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回復魔法なんてなかった  作者: 仄々 とろろ
第1章 忘れさせられた記憶 編
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第七話 【忘れさせられた記憶】

「やっぱり、これが良いと思うの」


 一年ほど前の話。日も短くなり、美しい紅葉が見られる秋のある日。ジルは暖炉に新しい薪をくべて少し手を払ってから肘掛け椅子に腰掛けた。薪の香ばしい空気とスパイスの匂い。暖炉の前にはジルが並べた二つの椅子が置いてあった。その片方に座りながら俺はジルの横顔を見た。


 彼女の笑みは暖炉からの光によって影をできて、真空を見つめ倒すような眼が重い前髪から覗き輝いていた。

 俺はそのときに少し、ほんの少しだけ───ジルに対して不快な違和感を持った。


 薪の水分がパチパチとはじけ割れる音が機敏な耳をかきたてた。


 居間の奥には客室があり、台所に一番近かったことから病人はいつもその部屋で寝かされる。今はメリーが小さな寝息をたてて眠っている。



 俺たちは市街近衛兵団からの依頼で洞窟調査へ出かけた。ただのダンジョン調査だと思い肩慣らしのつもりで受け持った。ダンジョンについての情報は位置以外は何も伝えられなかった時点で不審に思えば良かったのだが、この時でさえ俺たちは未熟者だった。

 そのダンジョンは入ってからはとても簡単だったから油断しきっていた。第二層に降りると取って代わって魔物の巣窟で、俺たちは強力な魔物に健闘したが敗れた。なわばりを守り満足して魔物は離れたが、いじきたなく戦闘後にのこのこと出てきたゴブリンに隙を突かれた。魔物もそれをわかって俺たちにトドメを刺さなかったのかもしれない。


 なんとか逃げてきたが、洞窟を出るとしんがりを務めたメリーだけ姿が見当たらなかった。


 市街近衛兵に事細かく報告するとすぐに部隊が構成され、洞窟は地下第二階層まで一気に攻略された。部屋ごとに颯爽と攻略される中で、メリーは兵士に救助されてダンジョンの前に並駐されていた移動馬車の一つの前に立っていた。

 彼女の状態はひどいとしか言い表せなかった。身につけているものは一枚の薄い布だけで、真っ白い布に背中には血が黒くにじんでいた。


 駆け寄った俺たちを見向きもせずに、兵士のせめてもの気遣いでかけてもらった血の滲んだ真っ白い布一枚ごしに必死に空をつかんでいた。

 ジルが自分の手をその手に滑り込ませて握るとメリーは言葉にもならない声を漏らして膝から崩れ落ちた。それからメリーは精神が参ってしまった。


 宿に帰ってからも、前からよく見せていた笑みは表情から消え、まるで俺たちを無視するように返事も一切しなくなった。少し気分が晴れてしゃべろうとすると喉がこんこんと何か詰まっているように鳴るだけだった。誰にでも心がまいる可能性はありながら、よりによってメリーという強い人間がぽろっと折れてしまう様子を見てしまうと、人間がいかに脆いかを痛いほどわかった。

 今日でさえ、お気に入りだった茶器一式を側卓に置いてやったら、それを一日中ぼーっと見つめていた。

 感情もなく、ただ一点を見つめて、ただ生きるのに精一杯な身体になっていた。




 薪はパチパチと音を立てながら、黒い樹皮の奥に橙色に燃えさかる炎がゆらゆらと目に映った。ジルは手をこすり合いながら、薪の火に揺られて反射している強い目は生き生きしていて、決意に満ちていた。ジルは肘掛けに体重を乗せてこちらに身体を乗り出して目を合わせてきた。


「チル、秘密、守ってくれる?」


 ジルは手を俺の手に重ねて、きゅっと力を込めた。俺はNOとは言えない。言えるわけがない。みんなの方がメリーと過ごした時間も長いんだから、俺がつべこべ言う立場ではない。できることとすれば、ただ口を閉ざして何も言わないことだった。


 俺はあくまで客観的な立ち位置を示すために返事はせずに、ただ手を握り返した。


 しばらく彼女は俺の顔をまじまじ見てから、手をつないだまま椅子に座り直した。

 いつもより背もたれに背を任せてぐったりと座り込んだ。

 一息ついて彼女は述べた。


「チルってさ…やり直しって人生にあると思う?」


 俺の答えは簡単だった。だって俺自身が転生している身で人生のやり直していたから。


 だけどふと思った。


 俺は何をやり直しているのだろうか?別に何か変わったわけではないし。こっちの世界の俺の実年齢と同じ年齢の奴らとしかつるまなかった。実際、ジルやメリーとも年は近いし、幼少期の友達も同じだ。

 やり直してはいるが、ただの前の人生の延長線上でしかない。

 俺の記憶がある限り、俺が俺である限り本当のやり直しはないんじゃないか。


 次第に落ち着いた炎をずっと見ていて目がおかしくなりそうだった。日は落ちてきて隣人の家の陰が部屋の日を遮った。俺は熱で乾燥した目を閉じて答えた、


「人生をやり直したって、ただ今の人生の延長線上にしかならない、

 本当のやり直しは、ただ無に返るか…」


 最後まで言うのを少しためらうとジルがわって入った。


「それか、この世界を、変えるか」


 すっかり日光は地平線に落ち、夜の暗闇が町を包み込み始めていた。部屋は炎々と燃える薪達があざやかな橙色の光となって周囲を照らす。


「それをやるには黒魔術きんきくらいしかないよね。この世の理を、根本から変える。

 変えられなくても、少しでも、運命の川から一跳ねして一瞬の自由を感じる……たった一匹の小さな魚みたいに───」


 『道』を乗り越えて、乗りこなして、その力を自分のものにすれば。もしかしたら───


 そんな夢物語をジルと語り合いながら、薪はパチパチと音を立て、バキッと二つに割れて内に燃え盛った炎を吹きだした。

 俺とジルは手を繋いだまま燃え盛る暖炉のその先を見通すように見つめ続けて、

 いつの間にかうたた寝していた。

もう少し、少しでも運命をこの手で変えられるなら。

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