第八話 【ショウガ湯がまだ手元で暖かい中で】
魔法使いがが何らかの理由でこの世を去った際にはその遺体を魔術協会に寄付することが義務づけられている。ジルもギルドに所属していたのでそのギルドを総合する魔術協会に所属していることになる。ジルはいま市街の遺体安置所に保管されているはず。
人間の物質は強力な魔術媒体としてに使うことができる。ほとんどは魔術研究が盛んな「一騎塔学院」の学府など、施設に寄付されることになっている。
死体をそんなにむげに扱うことが俺にとっては個人的には複雑な気持ちだ。しかし葬式以前に、死体の回収がされないケースも多い文化なようで、死んだ後も大事に扱ってもらうことは喜ばしいことと捉える人が多い印象だ。それが文化なのか知らないが、死んでから何かに使われることが死ぬ意味について上乗せされるという考え方のようだ。
先に降りていったメリー達へは顔を洗ってから下に行くと伝えた。メリーが飲まなかった水茶が入ったコップを持って下に降りる準備をした。顔を洗った後に、俺は手提げランプをもって部屋を出ようとドアに向かう。しかし、そこで足を止める。
ドアノブをじっと見つめた。そういえばこの部屋は内開きなんだな。
自分でもくだらないなと鼻で笑ったが、ちょっと新しい発見をしたようで何週間かぶりに笑えた。
ドアを開けて真っ暗な廊下を通って階段を降りた。
階段を下っていると居間の明かりが階段のふもとを優しく照らしていた。ランプの蓋を閉めた。
久しぶりに下の居間に降りた気がする。卓の真ん中には存在感が大きいパイに布がかぶせて置いてあった。
ステイルさんとドンはすでに腰をかけていて、窓の外を見続けているドンにステイルさんがちょっかいを出している。メリーは皿とナップキンをもって、いつもよりまったり食事の準備をしていた。
「チル、窓閉めちゃって」
メリーは俺の目を見ずに俺の手元をチラリと見てからすぐ切り替えて棚からやかんを取り出した。
俺は窓の戸を閉める。それからドンはずっとテーブルの下を見ていた。
キッチンに行き、部屋から持ってきたコップの中を流し、さっと洗ってそばに置いた。
やかんの沸いた音を聞きつけて入ってきたメリーはそのコップをひょうと取ると、他のコップとあわせてショウガを入れてやかんと一緒にお盆に乗せてテーブルに運んだ。
居間に行くとステイルさんが頬杖をつきながら小刀をいじって微笑んでいた。
「ゆっくり休めた?」
「はい、おかげさまで」
メリーは俺のそばを通って音をたててとやかんを置いた。
「あなた三日も寝ていたから、私たちで報告とかは済ませてきたわ」
育ちすぎたボアロース討伐の報告、ではなく魔術ギルドへの死亡届の話だ。
ステイルさんはパイに被さっていたさらしを取り綺麗にたたんで脇に置いた。よくジルもみんなにパイを作ってくれた。果実が入っていない、ちょうどこのくらいのバカでかい果汁パイを。
パイは綺麗な三角に更に取り分けられ、反時計回りに渡されていった。ステイルさんは俺の前にパイの乗った皿を置いてくれた。ドンはパイを切り分けながら俺に言った。
「それで…何か考えていることがあるのか?」
フォークをとり、俺はしばらくまだ少し暖かいパイを見ながらまず何から言おうかを少し戸惑った。
メリーは俺の前にコップをそっと置いてお湯を注いでくれた。パイとショウガの香りが香ばしい秋の季節を思い出させた。やっと口が開けてみんなに俺が寝込んでしまっていた時に考えていたことを言おうと思ったことを伝えた。いまくらいしか言う機会がないと思った。
メリーはパイをフォークの端で切り、横に倒して刺し、口に運んだ。
「まずさ──」
彼女はパイを口に含みながらしゃべった。ステイルさんは相変わらず俺のことをじっと観察するように頬杖をつきながら見ていた。
「私、あんたらと話してる時も感じてたんだけどすごい違和感があったのよね」
メリーは顔の前に手を組んで食卓に寄りかかった。
「私…なんかわからないけど、感じてた。いまある関係が──私の記憶が──ぽっかり抜けてる」
やっぱり感じていたんだな。俺も口は堅いが大体ばれてしまうどうしようもないタイプだ。
「ジルがあんたと話していても、たまに記憶にないこと言ったりするから。なんとも思わないふりをしてたけど、あんたらたまに目を泳がしてたから。あぁ、なんかあるんだろうなって思って」
そんなにわかりやすかったか。
「だから教えてくれる?なんでそんなことをしたのか。あんた達がいつも言ってたように、なんでだろう、じゃさすがにこんな発作が出るのはごまかせないよ?」
答えるべきか、答えないべきか。
ずっと考えていた。これがばれたらまずはジルが責任を負うだろう。彼女のことだ、どんなパニックを起こすかわからない。
だけどジルがいないから──もういないから、言ってもいいか。
顔を上げると、彼女は俺をすでに見ていた。いつものまっすぐな目で。
いつもは根負けしていたが、それでもわざかくらいに目を合わせ返して伝えた。これだけが俺にできるせめてもの償いだった。
「メリーの記憶はジルが消したんだ。病気から立ち直させるため。だってメリーはもう起きているのかわからないくらい抜け殻になってたから。ジルはまた君を元に戻すためにそれしかなかったって言ってた」
「元に──?」
メリーは目を広く深く睨んだ。
メリーにダンジョン調査について、ジルの提案について伝えた。
数週間も何も反応を返さなかったメリーを「戻すこと」について。
それを聞いてから彼女はすぐに目を離して、台所の方向をぼんやりと見た。
「やっぱりね──なんか、変だと思った」
俺は何も言えずに手をいじりながら、気まずさで俺も台所の方を、棚の方一点を目を泳がせながら見つめた。
メリーのためでもあったとしても、そんな決断をすることも早すぎるのではなかったのではないかとはそのときも思っていた。俺が新しく団体に入ったばかりでどのような関係も知らないうちに起きたことだ、どうすればいいかなんてわからなかった。
いってここは俺の居場所であったのだから、何も変わってほしくなかった。だけど…それをいいわけとして彼女に伝えることだけはできなかった。
顔を上げるとメリーは顔をこちらに向けて俺の手元を見ていた。
「戻った?」
「なに…が?」
「元の、私に」
メリーは俺の目を見ると、初めて困り顔を見せた。
俺たちはどこにでもいけた。何をしても乗り気で他人を垣間見ずに開放的に暮らしていた。それが今はみんな傷ついて、いなくなって、砕けてしまった。
均衡が崩れた。
しばらくの間だが保っていた天秤が、永遠に落ちていった。いや、だけど、戻すことはできるんじゃないか。
皆それぞれパイを食べ始めた。ドンはすでに全体の半分を一人で平らげていたが…
俺はとてもじゃないが喉に通らなくて細かく切ったパイの細切れを少しずつ口に含んだ。ステイルさんのじろじろと見る視線も痛くて食べないと失礼に当たると思ったこともある。
メリーは首をかしげてパイをいじっていたが、身体を動かさずに俺に声をかけた。
「ショウガ湯、せっかくいれたんだから飲んだら?」
俺ははっとしたようにショウガ湯を口につけて飲んだ。まだ熱くて猫舌の俺には少ししか飲めなかった。口を離してちりちりと痛む下を口の中で転がした。メリーはそれを上目でじっと見つめてから、ふたたびパイを食べ出した。
俺は思いきって話題を出すことにした。
「ジルに黒魔術について聞いたことがあるんだけど」
ステイルさん以外の、二人の食べる手が止まった。ステイルさんはショウガ湯に息を吹きかけて冷ましていた。
「――正気?」
ジルの魔導書を見せてもらったことがある。豆知識程度、数ページだけ黒魔術と呼ばれる項目があった。
黒魔術は魔術の禁忌の領域。一般人が触れてはいけない領域を黒魔術として括っている。人種問わず自らの手を引いた未知の領域。そしてそれを唱えることは法に触れることでもある。
「それで?禁書に書かれているものを使ってまでして。何がしたいかは、わかるけど言わないでよ」
雨の音だけの静寂が流れた。
「私の記憶を消したみたいに、またそうやってつなぎ止めようとするんだ」
「あなたのこと、仲間だし、大切に思ってるから言っておくけど。何に関してもただつなぎ止めようとするのは良くないと思うよ」
「思ってたんだ。彼女は誰のために、何のために死んだ?」
メリーはいやなところをつかれたように黙った。
「俺たちのために死んだんだ。生き返らせる方法が少しでもあったら、それがなんであれ試したい。それが法に触れたって、いけないこととわかっていても」
「そもそもその…蘇生術?どうやるか知ってるの?」
「いや、それはわからない」
メリーはパイを食べていたフォークを皿に乱暴に投げ出して大きな音を立てた。ドンはちらりと見た。
「じゃぁどうするってのよ!けっきょくただの案だけじゃない!よくそれだけのおもいきで提案なんかできたわね」
「魂を保管するだけなら、できるけど」
ステイルさんがショウガ湯を飲みながら一言こぼした。
一斉は唖然としステイルさんを見つめた。彼女はコップを口から離すと言った。
「それ、エルフの妖精術の得意分野だから」
彼女の口角を糸で引っ張ったように綺麗につり上がりにやけた。
─────────
メリーは卓をトントンと指でたたいた。
「妖精術はエルフが口を割れてもどの人種にも教えないじゃない」
するとステイルさんはのびをしてから足を組んだ。
「教えないわよ、まぁどうせみんなには扱えないし。私が試したいだけ。それにもそれには理由はある」
「――死をどうにかできるってことですか?」
俺はいてもたっていられず食い気味で話しに割り込んだ。彼女はその様子を感じ取ったようで笑い言った。
「魂は肉体から離れてもまだ糸くずみたいなもので身体から糸を引いている。たぐり寄せて魂を引っ張り戻すことはできる」
隣に座るステイルさんに俺は身を乗り出した。
「!じゃぁ」
「できないよ、蘇生までは」
彼女はその勢いに少し押されて顔を引きつらせながら身をよじってはっきり答えた。
「そもそも肉体がぶっ壊れて紐付けるだけの体力がないから魂が妖精世界に引っ張られるの。元に戻したところで肉体に魂はとどめておくほどの力は働いていないし。再度、妖精世界に引っ張られて元に戻るだけよ。
ただし、引っ張り戻したその魂を一時的に容器に保存することはできる。黒曜器と呼ばれる魔道具で」
俺は目を輝かせて興奮したが、それを無視してメリーはテーブルに寄りかかっていた手を下に戻して、緊張したように姿勢をただして聞いた。
「あんた達エルフって――」
ステイルさんはとがった八重歯を見せて気持ちよくにやけた。
「怖い?」
メリーは椅子にしがみついて、開いていた口を堅く閉ざした。
ステイルさんはパイを手でまるごとかぶりついた。
「おいしくできたな…」
もぐもぐとパイを食べるステイルさんに俺が興味を持って話しかけた。
「ステイルさんは、なんで助けてくれるんですか?」
ステイルさんは俺をじっと観察するように見つめると、
「なんてことでもないわよ、最初助けたことだってただの優しさだし。ただ、ちょっと別のことに興味が沸いたのよ」
ショウガ湯で口いっぱいに含んだパイを腹に流し込んだ。
「チェルストー、あなた自分が特別だって思ったことある?」
急に聞かれて心臓が止まりそうになった。何のことだろう。
俺自身は特別だと思ったことはない。ただのうのうと暮らしてきただけだったし、何かを成し遂げたこともない。
異世界転生したこと以外は何も特別なことを思ったことはない。
「俺は、ある意味では特別だと思っていたことはあります――」
ステイルさんは続けて、とでもいうように頭をくいっと上げた。
「だけど、人と違っているとは思ったことはありません」
メリーとドンは俺を見ていた。彼らに俺が実は違う世界からの生まれ変わってきたことを言うと笑い事として片付けられたので、冗談でからかわれること以外ではあまり話題に出すことはなかった。しかし彼らにもステイルさんが何か俺に見いだしていることを感じ取っていた。
「そっかー」
ステイルさんは最後の一切れをとると、一口で食べきって、新たに注いだショウガ湯をパイごと腹に飲み込んだ。
「なんだか君とは初めて会った気がしないのよね」
俺は眉間にしわよ寄せるのを心にしまって、「よくいわれます」と笑って答えた。
「私が魂を黒曜石にとどめてあげるから、それを持ち続けて、蘇生術を見つけるまで探し続けなさい」
ステイルさんは、けたけたと喉を鳴らしてにこやかに笑った。
メリーはパイのかけらをついばみながら片すために皿を手に取った。
「にしてもだけどさ、実際にはその妖精術ってのはどうやって発動させるのよ」
ステイルさんは立ち上がると、ごふっとげっぷをしてひらひらとした服の袖で口をぬぐった。
「そうね、そうするならまずジルちゃんの亡骸を取り戻さないとね」
一同はぎょっとした。
薄々わかっていたことではあるが。ジルの死体はすでにメリーがギルドに手続きを済ましてしたい留置所の受け渡しが終わっている。
山中に気味が悪く立ちそびえる洋館、遺体留置所。教会の持ち物となった貴重な魔術媒体を盗み取る。いろんな側面でひっかかる。とうぜん法にも触れる行い。
だけど、ここは広大な大地だ。規則で動く者も居れば、規則を破りながらのうのうと生きている者もたくさん居ることも事実であった。