第8話 キャラメルマキアート
「キャ、ラ、メ、ル、マ、キ、アート」
「キャラメルマキ……長ぇよ! なんの呪文だ」
駅前にあるカフェの二階。駅のロータリーが見下ろせる窓際のカウンター席に香月と並んで座って……俺は思わず、ツッコンでいた。
香月はキャラメルなんちゃらが入ったマグカップを大事そうに両手で包むようにして持ち、くすりと笑う。
「甘いんだよ」
わずかにマグカップに唇を当て、立ち上る湯気に吐息を紛れ込ませるように香月はそっと囁く。
そんな姿にもいちいちどぎまぎとしてしまって……そんな自分が、いい加減鬱陶しい。
俺はふいっと目を逸らし、
「甘いのとか……好きだったんだな」
ぶつくさ言ってから、ストローを咥えてアイスティーを一口飲む。
知らなかった……のが、なんか悔しい。まあ、隠していたんだろうけど。『カヅキ』だった頃は、俺の前でそんな仰々しい長い名前の飲み物なんて頼むことなんてなかったし、いつもファストフードとかファミレスとか、そんなとこばっかり行ってた。こんな落ち着いたカフェに二人で入るのも初めてで……こうして隣に座ってるだけで、そわそわしてくる。
ジャズなのか、なんなのか、聞き慣れない洋楽が耳障りにならない程度にかすかに流れ、コーヒーの芳ばしい香りがそこかしこに漂っている。でっかい豆電球みたいな照明がずらりと規則正しく天井から吊り下げられて、その下ではあたかも我が家のようにくつろぐオシャレな人たちがオシャレな飲み物を飲んでいる。そんな中、俺一人だけ浮いているような気がして仕方ない。この場でおそらく一番地味な格好のはずなのに、一番目立っているような。場違い感が半端ない。
とりあえず、端っこの角の席に座れてよかった。
香月に悟られないようにこっそりとため息ついて、目の前の窓へと目を向ける。
もう外は暗くなりつつあって、ロータリーを見下ろせば、街灯が灯り始めていた。ぐるりと弧を描く道路にはバスが一台停まり、タクシーや乗用車も何台か見受けられる。大通りとは逆側にある西口は、人気もさほどなく、物寂しいくらいだ。
そんな景色をぼんやり眺めながら、
「樹さん、もうすぐ来るって?」
訊ねると、隣ではっとする気配があって、
「今、向かってる、て。ごめんね。こんな時間まで付き合わせて。もう七時だもんね」
え、とぎくりとする。
「いや、別に」窓を見つめたまま頬杖ついて、咄嗟に言う。「俺も……暇だったし」
俺が香月と一緒にいたかっただけだから――なんて口が裂けても言えるわけもなく。もごもごと口ごもりながら適当にごまかすのでやっとだった。
結局、肉まんはやはり時期外れだったらしく、何軒か回っても見つからず、気づけば日も落ちていた。今日は諦めよう、という話になって、駅に送る、と言うと……香月は思い出したように言ってきたのだ。――今日は、樹さんが駅まで車で迎えに来ることになっている、と。
だから、一緒に待つことにして、せっかくならカフェにでも入ろう、と香月に誘われ、こんなところに迷い込んだんだが。
「道が混んでなければ、あと十五分くらいかな」
そう呟く声に、ずきりと胸が痛む。それを悟られたくなくて、「そっか」となんでもないふりして素っ気なく相槌打った。
あと十五分。全然、足りない……なんて思ってしまう。
前は名残惜しくなることもなかったんだけどな。またな、て言って帰るだけだった。
今は別れが迫ると焦る。何かしなきゃ……ていう気持ちに駆られる。何をしなきゃいけないのかも分からないのに……。
「夕方には終わる、て言ってたんだけど」と、ふいに香月が呟いた。「撮影、長引いたのかな」
「え、撮影!?」
思わず、ぎょっとして振り返っていた。香月は「どうしたの?」と言いたげにきょとんとしている。さも、俺が知っていて当然かのようなリアクションだが。
俺、聞いてねぇぞ!?
「樹さんもモデル……なのか!? 絢瀬みたいな?」
すると、香月はぱちくりと目を瞬かせてから、ハッとして「違う違う!」と慌てて手を横に振った。
「樹兄ちゃん、今、付き合っている人がいて……その人が大学で映像サークルに入ってて、よく手伝ってるんだ。今日もその手伝いで、近くで撮影してて……それで、ついでに迎えに来てくれる、ていう話になったの」
「ああ……」と言いつつ、よく分からない。「映像サークルって……つまり、何すんの?」
「ケーブルテレビでサークルの番組を流してる、て聞いた。映画撮ったり、アニメーション作ったり……してるのかな。私もよく知らないんだけど。今日はショートフィルムの撮影で、樹兄ちゃんは宇宙人役らしくて、全身タイツを着込んで行ったよ」
「ぜ……全身タイツ……!? なに……コメディ……?」
「さあ……」と香月は苦笑した。「樹兄ちゃん、彼女さんの言うことならなんでも聞いちゃうから。どんな役でも喜んで引き受けてるよ」
「一途な人……なんだな」
樹さんといえば、あのとっ散らかった部屋と、その部屋の使用料として香月から一時間千百円を徴収し続けてきたというなかなか横暴なイメージがあったから……彼女さんに尽くす健気な感じが、ちょっと意外だった。
感心したように言うと、しかし、香月は珍しくバツが悪そうに口元を歪めて、「どうだろ」と苦々しく呟いた。
「とにかく、モデルじゃないよ。いたってフツーの大学生」
「フツーの大学生は……全身タイツで出かけたりしないと思うけどな」
「あ」と香月はきょとんとしてから、「たしかに」とクスクス笑う。
それから、ふと表情を曇らせ、香月はマグカップに視線を落とした。そして、そっと唇を開くと、ぼんやり呟く。
「絢瀬さん……可愛かったな」
「は……?」
なぜ、急に絢瀬の話……!?




