第8話 〜「宿泊」について〜
「えっ? ちょっとウルス、この人なんて言ってるの?」
「『姉ちゃん泊まる部屋ないんだろ?』…って言ってるね」
「え、それってもしかして…!」
「ちょっと僕からも話してみるよ」
「Que haveaz anga wenti ?(何か私たちに用でしょうか?)」
「An ? Des az , haveal dui ed !(ア? お前じゃねえよ、姉ちゃんの方に言ってるんだ)」
「Deocalun shadenaz Elgein , son dicci shadenaleus.(彼女は標準語を喋ることができないので、代わりに僕が話しているんです)」
「Ah son bico dentoaz dui ed , “Celen dumaz duo asna domin ! ” (あー、それなら姉ちゃんにこう伝えてくれ、「俺の家に泊まりな!」ってな!)」
「Quene domeaz eal ? Suz ibaloaz kinde ! Fula.(僕たちを泊めてくれるんですか? とても親切ですね、助かります)」
「Nh ? Que shadenasai ad ? Shadenasai dui ed ! Deodumalai dui az !(ンー? 俺はんなこと言ってねえぞ? 俺は彼女に泊まれって言っただ! お前は泊めねえよ!)」
「Na… Ibalad juh seloi , Deocelen nin dumedio fas deocalun shadenaz ed .(なっ… それは困ります、言葉もわからない彼女を一人で泊まらせるだなんてできませんよ)」
「なんだか凄い盛り上がってるけど…一体なんの話をしてるの…?」
声を荒げる男を前にして、ウルスの表情も固いものになっているの目に見えてわかる。
ウルスの言葉は柔らかい口調を維持しているように聞こえるけど、どこか鋭さを帯びているようにも聞こえてきた。
「Keh ! So ul shaus naatad ! Aboul !(ケッ! それならこの話はなしだ!あばよ!)」
「Fula dui ealna konsut , alnaad.(私たちへ手を差し伸べようとして下されたことに感謝いたします、どうかお気をつけてお帰りください)」
話の見えないまま傍観しているうちに、男は赤い顔をふいと後ろにやって宿を出ていってしまった。
何があったんだろう。
「なんか帰っちゃったけど…あの人はなんて言ってたの?」
「んー…どうやら二人は泊める余裕はないっぽいね、結局断られちゃった」
「えー、せっかく助かったと思ったのに…」
「しょうがないよ、今日はもう野宿するしかない」
「嫌だけどこれ以上宿を探す気力はもうないし… はあ、しょうがない…今日はテントで寝るしかないかー…」
「ここからテルニアまでは20日は歩かないといけないし、それまでに野宿はどうせ何度かしないといけなくなる。だから、いまのうちに慣れておいた方が後々楽だよ」
「そうね、今日は我慢…」
落ち込んでいてもしょうがない。
ベッドで寝ることができないとわかった以上、今はとにかく、どこでもいいから体を休める必要がある。
いい加減思い悩むことすら疲れてきた、もうテントでもなんでもいいから早く横になりたい…
「じゃあテントを置けそうな場所を探しにいこうか」
「うん」
重い体を奮い立たせ、私はウルスについて宿から出ようとした。
その時、宿のドアが内側に開かれた。
メガネをかけた老人…おじいさんが私たちの前に現れ、宿へとのっそりと入ってくる。
そのおじいさんが私たちを目にした瞬間、シワだらけの瞼をくっきりと見開き始めた。
それは外を歩いていた村人が私に向けていたものとは少し違う…珍しいものを見るというよりも、恐ろしいものを見るときの目だった。
「…Quene ibalaz Izel nah ?(…あなたはイゼルの者ですね?)」
どうやら私に言っているのではないらしい。その証拠に、見開かれた目はさっきから私ではなく、ウルスへと向けられている。
ウルスは凛々しい表情を携えつつ、老人の言葉に短く返した。
「Que alrtah shaden ?(何の話でしょうか)」
「Azna guei philoh , dhia voro...... Ibalaz ven Izel(あなた様のその銀色の髪にに赤い瞳......イゼルのお方に違いありますまい」
「......」
「Dui adoloh ibalidai gos, ulga dui Izel …(普通のお人であっても無礼なことなのに、まさかイゼルのお方であったとは…)」
「Que heveazai anga ?(どうされました?)」
「…Alna magi van dolidi , hen funa…(…私の孫がとんだ無礼を働いて、非常に申し訳ありません…)」
おじいさんは低い声でそう言うと開きっぱなしのドアの後ろを指差した。
その指の先にには、見覚えのある男の姿が見えた。
「あれって、さっきの人?」
「Ol bi tatoedeus , que azna magi ?(あそこに立っている男の人が、あなたのお孫さんですか?)」
「Sei, oufa hilkalaieus suld. (はい、外から全て聞いておりました)」
「Bud deohaveaz bi hil fulaz dui al.(あなたが謝る必要はありませんよ)」
「Ya, uld alna pulut deogosad, nei ! Gido fulaz da !(いえ、それでは私の気が済みませぬ。おい! お前からも謝るんだ!)」
どうやら怒っている感じの口調をおじさんが後ろに立っている男に向けると、その男がこちらへと申し訳なさそうに歩いてきて、こう言った。
「Fulal…」
「…えーと、なんて言ってるのこの人?」
「『ごめんなさい』だってさ」
「あ、そうなんだ…なんで謝られてるのか私はイマイチよくわからないけど」
すると、おじさんが再び口を開いて異世界の言葉をつらつらと喋り始めた。
ウルスもそれに対応して何かを喋っていたけれど、何もわからない私はただ二人の会話を近くで傍観し続けた。
「イゼルの方よ、どうか我が孫にお慈悲をお示し下さい。まさかこの村にイゼルの方がお越し下さるだなんて夢にも想像していなかったのでございます」
「別に気にしてないですよ。こちらが何か危害を加えられた訳でもありませんので」
「しかし、孫が無礼を働いてしまったことは事実でございます… 先ほどのお話からすると、あなた方お二人は泊まるお部屋をお持ちでないように思われますが、そのようでいらっしゃるのでしょうか?」
「はい、ちょうど部屋が埋まっているとのことなので、今日は村の外にテントを張ろうかと考えておりました」
「そんな、イゼルの方が我が村に足を運ばれたというのに野宿をさせるなど、村の名誉に関わることです。どうぞ孫のしでかした無礼のお詫びとして、我が家にお泊まり下さい。このようなことで償える罪ではないかもしれませんが、もしお許しいただけるならぜひともお泊まり頂きたい…」
顎に生えた長い髭を地面に垂らすようにして、おじさんは深く頭を下げた。
この状況を何一つ理解していない私は、ウルスに問いかけた。
「このおじさんはなんて言ってたの?」
するとウルスはこちらに顔を向けて、
「結論から言うと、今日部屋に泊まれることになったよ」
とあっさり言った。
「え? なんて?」
「だから部屋に泊まれるってさ」
「どうして?」
「このおじさんが泊まらしてくれるんだって」
「…それ本当?」
「本当だよ」
なんの成り行きでこうなったのかわからないけど、とりあえず今私が言えることは一つだった。
「やったあ!!」
ベッドに勢いよく飛び込んで全身を伸ばす私の姿が脳内に浮かび、心は有頂天を駆け抜けた。
重かった体が一瞬にして軽くなった。
まだ横になっていないのに、全身から疲れが一気に消えていくようだった。
「やった!やった!やった!」
「イゼルのお方、こちらのお嬢様方はいったい…」
「気にしないで下さい、異国の言葉で喜びを表しているだけです」
「左様でございますか、それならばイゼルのお方も我が家にお泊まりいただけるということでしょうか?」
「ええ、ぜひともお部屋を借りさせていたただきたいです」
「かしこまりました、心よりおもてなしいたしますので、どうかこれを以って償いとさせていただきたい…おいリグ! おふた方のお荷物をお持ちしなさい!」
「わ、わかったよおじさん」
リグと言われた赤ら顔…さっきまではその顔に青色が混じっていた男は、ことなきを得たのか今度は安心さを滲ませた表情でウルスの荷物を担おうと近づいてきた。
「旦那、さあ私に背中のお荷物をお預け下さい」
「大丈夫ですよリグさん、扱いの難しい薬品も中に入っておりますので自分で持っていきます」
「そ、そうですか…そちらのお嬢ちゃ…お嬢さんの方は?」
リグは赤ら顔を智子の方へと向けた。
「ん? 私がどうかした?」
「このお兄さんが荷物を運んであげるんだって」
「あ、そうなの? じゃあお願いするねっ!」
智子は背中に背負いこんでいたスクールバッグを肩から外し、顔の赤い男へと手渡した。
「なんだかお家に泊めてもらう上に荷物で持たせちゃって…なんでそこまでしてくれるのか分からないけど…ありがとね!」
リグは聞いたことのない言葉の羅列を受け、困惑した表情でバッグを両手に抱えていた。
「旦那、こちらのお嬢さんは一体なんと?」
「『ありがとう』って言ってますよ」
「そ、そうですか…ヘヘッ、とんでもない」
リグは赤い顔をさらに赤くさせて上気な声を出した。
「では、早速我が家へまいりますのでイゼルのお方よ、こちらへどうぞ」
老人が先導して道を歩き、ウルス、智子、赤ら顔のリグを引き連れる形で家へと向かい始めた。
その道の先に安楽の場を見出していた智子は、村の夜を払うかのように一際顔を輝かせて歩いていた。