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第7話 つまり

 そんなわけないだろ、て言葉が今にも口から飛び出しそうだった。

 女性恐怖症の原因はホッケーにあるわけじゃない。ホッケーの話を出来なくなったのは、逃げるようにチームを抜けた負い目と……きっと未練もあったからだと思う。とはいえ……ホッケーをやってたから絢瀬と出会って失恋したことも事実で。ホッケーのことを思い出そうとすれば、自ずと絢瀬のことも思い出す。それくらいには関連性はあって、直接的な原因ではないにしろ、無関係というわけでもないんだろう。

 でも、だからといって、ホッケーが嫌いになったわけでもないし……たとえ、ホッケーが嫌いだったとしても、香月がホッケーを始めたからって香月への気持ちが変わるわけもない。『大好きだ』と――激しい衝動のように込み上げてくるこの気持ちは、そんなことで揺らぐほど軽いものじゃないことくらいもう分かる。

 しかし……その香月が『何も言うな』と望んでいるんだ。『答え』はいらないから聞いて欲しい、と。

 それなら、俺はもう黙って聞くしかない――そう分かってはいるのだが。

 気落ちしたようにがっくりと肩を落とし、項垂れる彼女を前に、何もできずに黙って見ているだけというのは……まるで拷問のようで。不甲斐なさと歯痒さに身が焼かれるようだった。

 それでも、香月のためだ、と自分に言い聞かせ、俺はぐっと奥歯を噛み締め、堪えていた。

 そうして渋面を浮かべて見つめる先で、香月は大きく息を吸い、


「ずっと陸太くんに憧れてたんだ」と懐かしむように切り出した。「なかなかチームに馴染めない私に、当たり前のように付いててくれた。どんなに迷惑かけても、『友達だろ』の一言で解決できちゃう陸太くんをカッコいいと思った。そういう強引なくらいに真っ直ぐなところを男らしい、て思ったんだ」


 強引なくらい真っ直ぐって――それは、ただのバカなんじゃないだろうか、とも思いつつ、やはり、『カッコいい』なんて真正面からそんなに堂々と言われると気恥ずかしくて……それでいて、素直に嬉しくて。

 たちまち、ぐわあっと今にも湯気でもでそうなほどに顔が熱くなるのが分かった。

 そんな俺に気づいてもいないのだろう、香月は俯いたまま「私は――」と独り言のように続ける。


「そんな陸太くんと仲良くなりたかった。陸太くんに近づきたくて、『男』らしくなろうとして……そしたらもっと近づきたくなって、『女の子』に戻りたくなった。

 でも、ようやく女に戻れたと思ったら、陸太の傍には絢瀬さんがいて、一緒に『ラブリデイ』やってる、て知った。私はもうモナちゃんと話もさせてもらえなくなっちゃったのに……絢瀬さんはやっぱり特別なんだな、て思い知った気がして。このまま、女性恐怖症が治ったら、どうなるんだろう……て怖くなった。絢瀬さんだけじゃない。もっといろんな女の子とも陸太は仲良くなっていくんだな、て思ったら不安でたまらなくなった。そんなときに、ホッケーを始めたら――これ以上、陸太との距離が開いたら、今の関係さえ終わっちゃうんじゃないか、て思った」

 

 そう語る声は徐々に熱がこもっていって、今にも涙声に変わるんじゃないか、とさえ思えた。

 でも……「だから」と顔を上げた香月はニッと微笑んだ。ドジでもして照れる子供みたいに――。

 そして、清々しいほどはっきりと言い放った。


「いっそのこと、陸太にフラれちゃおう、と思って来たんだ」

「なん……!?」


 思わず、素っ頓狂な声が飛び出していた。慌てて口を閉じるが、『なんでだよ!?』としっかり顔に書いてあったのだろう、「だって」と香月は唇を尖らせ、いじけたように答えた。


「カラオケボックスでも、カフェでも、はっきり『友達』って言われたし。それに……絢瀬さんと会って思い知ったから。やっぱり、陸太はモナちゃんみたいな女の子らしい子が好きなんだな、て。私はミリヤ先輩で……モナちゃんみたいにはなれそうにもないから……陸太のタイプじゃないんだろうな、て諦めてた」


 ああ、それで、さっきも『モナちゃん』とか『フラれる』とか言ってたのか――て、いや……ちょっと待て!?

 なんなんだ、これ?

 さっきから、この話はどこに向かっているんだ? 黙って聞いてほしい、と言われたからその通りにしてきたけど、香月は何を言わんとしているんだ? 俺に何を伝えようとしてる?

 ざわざわとした……胸騒ぎとはまた違う、熱く滾るような何かが鳩尾の奥で燻っているのを感じていた。期待――と呼ぶにふさわしいそれは、今にも爆発してしまいそうで怖いくらいで……抑え込むのに必死だった。

 だって、自分が俺のタイプじゃないと思って『フラれる』と思ってた、て……そんなの、まるで――。


「あそこのリンクには陸太との思い出が詰まってる。だから……このまま、あそこのリンクに戻っても、私はきっと陸太の姿を探しちゃう。身体に染み付いた癖みたいに」


 頰を赤らめながらそう言うと、香月はじんわりと再び潤み始めた瞳で俺をじっと見つめてきた。明らかに友達を見るようなそれとは違う、狂おしいほどに切なげな眼差しで……。


「それで……きっと、寂しくなる。陸太はもう傍にはいてくれないんだな、て思い知って……プレーどころじゃなくなる。――そんなのは嫌だったんだ。そんな中途半端にホッケーをやりたくなかった。だから、陸太としっかりケリをつけて、全部、思い出にしてから、リンクに戻ろう、て思ったんだ」


 そう言うと香月は満足げに深く息を吐き、「そんなわけで」とちろりと視線を逸らして、今度はバツが悪そうに微苦笑を浮かべた。


「いっそのこと、陸太としてみたかったこと、全部やってからフラれよう、て思って……授業サボって押し掛けたんだ。一緒に下校したり、陸太の部屋に遊びに来るの……夢だったから。最後くらい甘えてもバチは当たらないかな、て思って……。スカートも膝上二十センチにして、気合い入れて来た」


 ぼそっと漏らした最後の言葉に、「は……?」と一瞬、思考が止まった。

 今、何を言った? いきなり、妙な数字が出てきたような……?

 ぽかんとしていると、香月は「あれ」とでも言いたげに不思議そうに俺を見てきて、


「好きなセーラー服のスカート丈、膝上二十センチ……じゃなかった?」

「どわあ……!? お前……だから、そういうことは言うなって――!」


 言いかけ、はたりと言葉を切る。

 いや、違う。もう、そこじゃないだろ、と心の中で自分にツッコんでいた。

 俺の小っ恥ずかしい性癖なんて、いくら口に出されようと、今さらどうでもいいだろ。

 そんなことより――と、ゴクリと生唾を飲み込む。

 胸の奥で強く波打つ心臓を感じていた。一つ一つゆっくりと、それは重く低く鳴り響いていた。まるで俺を急すかのように、身体の内側から拳でも叩きつけられているような気分だった。

 じわじわと身体が熱くなっていって……熱に浮かされているかのような、浮遊感にも似た不思議な高揚感を覚えていた。夢心地とでも呼べばいいのか。白昼夢でも見ているような。頭の中がぼうっとしていた。

 そうして朦朧とするまま、つまり――と考えていた。

 つまり、香月は護に告られたわけじゃなくて。俺に会いに来たのは、ホッケーをまた始める、て報告を俺にしに来ただけで。

 そもそも、今日、わざわざセーラー服姿で校門で待ち構えていたのも、俺の部屋に『肉まん食べたい』なんて嘘吐いてまでやってきたのも……全部、俺にフラれようとしたからで。

 だから……つまり……とオーバーヒート状態の頭でぐるぐると考えているうちに、「だから……つまり――」と無意識にそのまま口に出ていた。


 すると、クスッと笑う声がして、


「つまり……私もいい友達なんかじゃない、てこと」


 その瞬間、心臓がひときわ大きく鼓動を打つのを感じた。一瞬にして靄が晴れるかのように、頭の中に渦巻いていた疑念や戸惑いが吹き飛んだようだった。

 ハッと我に返れば、香月が床に手をつき身を屈めるようにして、俺の顔を覗き込んでいた。


「ホッケー辞めてからも男のフリを続けたのは、ただ陸太の傍にいたかったから。陸太の女性恐怖症を治したかったのも、私が陸太に触りたかったから。顔色が悪い陸太を合コンから連れ出したのも、他の女の子に触られるのが嫌で()()()だけ」


 淡々とただ事実を述べるようにそう言ってから、ふいに、不安げに表情を曇らせ、香月は「それでも……」と躊躇うように声を詰まらせた。


「それでも……さっき言ってくれたこと、変わらない? まだ……今ならまだ、友達に戻れるよ」


 なにを……と呆気にとられてから――思わず、鼻で笑っていた。

 悠然と余裕に満ち溢れた『王子様』の影も形もない。自信無げで、心細そうで、今にも泣き出しそうで。潤んだ瞳で縋るように見つめながら、それでも言葉だけは強がってそんな確認をしてくる。その姿は健気でいじらしく、たまらなく愛おしくて。

 もう友達には戻れねぇわ、て一層強く思うだけだった。


「そういうことを……そんなつらそうに言うなよな」苦笑まじりに言って、俺は改めて香月をまっすぐに見つめてはっきり言った。「俺はもうお前と友達に戻る気はねぇよ」


 その途端、香月の頰は色づき、見開かれた瞳は煌々と輝き、表情が一瞬にして華やぐのが分かった。緩んだ唇からはふわりと柔らかな笑みが溢れ、たちまち部屋中が安堵感に満ちるようだった。

 その空気を吸うだけで、胸の中が満たされるような気分になる。

 もう香月と見つめ合っても息が詰まることはなくて。どうしたらいいのか分からなくなるような、居心地の悪さもない。

 ここにいていいんだ、という安心感が自信となって湧いてくるようで。香月の傍にいるだけで()()()()くるような充足感を覚えて、沈黙さえも心地よく思える。

 これが幸せ――てことなんだろうか、と思って自然と顔がほころんでいた。

 そうして、その瞬間を噛みしめるようにお互い黙り込んでから、やがて、香月は今にも涙がこぼれ落ちそうな瞳を嬉しそうに細め、悪戯っぽく笑って言った。


「じゃあ、絶交しよっか。陸太くん」

「ぜ……!?」

  

 絶交……!?

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― 新着の感想 ―
[良い点] ラストで「だからなんでそうなる!?」と思いましたが……これは、ひとつの儀式なんですね。カヅキとの。切ねぇ。
2021/07/18 12:43 退会済み
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