに酒を頼もうとするもメリーがそれを手で阻止した。メリーは指を一つあげると、自分がいつも頼む酒をバーテンダーに伝えた。女性は少しメリーを睨んだが、すぐに顔色は良くなり座り直して自分の酒を注文すると、窓際の壁際のテーブルを親指で指した。



「へーい、メリー・女王陛下クイーン、今夜は何用で?」


 女性は上着をスカートに見立てて軽く丁寧なお辞儀をした。しかしボロボロのローグ服ではいくら気品を振る舞っても成っていなかった。

 メリーは手で話題を振り払うと単刀直入におごりをひとまず断った理由を述べた。そのときにメリーは彼女のことを『ビリー』と呼んでいた。


「なるほどー、そりゃおもしろいことするんだね」


 ビリーと呼ばれる黒装束の女性は指をきちんと伸ばしてテーブルに置いて並べた。そして触手のようにカタカタ動かし服の袖から魔道具と煙草を三本指に挟んで取り出した。


「紹介するね、チル、こっちはビリー。指効きよ」


 ビリー、は「よろしく」と首をかしげて煙草を一本渡してくれた。メリーにも一本渡すと火をつけようとしたが、メリーはわざわざ魔道具を受け取って自分で火をつけた。俺は煙草をとりあえずテーブルの脇に置いておいた。彼女はメリーから魔道具を受け取ると自分の煙草に火をつけてからメリーの説明を聞きながら手持ち無沙汰に指だけで魔道具を解体しては組み直していた。


「いいよ、仕事を手伝ってあげる」


 指で丸を作って「こっちをもう少し手伝ってもらうけど」と目配せをした。メリーもそれを了承した。

 ビリーは二本目の煙草を取り出すと火をつけて背をのけぞらせて俺を見た。


「良い盗みはね――」


 ずっとメリーに向かって話していたので突然注目されて俺も身を緊張気味にのけぞらせた。


「――盗まれたことになんの疑問を持たないことだ、この意味、わかるかな?」


 煙草を口から離して俺の前に見せると、指をはじいた。俺は本能的に目を瞑った。

 目を開けると彼女はのうのうと腕を自分の頭の後ろに回して煙草を吸っていた。


「自分が賢い選択をしたと勝手に盗みをよかれと思って隠蔽してくれること」


 振り向くとメリーが顔をゆがませていた。視界にゆらりと煙がかすめる。


 いつの間にか俺の口には火のついた煙草がくわえてあった。ビリーの方を見るとすでに新たな酒を飲んでいた。その代わり俺の酒は空っぽになっていた。


 ぷはっ!と指効きは息をつくと、再びフードをかぶって綺麗な緑色の目を光らせた。

「あのミステリアスなディーナーさんを出し抜けるなんて、心躍るねぇ――」


 俺は初めての煙草に衝撃を受けながら、目が煙くなってむせた。

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