第11話 初めて
ああ、まずい……と思った。
口にしたら、勢いよくこみ上げてくるものがあって。必死に押さえ込もうとしていたものが溢れ出てきそうになって。
ぐっと唇を引き結んだ。
好きだ、て口にしただけなのに。それだけで、香月に会いたくてたまらなくなってしまって――高揚感と言うには荒々しい、苦しいほどの昂りを鳩尾の奥に感じて自分でも驚くくらいだった。
そして、今さら……だが、周りに誰もいなくてよかった、と心底思った。
昇降口から校門までの広場には、真ん中にいまいち趣旨の分からない両手を天に高々と掲げた少女の像があるくらいで、俺たち以外に人気はない。背にした校舎の裏側にあるグラウンドのほうから、運動部のものだろう掛け声が聞こえてくるくらいで静かなもんだ。
本来なら「大好きだ」なんて羞恥プレイものの発言をする前に、周りに人がいないか、確認すべきところだったんだろうが……あまりに小鶴さんにずばりと言われて、そこまでの冷静さも失っていたようだ。夢中で――と言うより……テンパっていた、と言うほうが正しいな。
「正直でよろしい」
俺の自供を聞くなり満足げに頷いて、小鶴さんは「さて、詳しく聞きましょうか」とほくほくと頰を染めながら歩き出す。そこでようやくいつの間にか立ち止まっていたことに気づいた。
「いや……詳しくって……!?」まるで探検にでも向かうかのごとく意気揚々と前を突き進んでいく小鶴さんの背中を追いかけるように俺も歩き出し、慌てて声を上げる。「これ以上、別に何も……」
「この前は嘘つかれちゃったからな〜」
冗談っぽくも責めるように言われて、ハッとする。
そういえば、前も香月のことを聞かれて……でも、あのときは、香月のことをまだ『女友達』としか思ってなかったら、恋愛対象じゃない、てきっぱり言ったんだった。
「いや、嘘吐いたわけじゃなくて、意識の問題というか」と、小鶴さんと並んで歩きながらあたふたと身振り手振りを交えて弁解する。端から見たらどれほど情けない姿だろう、と思いながら。「この前は、自覚してなかっただけで……」
「自覚?」
「あのときは、本当に恋愛対象じゃなかったんだ。そいつのこと、ずっと男だと思ってたから」
そう言った途端、小鶴さんは「え!?」と弾かれたように振り返った。
「ど……どういうこと? ずっとって……十年も男だと思ってたの!?」
「そう」恥ずかしいやら、情けないやら。俺は気まずくなって苦笑した。「つい、この前まで。だから……すぐには『女』として見れなくて」
「気づかない……もんなの?」
「ほんと……そう思うよね」と冷笑が溢れる。「先入観の賜物というか。刷り込みというか。名前も男みたいだし……これっぽっちも疑ってなかったんだ」
「名前、なんだっけ?」
「カヅキ」
ぽつりと言うと、小鶴さんは「ああ」と納得したような声を漏らしつつ、俺をまじまじと見つめてきた。
よほど信じられない……といった様子だ。
まあ、そりゃそうだよな。親友の性別を勘違いして十年も過ごしてた、なんてあり得ないよな。
「えっと」と小鶴さんはまだ困惑気味に目を瞬かせ、「つまり……すごいマッチョな子なんだ?」
「マッチョ!?」
いや、と慌てて俺は手を横に振っていた。
「違う、違う! そういう感じじゃなくて……凛々しいっていうか」
「んー」と依然として、ぱっとしない様子で小鶴さんは唸り、「なんか想像つかないな。十年も男だと勘違いされちゃうような女の子なんて………」
ちょうど校門に差し掛かろうというときだった。
小鶴さんは「あ!」と突然、足を止めると、くるりと体ごとこちらに向け、鼻息荒く俺に詰め寄ってきた。
「写真見せて!」
「しゃ……写真!?」
「百聞は一見にしかずだよ〜。二人で撮った写真とかないの?」
「いや、無いよ!?」ぎょっとして、思わず俺は大声をあげていた。「二人でなんて……男同士で自撮りなんてしないし」
「えー、そうなの? 一枚も無いの? その子だけの写真は?」
聞かれて、うっと言葉に詰まった。
そういえば……と気づく。
「無い……と思う」
十年も一緒に居て写真が一枚も無い、なんて。
さすがにショックで……愕然とした。
そりゃ、家に帰れば、親が撮ったホッケー時代のものはあるだろうけど。中学からはお互いの親とも会わずに遊んでたし、いつも二人きりで会ってて、どこか旅行に行くわけでもなし。男同士で自撮りはもちろん、スマホで写真を撮り合おうなんて流れになるわけもなかった。
「そっか〜」と小鶴さんは残念そうにぼやいて、空を振り仰ぎ、「じゃあ、今LIMEして、写真送ってもらうとか?」
「は……!?」
いや……なにを……なにをおっしゃっている?
「それとも、ビデオ通話しちゃう?」
「しちゃわないですよ!? てか、今頃部活だろうし、連絡したところで無駄で……」
まずい。この流れはまずい……気がする。
嫌な予感が雪崩のように押し寄せてくる。本能が逃げろと告げていた。
また何か名案でも思いついたかのようにぱあっと瞳を輝かせ、「それなら」と言いかけた小鶴さんを、「そういえば」と大声上げて無理やり遮り、
「小鶴さんは電車通だっけ? 俺、地元で家、こっちだから」
駅とうちは校門を出て逆方向にある。ここで別れてしまえば……と、ぽかんと佇む小鶴さんを見ながら、じりじり後退りして校門を出て、「じゃあ、また明日」と我ながら不自然この上なく笑って身を翻した。
その瞬間、
「あ、笠原くん――!」
勢いよく踏み出してすぐ、慌てたような小鶴さんの声がして、思いっきり何かにぶつかった。
一瞬、すぐ傍にあった門柱にでも突撃してしまったのか、とも思ったが……それにしては柔らかな衝撃で、思わず目を瞑る寸前、視界の端には真っ白なセーラー服が見えた気がして――。
びりっと電撃でも駆け抜けるかのように全てが繋がって、すぐさま状況を悟った。
体勢を立て直すなり、「すみません!」と叫んで向けた視線の先で、やはり女の子がへたりと座り込んでいた。セーラー服を着た少女が両手を地面について、横座りの姿勢でうなだれるようにうつむいている。
最悪だ――と背筋が凍りつき、一瞬にして血の気が引いた。
慌てて駆け寄って、傍にしゃがみこみ、
「大丈夫ですか!? 怪我は!? すみません、俺、よそ見してて、思いっきりぶつかって……」
まくし立てるように言った、そのとき。
そのときになって……ようやく気づいた。
ふわりと漂う甘い香り。さらりと耳元にかかる程度の短い黒髪。白く滑らかな頸に、華奢な肩。めくれた紺のスカートから覗くきゅっと締まった太もも。その全てに見覚えがあった。
ただ、その格好は今まで見たこともなくて……。それだけで、目を晦まされてしまったんだ、と悟った。
だって、その姿はあまりにも――。
「ん。大丈夫」頬にかかった長い前髪を掻き上げながら、彼女は口元にわずかに笑みを浮かべてゆっくりと顔を上げた。「初めてだ。陸太にタックルで倒されたの」
そんなことを冗談っぽく言って、彼女は――香月はセーラー服姿ではにかむように笑った。




