「なるべく働かない」を信条としているほぼニート、ダンジョン奥地で聖女を救ってしまい、脱ニートで咽び泣く
「ふわぁぁ……」
大きなあくびをしながら玄関のドアを開ける。「行ってらっしゃいませ」というメイドたちに片手を上げて返事をした俺は、冒険者ギルドへと歩みを進める。
久々に陽の光を浴びた感想……「クソだ……」
労働はクソだ。疲れる、責任が重い、人間関係がしんどい、あと……カラダを動かしたくない。そして労働から逃げ回った姿がコレだ。
ボサボサの髪、寝ぼけた表情、ヒゲも整えず、筋力は衰え、猫背で覇気がない。
「こんなんじゃ駄目だってわかってるんだけどな……」
家から出たのは3ヶ月ぶり、その間にも景色はどんどんと変わっていた。
「あ、ここにあった薬局潰れたのか……」
「それは2ヶ月も前に潰れちまったよ」
俺の独り言に返したのは、薬局跡地で育てている野菜に水を撒いていたお婆ちゃん。腰はひん曲がり、顔はシワだらけだ。
「あんた酷い顔だね……洗ってきたのかい?」
「いえ、忘れまし――――ぶぶぶぶぶ……」
野菜に撒いていた水をいきなり顔面にかけられる。お陰で目が覚めたが、家に帰りたくなってしまった。
「ふん、それで幾分かマシにはなった。元気に動け、まだ若いんだから!」
嫌いな言葉が飛んできた。『まだ若いんだから』これ、何度言われたことか。「ありがとうございます」と一言だけ済ませて、駆け足でその場から去る。
「あー……体痛い」
久々に走った。全身が痛い。特に膝が悲鳴を上げている。休むために帰りたい。
「駄目だ駄目だ。貯金が残り少ないんだよなぁ……」
冒険者ギルドに加盟している俺は、数ヶ月に一度、ダンジョンに潜り、魔物を倒して働いている。一回でボンと金を稼ぎ、そこから貯金を崩して生きていく。これを何度も続けてきているのだ。
「あれ………」
俺は周囲を見回す。
見たことない場所だ。
「迷ったわ……」
★
迷ってから30分、ようやく知ってる道に出ることができ、冒険者ギルドへとたどり着くことができた。
「疲れたぁ……」
「労働前から何言ってるんですか、リュークさん」
俺が受付台に両手をついて弱音を吐いていると、話しかけてくる人がいた。そういえば、久々に名前を呼ばれたな。俺を名前呼びするのはこの人だけだ。
冒険者ギルド受付嬢のメイベルさん。万人に優しく、その可憐な姿ゆえに狙ってる人も多いらしい。
「リュークさん、毎日来てくれればいいのに。まだまだダンジョンには魔物が住み着いていますからね。冒険者不足なんですよ」
ダンジョンには魔物がたくさん住み着いている。その魔物たちが街に出て暴れないようにダンジョンを探索、魔物の退治をするのが冒険者の仕事だ。
「ごめんね。俺はなるべく働かないを意識して生きてるから。労働なんてクソだから……」
「そんなことないですよ! リュークさんたちがいてくれるから国の平和が守られてるんですから。クソなんかではありません!」
微妙にズレている。俺は国のことなんて考えてない、自分の生きる事しか頭にないのだ。
「まぁ、今日は働くよ」
「そしてまた3ヶ月引き籠もるつもりですか……?」
メイベルさんがプクッと膨れ顔を見せる。やっぱり引きこもりの風当たりはキツイなぁ……。
「安心して。最近家建ててメイド雇ったから維持費が高くなっちゃってるし、2ヶ月周期になるから」
「2ヶ月も引き籠もりすぎです! 皆さん毎日働いてるんですよ!」
「そう怒らないでよ……」
強く言われるとやる気が出なくなっちゃうんだよなぁ……。ニートには優しくしてちょ……。
「リュークさんってもしかして『怠惰の英雄』に憧れてるんですか?」
「怠惰の英雄? なんだっけそれ」
メイベルさんは一つ大きなため息をつき、人差し指を立てて説明を開始した。
「太古の昔に現れた、罪の権化と言われる7人の英雄のことです。傲慢、嫉妬、暴食、怠惰、憤怒、色欲、強欲、それぞれ罪にちなんだ武器でこの世界を救ったとされる人たちのことですよ」
「7つの大罪が英雄……ね」
「全てを吸収する盾を持つ強欲の英雄グリード。あらゆるものを噛み砕く歯と、無限の胃袋を持つ暴食の英雄グラトニー。そして、全てを弾き返す刀身のない剣を持つ怠惰の英雄レイジネス」
「刀身のない剣か……」
「剣に刀身がないのは、作ることを怠った神の怠惰だ、という説もあるみたいですよ」
「へー」
メイベルさんの話を聞いていたのだが、後ろに次の冒険者が並んでいるのを確認した俺は、受付の横にある転移魔法陣の上に立つ。この転移魔法陣は、ダンジョンの休憩ポイントに繋がっており、受付の許可を得ないと使用できないのだ。一回一回ダンジョンを初めから歩くなんて非効率的だしね。
「でも怠惰の英雄は戦いに参加せず引き籠もっていた、って噂もありますから、あまり好かれていません。怠惰の英雄推しは辞めて、リュークさん強いんですから、もっと国のために貢献してくれればいいのに……。ギルマスもリュークさんが真面目に働くだけで一気にダンジョンが攻略されるって言ってるし……」
ギルマスとはギルドマスターの略だ。冒険者を取りまとめるボスみたいなものだ。
「私だってリュークさんが来てくれると嬉しいし……」
「あの、メイベルさん? 早く転移お願いできない? 後がつっかえてるよ」
俺が声をかけると、列になっている冒険者に初めて気がついたメイベルさんは「わわっ! い、行ってらっしゃい!」と慌てた様子で俺の乗った転移魔法陣を起動させた。
その瞬間、目の前の景色が変わる。明るかった冒険者ギルドの建物から、不気味で暗い洞窟へと早変わりだ。
「ふぅ……やるか……今日頑張ったら2ヶ月休めるしな」
そう自分に言い聞かせて心を安定させる。最近はこれがないと手が震えるようになってきたのだ。
★
ダンジョンは地下へ地下へと進んでいく。どれだけ深いのかはわからないが、現在180階層まで確認されているらしい。あれ、これは3ヶ月前の記録だったか? まぁいい。
そしてダンジョンの魔物は時間で復活する。ダンジョン内の魔力濃度が高いとかなんとか、まぁ、詳しいことは知らない。
とにかく復活するのだ。なら、どうして倒してるのか、という問いになるのだが、10階層ごとにクリスタルがあり、それを破壊するとその10階層分の魔物が弱体化する、という理由らしい。まぁ、これも詳しいことは知らない。
「休憩ポイント、なんか活気ないな。下層だからか?」
下へ行けば行くほど魔力が強くなり、それにしたがって魔物も強くなる。魔物が発生しない特別な地域を休憩ポイントとして転移魔法陣を置き、発展させているのだが、下層はほんの一握りの人間しか来ないため、賑わっていないのだ。
「ふぅ……帰りたい」
休憩ポイントから一階層降りた176階層。ここからは魔物との勝負になりそうだ。
俺の武器は短剣。長い剣は狭い洞窟の中では役に立たないからだ。
「ガルルルルル……」
ポツポツと歩いていると、四足歩行の狼と出会った。周囲に鉄の針が4本浮かんでいる。
「ほぉ、ステーキだな」
狂気的な発言に思われたかもしれないが、決してこの狼、ニードルウルフをステーキにしたいというわけではない。こいつの買取価格がステーキと同じ値段ということだ。つまり、こいつを狩ればステーキが手に入るという寸法さ。
ニードルウルフが周囲に浮かばせた針を俺に向かって射出する。俺は避けるわけでもなく、受けるわけでもなく、それを人差し指と中指で挟んで投げ返した。
鉄の針がニードルウルフの脳天を直撃する。白目をむいたまま、バタリと地面に倒れた。
「毒持ちか。危ない危ない」
針に毒が仕込まれていたのだろう。俺は手袋をしてるし心配ないがな。
俺は体長2メートルのニードルウルフをズボンの小さなポケットに入れた。このポケットは特注品で、何でも、どれだけでも入る特別なポケットなのだ。
その時、前からまた気配を感じる。
「ガルルルルル……」
「お、メイドの給料じゃん」
★
結局、この階層はニードルウルフの住処になっていたのようだ。計28匹、当面の食事代とメイドの給料、部屋のリフォーム代は稼いだな。
1階層降りて177階層。
薄暗く、さっきの階層と全く変わらない様子だが、明らかに違う生物が目の前に現れた。
「グォォォォォォ!」
クマだ。それもただのクマじゃない。ゾンビベアと呼ばれるアンデット種。耐久性に優れており、様々な防具の材料になるが、着る者はほとんどいないという魔物だ。
だから一匹あたりの単価が安い。
「10匹いたら猫でも買おうかな。〈死者帰還〉 ぁ……」
魔法を発動させてすぐに「しまった……」と感じる。その理由はゾンビベアを見れば明らかだ。
光の粒子となって跡形もなく消えた。〈死者帰還〉はアンデット系に対して特に効果があるのだが、その場合このように消えてしまう。これでは報酬が出ない。もっと別の魔法にしておけば良かった。
「ま、仕方ないか」
グダグダ言っても消えたものはどうしょうもない。これから気をつけよう。常に考えるのは過去じゃなく未来だ。
まぁ、ほぼニートが言っても説得力ないけどな。
「グォォォォォォ!」
そうこうしてると、奥からもう一匹のゾンビベアが現れる。死んだ顔からは死臭を漂わせ、口からはよだれを流し、目は完全に逝っていた。
「よし、今度こそ猫だな」
俺はゾンビベアが繰り出す爪による引っ掻き攻撃を後ろにジャンプして躱し、腕を伸ばす。
「〈火球〉」
手のひらに魔法陣が浮かび、火の玉がゾンビベアへと飛んでいく。着弾した瞬間に火が破裂し、傷を負わせるが致命傷にはならなかったようだ。
痛みを感じないアンデット故に、速度を落とさず突進してくる。俺は四足で走ってくるゾンビベアを正拳突きで迎え撃った。
拳は脳天に直撃したが、勢いは殺しきれず、地面を足で擦りながらゾンビベアに押されていく。
踏ん張って力が拮抗し合った。俺は一歩踏み出して拳により強い力を加えた。体制を崩し、お腹を見せたゾンビベアに別の魔法を射出する。
「〈氷槍〉」
水色の魔法陣から氷の槍が飛んでいく。それはゾンビベアの腹を貫き、ダンジョンの闇へと消えていった。
ドシンと倒れ、ピクリとも動かなくなったゾンビベア。ようやく死んだらしい。ん? 死んだ? いや、アンデットだからもう死んでたんだよな?
「まぁいいや。それより、明日は筋肉痛だなぁ……」
ゾンビベアをポケットに仕舞い、次の階層へ移動しようかと思っていたその時だった。
「きゃぁぁぁぁ!」
突如女性の声が響いた。この階層にいるらしい。悲鳴……だよな?
「こっちか……?」
俺は声のする方へ走った。助けを呼ぶ声なら、何とかしてやりたいものだ。お礼に金くれるかもしれないしな。
★
声は階層の最奥部からだったようだ。スケルトンやゾンビウルフ、ゾンビベアたちが一人の女性を囲んでいる。
「〈死者帰還〉! 〈死者帰還〉!」
中央で器用に攻撃を避けながら四方八方に聖魔法を放ち、アンデットたちを塵に変えていく腰まで流した金髪の女性。見た目はシスターのようだが、どうしてこんなところに?
考えている暇はなく、俺も参戦するために〈死者帰還〉を発動させ、中央までの道を開いた。
「こちらへ!」
俺の叫び声を聞いたシスターだったが、どういうわけか走ってこない。「逃げてください!」と言いながらその場に留まっている。
ん?
俺は天井を見上げた。一つの赤い魔法陣が描かれ、その光がシスターの周囲を包んでいるように見える。
「なるほど、結界魔法か」
今シスターは何者かによって閉じ込められているということだ。だとしたら不味いな。魔力は無限じゃないはずだし、シスターはもうすぐ力尽きる。このままじゃ一気に食われて終わりだ。
はぁ……。行くしかないのか。
俺も中央に行って直接守るしかない。乗りかかった船だ。ここまで走ってきたわけだし、助けてやりたい。
俺にターゲットを変えた数匹のモンスターを〈死者帰還〉で一気に消し去る。
そして走った。中央の魔法陣が効果を成す結界の中へ。
近くで見るシスターは少しやつれている。魔力を使いすぎることによって体が弱っていく魔力欠乏症に成りかけているようだ。
「大丈夫ですか?」
「ど、どうしてここに! 逃げてって言ったのに!」
質問には答えてくれなかったが、まぁ大丈夫だろう。
「一緒に戦いましょう。俺、これが終わったら2ヶ月引き籠もれるので気分がいいんですから」
「ぇ……? 引き籠も―――」
シスターの声をかき消すように、ゾンビベアが鳴いた。スケルトンたちが道を開け、周りより巨大なゾンビベアが姿を現し、地面を揺らして突進してくる。
「じ……ジャイアントゾンビベア……」
シスターがそう呟く。どうやらより巨大なものは別の名前がつけられているらしい。
「に、逃げてください! ここは私が!〈死者――――」
「〈死者帰還〉」
シスターより早く魔法を発動させる。これ以上シスターに魔法を使わせるわけにはいかないのだ。それに、なんてったって今の俺は気分がいい。
仕事も終わりが見えてきた。俺のニート生活の再開が見えてきた。数ヶ月に一度の地獄がもう終わりそうなのだ。最後くらい頑張ろう。
ジャイアントゾンビベアが粉々に散る。一瞬の沈黙の後、周囲のアンデットが怒ったように全兵力で突進してきた。
「ジャイアントゾンビベアが……一撃で……」
驚いているシスターを横目に、向かってくる魔物たちに魔法を浴びせていく。
「〈死者帰還〉〈死者帰還〉〈死者帰還〉!」
全魔物が粉々に散っていく。
「嘘……同じ〈死者帰還〉なのに全然威力が違う……」
シスターは威力に驚いて座り込んでしまった。心を折ってしまったなら申し訳ないな。
数分もすれば、魔物は綺麗サッパリ消え去ってダンジョンらしい静寂が戻ってきた。その直後……
「あ、ありがとうございました! お陰で助かりました……!」
そう言って頭を深々と下げたシスター。俺は久々に人の役に立ったという愉悦に浸っていた。
「ぁ、まだ名乗ってませんでしたね。私はフレアと申します。一応皆様から『聖女』と呼ばれているのでご存知だったかもしれませんが」
シスターさんはフレアと名乗った。聖女とは、何か大きなことを成し遂げた人に与えられる称号のようなものだ。つまり、この人は何か国へ貢献をした、ということだ。
ちなみに引き籠もっていた俺は全く知らない。外の情報なんて殆ど手に入れていなかったからだ。
「俺はリュークです。一応、冒険者やってます」
まぁ、ほとんど働かないけどね。
「冒険者さんでしたか。いつもありがとうございます。貴方がたがいてくださるお陰で、今日も元気に過ごせるんですよ」
それは多分、俺以外の人のお陰ですね。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると精が出ます」
明日からはまたニートだけどね。
「ところで、フレアさんはどうしてここに?」
これが一番聞きたかった質問だ。シスターなら教会にいるのが当たり前。ダンジョンなんて滅多に現れる人じゃないはずなのに。
「実は、教会に手紙が送られてきたんです。『一人でダンジョン180階層まで来い。さもなくば多くの人が死ぬぞ』そんなことが書かれていては、見逃すことはできません」
「で、来てみるとこの罠にハメられた……と?」
俺は天井に張られた結界魔法陣を指す。
フレアは元気そうに笑って「そのとおりです」と言うが、相当危険なものだ。聖女と呼ばれるからには、相当人気も高いはず。自分がどういう人間かまだ理解できていないのか、それとも、理解していても人のために尽くそうとしている善人なのか……。
「ドジですよね、私……」
そんなレベルじゃないぞ。のこのこと釣られては命が何個あっても足りないじゃないか。
「可愛らしいってことですよ」
「そ、そうですか? 嬉しいです……………で、これからどうします? 結界が解けるまで待ちますか?」
フレアが心配そうに尋ねる。
「ま、そういうわけにはいかないでしょう」
俺は腰にかけた短剣に手を掛けた。それを抜こうとしたその時……。
「ん?」
背後に気配を感じて振り返る。フレアも同じように気配を感じたらしく、警戒していた。
「フフフフフフ……フハハハハ!」
ダンジョンの壁から声がする。正確には姿が見えず、壁に反響した声だけが響いているという状況だ。
「〈真実の目〉」
俺は、この世ならざる者の姿や透明化した者など、普通の視覚じゃ捉えられないものを捉える魔法をフレアと自分にかけた。
「あ、ありがとうござ……っ!?」
もう存在していない魔法に、一瞬戸惑っていたフレアだが、声の正体に驚いてそれどころではなくなっていた。
「エルダーリッチ……」
フレアがその魔物の名前を呟く。ダンジョン奥地、正確には320階層から現れる魔法使いのアンデット。
骨の体には大層綺麗な装飾をつけたローブを纏っており、指には綺麗な指輪がはめてある。虚空の目には赤い灯火が力強く光っており、威圧感と瘴気を放っている。
確か現代、ダンジョンが180階層までしか攻略されていないこの現在では、神話の存在とされているはずだ。
「我が名を知っておるのか。フフフ、流石聖女と言うべきか」
骨が喋った。どこからその声を出しているのか、どうしてこの階層まで上ってきているのか、聞きたいことは色々あるが、その前にフレアが喋りだした。
「あなたが私に手紙を送りつけてきたのね。エルダーリッチ…………神話でしか聞いたことないけど、かの英雄とも対峙したことがあるとか……」
そうか……エルダーリッチが量産型の一体に過ぎないことを、フレアやこの世界の人間はまだ知らないのか。
「我にそのような記憶はないが、恐らく祖先は英雄と対峙したことがあるのだろう。あれらを祖先というべきか否かはわからんがな」
「………っ……まさか、エルダーリッチは沢山いるの?」
「その質問に答える必要はないぞ。聖女フレア、お前はそこのニートと共に死ぬのだから」
そう言って両手を大きく広げたエルダーリッチ。フレアが「ニート……?」と首を傾げていたが、無視しよう。
「全てを滅ぼし尽くせ。そして平等な死を与えよ。〈破滅の新星〉」
エルダーリッチの頭上に黒くて禍々しい一つの球体が現れる。それは時を増すごとに周囲の瘴気を吸って大きくなっていく。
「そうはさせない! 〈魔法対抗〉!」
フレアは魔法を解除させる〈魔法対抗〉を使ったが、うまく効果は成さなかった。
「そんな……」
エルダーリッチは不敵に笑う。
「フフフ、格が違いすぎるのだよ。格がね」
フレアは絶望して座り込んでしまった。魔力欠乏症の症状も出始めている。俺はそんなフレアの丸くなった背中をさする。
「大丈夫ですか……?」
「リュークさん、すみませんでした。こんなことに巻き込んでしまって…………全て私のせいです。どうぞ恨んでください。そして私を地獄へ送ってください……リュークさんは、ついてきちゃ駄目ですからね……」
涙を含んだ笑顔だった。この笑顔で数々の人を救ってきたのだろう。それがこんな終わりを迎えるなんて。
「なに諦めてるんですか?」
俺はフレアにそう声をかける。
「だって……こんなの……勝てるわけないです。私は聖女であっても……決して英雄ではありませんので……」
英雄か。世界を救ったとされる英雄、そんなのがいるとすれば、この状況だって簡単に覆せるのだろうな。
「フレアさん、俺は働きたくありません。誰かのためになんて考えたこともない」
「え……?」
「求めるのは自分の利益だけ。相手を助けようとするのも、それが自分にとって一番の利益だと考えたときだけです」
「は……はぁ……」
「なるべく働かない。俺はそうやって生きてきた。だから、面倒なことはもうしない」
俺は立ち上がり、エルダーリッチを見つめる。わざわざ枷をつけるのも面倒だ。
「英雄の……世界を救いうる力、見てみませんか?」
「ぇ……」
俺は腰の短剣を抜いた。
「ぁ……」
フレアは気がつく。
その短剣に刀身がないことに。
「終わりです! 〈破滅の新星〉!」
沢山の瘴気を吸って大きくなったその禍々しいたまがエルダーリッチから射出される。
俺は構えもせず歩く。
この短剣は『怠惰』英雄名と武器名は同じなのだ。
効果は……その名、怠惰に相応しいもの。まぁ、刀身がないとかいう嘘の情報が流されてるらしいがな。
〈不可視で自由な形の刀身を作り出す〉
〈相手の攻撃を跳ね返す〉
俺は短剣を一度振るった。不可視の刀身が黒い新星とぶつかる。その瞬間、今までの勢いが嘘だったように跳ね返った。
「なっ……なに!?」
エルダーリッチが焦り、両手を突き出して次の魔法を放とうとするが、両手は前に出ない。
〈不可視で自由な形の刀身を作り出す〉
それは曲がっていても、何百メートルという長さでも構わない。想像のままに刀身が作られる、まさに怠惰な短剣なのだ。
切り落とされた骨の腕が地面に転がる。
エルダーリッチの表情のない顔が絶望に染まっているのを僅かに見た。
「お前はまさか……怠惰の……クソッ! クソォォォォ!」
エルダーリッチは瘴気の玉に飲まれた。新星の大爆発はダンジョンの形を変えるくらいの威力であり、その爆風は途轍もないものとなった。
「うそ……」
現実味のない体験に、フレアが腰を抜かしている。きっとエルダーリッチと出会ったときより驚いていることだろう。
「もしかして……あなたは………」
「怠惰の英雄…………英雄なんて名は、俺には相応しくないけどな」
かつての戦いに参加しなかったのは俺だけ。まさに怠惰の名に相応しく、それは許されざる行為なのだ。
「そうでしたか。道理でお強いわけです。あの……………それ、隠しておくつもりですか?」
座りこんで俯いたまま、そう尋ねるフレア。
「え、そうだけど………。なにか問題あった? 俺はただ寝転がって余生を過ごしたいだけだしね」
「そうでしたか。〈捕獲〉……」
フレアが魔法を発動した瞬間、俺の体を光の輪が締め付ける。
「え……」
何だこれ。何で拘束魔法?
「――――――めです」
「え?」
小声すぎて聞こえなかった。
「英雄が働かないなんて駄目です。農民も、貴族も、冒険者も……この世界のすべての人たちが汗水流して働いているというのに、希望の光である英雄が働かず寝転んでいるなんて、許される行為ではありません!」
顔を上げたフレアの目は吊り上がっていた。どこかで見たことがある顔。
あ、般若だ……。
「ま……まさかこの拘束魔法って……」
「ええもちろん。今日から教会で働いてもらいますから」
嘘だ…………。
労働だと…………?
「クソッ……」
俺は無理矢理でも拘束を解こうと力を込める……。が、拘束の光はピクリとも動かない。
何だこれ………。
どうなってんだ……?
「何でこんなに硬いんだ……?」
「私、拘束魔法は得意なんですよ。日頃から沢山の悪人を捕まえてきましたからね。聖女と呼ばれた理由は、『巨大犯罪組織の役員を全員拘束したから』なんですから」
聖女という名はなにか名誉なことをした女性につけられる名称……。
「嘘だ………」
「ここで嘘を付く理由はありません」
笑顔ながら声は怖い。目が笑っていない。
「そんな……」
「これから宜しくお願いしますね」
俺の……俺のハッピーライフが……。
堕落したダラダラ生活が……。
「さぁ、行きましょうか」
「嫌だァァァァァァァ!」
ダンジョン内に反響した俺の声は虚しく消えていった。
★
「ねぇねぇメイベルちゃーん。あの男誰だったの?」
カウンターに腕をついて酒臭い息を浴びせる男。メイベルは不快感を表すことなく丁寧に対応する。
「あの男?」
「今朝対応していたボサッとしてる中年だよ。顔と服がビチャビチャに濡れてたアイツ」
「あー、リュークさんのことですね。あの方は3ヶ月に一度くらい働きに来る冒険者さんですよ」
「ランクは?」
冒険者にはランクが存在する。
銅、銀、金、プラチナ。伝説のプラチナはこの世界に2人しかいない伝説級。金でも国に数人いるかどうかのもの。
「間違いなく『銅』です」
メイベルは逆に誇らしげにそう言った。男は鼻で笑って聞き返す。
「銅? クソ雑魚じゃねーか」
「いいえ、あの人は確かに強いですよ。ただ、活動時間が基準に満たしていないんです」
そんなときだった。噂をすればなんとやら。転移魔法陣から二人の人物が現れる。
「嫌だァァァァァァ! 働きたくないぃィィ!」
「うるさいです! 少しは大人しくできないんですか? 子供なんですか?」
教会のシスターが魔法で拘束したリュークを糸で繋いで宙に浮かせている。まるで風船のように。
リュークはジタバタと動いて拘束を解こうとしているが、そのたびにシスターが躾けている。
「うぇっ! うぅ……」
泣き声を漏らさないように嗚咽を吐いている。本気で嫌がっているようだ。
冒険者ギルドにいる全冒険者の注目を集める。ご飯を食べていた男も口を開いたまま固まっている。ドアのそばにいた女は自然と道を開けた。
パタン……と扉が締まり、静寂が訪れる。全員が固まっている中、酒臭い男がメイベルに呟いた。
「あんなのが強いのか……?」
「え……ええ。そのはずなんですが……」
メイベルは、少し自信を失ってしまった。
そして今、歴史は動き出した。脱ニートとなった彼が今後世界にどのような影響をもたらすのか…………まだ誰も知らない。
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