プロローグ 【あなたにしかいえないこと】
「どろんこ遊びしよ!」
子供たちが一斉に歓声を上げた。
幼いチェルストーは泥を手ですくい、両手で丁寧に丸めて団子を作っていた。
歓声が響く遊び場から少し離れた、森のすぐ隣のぬかるみ。そこが彼の遊び場だった。
道端の泥には馬糞や藁が混じっており、あまり気持ちの良いものではなかったが、幼い彼にとっては何の問題もなかった。
周囲の住民も彼を止めることはなかった。ただ、自分の子供を近寄らせないようにするだけだった。
そんな中、一人の少女が千鳥足で近づいてきた。
「チル、なにしてるの?」
彼のそばまで来ると、手を後ろに回しながら覗き込んだ。
「ね!ね!」
腰に手を当て、かまってほしそうに身体をくねらせる。
「どろんこ」
チルはぼそっとつぶやく。
「どろっこ?」
「そう。泥団子、いっぱい作る」
「そーなんだ」
少女は泥よりもチルに興味があるようで、じっと真剣に彼の顔を覗き込んだ。
「ね」
そう言うと、彼の肩をぽんぽんと叩く。
「おしえてあげることある!」
そう言って、チルの腕をつかみ、ぐいぐいと森の木陰へ引っ張っていく。
「なんだよ、そんなに引っ張るなって」
「ね、わたし、だれにも言ったことないこと、チルにはおしえてあげる」
少女はチェルストーの腕を離す気配はなく、風になびくフリルの裾がチルの膝に触れるほど、ぐっと近づいていた。
「なんだよ、それ」
「ね、わたしね、実はね」
彼女の瞳が、ほんのわずかに輝いたように見えた。それ以上に、逆光を浴びた彼女の姿は神々しくさえ見えた。
「ううん、まちがえた。わたしね」
「うん」
「見えるの」
まるで秘密を打ち明けるように、気まずそうに、恥ずかしそうに、彼女は小さな手をきゅっと握った。
「?」
チルは子供の頭では理解できず、ただ首をかしげるしかなかった。
「この世界ね、もうすぐ、すっっっっっっっごく壊れちゃうの」
「え―?」
言っていることはとんでもない内容だった。だけど、彼女を見ていると、それがどうでもよく思えた。
この瞬間の彼女の輝きは、記憶の中でも際立っていた。
「───ふ、はぁー!」
解放されたように、彼女はぱっとチェルストーの腕を放し、恥を振り払うかのようにスカートを翻しながらスキップして木陰を飛び回る。
チルは、その美しさに見とれ、呆然と立ち尽くしていた。
まるで足裏から根が生えたかのように、その場にじっとしていた。
「チル、初めて言ったんだよ。おかぁさんとおとぉさんじゃないひとには」
「え――うん」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
特別な存在になれたような気がした。
「なんで僕に言ったの?」
大きな期待を込めながら、彼女に尋ねる。
「だってチルはぁ――」
少女はもじもじとして、少し恥ずかしそうに言った。
「つよいから」
風が二人の額をかすめた。
チルの長い前髪がふわりと揺れ、くすぐったさとともに、胸の奥に魔法のような気持ちが広がった。
彼の幼い可憐な瞳には歳相当の輝きがまだあった。