キノコの摂取、販売、個人の栽培は法律によって固く禁じられています。
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『鹿野山高校の皆様
キノコの摂取、キノコの販売、そして、個人によるキノコの栽培は法律によって固く禁じられています。
キノコを受け取ること、渡すことも違法です。また、キノコを渡す行為を黙認した場合も違法です。これらを犯した場合、罰金30万円から100万円、または懲役10年の罪が課せられます。(条例第百七八項より抜粋。)
キノコに関する悩み、相談があれば旧校舎棟一階の学生相談所までご連絡ください。一人で抱え込まず、まずは相談しましょう。』
新校舎棟の二階、階段踊り場の掲示板にその貼り紙が貼ってある。連日の雨で貼り紙が心なしか重力に負けている気がする。
キノコの摂取、販売。そんなことを喜んでする奴は、この国には誰一人としていない。物心がついた時から、親にはよく脅されていたものだ。「野菜を食べない悪い子には、キノコのお化けが出るぞ。」「言うことを聞かないと、こっそり夜ご飯にキノコを混ぜちゃうぞ。そうしたら、体中からキノコが生えてきて、生き血を全部吸われちゃうぞ。」と。今でこそそんな非現実的なことが起きるとは思わないが、当時は本気でキノコを食べると体からキノコが生えてくると信じていた。高校生になった今思えば、将来キノコに手を出さないための教育だったのだろう。まわりくどいように思えるが、最も効果的と言える。
したがって、こんな貼り紙がなくとも、キノコに関わることはない。噂に聞くところによると、キノコにはどうやら中毒性があるらしい。小学校の授業では、キノコ中毒者に描かせた円が、ぐちゃぐちゃに歪んでいた写真を見せられた。人一人が抗えるような代物ではないということを伝えるには十分過ぎる教材だった。
中学校では、頭を金髪にした生徒が校舎裏でキノコを炙っていたところを見つかり、警察沙汰にまで発展したことがある。田舎のヤンキー達の間では、キノコを食べたかどうかが一種のステータスになっているらしく、僕も一度勧められたことがあるが、その時は丁重に断った。
そんなことを思い出しながら、僕は風化して黄ばんだ貼り紙をぼうっと眺めていた。
「あれれ、多田くん、どうしたの?そんなところに突っ立っちゃって。」
僕に声をかけてきたのは、同じクラスの水鳥ヒナだった。クラスでは副委員長を務めており、放課後も生徒会だのなんだので、何やら忙しそうにしている。
「いや、このキノコの貼り紙、随分古いと思って。副委員長、これ新しく張り替えた方がいいんじゃないのか?」
どうしたの?と言われたので、僕は苦し紛れにそう答えた。実際はどうもしておらず、部活をやめて放課後が暇になったので校舎をうろついていたに過ぎない。
「ああ、その貼り紙。確かに古いよね。私の先輩曰く、入学した時から貼ってあるんだって。しかも先輩のまた先輩も、入学したときには既に貼ってあったとか。」
「へえ、そうなんだ。まるで亡霊だな。」
「でも良かった、多田くんがキノコの貼り紙を見て神妙な顔をしていたから、てっきりキノコの悩みがあるのかと思った。」
「キノコの悩みなんてないよ。キノコなんて触ったこともないし。水鳥はキノコ、見たことある?」
「キノコ見たことないなあ。キノコに関しては親が厳しくてさ。うちの親、警察官でキノコの取締りとかしてるの。」
「おお、そりゃキノコの胞子一つ摂取を許されなさそうな家庭だな。」
黄ばんだ紙をそっと撫でてみる。
「貼り紙の方は先輩に相談してみるよ。ていうか、亡霊といえば、多田くんこそ亡霊みたいだったよ。放課後に一人で突っ立って。部活は休みなの?」
「部活はやめた。昨日。」
「やめた!?多田くん、部活やめちゃったの?」
水鳥は階段でこけそうになった。片手に持っていた本が踊り場に放り出される。
「だ、大丈夫か?」
水鳥は体勢を立て直して、「危なかった、大丈夫大丈夫」と言って、くるくるとうねる天然パーマをゴシゴシとかいた。
「やめちゃったんだね、卓球部。確かに多田くん、あんまり楽しそうじゃなかったもんね。」
水鳥はなぜか申し訳なさそうに言った。僕は落とした本を拾ってやり、水鳥に渡す。
「あんまり深読みされても困るから言うけど、別にトラブルがあったとかではないよ。部長とは円満に別れた。」
「離婚みたいに言わないでくれない?それにしても、急だと思うけど。」
水鳥は僕の横に並んで掲示板を眺めている。他にも古い貼り紙がないかチェックしているのだろう。
「水鳥、高校生ってさ、高校生らしくあればあるほど退屈だと思わないか?」
「はあ?」
それは先ほどまで存在していた気遣いのようなものが消える類の返事だった。
「いやだから、高校生は部活に入っているのが普通みたいな、そういう常識?僕、それが急に嫌になっちゃったんだよね。」
「私、部活やってないけど。」
プー、と吹奏楽部のサックスの音が聞こえた。
「多田くん、もしかして気を使ってくれてる?」
水鳥の問いに対し、僕は何も言わなかったので、今度はトロンボーンの音が聞こえる。
「気持ちはありがたいけど、私、気にしてないから大丈夫だよ。あのときのこと。」
あのときのこと。
彼女が思い浮かべているあのときのことと、僕が今思い浮かべているあのときは、恐らく同じだろう。
「多田くんは正しい。多田くんはいつも正しいよね。」
「多田は正しいって、ダジャレ?。」
僕がまた茶化すと、水鳥は僕の頭を持っていた本で引っ叩いた。本気で怒ったのかはわからないが、水鳥は「バーカ。」と捨て台詞を残して階段を降りていった。
「いつも正しいのはお前だろ。水鳥。」
とっくにいなくなっていた水鳥には、僕の言葉は届かなかった。
ひたひたとだらしない雨が続いていた。窓ガラスは気温差で曇り、不透明になっている。
高校生であればあるほど退屈か。
あまり気の利いた言い訳とは思えないな。
傾いたすのこを踏むと、ガタン、と音がして揺れる。出席番号順に並んだ靴箱。僕の靴は下から三番目だ。
「退屈を嫌う僕こそが、最も退屈な人間なのかもしれないな。」
そう呟いて下駄箱を開けたとき、僕の退屈な日常は終わりを告げた。
僕の靴の中に、何かが詰められていた。
それはティッシュでも、画鋲のような、いわゆる靴の中に入れられているランキング上位に食い込む品ではない。
土まみれの魚のような、生臭さが鼻腔に飛び込んでくる。
誰もいない校舎の入り口で、僕は小さく悲鳴をあげた。
僕の靴の中に入っていたのは、キノコだった。
いや、入っていたというより、敷き詰められている。まるでピーマンの肉詰めのように、見知らぬキノコがギチギチに靴の中に詰まっていた。
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