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短編~中編

悪魔なサンタにお願いを

 随分前から、この女とは潮時だと思っていた。

「ねえ、ごめんなさい。私が悪いところ、なんでも直すから、出て行くなんて言わないで……」

 床へ這いつくばり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、俺の脚に擦り付けてくる。

 この泣き顔が可愛いと思えた時期もあったのに、今の俺には醜悪な生き物にしか映らなかった。

「だってキヨ君、行くとこなんてないでしょ? お金だって、この間あげたお小遣い、もう無くなっちゃったんでしょ?」

 ああその通りだよ。俺には金も無いし、頼れる友達もいない……俺の世界はお前だけだ。

 初めて本音を漏らしたマリアを蹴り飛ばすと、俺は部屋を飛び出した。


  * * *


 人の群れに逆らいながら街をぶらついた俺は、いつしか人気の無い公園にたどり着いていた。小さなブランコの脇に、寝転がれそうな古びたベンチが一つ。今夜はここで頭を冷やそうと決めた。

 背を丸めてベンチに座り込んだ俺は、ふと思いついたようにジーパンのポケットをまさぐった。指先に数枚の小銭が触れる。味気ないガムを吐き捨てると、俺はベンチから立ち上がった。

 ようやく見つけた自販機は、狭い路地の突き当たりにあった。駆け寄ろうとした俺のスニーカーが、キュッと音を立てて止まった。

 自販機の前には、一人の小柄な男が佇んでいた。

 後姿だけで『普通じゃない』と分かる、明らかに着膨れした姿。頭には黒いとんがり帽子をかぶっている。後頭部に垂れ下がるその先端には、白いボンボン。顔は見えないが、帽子の脇からはみ出たあご髭の長さから、それなりの年なのだろうと推測できる。もしかしたらホームレスの類かもしれない。

 少し離れて様子をうかがってみたものの、男が立ち去る気配は無い。舌打ちした俺は、仕方なくそのオッサンに歩み寄った。

「おい、退けよオッサ」

「あら、キミは心の奥に黒い夢を持っているようね?」

 俺はそいつの姿に目を奪われた。

 振り向いたのは、月明かりを受けて淡く光る白い肌と、大きな黒い瞳の……紛れも無い少女だった。

 着膨れして見えるほど厚手の服は真っ黒で、上着には白いボタンが五つ並び、襟と袖口には白くモコモコした縁取りがついている。

 そこまでは、まだいい。

 その顔についている『髭』は、一体なんなんだ! 

 口の周りを覆いつくす、もじゃもじゃの黒い付け髭。

 この姿はまるで――。

「黒髭危機いっぱ」

「サンタクロースよっ!」

 そうだ、確かにサンタクロースだ。

 いや、まて。

「普通のサンタは、赤と白だろう。そしてオヤジだ。髭も白いはずだ。なにより今は真夏だ!」

「ああ、それは表のサンタのことね。アタシは裏のサンタだから」

「……そうか、良い事を聞いたよ。じゃあな」

 立ち去ろうとした俺の腕を、ヘンタイ少女が掴んだ。触れた手の冷たさに驚いて振り返ると、少女は有無を言わせぬ口調で言った。

「ねえ、アタシにコーヒーおごってよ。そしたら、特別にキミの願い事を叶えてあげる」

 本当は正式なお手紙もらわなきゃいけないんだけどねーと呟く少女に、俺はコーヒーを買ってやった。

 願い事はただ一つ。“もう俺に関わるな”。

 そう言って逃げようと思ったのだが……。

「良かったあ。うっかり荷物を忘れてきちゃって、燃料切れするところだったの」

 ヘンタイ少女はプルタブを開けると、缶を握った手を高く掲げ、クルッと逆さまにした。

 重力に逆らわず、地面へ向かう焦茶色の液体。

 そのままアスファルトを濡らすかと思いきや、ふっと姿を見せた黒いモノがそれを受け止めて……。


「――ウシィィィ!!」


 俺の口から飛び出た絶叫が、静かな住宅街にこだまする。仰け反った俺は、アスファルトに尻を打ちつけた。

 痛い。いやそんなはずはない。これは夢なんだから。突然目の前に立派な『黒毛和牛』が現れるなんて、夢に決まってる。

「夢じゃないよー。ちなみにこの子は黒毛和牛じゃなくて、ヌーだから」

 ヌーか。確か昔好きだったテレビの『わくわく動物ランド』……いや『野生の王国』で見たような気がする。群れからはぐれたのだろう。可哀想に。すみやかにサバンナへ返してあげなければ。

「違うってば。この子はアタシの相棒よっ」

 立派な角を後方へ反らせ、巨大な口をクワッと開けてコーヒーを飲み干したヌーは、満足気に頭をプルプルと振った。黒光りした胴体には、ネックから肩ロースの方向へと太い皮紐が伸び、外もも肉の先に古びた木製のソリが見える。

「よし、燃料満タン! ありがとねっ!」

 立派な付けあご髭をしゃくると、少女は腰を抜かしたままの俺を見下ろして微笑んだ。

 髭が無ければ、絶世の美少女に違いない。月明かりを受けてきらめくその瞳に、俺は心ごと吸い込まれそうになった。差し出された冷たい手を取ると、華奢な少女とは思えない力で引っ張り上げられる。俺は尻をさすりながら、目の前の不思議な少女をまじまじと見つめた。髭はさておき、その瞳を。

「アタシたち裏のサンタは、大人の夢を叶えるの。人には言えない、黒い夢をね……」

 細められた少女の瞳が、ずっと隠してきた心の闇を引きずり出すかのように揺らめく。とっさに手を振り解き、少女から目を逸らした。

「別に、俺にはそんなもの……」

「殺したい女がいるんでしょう?」

 心臓がドクリと嫌な音を立てた。逃げたいのに、震える足が言うことを聞かない。

「名前はマリア。キミとは五年の付き合い。元々はキミが学生時代にアルバイトをしていた居酒屋の店長だった。彼女はきつい仕事で体を壊して、勤務時間の短い水商売に移った。その頃からキミたちの交際がスタートする。キミはミュージシャンを目指して大学を中退。親に勘当されて彼女の部屋へ転がり込んだ。最近じゃ音楽よりパチンコに夢中ね。彼女は今年三十才になるし、キミと結婚したがってるけど、キミは彼女の存在が重くて逃げたい。でも逃げられない。だからいっそ」

「――やめろっ!」

 叫んだはずの声は掠れ、乾いた喉の奥に詰まった。

 咳き込んだ俺の顔を上目遣いに見上げながら、少女は妖艶な笑みを浮かべた。

「キミの黒い夢、アタシが叶えてあげるよ」

「そんなこと……」

「素直になりなよ、ね? キヨハル君」

 逆らう事はできなかった。

 少女のささやき声に操られるように、俺はゆっくりと頷いていた。


  * * *


 黒髭のサンタ少女は、上着のポケットから黒い小袋を取り出すと、「良い子のキヨハル君にピッタリのプレゼント、でーてこいっ」と呪文を唱えた。

 袋の中からは、三枚の白いカードが現れた。

「方法は三つあるみたい。好きなのを選ばせてあげるね」

 俺は、気怠げにタバコの煙を吐き出しながら、少女の手にしたカードをぼんやりと見つめた。これが夢でも現実でも構わない、そんな投げやりな気分になっていた。

 そうだ……俺はマリアに感謝している。そして、それ以上に憎んでいる。

『頑張って、いつか成功できるよ、私のことは気にしないで、ずっと応援してる』

 そう言いながら一切笑っていないマリアの目が、俺を追い詰めた。ずっと、苦しかった。それでもあの狭い部屋から抜け出せなかったのは、マリアが好きだったから。心の奥で俺を責めながらも、口には出せない奥ゆかしさが愛しかった。

 だから、一番楽な方法で殺してやりたい。

「あっ、コレなんか良さそうよっ」

 トランプサイズのカードを一枚摘んだ少女が、マジシャン気取りでカードをめくる。

「ジャーン、“通り魔”っ!」

 咥えていたタバコが、ぽろりと落ちた。

「派手に騒がれて、皆に同情してもらえるし、悪くないでしょっ?」

「まあ、そうかもな……」

 落ちたタバコを踏みしだきながら、俺は生返事をした。もう後戻りはできない、そんな気がした。

「ただし、実行するには条件があるみたい」

「条件?」

「えーと……キミとぶらり途中下車で繁華街デート中に限る、だって」

「どういうことだ?」

「まあ、もしかしたら、キミも巻き添えってパターンも……」

「却下だ!」

 やはりコイツは悪魔だ。人間の望みを叶えるのに、交換条件をつけないわけが無い。人一人の命より確実に重いものを持っていかれるんだ。

「あっ、それはちがーう! アタシは単に人間の夢叶えるだけ。叶えた人数が多いほどランクが上がるシステムなの。完全ボランティアよっ。ただちょっと、運命変えると歪みが出るっていうかぁ……」

 アハッとごまかすように笑いながら、少女は二枚目のカードをめくった。

「次のオススメは……ジャジャンッ! “交通事故”! 上手くやれば保険金も下りるね。キミはペーパーだけど一応免許あるから」

「ちょっと待て」

「ん?」

「それはまさか、俺が運転するってことか……?」

「もちろん」

 確実に死ねる自信があった俺は、その案も却下した。

「ワガママなヤツめっ。コレが最後だよ? えっと……“密室殺人”だって」

「それは、どんなシチュエーションだ?」

「温泉旅館が舞台のようね。キミは第一発見者になる」

 リアルに想像した俺は、吐きそうになった。

 血まみれで座敷に転がるマリア……さすがに、見たくない。

「大丈夫よっ。絞殺だし、死に顔もキレイよ。しかも、一緒に乗り込んでくれる女将もいるから」

「そこまで決まってるのか?」

「うん。キミはもう、このカードを選んだから……その運命をうつしとった、緻密なシナリオがね」

 少女は口の端を吊り上げるように笑った。

 髭の隙間からのぞいた唇は、血のように赤かった。


 ふらつきながら帰った俺に、目を腫らしたマリアが「戻ってこないと思った」と言った。

「ゴメンな」と呟いた俺の胸に飛び込んでくる、優しいマリア。

『戻ってくるに決まってる。あなたはわたしのもの。絶対逃がさない』

 生温い風とともに抱きしめた、マリアの汗ばんでしめった体が、そんなことを語っていた。


  * * *


 翌週、マリアは店のママにねだって三日だけ休みをもらった。『仲直り旅行』の目的地は、マリアの叔母が経営するという海辺の小さな温泉旅館だ。

「私、釣りってしたこと無いんだ。お魚いっぱい釣れたら、オバサンに料理してもらって食べようね!」

 俺の右腕には、釣竿と小道具がぶら下がっている。行きがけにマリアが「確かキヨ君は、子どもの頃釣りが好きだったんだよね?」と強引に買い求めたものだ。左腕にはこの五年で二倍の太さに膨れたマリアの腕が絡みつき、暑苦しい。そして首には、昨日プレゼントされたばかりの高価なネックレス。ちっとも似合っていないのに、マリアはカッコイイとはしゃいだ。

 海に突き出た桟橋は、うだるような暑さだった。観光客も釣り人もほとんど見当たらない。適当に釣糸を垂らしてみたが、魚は釣れなかった。マリアが「喉が渇いた」と言い出したので、俺たちは飲み物を買いに行き……戻ったとき、俺の指紋がべっとり付いた釣竿は消えていた。

 マリアは私のせいだと涙ぐんだけれど、俺は「お前のせいじゃないよ」と優しく告げた。


 その夜、マリアは死んだ。

 俺が露天風呂へ行っている間に、鍵をかけた室内で一人きり。

 首には、細い糸が巻きついたような跡があった。


「確かに俺は、マリアと別れたかった。でもあのときは風呂に行ってたし、釣竿も海で盗まれたんだ」

 二人の刑事は不審げに眉をひそめながら、顔を見合わせた。

 本当に俺は殺してない。サンタに願い事を言っただけなのだから……。

 悲痛な表情を作り続けた俺は、日付が変わる前に一旦解放された。明日もう一度刑事と話せばお役御免だ。マリアには疑われない程度の保険金もかけてあるし、しばらくは生活にも困らない。そうだ、恋人が死んだこの悲しみを歌にして葬式で披露してやろう。

 俺は笑いを噛み殺しながら、新たにあてがわれた部屋へ戻った。

 そう、微かにドアを開いたそのとき……闇に包まれた室内で、何かうごめいた気がした。


 もう、何も思い出せないけれど……。


  * * *


「はい、お仕事終了。一気に二人分っ!」

 黒髭のサンタ少女は、海辺の温泉旅館を見下ろしながら無邪気に笑った。

 空っぽのソリを引いたヌーの背にまたがり、夜空を駆けていく。

「湯けむり温泉“連続”殺人事件……一番疑わしい容疑者は、たいてい二人目の被害者になるものよ?」

 少女は、何も無いはずの荷台に向かって語りかけた。

 彼女だけに見えているのは、二つの黒い影。

 寄り添うように並んだ影が、重なり合い一つの塊に変わるのを見届けると、少女はサンタ服のポケットから一通の手紙を取り出した。


『サタン様へ。大好きな彼が、私から離れないようにしてください』


 少女がフッと息を吹きかけると、その手紙は闇に溶けて消えた。


↓作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











 ホラーと言いつつ、ほとんど怖くなくてすみません。キヨの死ぬシーン等、もうちょっとグロく描写することもできたのですが、そういうのが苦手なのでぼやかしてしまいました。ちなみに犯人はですね……うっ、やめろ、何を……ギャアァァッ!(←三人目の被害者)

 冗談はさておき、この話は大好きな“サウンドノベル”というゲーム風に仕上げてみたのです。なので、裏設定がいろいろあります。

1.最初にキヨが(←ここでピンと来る方は、かまいたち好き?)自販機前で悪魔を無視したら、そのまま頭冷やして部屋に戻り、マリアの理想どおり『ねっとり重たく縛り付けて結婚』な展開に。

2.通り魔だったら、マリアがキヨをかばって死にます。キヨは反省して、一生マリアを弔って暮らします。

3.交通事故だったら、マリアは脳死状態になり、キヨは一生介護の道へ。

ということで、密室殺人が何気に一番バッドエンド……?

 ……なんてあたりを加筆して、ホラー企画に投稿しようかと思いましたが、別サイトさんに取り上げていただくことになり、これはこれで終了としました。なお、パロディネタはもう二つ入れてあります。「ウシィィィ」はジョジョの「ウリィィィ」ですね。「それは、ちがーう!」は、某芸人さんの古いコントキャラから。こうして補足しなければ伝わらない悲しさや。

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