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第14話 おめでとう

 そういえば……そうか。端から見てたら、俺が通りすがりの女子高生にぶつかったとしか思わないよな。

 分かるわけがない。実はその女子高生が俺を待ち伏せしていた友達で、しかも『香月』だなんて……。たとえ、どんなに俺が親しげに話してても、まさか、この子が例の幼馴染だなんて思うはずもないだろう。

 俺だって今は信じられなくらいなんだ。セーラー服姿を目の前にしたらなおさら……。

 百聞は一見にしかず……というより、もはや知らぬが仏というか。事実を知った小鶴さんの反応を想像すると恐ろしいくらいだが、


「知り合いっていうか、実は……」覚悟を決めるように息を吸い、俺はゆっくりと小鶴さんに振り返りながら口火を切る。「こいつが、カヅ――」

「櫻です。櫻香月。笠原くんとは子供のころから友達で、幼馴染なんです」


 言いかけた俺の言葉を容赦なく遮って、香月がさらりとあっけなく自己紹介。

 あ、と俺が声を出す間もなく、「カヅキ?」と小鶴さんがぼんやり呟いて、柔らかそうな髪をふわりと揺らして小首を傾げた。そうして若干の間があってから、「男の子みたいな名前……」とまるで何かに取り憑かれたかのようにひとりごちり――、


「うえええ……!?」


 もはや、想像通りというか、覚悟していた通りというか。いつものんびり穏やかな小鶴さんのものとは思えない、野太い声が辺りに響き渡った。


「そ……その子? その子が……!?」


 あたふたと取り乱しながら、小鶴さんは香月を頭からつま先まで何度も見回し、それからぎろりと鋭い目で俺をねめつけてきた。


「なんで!?」


 いやあ、もう……その一言に凝縮されるよなぁ、と俺はしみじみ思って、返す言葉もなかった。

 もういっそのこと、滝にでも打たれに行きたいくらいの心地だ。


「全然……全然、イメージと違うんだけど!?」とすっかり動転して、小鶴さんはあわあわと今にも飛び立たん勢いで両手をはためかせた。「マッチョじゃないじゃん!」

「いや……マッチョって!? さっき、そういう感じじゃないって言ったはずじゃ……」

「もっとこう……西郷隆盛みたいな女の子を想像してたのに!」

「そんな子いるの!?」


 そもそも、西郷隆盛ってマッチョだったっけ? って、いや――今は、そんなのどうでもいい。


「香月!」思い出したように慌てて俺は香月に振り返り、「違うからな!? 俺、お前のこと西郷隆盛に似てるとか言ったこと――」


 言いかけた言葉は、ぶつりと途切れた。

 振り返った先で、香月は不満げにふくれっ面を浮かべている――わけでもなく、じっと俺を見据えて、唇の力を抜くようにわずかにふっと微笑んだ。


「私の話、してくれてるんだ」


 ぽつりと零したその声は、厭そうでもなく、怒っている風でもなかった。かといって、喜んでいる感じでもなく、嬉しそうでもない。

 ただ、落ち着いていた。

 いたって穏やかで、安堵しているようにさえ聞こえて……それなのに、なんなんだろう、ぞくりとするような不穏な気配があって、俺は何も言えなくなった。

 そんな俺をまるで優しく赦すように慈愛に満ちた眼差しを浮かべ、「クラスの人?」と香月は小首を傾げる。


「あ……ああ」そうだった、と気づいて、気を取り直して小鶴さんに一瞥をくれる。「そう。同じクラスで隣の席の小鶴さん」

「隣の席なんだ」


 そっか、と小鶴さんを見つめて相槌打つ香月の表情は、やっぱり穏やかだが……何か胸に迫るような物寂しさがあった。

 いつもの余裕とはまた違う落ち着きがあって。今日の香月は、隣にいても安心なんてしなくて、不安ばかりが募るようだった。

 それ以上香月も何か言うわけでもなく、俺もなんと声をかければいいのかも分からず、いつの間にか小鶴さんも黙り込んでいて、気づけば辺りには張り詰めた空気だけが漂っていた。

 やがて、小鶴さんが何かを察したように「あ……」と弱々しい声を漏らし、


「えっと……ごめんなさい、私、余計なこと言っちゃったかも。なんかほんと意外すぎて、つい興奮しちゃって。あの……そうそう、笠原くんが櫻さんのこと、マッチョだとか言ってたんじゃないから。私が勝手に想像してただけだから。櫻さん、ほんとごめんね! 忘れて〜」


 心底申し訳なさそうに両手を合わせて必死に謝り倒すや、小鶴さんは香月の返事も待たずに、「私、歯医者あるんだった!」と不自然極まりなく唐突に身を翻した。そうして、「それじゃ、また明日ね、笠原くん!」と何やら思わせぶりににんまり笑って脱兎のごとくダッシュ。

 俺たちは戸惑いの声すらあげる暇もなく。

 大通りへ向かって歩道を駆け、小さくなっていくその背中を見つめ、相変わらず、嵐のような人だなあ、と呆気に取られて佇んだ。

 そうして、狐につままれたような……そんな間があってから、


「明るくて楽しそうな人だね。菜乃っぽいかも」と香月がクスリと笑うのが聞こえて、「本当はね……さっきも、陸太と小鶴さんが話してるの、聞こえてたんだ」


 え――と弾かれたように振り返る。

 いきなり、何の話……?

 

「さっき、て……?」とおずおずと訊ねると、

「驚かそうと思って隠れてたとき。小鶴さんと、写真がどうの、て陸太が話してるのが聞こえた」

 

 思わず、ぎくりとした。

 そういえば……香月とぶつかる直前、俺は小鶴さんと思いっきり香月の話をしていたんだ。十年も俺が男だと思い込んでいた女の子を見てみたい、と小鶴さんに香月の写真をせがまれ、もう少しでビデオ通話までさせられそうな流れになって……それで俺は逃げるように校門から飛び出し、香月と激突したんだ。


「き……聞こえてたのか!?」


 ぐわっと熱がこみ上げてきて、顔が赤くなるのが分かった。

 どこから、どこまでだ……!?

 いや、まさか。『大好きだ』とかあの辺は、昇降口を出てすぐだったし、聞こえてるわけはないと思うけど……確信があるわけではない。

 何を聞かれたのか、と途端に狼狽えまくる俺をよそに――そんな俺に目もくれず、香月は遥か遠くでも眺めるように前を見つめておもむろに口を開く。


「陸太の声だ、てすぐに気づいた。ちゃんと分かったのに……動けなかった。姿が見えるまで信じられなかった。女の子と楽しそうに話してるその声が――陸太なはずない、て思ったんだ」


 自嘲気味に笑ってそう呟いた声は、そよ風にさえかき消されてしまいそうなほどにか細く頼りなくて……聞いているだけで、胸が張り裂けそうだった。

 もう無理だ、と思った。これ以上、我慢できそうになかった。こんな香月を横目に、呑気に場所を変えていられるわけがない。

 俺は香月のほうへ体を向けると、


「おい、香月。どうし……」


 どうしたんだよ――て、問い質そうとしたときだった。


「絢瀬さんだけ……じゃないんだね。もう大丈夫なんだ」噛みしめるようにそう言って、香月はこちらに振り返り、にこりと微笑んだ。「女性恐怖症、克服できたんだね。おめでとう、陸太」

「は……」


 いや、おめでとう、て……いきなり? てか、どういうタイミングだ……!?


「ありが……え?」


 素直に、ありがとう、と言えるわけもなく、言葉に詰まった。

 たしかに……絢瀬はもちろん、小鶴さんとももう普通に話せるし、他の女子相手でも吃ったりキョドったりすることもない。話しかけられても動悸がすることもないし、きっと、身体がぶつかっても、前みたいにパニクることもないだろうと思う。

 それよりも今は……こうして香月の傍にいるほうがずっと緊張する。会えると、喜びに打ち震えるみたいに心臓が激しく鳴り響いて、苦しいくらいで。見つめられるだけで、恥ずかしくて顔がむず痒くなってくる。もし、ほんの少しでも手が触れたら、どうなるか分かったもんじゃない。

 この前の合コンの時、俺が香月に触れるようにこれからいろいろ試していこう、と香月は言ってくれたけど……違う。


 そうだ。女性恐怖症なんてもう治ってる。今は君に触れたくてたまらなくて、怖いくらいなんだ。


 ――なんて口に出せるはずもなく、ぐっと唇を引き結んで見つめる先で、香月はすうっと息を吸い、「それでね」とさっきとは違って清々しくも思える涼やかな声で言う。


「私、陸太に……言わなきゃいけないことがあるんだ」

 

 言わなきゃいけないこと――。

 油断してたところに、心臓を一突きされたようだった。

 それは、今日一日、朝から俺がずっと恐れていた一言で……。

 全身から血の気が引いて、息が止まる。緊張が身体中に絡みついてきて、まるで金縛りにでもあったみたいに硬直した。

 そんな俺をなんの躊躇いもなくその澄んだ瞳に映し込み、香月は「だから……」とため息混じりにふわりと微笑んだ。


「肉まん、食べに行っていい?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ????? 香月ちゃんが何考えてんのかさっぱりワカラネーッス。 こないだから更新のたびにドキドキヒヤヒヤしています。笑
2021/07/04 13:35 退会済み
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