転生した私は自称神様の小鳥に就職しました
気が付けば私はどうやら俗に言う異世界転生なるものをしていたらしい。前世の最後の記憶は思い出せないが、二十代以降の記憶はないので若くして死んだのかもしれない。
細かいことはよく分からないけれど私は今、レイシル・バーミリアという名前のダークブラウンの髪に紺碧の眼をした、十代であろうお嬢さんになっており、何故か聖女と名乗る少女に追放されて教会に送られてしまっていた。
なんでも、聖女の能力に嫉妬して悪魔召喚なる禁忌の魔術を使ったとかなんとか……ということらしい。その辺りのことは私の……レイシルとしての記憶が薄れているのでよくわからなかった。
「困りますねぇ。教会は最終処分場ではないんですよ」
教会に着くと私を出迎えに来た、背が高く彫刻のように美しい男がそう言った。
「お世話になります」
「お世話するつもりはないんですけど」
「困ります」
「私の方が困ってるんですけどねぇ」
彼は枢機卿でセイケンという名前らしい。眼鏡をかけており神経質そうな印象だ。
「あなたの部屋はここです」
「控えめに言って牢屋ですか?」
「随分な口の利き方ですね」
石造りの部屋で窓もなく、簡素なベッドがあるだけだ。
「個室なだけマシでしょう」
私……というより私が乗り移ったこの体の持ち主、レイシル・バーミリアは貴族であったので、実家からお金が積まれており、貴族ではない他の教会預かりの子どもたちよりも好待遇だということは教会で暮らしていくうちにすぐに分かった。
禁術を使ったと人づてに聞いたけれど、私は自分がそんな大それたことをやったとは思えなかった。
「私はどうして追放されたんでしょうか」
セイケンの執務室を掃除しながらぼんやりと独り言を漏らせば、いつもは無視を決め込むのに今日は何故か彼は答えてくれた。
「それはあなたが悪役令嬢だからですよ」
「悪役令嬢……?」
「そういうシステムだっただけです」
「嫌なシステムですね」
システムという表現が今一つピンとこないが、役職や肩書みたいなものなのだろうか。だとしたらすぐに返上したい。
「まぁ、テンプレではありますが、ここはまだ良い方ですよ」
「私、追放される前までの記憶がないんですよね」
「へぇ。魂が壊れたか?」
セイケンがちょっとこっちへ来いと手招きするので、彼がいる机の前までちょこちょこと近寄って行く。眼鏡越しに金色の視線が私の顔をじろじろ見て眉間に皺を寄せる。すると彼は眼鏡を上にずらして『赤い眼』で私を見た。
「え?どんなマジックです?目赤いですよ」
いつもは髪の毛と同じような金色なのに眼鏡を外すと彼の目は赤色だった。
「私だから許しますが、神の眼を直視するなんて不敬ですよ。普通なら一瞬で廃人だ」
「神の眼?ってなんです?中二病?」
「記憶がないだけにしては随分おかしい奴だと思えば、混ざった魂が表に出てきたのか」
何故か魅了も効いてないし……と呟いたセイケンは私の質問をガン無視して一人納得していた。眼鏡をかけ直すと赤色だった目は金色に戻っていた。
「んー……これはまた上司のせいか?」
「どういうことです?」
「お前は知らなくていいです。……それよりお前、前世の記憶ありますよね?」
「え?」
「あー良い良い、誤魔化さなくていい。ぜーんぶ分かってますから。前世は魔術の無い世界でしたよね?」
「多分、そうですけど」
「お前はあと半年もしないうちにここを追い出されて売られる」
「えっ」
彼はいつも持ち歩いている分厚い本をパラパラと捲りながら言った。本の中はびっちりと文字が蠢いており、それは瞬きの間に目まぐるしく書いてある事が変化している。しかも文字の種類はバラバラだし、私の体の記憶でも、前世の記憶でも読めるものではなかった。
私は突然の宣告に狼狽える。
「売るのは教会じゃなくてお前の……その体の実家のバーミリア家なんですけど」
「最低じゃないですか」
「その後は多分年寄貴族に売られて最後は結局あの聖女モドキに殺される」
「最低じゃないですか!」
「まぁそうだな」
「なんとかしてください」
「なんとかしてやれなくもない。……私にメリットがあれば」
「メリット?どうすればいいんですか」
セイケンは黙ってニヤっと笑った。
「私は人間が好きでね。特に芸術が好きなんだ」
「はぁ……」
「物語も良いし歌や音楽も良い。絵画も良い。料理もある意味芸術だな。あれらは人間にしか出来ないからな。とにかく私は芸術が好きなんだ。そのために堕ちずに耐えられてる。認めたくはないがこれが天職だったのかもしれない」
「はぁ……」
突然嬉々として語り出したセイケンは、完全に早口で喋るオタクだった。言っていることはよく分からないが、芸術が好きだと言う事だけは分かった。
「で、前世の記憶を持つお前、私に献上できるものはあるか?勿論芸術的なものだぞ」
「……ない、ですね」
「そうか、今までご苦労だったな。じゃあな」
急に熱が冷めたように部屋から去ろうとするセイケンの上着を引っ張った。
「待ってください待ってください」
「やめろ伸びる」
「売らないで売らないで」
「人聞きの悪い事を言うな。売るのはお前の実家」
「見捨てないで見捨てないで」
「二回ずつ言うな鬱陶しい」
ズルズルと私を引きずって置いて行こうとするのでひしっと目の前の長い脚にしがみついた。
「ええい鬱陶しい!お前はコアラの赤ちゃんか!」
「コアラの赤ちゃんはかわいいです。つまり私もかわいいので見捨てないで」
「お前、バカなのか?」
「なんか混ざっているって言われましたし、そうなのかもしれません。お願いします助けてください」
「ハァ~~~……」
ぴたりと足が止まったと思ったら片手で引き剥された。
「もう一度聞くが、私に献上できるものはあるか?」
ここで無いと答えれば本当に見捨てられて二度とこの人に会えないと思った。私は必死で頭を回転させて答えをひねり出した。
「……歌うことくらいなら……でき、ます」
「……」
前世でもそれほど上手いという訳ではなかったが、必死の私にはこれしか浮かばなかった。セイケンがじっと黙って見ている。これは歌ってみろということなんだろうか。
カラオケ……はこの世界にはなさそうだからせめて伴奏だけでも……と思ったが、そもそもこの世界の曲を知らないので私の歌える曲を伴奏してくれる人はいないかもしれない。
セイケンの視線をなるべく気にしないように頭に一番最初に浮かんだ曲を口ずさんだ。正直かなりパニックになっているから浮かんできたのは童謡だった。動揺だけに。
歌い終わったのにセイケンは何も言ってくれない。正直ただの童謡だったし、私は才能のある人間ではなかったので対して上手でもなかったと思う。ああ、私はモブおじさんに売られてしまうのかな。
今後の進路を憂いているとセイケンが口を開いた。
「……知らない年寄に買われて聖女モドキに殺されるか、私に買われて死ぬまで働き続けるの、どっちが良いです?」
「お給料は出ますか?」
「現物支給でも良ければ」
「えぇ……ブラックですか?」
「文句があるならタダ働きになるか、あるいは年寄コースになるが?」
「文句ないです!現物支給うれしいなあ~!」
「じゃあ決まりですね。とりあえずお前の事買ってくるからこの部屋掃除しといてください」
彼はコンビニ行ってくるみたいなノリで出ていってしまった。死ぬか、死ぬまで働くかの二択で働く方を選んでしまったのだが本当に良かったのだろうか。でもあの聖女に殺されるのはなんだかこの体が嫌がっている気がしたので、きっとこれで良かったんだ。
数刻して戻ってきた彼は本当に私の事をバーミリア家から買い取ったらしく、契約書を見せてきた。
「おお、これがじんしんばいばい……」
「人聞きの悪い事を言うな。オークションにかけてやろうか?」
「聖職者の癖にそんな事言っていいんですか?」
「いいんですよ。神様なんだから」
「何ですかそれ?俺様の上位系ですか?イケメンにしか許されない発言ですよ」
「イケメンだから許されるだろ」
「確かに。無罪」
流れるように無罪にしてしまった。彼は本当に美しい顔の作りをしている。まるで作り物のようだった。
自称神様の枢機卿に買われた私は教会の牢屋を卒業して彼の家へ引っ越した。大きな屋敷なのにお手伝いさんは一人も居ない。彼の芸術好きが全面に押し出された、美術館のような屋敷だった。
そこでの私の仕事はハウスキーパーと言って差し支えないだろう。セイケンは日中忙しいのか屋敷には殆どおらず、夜にだけ屋敷に戻ってくる。
「歌え、レイシル」
彼は一日の終わりにいつもそう言った。慣れてくると前世の好きだった曲を思い出してそれを歌ったりした。そのうち忘れてしまうかもしれないので日中のうちに色々書き留めておいた。それからセイケンがくれたこの世界の楽譜で、この世界の曲もレパートリーに出来るように練習している。
給料は現物支給なのだが、料理をするのには食材が必要で、食材は私自身が調達しなくてはならないため、結局セイケンから現金を支給されて私は市場に買い物に出たりしている。
セイケンから支給されたお給料である可愛らしい服と腕飾りを身に着けて市場へ赴く。最初のうちは物価もお金の使い方もよく分からなかったのでお店の人に教えてもらったりしていた。今では顔見知りになったので安くてオススメのものを紹介してくれたり、オマケをつけてくれたりする。
そんなある日のこと。
いつも通りに買い物を済ませて屋敷に戻ろうとしていると横を通りがかった車に引きずり込まれてしまった。頭から麻袋を被せられて、何も見えないし腕と足は拘束されてしまった。せっかくオマケも付けてもらった食材たちはきっと外に落ちてしまったに違いない。私のお給料なのに……。
そして暫くして車から降ろされた私は固い地面に投げ出されて顔の袋を取られた。
「皆様、これが悪魔です。レイシル・バーミリアは禁忌の魔術を使って悪魔に憑りつかれてしまったのです。わたくしは、彼女が助かるにはどうしたらよいか神にお尋ねしたところ、教会で心身を清めなさいと告げられました。しかし、彼女は教会から逃げ出してこの国に災厄をもたらそうとしています」
綺麗な白い服をきて演説する彼女には見覚えがある。確か自称聖女だったはず。
私を取り囲んで彼女の演説を聞く人たちは高価そうな服を着ていて目がギラついている。観衆の中の誰かが「災厄を防ぐにはどうすれば良いのですか」と助けを乞うた。
「神はこう仰っています。『悪魔を贄に捧げよ』と」
観衆はざわついた。野蛮だと言いながらもその眼は好奇に濡れていた。
「そうすればこの悪魔は地獄へ堕ち、この国は災厄から守られ、ますます発展していくでしょうと」
それならば仕方ない、国の為だ、神様のおっしゃることなら……そう観衆は次々に言い訳を口にした。早く悪魔を殺そう、誰かがそう呟くと今度は殺せと急いたように皆が口にし始めた。
聖女サマは私を見てそれは美しく微笑んだ。結局私はこの聖女サマとやらに殺されてしまうのかなと思った時、一際背の高い男が観衆の中を割いてやって来た。
「こんな生贄一匹で発展するほどコスパ良いわけないでしょう。アホか」
「す、枢機卿!?」
聖女は枢機卿の事を知っているらしい。彼の姿を見て顔色が変わった。
「神がそこまで親切な訳がないだろう」
セイケンは床に転がされている私の側に膝をついて、私の頬を指の背で拭った。彼が手を払う仕草をすれば、私を拘束していたものはバラバラと崩れ落ちた。手足が自由になったので手をついて立ち上がろうとしたけれど、何故か力が入らなくてうまくいかなかった。
「枢機卿、これは──」
セイケンは私が立ち上がるのを待たずに私を横向きに抱え上げると自称聖女の言葉を遮った。
「神の領域を侵した罪は重いぞ」
「そ、そんなはずは……」
地を這うような声が発せられた後、何故だか背筋がぞわぞわとする感覚がした。観衆と自称聖女の方を見れば、膝をついたり、横向きに転がったりして全員苦しそうにしている。
「あ!あなたはやっぱり隠しキャラの……」
聖女はセイケンを見て何かに気が付いたように声を上げた。私もつられてセイケンの顔を見ると、眼鏡をかけているのに目が赤く染まっていた。
「この世界は楽しかったか?」
「智の神、これは──」
「黙れ」
「ッ!」
聖女サマは口をパクパクさせて蹲っている。
「誰が悪魔なんだか。転生妄想に憑りつかれて、無関係の命を差し出して自分だけは、ちやほやされようなどと考える愚かな悪魔はあなたでしょうに。……まぁ、あなたは唆されただけなんでしょうが」
セイケンはカツカツと音を立てて床に蹲る聖女に近づいた。少しだけ体勢を屈めて彼女を観察しているようだった。
「あ~やっぱりあなたはもうダメですね。リサイクル出来ない。リサイクルするには自我が多すぎるし昇華するには何もかもが足りてない。出来損ないにも程がある。廃棄処分するしかありませんね」
セイケンがそう言うと自称聖女を囲むように魔法陣みたいなものが浮かび上がった。
「あなたの言う地獄なんてものがあるならよかったでしょうに。あなたがこれから行くところは永遠しかない、何もない虚無だ。入った瞬間に普通の人間は廃人になるみたいですから、暇を持て余す心配はないですよ。良かったですね」
そうして自称聖女は画像がブレるみたいに波打って、一瞬で目の前から消えてしまった。
「どこに行っちゃったんですか」
「お前が知る必要もない所ですよ。さ、帰りますよ」
帰りながらセイケンが教えてくれたことをまとめると、あの聖女は私と同じように前世の記憶を持っていたらしい。そしてこの世界は、聖女の前世ではゲームになっており、彼女はそれをやり込んでいた。前世でも夢見の能力を持っていた聖女は、夢の中で神から転生するための条件を吹き込まれ、それを信じて前世で人を殺め、そして自分も後を追う事で転生の条件を満たしたのだとか。
屋敷に戻ってソファーに降ろされた私はセイケンを見上げて尋ねた。
「この世界ってゲームの世界なんですか?」
「あの聖女の前世ではそうだったみたいですね」
「じゃあ枢機卿も二次元キャラクターってことですか?私も?」
「この世界は神が運営していて、この世界以外にも無数に人間が生きている世界があります。その中の一つがここであり、別の一つが聖女の前世の世界であり、あなたの前世も別のどこかの世界だったのでしょう」
「どういうことですか?」
「色んな世界があって、互いに干渉することもあるので、どこかの世界の出来事がゲームになっていたり、物語になっていたりするわけです。おまけに時間軸もぐちゃぐちゃですので転生後が必ず未来だというわけでもないんですよね」
「んんん……むずかしい」
セイケンは私の隣に腰を下ろして、いつも持っている分厚い本を取り出して開いた。文字らしきものが忙しなく動いていてじっと見ていると酔いそうだ。
「たまにお前や、あの聖女みたいに記憶が混じってしまう人間がいる。何故か分かりますか?」
「逆に聞きますけど、分かると思いますか?」
「思わない。……神が運営する世界では、死んだ人間の魂を集めてバラバラに混ぜてリサイクルする。だからお前みたいに前世の記憶が消えないまま生まれ変わる人間が稀にいる」
「なるほど……?」
「だから記憶を持っていたあの聖女はこの世界をゲームの世界だと思い込み、シナリオを改変して自分に都合のいい世界を作ろうとしたわけです。というか、そうするように夢に出てきた他の神に唆されたんでしょう」
「なる、ほど……」
「でもそもそもこの世界はあの聖女の知るゲームのシナリオとは僅かに違う世界です。まぁいずれにせよ、私の所有物を勝手に持ち逃げしたんですからどうあがいても助かりはしません」
「所有物?」
「ペットの小鳥です。歌を仕込ませて愛でるのが最近の趣味ですね」
私を見ながらそう言うのでムッと睨んでみたが、全く相手にされなかった。
「自由に遊ばせていましたが、やはり誘拐されたとなれば繋いで鳥籠に仕舞っておくべきですかねぇ」
「監禁!それ監禁って言います!」
「人聞きの悪い事を言うな」
「監禁、良くない。ダメ。非人道的」
「だって私、人間ではありませんし」
「えっ」
「言いましたよね?私は神だって」
「……冗談じゃなかったんですか?」
「冗談でそんな意味のない事を言ってどうするんですか?」
セイケンはやれやれと可哀想なものを見る目で私を見た。いや、だって普通冗談だと思うでしょ。頭の中をぐるぐると情報が駆け巡るけれど、一向に考えがまとまらない。この世界はゲームの世界ではないけれど、いっぱいある世界の一つで、世界は神様が創っていて、私を買ってくれたセイケンは神様で──。
「レイシル」
セイケンは眼鏡を外して机に置き、ソファーの端っこに座る私の太腿に頭を乗せて寝そべった。いくら大きなソファーでも、セイケンの全長の方が長いので、肘置きに長い脚を乗せてもまだはみ出している。眼鏡を介さないセイケンの眼は怖ろしいほどに真っ赤だ。血のように赤い眼が私を下から見上げている。
「歌え、レイシル。お前の歌を聞かないと眠れない」
セイケンの表情はうっすらと疲労の色が見える気がする。
「神様も眠るんですね」
私の言葉に返事をせずに、セイケンは瞼を閉じた。いつもなら軽口を叩くところだが、今日は本当に死ぬところを助けてもらったから、私は素直に子守唄を歌ってあげた。
そしてその翌日、セイケンは転勤しますと言って私を連れて別の世界へ移った。世界レベルの転勤なんて聞いたことがない。
セイケンは担当する世界で人間の信仰心を高めて、その信仰心を収穫するのが主な仕事らしい。神様なのに思ったより地道な仕事をしているみたいだ。彼が持ち歩いている分厚い本には色んな世界の色んな人間の運命が書いてあるらしい。それを見れば大抵のことは分かるみたいだ。でも私には彼の魔法が効きづらいらしくて、私の運命は彼の魔法の本を持ってしても読みづらいらしい。
ちなみに彼には上司の神様がいて、上司に振り回されているようだ。神様にも上下関係があるなんて、なんだか大変なんだなぁ。
セイケンに買われた……むしろ飼われた私は毎晩セイケンの為に歌を歌った。曲のレパートリーはかなり増えた。
そういう生活を何年か続けて、私は少し歳を重ねた。でもセイケンは神様だから歳は取らないらしい。このまま月日が過ぎれば、私はおばあちゃんになってもセイケンに子守唄を歌うことになるのかな。私が死んだらセイケンはまた新しい人間を買って歌を歌わせるのかな。
そんなことを考えていたら、私は突然死んだ。
またしても買い物帰りのところを狙われて、今度は誰かに刺されたらしい。私は受け身も取れないままうつ伏せに倒れた。痛いとかそういう感情は一切なくて、石畳に赤い液体が広がっていくのをぼんやり眺めていた。
視界が霞んできたなと思ったら今度はなんだか騒々しい。うるさいなぁ。誰だ死体を持ち上げる変わり者は。
「おい、レイシル、聞こえるか。まだそこにいるんだろう」
視界が暗くなってきたからよく分からないけれど、多分セイケンだ。いつも私が事件に遭ってからやってくる。一足遅い神様だなぁ。でも、来てくれて嬉しいなぁ。
「私に買われて死ぬまで働き続けるのと、永遠に私の元で生き続けるの、どっちが良い?」
「……」
「答えろ……」
なんだかいつか聞いたことのあるような質問だ。だけど私にはもう答える力が残ってない。
えっと、確か死んだら魂は集められてバラバラに混ぜてリサイクルされるんだったっけ。じゃあ、私が今持っているこの記憶もバラバラになってリサイクルされて別人に生まれ変わっちゃうのかな。なんか嫌だな。毎日歌を強請るセイケンのこと、忘れたく、ないなぁ……。
「……俺の事を永遠に恨んでくれていい」
答えられない私の沈黙を破って、彼はそう呟いた。
なんだか、眩しい。目を開けるとレースの天蓋が私を取り囲んでいた。どうやら寝かせられていたらしい。手をついて起き上がったが、体がとても重たい。ずっと動いていなかったみたいな感じがする。起き上がった拍子に肩から髪束がサラリと零れた。見慣れない金色だった。確か、転生した私はダークブラウンの髪をしていたはず……。
そこまで考えて、意識を失う前の事を思い出した。
ああそうか、私はまた死んで転生してしまったのか。
でもよかった。前世でレイシル・バーミリアになっていた間の記憶は忘れていないみたいだ。
……待てよ、レイシル・バーミリアに転生したときは、レイシル・バーミリアの記憶があった。だけど今はこの体、金髪の持ち主の記憶はない。この体は一体誰のものなんだろう。
私はこの体の手がかりを探るべく、大きなベッドから降りた。ベッドの脇には椅子が一脚ある。部屋には薪の暖炉があってその前にはどこか見覚えのあるソファーがあった。壁には絵画がいくつも飾られていて、そのどれもにダークブラウンの髪の少女が描かれている。
壁には大きな姿見もあったので今世での顔を確認するために覗き込んだ。鏡の中から私を覗き返したのは血のように真っ赤な眼をしたレイシル・バーミリアだった。
髪と眼の色が違うだけでレイシル・バーミリアにそっくりだ。レイシルの記憶を持っているから顔が似て生まれたのかもしれない。
部屋の中をうろうろした私は大きな窓の側に近寄った。窓の外にはテラスが見える。私は窓を開けて外に出た。
テラスを降りればそこは庭になっていて、芝生の絨毯が美しい。痛くはないがちくちくとした感覚に、私は裸足だったという事に気が付いた。裸足だけど痛くないから大丈夫かなと足元を眺めていると不意に影が差した。
「この、寝坊助」
声がした方を見上げれば、そこには髪を乱したセイケンが立っていた。
どうしてここに居るのだろう。私はあの時死んだのに。
「なんです?その間抜け面は」
そう言うと私の鼻をつまんで左右に振ってきた。
──やめてやめて!……あれ?
私は喉を押さえた。
──あ、あーーー、んんんん……声が聞こえない?
ちゃんと喋っているつもりなのに私の耳は私の声を拾ってくれない。
──あれ?あれ?
「レイシル」
──あ、枢機卿の声は聞こえる
「お前の声はその体と引き換えに無くなってしまった」
──無くなった?
どっきりは止めてと言おうとして、声が出ない。セイケンは悲しそうな顔をしていた。
「俺を恨んでくれていい。俺が自分の為にお前の運命を捻じ曲げて眷属にしたんです」
──けんぞく?
「俺の系譜に連なる存在、成り上がりの神になったんですよ」
──神?……というか私が言いたいことが分かるんですか?
「分かる」
──えっ、プライバシーの侵害……
「俺に話しかけようと思っていることだけ聞ける。他は聞こえない」
──えぇ……よく分かんない。どういうこと?
寝起きの頭には難しくて混乱する。ううん、と声は出ないが唸っているとセイケンが私を持ち上げて部屋の中へ入った。
──ああっ、せっかく外に出たのに
「何も履かずに外へ出るんじゃありません」
──だって、靴がなかったし
私を暖炉の前のソファーへ降ろすとセイケンは私の前に膝をついて、私の足の裏を掃った。少しくすぐったくて足を引こうとしたけど、案外に強い力だったので引き抜けなかった。
大事なアンティークの置物を掃除するように片方ずつ丁寧に私の足を扱う。私はそんな姿を見下ろしていて、なんだか不思議な気分だ。
私の足を揃えて置いたセイケンは眼鏡を外してソファーの上に置いた。そしてそのまま立ち上がることなく、私の両脚を両腕で抱き込み、私の膝に顔をうずめた。
「歌え、レイシル」
──声が出ないのに?
「俺には聞こえる。俺にしか聞こえない。……俺の為だけに、歌ってくれレイシル。眠りたいんだ」
──そんな姿勢じゃ、眠りづらいでしょうに
ぎゅうっと抱き込まれる。梃子でも動かないつもりらしい。そんなに力を入れられると歌いにくい。力を抜いてほしくて私の膝の上の綺麗な金色の髪を撫でたら抱きしめる力がもっと強くなった。解せぬ。
歌うまでずっとこうしているつもりだと理解した私は彼にしか届かない歌を歌った。
神様になってしまった私は死なないらしい。私の神様としての役職は歌の神様だと聞かされた。
──歌えないのに歌の神様なんて変なの
「良いんですよ。神の歌声なんて誰にでも聴かせるものではありません。俺だけがお前の歌を知っていればそれでいい」
セイケンは人間に混じって歌の神の神話を聞かせては信仰心を集めているらしい。神様は信仰心を集めないと力が薄れてしまうから必要なことなんだとか。
レイシル・バーミリアが死んでから私がこの体になるのに、三百年の時間が掛かったそうだ。つまり私は三百年寝たきりだったみたい。セイケンが言うに、通常の神様たちと違って裏技で神様になった私が起きるためには、非常に多くの神力というものが必要だったそうだ。三百年の間、セイケンはかなりの量の仕事をこなして神力を集めていたらしい。神様はブラックな仕事だ。
レイシル・バーミリアが死ぬことになった原因は、セイケンがどこかへと飛ばした聖女が戻ってきて私を刺したからだった。神様は私の想像よりも沢山いて、考え方も様々らしい。それで、セイケンを嫌う別の神様がその聖女を使って私の事を消してセイケンに嫌がらせをしようとしたらしい。私、とんだとばっちりでは?
その後どうなったのかとセイケンに尋ねれば、聖女とその元凶の神様はもう存在しない、私が眠っていた三百年の間に消滅させたと事も無げに言った。
「レイシル、俺のことを永遠に恨んでくれ」
セイケンは何度もそう言う。彼にとって人間が神様になるということは相当な罰だと思っているらしい。神様になるには人間だった頃に大切にしているモノを一つ失わなくてはならない。つまり私の場合は、声だったというわけだ。
セイケンがそれほど悔やむと言うことは、彼が神様になった時に失ったものはとても大切なものだったのだろう。
でも私は声を失ったけれど、セイケンには聞こえているみたいなのでそんなにショックは受けていない。それに有限だった命は無限になって、私は死ななくなった。つまり、ずっとセイケンの側で生きられる。
私の膝の上で寝そべったセイケンが眉間に皺を寄せている。私はそれを指で伸ばして遊ぶ。
「俺を永遠に恨んでくれ」
──またそれ……でもイケメンは無罪ですから
「ハァ?……なんでお前はそう、嬉しそうなんだ」
──これが俗に言う、永久就職というやつですよね?
「……お前、バカなのか?」
──そうかもしれません。だから、これからもずっと助けてくださいね
私がそう答えると彼は深いため息をついてから言った。
「歌ってくれ、レイシル。これからもずっと、俺だけの為に」