第17話 自覚
「ごめんな、護」
護を見上げ、ぽつりとそう言うと、護は「え」と戸惑った声を漏らして、目を瞬かせた。
「何度も電話してくれて……そうやって、気にかけてくれてる人がいる、て分かって、救われてた気がする。あのときは、そういう自覚なかったけど……やっぱ、戻って来い、て言ってもらえて嬉しかった部分もあったと思う。必要とされてる感じがしてさ。うまく言えねぇけど……」
急に気恥ずかしくなって、口ごもってしまった。
「だから」とごまかすように咳払いして、俺も笑って見せた。きっと、護みたいにぎこちない感じになってるだろう、と自覚しながら。「護が謝ることはねぇよ。俺のほうが……大人気なかった。いや、まあ、子供だったんだけど……。でも、ホッケー辞めたのも、チームの皆と疎遠になったのも、俺の勝手で、護が責任感じることはねぇよ」
すると、護はしばらくぽかんと惚けてから、「そっか」と気が抜けた声を漏らした。その途端、緊張の糸がぷつりと切れるのが目に見えるように、へにゃりとしゃがみこみ、「良かった」と大きくため息ついた。
「ホッとしたわ。胸のつかえが取れた……てやつ? まだ胃が痛いけど」
冗談っぽく言いつつも、安堵したような表情で俺を見上げる護に、俺も……とはさすがに照れ臭すぎて言えず。俺はただ微苦笑しながら突っ立っていた。
「実はさ、俺もカブもまだホッケー続けてんだ」
ややあってから、護はゆっくりと立ち上がり、遠慮がちにそう切り出した。
「四谷ハーデスっていう高校生から社会人までのクラブでさ。今夜も、このあと、氷上練習があって……それで、カブと一緒にカラオケで時間潰してたんだ」
言いながら、ちらりと護は道路の向こうへ視線をやった。つられたように目をやると、道路を挟んだ向かいにあるこぢんまりとした飲み屋のトタン屋根を越えた先に、長方形の建物の頭がちらりと覗いている。
つい、この前、絢瀬と待ち合わせした場所。須加寺アイスアリーナだ。
そっか。護たちはまだあそこでホッケーやってるんだな。
懐かしいような、ホッとしたような、切ないような。むず痒い郷愁に駆られた。
「無理に、とは言わないけど……もし、またホッケーやりたくなったら来いよな」
ぽんと俺の肩を叩いて――プレッシャーを与えないように、と気を遣ったのだろう――軽い調子で護は言った。
昼下がりの陽の光に当てられた護の笑みは、爽やかそのもの。子供みたいに屈託無く、邪気も他意も感じられなくて。
あれから、護もいろいろあったんだろうけど……それでも、芯の部分は、あの頃の頼れるキャプテンのままなんだな、と思い知る。
だからこそ、余計に胸が苦しくなった。
なんで護なんだ、て思ってる自分がいる。
護は面倒見が良くて人望があって、皆、慕ってた。当時から俺らの中でずば抜けてしっかりしてて、香月もそんな護を信頼してた。
護ならきっと香月を傷つけるようなことはしない。それを俺は自信を持って言える。
だからこそ……どうしようもなく、遣る瀬なくなってくる。
護が香月を好きでいけない理由がない。それなのに、厭だ――なんて。
おかしいだろ。誰が香月を好きでも厭がる資格なんて俺にはないのに。なんで、こんなにむしゃくしゃするんだ。ただの友達なのに――。
「それで? 誰なんだよ、お前のカノジョ?」
「カノジョ……!?」
藪から棒に突然、訊かれ、俺は大げさなほどにぎくりとして聞き返してしまった。
俺にカノジョって……なんの話だ?
「『ラブリデイ』、お前もやってんだろ」
「ああ、『ラブリデイ』か。モナちゃんだよ」
訝しげに見つめられ、俺は必死に笑みを取り繕って答えていた。動揺に心臓が激しく波打って、身体中が震えるようで。それを、どうしても護には悟られたくなかった。
「モナちゃんって……ああ、メインの子? ピンクの髪の可愛い系? 甘え上手なタイプな」
「ちょっとしかやってなかった割に詳しいな」
「うるせ」
にっと笑ってそう悪態づいてから、護はひっそりとため息ついた。
そして、呟くようにこぼす。
「ツバサちゃんだったら、どう反応しようかと思ったわ」
その瞬間、胸を抉られるような痛みが走った。
ああ――と悟った。これは『ラブリデイ』の話じゃない。
「本当に何もない……んだよな? ただの友達?」
誰が……とも言わず。慎重に言葉を選ぶように、護はそう訊いてきた。疑るふうでもなく、脅す感じでもなく、ただ単純に確認するように。あの頃のままのぱっちりとした目を薄め、じっくりと観察するように俺を見つめて……。
重苦しい空気が漂い、じわじわと喉が締まっていくような息苦しさを覚えた。
俺はすっと息を吸い込み、
「ただの……友達だよ」
言ってすぐ、胸が潰されるような罪悪感が押し寄せてきた。
「そっか、よかった。せっかく仲直りしたってのに、今度は香月のことで揉めるとか御免だからさ」
強張っていた表情を緩め、照れ笑いを浮かべる護に、やっぱり、騙しているような――そんな後ろめたさを感じて、動かぬ証拠を突きつけられているようだった。
自覚するしかなかった。さっきのは嘘だ、て。
俺は香月のこと、ただの友達だ――なんて思ってない。
護と同じだ。俺も香月のこと、好きで……奪われたくない、なんて思ってる。
今度は香月のことで揉めるとか御免だからさ――何気なく漏らした護のその言葉が、今になって脅しのように胸に重く響き渡った。
最悪だ、と背筋が凍りつく。
「さて、そろそろ戻るか」
またぽんと俺の肩を叩いて、護が俺の横を通り過ぎ、カラオケボックスへと向かっていく。
「カブ、まだ香月とあそこで喋ってっかな」
心なしかウキウキとして楽しげなその声を、快く思えない自分がいて……心底、うんざりした。




