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ドッペルゲンガー  作者: 楢弓
1/3

交渉

「ゴメン。遊び相手としては好きだけど、異性としては見れないわ」

食事終わりの夜の公園。空と地上の境目がわからないほどの闇を彩る月光と電球たち。最高のロケーションで最高の告白をしたはずだ。それなのに結果はものの見事な惨敗だった。

「別に君のことが嫌いとかそういうことじゃないよ。優しいし、相談に乗ってくれるし。ただ、付き合うのは違うっていうか……。今の関係がちょうど良いんじゃないかな? 君もそう思わない?」

夜景を見ながら僕にそう問いかけてきた。同意してほしいのだろうか? 目の前の女性の横顔を見ながら、僕は曖昧に相槌を打った。告白をした僕が今の言葉を肯定するのはおかしかった気もする。僕のことを振った大学の同級生の顔にはどこかぎこちなさが見えた。

「そういうことで、さっきの言葉は聞かなかったことにしてあげるから。それと、皆にはこのことを言わないでね?」

「このこと?」

「さっき君が私に言った言葉や今私が君に言った言葉のこと。ほら? 変に話が伝わって詮索をされたくないじゃない? 余計な気遣いとかをされると今後遊びにくくなるし。今の関係性を崩したくないんだから分かるよね?」

つまり、僕がこの女性に告白したことを周囲には言わないでほしい、ということか。それは別に構わないが、今までの経験から言えば今後この女性と口をきく機会があるとは思えなかった。だが、女性からお願いされたことに素直に従うのがいい男の条件だと雑誌やネットニュースに書かれていた。いい男になる為にも、ここは何も言わずに頷いておくべきだ。

「分かってくれて嬉しいわ。それじゃあ、私は帰るね」

「送っていこうか?」

「え? いや……、大丈夫。その気持ちだけで充分。君って優しくて良い人だよね。本当に」

僕への褒め言葉を残して、女性の足音は遠くへと消えていった。僕はそばにあったベンチへと腰掛ける。今日一日の出来事を思い返してみたが、あの同級生が僕の顔を正面から見た瞬間は一度もなかった。


「それじゃあ、良いお友達でいましょうって言われて、はいわかりましたって言ったのか?」

「口で答えたわけじゃないよ。黙って頷いてあげただけ。男として当然でしょ?」

「いや、確かに口数の少ない男が行動で自分の意思を示すのはカッコいいけども、その場面で黙っているのは違くないか? 反応から見て脈なしなのは間違いないとしても、少しくらいは引き下がらないとお前の告白はその程度だと思われちまうぞ?」

茶髪の同級生が僕にアドバイスを送ってくれる。そういうものなのだろうか? しつこい男は嫌われると聞いたことがあったのだけれど。でも、恋人のいる彼が言うことなのだからきっと間違ってはいないのだろう。僕がそう思いながら目の前のグラスに口をつけると、隣に座っていたスポーツ刈りの同級生が僕の肩を掴んで抱き寄せてきた。グラスの中身がはねて、テーブルに染みが出来る。このテーブルにはどれだけのアルコールが染み込んでいるのだろう? ふと、そんな疑問が頭をよぎった。

「ダメダメ! コイツには何を言っても無駄だって! コイツは優しさのかたまりみたいな人間だからな! 相手が少しでも嫌がる行動は取らないのさ! な?」

「影人が優しいのは否定しないが、優しさのかたまりは言い過ぎじゃないか? まるでバファリンの擬人化みたいな存在じゃないか」

「いやいや! バファリンだって優しさは半分だからな! コイツはニバファリンってところだな! 分かるか? 二倍のバファリンで二バファリン! 良いネーミングセンスだろ?」

茶髪の同級生が呆れたような表情で眺めているのも気づかずに、スポーツ刈りの同級生は豪快に笑いながら氷ごと飲み物を口に含んだ。僕の話を聞きながらハイペースでお酒を飲んでいたので、既に酔いが回ってきているようだ。サイズの異なる空のグラスがテーブルの上に大量に並んでいる。まるでテーブルからグラスが生えているみたいだと僕は思った。


僕が公園で女性に振られた数日後、僕は二人の同級生と共にバーへとやって来ていた。失恋の傷を癒すのが目的らしい。彼女の要望通り、僕は告白したことを誰にも言わなかったので、彼らがそのことを知っているのはきっと彼女が他人に話をしたからだろう。怒りはなかった。ただ、なぜ僕には口止めをお願いしておきながら、自分は喋っているのだろうという疑問だけが浮かんだ。大学から地下鉄で二駅ほど移動し、やけに大きくメニューを告知している大衆居酒屋や淫猥な色合いの看板を出している怪しげな店など駅前の繁華街を横目に通り過ぎ、築年数が二十は経過していると見られる雑居ビルの二階で僕は二人からその時の話を根掘り葉掘り質問されていた。質問されたことに素直に答える。彼女から話が広まっているのだから、僕から補足しても構わないだろう。薄暗い店内で僕の話を聞きながら、二人の同級生はアレコレと言い合いをしている。

「だから、影人はもう少し強引さを覚えないと駄目だって。話を聞いていると、都合のいいおもちゃ位にしか思われてないじゃん」

「違う違う。コイツはこの優柔不断さが良いんだって。女の母性本能をくすぐるから年上キラーになれるぜ」

二人のアドバイスを僕は真剣に聞く。そうか。あの女性にとっては僕は便利な遊び相手でしかなかったのか。確かに街へ遊びに行く時は食事代は何故かいつも全額僕が支払うことになっていたし、彼女の希望でアパレルショップに立ち寄った際は手が空いているので買い物袋を両手に持たせられたこともあった。そう言えば、あの女性は僕のことをいつも『君』と呼んでいたけど、名前を呼んでくれたことは一度もなかった。最初から僕に対して好意など持っていなかったのだと、今になって理解した。恋人を作るのは本当に大変だ。大学に入学して二年が経過し、周りは誰々と付き合った、別れた、といった話で持ち切りだ。僕も早く恋人がほしいので、ファッション雑誌や同級生たちの自慢話、恋愛映画や漫画などを参考に女性の知り合いにアタックをしているが、現在まで全戦全敗中だ。どうやったら恋人を手に入れることが出来るのだろう? 真剣に悩む僕の姿を見て、二人の同級生はバツの悪い顔をした。

「悪かったよ。他人の不幸を肴に酒を飲むなんて趣味の悪いことしてしまって。反省してるさ」

「そうそう。それに俺たちもただ面白がってるだけじゃなくて、お前の恋愛を本気で応援してるんだぜ? でも、お前ってほら、淡白だろ? 感情があまり顔に出ないから、俺たちも悪ノリが過ぎてしまうというか……」

二人はそう言うと、近くを通った店員を呼び止めて新しい飲み物を注文した。僕のグラスにはまだお酒が残っていたのだが、奢るからドンドン飲めと僕の分まで勝手に頼んでくれた。どうやら悩んでいる僕を見て、失恋のショックと彼らの無責任な発言に僕が機嫌を悪くしたと勘違いしたようだ。僕のことを心配してくれる二人を感謝こそすれ、どうして怒ったりするだろう。僕は勘違いを訂正しようと顔をあげたが、その瞬間、ある人物に目を奪われてしまった。暗い店内でスポットライトを浴びるかのようにカウンター席に一人で座っているその女性の横顔はまるで映画に出てくる女優のような輝きがあり、切れ長の目でどこか遠くを見ているような表情はどこか仄暗さを感じさせた。白くほっそりとしたうなじや肩、ニット地のワンピースで強調された胸部や臀部、組んだ足からわずかに見える太もも。顔や身体のいくつもの要素が僕の瞳には魅力的に映った。欲情を掻き立てられたと言い換えても良いかも知れない。僕は近くにいる二人の静止も聞かずに席を立つと、自然とその女性へと話しかけていた。


「こんばんは。お一人ですか?」

その女性は怪訝そうな顔でこちらを見た。いきなり話しかけられて困惑するのは僕にだって想像する事ができる。こういう時は自己紹介をして自らの素性を明かすのが一番だったはずだ。

「突然すみません。僕は大学生の吉川影人って言います。貴方みたいな綺麗な人が一人でお酒を飲んでいるのが気になって、つい話しかけてしまいました。迷惑でなければ隣りに座ってもいいですか?」

「なに? 大学生? 申し訳ないけど、一人にしてもらえる? 誰かと話したい気分じゃないの。ごめんなさいね」

女性にしては低音で抑揚の少ないその喋り方は、僕の周りにいる同級生たちでは到底出すことが出来ない、大人の色香を醸し出していた。僕はなおさらこの女性に興味を引かれた。もう少し強引にいっても良いと先程教えられたばかりだ。僕は女性の言葉を無視して隣のカウンター席へと座った。隣の女性は目を細めて僕を見つめてきた。

「聞こえなかった? 一人にしてって私は言ったはずだけど?」

「聞こえましたよ。誰かと話したい気分ではないんですよね。でも、僕は貴方と話をしたい気分なんです。だから隣に座らせてもらいました。誰かがここに座っている訳ではないし、誰かがここに座る予定でもある訳ではないので、構いませんよね? それに、話を始めたら貴方の気分が変わるかも知れない。そうは思いませんか?」

「確かに。話したくもないのに無遠慮な学生と喋らされる羽目になったら、ただでさえ落ち込んでいるのに更に最悪な気分に変わるかもね」

「面白い冗談ですね。無遠慮ついでになんで落ち込んでいたのか教えてもらえませんか?」

僕がこの女性にそう問いかけると、女性は深い溜め息を一つついた。三白眼の女性の瞳はわずかに充血しているようだった。もしかして泣いていたのだろうか?

「もしかして泣いていたんですか?」

「ハァッ⁉ 誰が……。いえ、そうね。ここでは泣いていないけど、確かにさっきまで泣いていたわ」

女性はそう言うと、心地の良い声で僕になぜ泣いていたのか話してくれた。この大人っぽい女性は驚いたことに僕と数歳しか離れておらず、三年ほど前に都会に漠然とした憧れを抱いて地方から上京してきたそうだ。上京してすぐに街中で声をかけられた彼女は芸能事務所に所属しファッションモデルとしてデビューした。トントン拍子で話が進んだことで、人気モデルになって将来的にはテレビでタレントとして活動したり、女優として映画に出演し大スクリーンに映し出されたいといった夢を持つようになった彼女だが、現実はそう上手くはいかず、三年経過した今でもたまに雑誌の端っこに他のモデルたちと一緒くたにまとめられるのがやっとらしい。人生はそんなに甘くはないと言い聞かせてきた彼女だったが、数日前に事務所の社長から枕営業の提案を受けたそうだ。最初は嫌がったものの、有名になるためには皆やっていることだからと嘯く社長に乗せられて、とうとう今日の夜、どこかの会社の上役へと会いに行かなければならないらしい。


「なるほど。だからそんな扇情的な服装をしていたんですね」

「今の話を聞いて、最初に出てくる言葉がそれ? アンタちょっとおかしいんじゃない?」

そう言いながらも女性はやっとこちらに笑顔を向けてくれた。その笑顔にどこかあどけなさを感じたのは彼女が僕とそこまで歳が変わらないと知ったからだろうか?

「アンタ、名前なんだっけ? 影人? 私はしのぶ。ねぇ、影人君? この後ヒマ? 私とどこかに遊びに行かない?」

「あれ? 良いんですか? この後、用事があるんですよね?」

「悔しくて泣いて、怖くて酔って。そうやってようやく覚悟が出来そうだったのに、アンタと話してたらバカバカしくなってきちゃったの。どうなの? もしここから連れ出してくれるなら『サービス』するけど?」

しのぶと名乗った女性は胸元を強調するかのように身をかがめながら、上目遣いでこちらを見つめてくる。彼女の言う『サービス』がどういう物なのかわからないほどお子様ではないつもりだ。それに、彼女に性的な欲求を抱いたことが話しかけたキッカケだ。願ったり叶ったりの展開ではある。だが、僕が真に望んでいるのは一夜限りの関係ではなく、恋人となってくれる女性だ。

「それじゃあ、僕の恋人になってくれますか?」

「恋人? なに急に? もしかして愛がなきゃ駄目だとかそういうこと? 面倒くさ。そんな幻想を抱いているなんて童貞かよ。恋人が欲しかったら大学のお友達にでも話しかけたらどう?」

「ちょうど振られちゃったんですよね。異性としては見れないって言われて」

僕の言葉にしのぶは姿勢を正すと、ジロジロとこちらを見た後、あぁ、と小さく呟いて正面へと向いてしまった。急に態度が変化した。今の発言に何か問題でもあったのだろうか? 僕はしのぶに話しかける。

「どうしました? 何か気に触るようなことでもありましたか?」

「アンタさぁ、振られた女の子からきっとこう言われたでしょ? 優しくて良い友達だって」

「すごいですね。なんで分かったんですか? もしかして、優しいオーラが滲み出しているとか?」

一笑い取ろうと冗談を言ってみた。彼女はこちらを向いたが、さっきまでの媚びるような目つきから一転して、まるで嘲るような視線で僕を見た。

「アンタみたいな人間、よく見かけるよ。優しいだけが取り柄で中身が全くない人。常に相手の反応をコソコソ見て、嫌われないように必死にご機嫌を取る。優しく接すればいつか相手も自分に優しくしてくれると思った? アンタが話をしているのは芸を仕込まれたオウムでもなければ、決まった反応をしてくれるロボットでもない。生きている人間なわけ。相手のためじゃなくて自分のための優しさで、人から好かれるわけがないじゃん」

けちょんけちょんに貶されてしまった。今までそういう男性に言い寄られて、うんざりしているかのような言い草だ。その男性たちのことは知らないが、僕のことを表すのに中身がないとはなかなか的を射た表現だ。僕もどうにかしたいと思っている。でも、優しさに関して言えば、優しくしないとそもそも話を聞いてもらえないし、ご機嫌を取らないと口も聞いてもらえないことが多い以上、優しくする以外に僕に出来る対応はないのではないかと考えていたのだが、こうもハッキリと否定されてしまうともはやどうすれば良いのかわからなくなってしまう。とにかく、この女性は僕に対して良い印象を持っていないことは確実だ。これ以上話をしても無意味だろう。僕は無言で立ち上がった。

「怒った? ごめんね。アルコールが頭に回って思ったことをバカ素直に言ってしまったかも」

「いえ、全然構いませんよ。貴方の言っていることはきっと正しいでしょうから。指摘してくれてありがとうございます」

僕は本心からそう告げたのだが、どうやら彼女はそう受け取らなかったようだ。手にしたグラスを掴むと、中のお酒を僕にぶちまけた。顔にお酒がかかってびっくりしている僕やそれを見ていたカウンターの向こうのバーテン、そして店内にいる他の客に構うことなく、彼女は大声で僕をなじった。

「そうやってヘラヘラしてるのが一番ムカつくんだよ‼ 笑って他人にゴマスッてればなんとかなるとでも思ってんのか‼ 悔しかったら他人に頼らないで自分でどうにかしてみろ‼ この玉無しヤロー‼ 二度と顔を見せるなっ‼」

これ以上その場にいたら彼女の腕や足が飛んできそうなので、僕は足早にカウンター席から離れた。背後からは何故か女性の泣き声が聞こえた。


「なぁ、君。君ってあの女の知り合い?」

元の席に戻る前に洗面所で顔にかかったお酒を洗い流していると、後から洗面所に来た男性にそう話しかけられた。見た目は二十代後半から三十代といったところだと思う。黒髪にパーマのその男性は一見真面目そうに見えた。だが、その目はどことなく相手を値踏みしているような、僕の本性を探るような目つきをしていた。僕が黙って相手を見ていると、男性はわざとらしく僕の目の前で手を振った。

「もしも〜し? 意識ある? もしかして、振られたショックで気を失った?」

「意識はありますよ。ただ、いきなり話しかけられて困惑していただけです」

「いや、君だってあの女に急に話しかけてただろ? 自分もやったことなのに、他人にはケチをつけるのは良くないぜ?」

「はい。なので、僕はあの女性に自己紹介をしました。アナタも自己紹介をしてくれると助かるんですが?」

「自己紹介って……。なんだかおかしなヤツだな。まぁ、いっか。俺は浩谷作弥。二十八。住所不定。フリーター。こんなもんでいいか?」

作弥と名乗った男性に僕は頷くと、僕も自分の名前を教えた。作弥は興味なさそうに空返事をする。

「影人ね。分かった。覚えておく。それでどうなんだ。俺の見立てでは初対面でナンパしてみたけど失敗したってところだが」

「そうですよ。生まれてはじめてナンパしてみましたけど、上手くいきませんね。こっぴどく振られてしまいました」

「おい、初ナンパでバーに一人でいるあんな上玉にアタックしたのか? ぶっ飛んでんなぁ。でも、気持ちは分からなくないぜ。あんなセックスアピールしてる女がいたら、ダメ元でも話しかけたくなるってのが男の性だよな」

「男の性かはわかりませんけど、あの女性が魅力的なのは同意します。でも、残念ですけど、彼女から提案された内容に対して、僕が求めているのは恋人なんですよね。一夜限りの関係でも嬉しくないと言えば嘘になりますが」

「提案された内容? どういう意味だ?」

僕はしのぶと話した内容を作弥へと説明した。作弥は何が面白いのか口角をあげる。

「なるほどな。つまり、しのぶちゃんはこれから変態親父の元に向かうのが嫌で、助け出してくれる白馬の王子様を求めているわけだ。それなら助けてやらないとな」

「もしかして、アナタもナンパする気ですか? やめておいた方が良いですよ。彼女、僕のせいで機嫌が悪くなったみたいで……」

「ん? あぁ、そりゃ違うだろ。会ったばっかりの相手にあんなヒステリックな怒り方するヤツなんてそうそういねぇよ。ありゃ、自分が情けなくなってその怒りをお前にぶつけただけだ」

「そうなんですか? 良かった。それじゃあ、僕にもまだチャンスがあるっていう……」

僕が喋るのを目の前の男性は手を前に出して止めた。

「まぁ、待ちな。お前がもう一度彼女に話しかけた所で、口を利いてくれると思うか? さっき大勢の人間が見ている中で手酷く振った相手をだぞ? 気まずくて無視されるのが関の山だ」

「でも、僕が最初に話しかけたんですけど……」

「あ? てめぇ、俺に口答えする気か?」

作弥はそう言って右手で僕の襟首を掴んで洗面所の壁に叩きつけてきた。息が苦しい。作弥を見ると左手で僕のことを殴ろうとしていたので、降参のポーズを取る。右手を離してくれたので、僕は咳をしながら作弥を見上げた。優しそうな笑顔を浮かべている。

「すまんすまん。ついカッとなって手が出ちまった。だが、お前の為を思って言ってやってるんだぜ? 悪いが今のお前じゃ、あの女どころか街でフラフラしている馬鹿っぽい女も引っ掛けることは出来ない。違うか?」

「確かに、アナタの言う通りかも知れませんね。恋人を作るために色々努力したつもりなんですけど、僕には決定的にナニカが足りない。それは僕も自覚しています。でも、そのナニカがわからない以上、数をこなすしかないと思うんですよ」

「ご立派な考えだな。いかにも勉強が出来るヤツって感じだ。ただ、闇雲に数だけ増やすのは効率が悪いんじゃないのか? そんなことに貴重な時間を潰すくらいなら、もっと楽にお勉強しようぜ」

「楽なお勉強?」

「そう。独学で学ぶよりも講師がいたほうが楽だろ? 俺が実践で教えてやるよ。お前は俺という見本をよく見てナンパのテクニックを学べば良い。報酬はそうだな……。たまに家に泊まらせる。どうだ? 悪い話じゃないと思うが?」

作弥がそう言って先程僕を殴ろうとした左手を僕に差し出してきた。どうすべきだろう? こんな暴力的な人物を信用して良いのだろうか? だが、彼の言う通り、闇雲に恋人を作ろうとするより、誰かの行動を真似る方が近道な気がする。僕は少しだけ考えて、差し出された手を握った。

「交渉成立だな。それじゃあ、俺はあの女に話しかけてくるから余計な手出しはするなよ?」

「手も出さなければ、足も出しません。でも、果たして上手くいくんですか? アナタの見立てが間違っていて、また烈火の如く怒り出すかも知れませんよ?」

「お? 俺を疑っているのか? 丁度いい。それじゃあ、自分の席でゆっくりと見学してな。先生の実力ってやつをな」

作弥との話を終えると、僕は二人の同級生がいる席へと戻った。二人は僕の急な行動に驚きつつ、ナンパに失敗した僕を慰めようとしてきた。だが、僕の関心は同級生たちにはなく、向こうのカウンター席にいるしのぶとゆっくりと近寄る作弥に向いていた。作弥がしのぶに話しかけている。席が離れているので声は聞こえないが、見える限りしのぶの表情はうんざりしているように見えた。なんだ。やっぱり駄目じゃないかと思い、僕は席に置きっぱなしだったグラスを手に取りお酒を飲んだ。だが、グラスを置いて再びカウンターへと視線を戻した時、何故か作弥がしのぶを抱き寄せながら座っていた。一瞬目を離したスキに何がおきたのだろう? 僕は信じられない気持ちになりながら、食い入るように二人のことを観察していると、しのぶの方から作弥の唇へと接吻をした。唖然としている僕の目の前で作弥としのぶが人目も憚らず熱い口づけを交わしている。しばらくすると、足元がおぼつかないしのぶを作弥が支えながら、二人はバーから立ち去っていった。僕は手も足も出るどころか、口も出せずに二人の後ろ姿を遠くから見送った。

お読み頂きありがとうございます

今までの話でもサイコなキャラは登場しましたが話の主軸は恋愛に寄っていたので、今回はサイコ要素を主軸にしました

二話か三話で完結を予定していますので、引き続きお楽しみ頂ければ嬉しいです

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