第二話 【マンガみたいにデカい肉】
「痛っ!」
とげがあった。しかも、かなり大きめの。
指に赤い点がにじみ、血が表面に浮き、たまり、流れる。
「――その草、とげあるから気をつけろって、前にわたし言わなかったっけ?」
顔を上げると、メリーが崖の向こうの山脈を見つめていた。
言ったね。
俺の隣の茂みから、ジルがぴょこっと身を乗り出し、しゃがみ込む。
「大丈夫? ちょっと押さえてて」
ペリペリと保存用紙を剥がし、べったりとした薬草を絞り出す。
魔法があっても、傷を治せないんじゃな。
じんわりと刺す痛みを手で押さえながら、ぼんやりと考え込む。
気づいたら生まれていて、今では前世のこともぼんやりとしか覚えていない。
別に重要でもないし、一から何かを作り出すこともできないから、嫌な記憶として記憶の隅に置いていた。
嫌なことを忘れるのは得意だったし、生きていけば自然と忘れられるものだ。
しみじみと思いながらも、ちくりとする指先の痛みが現実へ意識を引き戻す。
「地球が丸いと知っていても、ガガーリンが証明してくれなきゃ、別のことを考えるってこと」
ジルは手当てをしながら、包帯を巻いてくれていた。
「誰のこと?」
「過剰手当ってこと」
適当に話を終わらせる。
「ジル、そうよ。血が出てるからって、心配しすぎ」
そうじゃない。心配はしてほしい。
「でも――小さい傷から大きな損傷になるっていうよ?」
「だからって――」
メリーは腕を組んだ。
この会話は続けても意味がない、と諦めたように小さくため息をつく。
その小さな違和感が、俺にとってはただただ不快だった。
「いいだろ、手当てくらい」
ないよりマシだし、それよりジルの気遣いを無下にしたくない。
メリーは肩をぴくりと動かし、頭をかいた。
「だから――そもそもその草にはとげがあるから気をつけろって、何回も言ったよね? さっきも?」
「そういう話じゃないだろ。それに、俺、わざわざとげを触ったわけじゃねーし」
やっとこちらを振り返ったメリーは、愕然としていた。
「チル、マジで言ってる?」
俺も最近のメリーに気が立っていたところだったので、ちょうどよく言いたいことを言わせてもらおう――と思った、その時。
「あ――」
ジルが、余った薬草を保存用紙に詰めながら、顔をわなわなと震わせている。
手も震えていて、うまく詰められない。
「ジル! 別に喧嘩してるわけじゃないから!」
すると、メリーも慌てて割って入る。
「そ、そうそう! 喧嘩するほど仲がいいってこと? だから」
「ごめん――わかってるんだけど」
しゃくり上げながら、ジルは喉を詰まらせるように言葉を絞り出した。
「みんな仲良くして――ほしい、かな――」
いじっていた薬草は、滑りに滑って、なかなか用紙に入らない。
まーたこれだ。
ジルが考えるような「仲良し」だと、メリーと俺は不満が溜まる。
俺とメリーが正直にぶつかり合うと、ジルが泣き出す。
でも、ジルも俺たちの仲が悪いわけではないとわかっているからこそ、何も言えずに、もじもじして不満が募る。
結果、ジルが耐えられなくなって泣く。
――いつものことだ。
少し気まずくなり、俺とメリーは目を合わせる。
メリーはジルの肩をそっと抱く。
ジルは、やっと薬草を袋に入れられて、「やった」と小さく声を漏らして笑った。
それを、メリーがにこやかに見つめる。
それを、俺は石に腰を下ろして眺める。
だけど、これでも、ずっとパーティでいられている。
かけがえのない友達になっている。
だからこそ、この関係性のこじれを、なんとかしたいと思っている。
「チル!どんぶり持ってきて!」
慣れないロングスカートを奮い立たせながら、メリーは怒りながらバタバタと台所を駆け巡っている。
「違うでしょ。深底じゃないとスープが入るわけないでしょ」
討伐を終えた俺たちは、賃金を受け取り、それを流れるようにメリーが向かった肉屋に渡した。
そのマンガのようにバカでかい肉を、宿に備え付けのオーブンでメリーが下ごしらえしてくれた。
その代わりと言ってはあれだが、俺たちは夕飯の支度をしている。
と言っても、メリーは料理をしながらも忙しく食器の準備をこなしている。
「ドン!あんたも支度しなよ!」
鍛冶屋でお世話になっているドワーフのドンは、食卓に腰を下ろし、壮絶な台所を眺めていた。
「いつもありがとうだけど、ただ飯をあげられるほど余裕ではないの」
「当然だ、心得ている」
その前に、銀物をじゃらりと置かれ(投げられ)、ゆっくりとしぶしぶフォーク、ナイフ、スプーンを分けて食卓に配る。
「ドンさん、そういえば前に調整に出した俺の剣、明らかに帰ってきた物が別物だったんだけど」
俺はどんぶりとスープの鍋を持って食卓に来る。
ドンは鍋敷きを折りたたんで卓に添える。その上に俺も鍋を置く。
「で?俺の剣はどこにいったんですか?」
苦笑いで顔をゆがめる俺。
別に返してほしいわけではない。だって、戻ってきた剣の方が手になじんでいたし、明らかに上物だったし。
「剣士にはそれぞれ合った剣を。わしの一族の教えだ」
ちょっと申し訳ない。いや、こんなことで気後れしている俺はやっていけないかもしれない。
ふと見ると、メリーがメインディッシュのバカでかい肉の丸焼きを卓に乗せた。半分以上がそれで埋まった。
「こ――これ、キョダイトカゲモドキですよね!?めったに食べられないよね?」
食卓の真ん中には、マンガのようにでかい肉が、当然のように皿の上に乗っていた。
「その、なんだろ――今日はみんな頑張ってくれたから」
メリーは恥ずかしそうに鼻をすすりながら言った。
台所に戻るメリーは、「早く水を並べて!」とジルを促す。
ジルは頼りなく水瓶を持ちながら、危うくこぼしそうになりながら台所から姿を現した。
それを気をつけて注ぎ、並べていく。
みんなが戻って席に着く。やっと一息つけたメリー。
ドンはテキパキと肉をそぎ落とし、切り身を皿に並べていった。
それをジルが固唾を飲んで見つめていた。
何か言おうとしたメリーは、ジルが物欲しそうに涙目で肉を見つめているのを見て、肩を緩めた。
「ま、いっか。食べましょ」
「ギザのパーティを祝って」
俺はコップを上げた。
みんなもそれを見て、それぞれのコップを掲げる。
ドンは「ワシもか?」と顔をかしげたが、皆が揃って目を向けたので、恥ずかしそうにコップを掲げた。
「地獄に乾杯。滞在する時間が、そこへ向かう道中と同じくらい楽しいものであるように――」
乾杯。
数時間後、あれだけきちんと並べていた食器は重ねられ、食卓はごった返していた。
「もっと、みんなに仲良くしてほしいんですー」
ジルはベロベロに酔っ払い、ふらふらと揺れている。
テーブルにもたれかかったかと思うと、そのまま顔を突っ伏した。
ドンはジョッキを飲み干し、重なった食器をかき分けながら、それを乱雑に置く。
「だがな、ジル」
どっしりと椅子に座り、落ち着いた口調で続ける。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ、とな」
「そういうんじゃないからっー!」
俺とメリーは、声を揃えて叫んだ。
ジルのせいで変に注目を浴びたせいか、酔いが回ったのか、頬が熱くなる。
「……お前ら、ほんとにそうか?」
ドンはじっと俺たちを見据え、口角を上げる。
「おいおい、あんまりカッカするなよ。オレは別に、つっついて遊びたいわけじゃないぜ?」
「嘘つけ!」
俺は思わずジョッキを握りしめる。
「はいはい、二人とも落ち着いて」
メリーが片手を上げ、場を収めるように言う。
その様子を見ながら、ドンはくつくつと笑った。
「ま、冗談はさておき。……お前らも大変だな」
「大変……?」
ドンは手元のグラスを回しながら、ぽつりとつぶやいた。
「喧嘩するほど仲がいいっていうが、まぁ……なかなか、そう単純でもねえしな」
そう言って、グラスを軽く傾け、一気に飲み干す。
「……」
俺とメリーは顔を見合わせる。
その間にも、ジルはテーブルに突っ伏したまま、寝息を立てていた。
「あー、こりゃ完全に落ちたな」
ドンが苦笑しながら、ジルの肩をぽんぽんと叩く。
「おい、ジル。部屋まで運んでやるぞ」
「……んん……もっと、みんな……なかよく……」
ジルは寝ぼけながら呟くと、また静かに眠りに落ちた。
俺とメリーは、苦笑しながらも、そっとため息をつく。
「はぁ……こりゃ明日、二日酔い確定だな」
「ジル、意外と酒癖悪いんだよな……」
「だな……」
俺たちは顔を見合わせ、わずかに笑った。
こんなふうに、どうしようもなく面倒くさいけれど――
それでも、俺たちはこうやって、一緒にいるんだ。