行ってきます
爽やかな朝、外では雀がチュンチュン鳴いている。
ピンポーン!
ソファで腹を出してだらしなく寝ている達郎、傍らのダンボール箱にはスーパーの白いビニール袋で作った簡易オムツを穿いたサトシが、こちらも腹を出して大の字で気持ちよさそうに寝ている。
ピンポーン!
もぞもぞ動きはするものの起きる様子のない達郎。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!
「ああああ~……ったく、誰だよ……。」
ふらつきながらも玄関へ向かいのぞき穴を確認する。
「間に合ってます。」
「たつ坊!間に合ってるって何よ、開けてよ。」
ピンポンピンポーン!
ガチャ
「よっ、たつ坊。 おっはー」
「何だよッ」
「ゴリちゃん元気?」
「寝てるッ!」
「昨日は友達と盛り上がっちゃってさ~、帰り遅くなっちゃった、てへっ。
帰りに寄ったんだけど電気が消えてたから明日でいいかって思って今来たの。」
と袋を差し出す厚子。
「ゴリちゃんのミルクとバナナとりんご、あと朝食でつくったやつのあまりもの、たつ坊が食べて。」
「あ……」
「今日ゴリちゃん動物園に連れて行くのよね? さみしいな~。最後にもう一度会ってお別れしたいとこだけど遅れそうだからもう行かなきゃ。」
「ああ……」
「ゴリちゃんによろしくね、じゃあ行ってきまーす。」
「……ああ……」
あくびをして頭をポリポリかきながら部屋に戻る達郎、するとそこには座卓に掴み立ちをするサトシの後ろ姿が見えた。ただ机をじ―っと見ながら、体は力みでプルプル震えている。傍には脱げた手作りビニールオムツが落ちている。
達郎は固まったまま無表情でそれをじっと見ていた。
ポロッ、ポロッっとうんこが落ちる
達郎はそれを無感情でただただ見ていた。
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真昼の太陽がまぶしい、単車を走らせる達郎と背中のリュックに入れられて顔だけのぞかせるサトシ、風が気持ちよさそうだ。
顎山動物園に着くと、近くに居た清掃中のおじさんが事務室へ案内してくれた。
「どうぞおかけになって、担当の者を今呼んできますから。」
「は、はい。」
ちょっと緊張している達郎、サトシを膝上にのせて待つ。
「あら、かわいい。」
ニコニコとした気のよさそうなおばあさんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「どうぞ、お飲みになって。」
「あ、ありがとうございます。いただきます……。」
「かわいいおサルさん。」
「ははっ……;」
シーン――
暫くして、作業服の中年男性2人が部屋に入ってきた。
「お待たせしましたすみませんー、担当の木ノ下と言いますー。」
1人が帽子を脱いで軽くお辞儀してくれた。
思わず立つ達郎。
「こんにちわ鶴田達朗というものです」
もう一人のメガネの男性は無言で立っている。
「電話で話していたゴリラの赤ちゃんとは、この子の事ですか。」
「はい」
「ちょっといいですか」
サトシを抱き上げ、何かを確認するように色々な角度から見ていた木ノ下さんの表情が険しくなった。
「ん~……これは……、ゴリラではないですね。」
「え?」
「ん~何やろうこれは~。ん~今まで色々な動物を見てきましたけどね、こんな生き物は初めてですわ。」
木ノ下が申し訳なさそうに
「すいません、うちではちょっと引き取れませんね。」
「そうですか……」
「はいー、生態系がわからないとなる
「木ノ下さん、ちょっと……」
メガネの男が木ノ下さんを離れた所に呼んだ。ヒソヒソと何かを話している。
達郎はサトシを持ち上げ色々な角度から見る。
「サトシ、おまえゴリラじゃねえんだってよ、いったい何なんだよお前わ。」
つぶらな瞳で無邪気に達郎を見つめるだけのサトシ。
メガネとの話が終わった木ノ下さんが達郎の所に戻ってきた。
「すみませんー、お引き取り出来ると思いますー。私達が責任をもって大事にお預かりいたしますー。」
「そうですか~、良かった。」
「上に話して必要な書類などを持ってきますので、ここでしばらくお待ち頂けますかー。」
「はい!」
2人の男は部屋を出て行った。
「よかったな~サトシ、友達いっぱいできるといいな。よかったよかった。」
「ふん~ふんふふん~、ふん~ふん~ふん~ふん~♪」
待っている間、膝上に対面で座らせたサトシの両手を握り、踊らせて遊ぶ達郎。
そこへ先程の気の良さそうなおばあさんがまたやってきた。
人の気配を感じたサトシが頭だけ振り向きおばあさんの顔をた。
「おかわりをどうぞ」 ニコニコして茶瓶をもって立っている。
まだ湯飲みには半分以上飲み残していたのだが、そこへさらにお茶を注いでくれたお陰で今にも溢れそうだ。
「ありがとうございます。
アチッ!! おいしい!アチ!」
サトシはずっとおばあさんの顔を見ている。真剣に。
「かわいいわねぇ、おサルさん。」
「はい。そうですね。」
「こっちへいらっしゃい。」
おばあさんが両手を差し出すが、サトシはおばあさんの顔をただじっと見ていてピクリとも動かない。
おばあさんはニコニコで手を差し出したまま、それをサトシはただただ見る。
いたたまれなくなった達郎はおばあさんにサトシを差し出した。
サトシを抱っこして満足そうなおばあさん。
「お手洗いはここを出たら右に曲がって突き当りを左に歩いて六メートルほどを進んだ所を左に曲がりそこから3番目の曲がり角を右に曲がった所にあるわ。」
「はい……」??
「今のうちに行ってらっしゃい。」
「えっと……じゃ、行って、きます……」
別にまだしたくはないけれど、このままおばあさんと2人で待つのも気まずいと思った達郎はトイレに行くことにした。
* * *
「たしかここから3番目の角を……」
達郎が建物内をうろうろしていると、近くの部屋から数人の男達が何かを話しているのが聞こえてきた。
「……絶対話題になりますって。世紀の大発見ですもん」
「ミーチューブで配信して注目を集めれば、生で見たいと全世界から客がやって来るかもな」
「芸とかも教えましょうよ」
「そしたらがっぽがっぽ儲かって俺達の懐もウハウハってか、がははは」
「木ノ下、書類は出来たか?」
「もうちょっとでできますわ」
「後で色々面倒な事にならない様に細かい事までキチンと書くんだぞ」
「わかってますー」
「俺ずっとリムジン欲しいと思てっいたんですよー、一番長いやつ」
「お前は気が早い」
「がはははは!」
部屋の外で達郎はこっそり聴いていた。
「……じさん?おじさん!」
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「達郎おじさん!!」
腕組でドアの枠にもたれかかったまま意識が過去に飛んでいる達郎、サトシが肩をゆすって呼び掛けてもなかなか戻ってこない。
しかたなくサトシは達郎の肩に少し強めのパンチをお見舞いした。
「おじさんゴメン。」
物凄い衝撃と音が鳴り、達郎の上半身は後ろに反り曲がり、そのまま後頭部から床に激突し、サングラスは飛んで行った。
「ぐはあっ。」
自分でやったにもかかわらず、あまりの衝撃にびっくりするサトシ。
「達郎おじさん!!ウホウホホ!?(大丈夫!?)」
「だ、大丈夫だ。」
太く腫れた肩を押さえながら、何とか上体を起こす達郎。
「ウホー!血が出てる!」
床に叩きつけられたときに顔を打ったせいだ。
「ほっとけ、これくらいどうってことない……」
心配して触ろうとするサトシの手を払いのける達郎。自らの腕で鼻血と唇の端から垂れた血を拭い去る。
「よかった、ウホ!おじさん、これ見て」
サトシは達郎の目の前に股間を向け、締めた赤い褌を強調する。
サトシは普段は何も身につけないが、高校に通うとなると服を着ないといけない、しかし体格がゴリラなのでサイズの合う服がなく、しかたなく赤い褌を締める事になったのだ。
「自分で締めたのか……」
「ウホ!」
「よく、似合っている」
「ウホホありがとう、俺、高校、行ってくるウホウホウホホ―」
サトシはウキウキで部屋を飛び出して行く。
達郎は尻もちを付いたまま、サトシの背中を感慨深げに見つめていた。
「行ってこい……」