第10話 自供
『今日は、とりあえず、勉強は夕飯食ってから少しやるくらいかな』
『夕飯のあとだけ? 放課後、予定あるの?』
『ない』
『それだけ、返信早いね(笑)』
『お前はいつも早いけどな』
『陸太の家って、いつも夕飯何時だっけ?』
『親次第だけど、八時くらいか』
『それまでは休憩?』
『休憩?』
『きゅうけい』
『読めるわ』
『ごめん(笑)』
『休憩っていうか……今日は集中できそうにないから、ぼうっとするわ。明日から本格的にやる』
『分かった』
***
分かった――て、最後のメッセージにまた困惑した。
何が分かったんだ? てか、このやり取りはいったいなんなんだ、てメッセージを読み直して、ますます困惑した。
しばらく迷ってから『なんで?』て送ったら、香月にしては珍しく間を置いて、『なんでもない』って返って来て、俺は「げ!」と声を出してしまった。そんな俺を生ぬるい眼差しで見つめながら、遊佐は呑気に弁当を食っていたっけ。
それが昼休みの出来事。
その後、香月からは連絡は無く、俺は俺で『なんでもない』と睨み合うことしかできず、全く授業にも身が入らないまま放課後になっていた。
中間テストまであと二週間。大事な時期だってのに……。
まだ部活の活動停止時期ではないため、放課後すぐの昇降口は今はまだ閑散として、俺と同じ帰宅部だろう生徒がちらほらと見受けられるくらいだった。
囁き声さえあたりに響き渡りそうな静けさの中、俺は靴に履き替え、重いため息を吐く。
勉強は苦じゃない。
部活も入ってないし、高校に入ってからは『ラブリデイ』をやり始めたけど、それ以外に趣味と言えるものは軽い筋トレとか《《たま》》のランニングくらいで、他にやることもないし。勉強している間は――筋トレやランニングもそうだが――余計なことを考えないで済むから好きだった、というのもある思う。
それに……うちは金銭的にそこまで余裕があるわけではなく、大学は国立オンリーと言われてて、浪人も一年だけ、と言われている。だから普段から家で勉強はしているし、試験の二週間前からは放課後はまっすぐ家に帰って夜遅くまでみっちりやるようにしていた。
だが、今回は……。
朝から授業にも全く集中できていないし、家に帰ってからも気持ちを切り替えられそうにない。
香月には、今夜少し勉強する、なんて言ったけど……やる気が起きるのか、甚だ疑問だった。勉強したとしても、ちゃんと頭に入るのかどうかも怪しい。頭の中は、今、それどころじゃなくて……。
香月と護のこと――何度ホッとしようとしても、胸の奥にしこりのようなものが残っている感じがして、落ち着かなかった。
いつまでも息が詰まってる感じがして、安堵のため息なんて出そうになかった。
当たり前だよな。
状況は何も変わってないんだから。
たとえ、昨日、二人の間に何も無かったのだとしても、護が香月に想いを寄せていることは事実で、口説き落とそうとしていたことも変わりはない。もしかしたら、今日、護は香月に告りに行くのかもしれない。今日じゃなければ、明日かもしれない。
でも、それを厭だと思いながらも、どうすべきなのかが分からない。自分がどうしたいのかが分からなくて――それが、一番、腹立たしかった。
やり場のない憤りがこみ上げてくるのを感じて、下駄箱の前に佇み、ぎゅっと拳を握りしめた、そのときだった。
「かーさはらくん!」
伸びやかな声があたりに響き渡って、ハッとして振り返ると、
「今、帰り?」いつからそこに居たのか、ふわりと柔らかそうなウェーブがかった髪を揺らして、小鶴さんが小首を傾げて背後に立っていた。「一緒に帰ってもいい?」
あれ……と、きょとんとしてしまった。
「小鶴さんって……部活入ってなかったっけ?」
「うん」と小鶴さんはほんわかと笑って、「テニス部だよ〜」
そうだった。テニス部だ。遊佐がそう言ってた気がする。
「テニス部、もうテスト休み……なの?」
「ううん。私ね、今日歯医者なんだ〜」
のんびりとした声でそう言って、肩からズレ落ちそうなスクールバッグの取っ手を両手でぎゅっと握りしめながら、小鶴さんはとっとこと駆け寄ってくる。
そうして俺の隣まで来ると恥ずかしそうに笑って、こっそりと言った。
「虫歯かもしれないんだ」
「ああ、そうなんだ……」としか言えない。
女の子の虫歯について、どうコメントしていいのやら。どこの歯? て話を広げるのも変だろうし。とりあえず、「大変だね」と付け足してみると、「大変なんです」と小鶴さんはまるで政治家よろしく難しい表情で何度か頷いた。
「未だに怖いんだよね〜。あのドリドリドリって音とか、ジーンて頭蓋骨が震える感じ」と小鶴さんは小さな身体を竦ませながら、ちょこちょこと歩き出した。「いくつになっても怯え続けるんだろうか、て考えちゃうよ」
小鶴さんの歩幅に合わせるようにして並んで歩き、「ああ、分かるよ」と昇降口を出たところで苦笑した。
すると、隣でふふっと笑う気配がして、
「やっと笑ったね〜、笠原くん。まだ表情固いけど」
慰めるような、からかうような、そんな声で言われて、「え」と振り返れば、
「今日は一日中、横顔が険しかったよ」と小鶴さんは穏やかな眼差しで俺を見上げ、クスリと笑った。「また、『トクベツな友達』からの連絡待ってたんでしょ」
「え……あ……え……!?」
「朝からずーっとこっそりスマホ眺めてたもんね。辛そうな顔して。隣で見てるだけで切なくなっちゃったよ〜」
またか……!? と頭を抱えて叫びたくなった。
絢瀬にも似たようなこと言われたなかったっけ? 俺ってそんなに分かりやすいの? それにしても、顔に出すぎじゃ……!?
恥ずかしさのあまりに声も出ず、横であたふたとするだけの俺をじいっと見上げ、小鶴さんは確信に満ちた声で言い放つ。
「やっぱり――笠原くん、その子のこと大好きでしょ」
一刀両断か。
まるで草原に寝転ぶ、もこもこの羊みたいな。ほんわかとしてのどかな雰囲気を漂わせつつ、言うことは切れ味鋭い日本刀のよう。
全くもって、容赦がない。
そんな小鶴さんの無垢な子羊のごとく純真そうで、なんの疑いもないような眼差しに当てられて、一瞬にして日焼けしたみたいに顔が熱くなった。夏を迎えたとはいえ、まだ猛暑とは程遠いはずなのに、全身からジワジワと嫌な汗が噴き出すのを感じる。
いや、もう……ここで否定するのもアホみたいだ、と思えてしまった。ここまで断言されて。ここまで動揺しといて。事実を隠して何になるんだ、て。
これが断崖絶壁で刑事に追い詰められて自供する犯人の心境だろうか、なんて思った。
「だっ……」と飛び出した声はあまりに情けなく裏返ってしまって、さらに恥ずかしくなって、俺はそっぽを向いてぼそっと言った。「大好きっす」




