表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/112

第6話 ふにゃふにゃ

 シアターを出て、公開中の映画のポスターがずらりと壁に並ぶ廊下に出る。香月の姿を探しながら、売店があるほうへと向かっていくと――、


「あ……」


 すらりと細身の長身。艶やかな黒髪は男のように短く、白いうなじがあらわになって、照明に照らされ輝くよう。紺のミニ丈ワンピースからはほっそりとした手足が伸び、遠目からでもその後ろ姿はよく目立った。周りを行き交う客――主に、男――がちらちらと視線をやりながら、何度も振り返る様子が、端から見ていると滑稽なほどにあからさまに分かる。

 そういえば、今日は駅からずっと隣を歩いていたけど……男の視線なんて今まで意識したことなかったし、全く気づかなかった。

 そっか、この光景は変わらないんだな――なんて呑気に思ってしまった。

 男のフリをしているときもそうだった。カヅキが現れると、途端に注目が集まって、場の空気が変わった。辺り一面に白い薔薇でも咲き誇るような……そんな世界観に呑み込まれる。

 そうして決まって、その輝かんばかりの高貴なオーラに惹きつけられたかのように、オネーサン方がどこからともなく現れ、声をかけてきたんだった。それも変わらないな――と、つい苦笑してしまった。今は、声をかけてくるのが、オニーサンってだけで……。

 て、いや……待て。

 ナンパされてない!?

 ハッと我に返って、俺は慌てて香月のほうへ足早に向かった。

 襟足の長い赤々とした茶髪が目立つ、後ろ姿だけでもチャラそうな長身の男だった。香月が歩き出そうとするたび呼び止めているようで、香月は何度も迷惑そうに振り返っていた。その横顔は、見たことないほど冷めきっていて……逆ナンされてたときのカヅキとは大違いだった。懇切丁寧、真心と幻想こめて、オネーサンたちを優雅に躱していた『王子様』はそこにはなく――心底、うんざりしている様子だった。かといって、慌てるわけでもなく。冷淡なほどに落ち着いて対応しているその姿に、『慣れ』のようなものを感じた。

 ああ、そっか……と漠然と思った。これが香月の日常なのか。俺が見逃してきた香月の()()()()の日常――その一部が、ほんの少しだけ、見えた気がした。


「じゃあ、映画が見終わったあとでいいからさ」

「いえ。だから……友達と来てますし」

「その友達も一緒でいいよ」


 ようやく、そんな会話が聞こえるとこまで追いついたときだった。


「せめて、番号教えてよ」と男の手が、目の前で香月の肩に伸びるのが見えて、


「すみません!」思わず、二人の間に割って入るように飛び込んでいた。「俺の番号でいいっすか!?」

「は!? いきなりなんだ、お前?」


 ぎょっとして男は手を引っ込めて、嫌悪感もあらわに顔をしかめた。

 香月よりもずっと背の高い男を見上げなくてはならない屈辱はあれど。俺は香月を背にし、威勢だけはこれでもかと張って男を射るように睨みつけた。


「彼女の友達っす」と口元だけはへらっと笑って見せる。「一緒に遊んでくれるんすよね? あとで俺のケータイに連絡ください。LIMEでもなんでも教えるんで」


 語気を強め、含みを持たせてそんなことを言うと、男は「ああ、いや……いいわ」と何やら悟ったようにひきつり笑みを浮かべ、そろりと身を翻した。

 気のせいか、舌打ち交じりに「もさメガネ」と悪態のようなものを吐き捨てていったような気がしたが……とりあえず穏便に立ち去っていく男の背中を見送って、ホッと胸を撫で下ろした。

 やっぱ、カヅキみたいに爽やか『王子様』スマイルで、スマートに躱す――なんてわざは俺には無理だが、波風立てずにお引き取り願えたんだし、良しとしよう。


「――女の子のときも、お前は大変なんだな」


 意識すると、明らかだ。すれ違う男の視線が次から次へと俺を飛び越え、背後にいる香月へと飛んでくる。せめて、香月より背が高かったら、壁くらいにはなれただろうに……。


「香月のこと、ずっと男だと思ってたし、小六から『女友達』なんていたことなかったから……俺の中では、女子と二人で出かけるのなんて、これが生まれて初めてなんだ。だから……いろいろ分からないことばっかでさ」


 なんだか無性に情けなくなって、まるで懺悔でもするようにそんなことを口にしていた。いや、まさか……俺がうっかり飲み物買いに行かせてしまったがために、()()()()()になるとは思ってもいなかったし。


「とりあえず、女の子は一人にしないほうがいいんだな。――それは分かった。ごめん。これからは、ずっと傍にいるよ」決意を新たにするように深く息を吐き、俺はやおら振り返る。「また誰かにしつこくされたら、さっさと俺の番号渡しちゃっていいからさ。それで、香月があっさり逃げられるなら……て、どうした!?」

「え……?」


 振り返った先で、香月は熱でもあるかのように顔を赤らめ、ぼうっとしていた。目元はとろんとして、口元は緩んで……。


「なんか……ニヤけてねぇ?」


 疑るようにじっと見つめてそう訊ねると、香月は我に返ったようにハッとして、


「な……なんでもにゃい!」

 

 なんでもにゃい!? ――って、なんだ、そのふにゃふにゃな滑舌は?


「喉乾いちゃったなー。早く飲み物買いに行こ」


 はは、とごまかすように笑って歩き出す香月を、俺は心から不審に思って眺めていた。

 明らかに挙動不審だ。首まで赤くして、あたふたとしながら売店へ向かう足取りはカクカクと不自然に硬いし……全くもって、なんでもなくない。

 なんなんだ、香月のやつ。ナンパされて困ってたんじゃなかったのか? 心なしか、妙に嬉しそうなんだが。もしかして、俺の対処法がおもしろすぎて笑いを堪えてるとか……?

 なんにせよ。

 今まで聞いたことのない類の香月の『なんでもない』に、俺はただただ困惑して立ち尽くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ