第3話 〜「出会い」について〜
「じゃあ、ここは本当に別の世界なのね?」
「そうだね」
バチバチと燃える薪を前にする形で、私とローブを着た男が並んで地面に腰を落ち着けていた。
「ここは日本じゃなくて……何だったっけ?」
「エルギア大陸ね。今僕たちがいるのはその大陸の極北部で、ここらは列強の一角であるサークト王国の領内だ」
「エルギア大陸と、その列強のサー…… ゴメン、ちょっとカタカナが多すぎて頭が混乱して着た」
「まあ、今無理して覚える必要はないよ」
「それで、この世界は私のいた世界と違って魔法なんてものが存在する……と」
「そう、さっき見せたのがそうだよ」
「……信じられない」
「じゃあまた見せようか?」
そう言うとローブの男が私に向けて手のひらを向けた。
「ひいっ! だ、大丈夫だから、し、信じるから私に向けないでー!!」
「いや別に変なことはしないよ、ちょっと見てて」
男は白い手を私の膝の近くに置いた。
手の置かれた膝を見てみると、そこには小さく擦りむいた跡があった。
「あ、怪我してる私…」
「きっと、さっき地面に伏せ込んだときに擦ったんだ。これくらいの傷なら魔法で簡単に治せる……『ファウラ・エル・ロー』」
彼が細い声で呪文らしきものを詠唱すると、膝に向けられた彼の手のひらが緑の光で優しく輝き始めた。
その光が強くなると共に膝の傷も光を放ち始め、驚いている内に皮膚の再生が始まった。
傷のあった場所は汚れ一つない綺麗な皮膚にとって代わられていき、やがて膝から傷は綺麗さっぱりと消えた。
まるで、そんなものなど最初から存在していないかのように艶やかな肌色が残るばかりだった。
「凄い……」
「まだ信じられない?」
「いや、これだけ目の前で実演されたら誰でも信じるよ」
「それは良かった」
ようやく自分の言葉をきちんと聞いてもらえるとでも思ったのか、彼は口元をニコッと小さくして笑った。
「そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったね」
「あ、確かに……色々と理解できないことが次々と起こりすぎてて、自己紹介するの忘れてた」
「先に僕から名乗っておこう。僕の名前はウルス、ウルス・アルセンだ。よろしく」
「ウルス・アルセンね……よ、よろしく……ちなみに一つ聞きたいんだけど、年はいくつなの?」
「多分君と同じくらいじゃないかな、17だよ」
「あ、じゃあ私とほとんど同じだ…よろしく」
「……で、君の名前は“アオウミ トモコ”でいいのかな?」
「!? なんで私の名前を知ってるの?」
「あ、そんな驚かないで。実は君が気絶している間、君と一緒に転がっていたバッグの中身をちょっと見させてもらったんだ。んで、その中に入っていた教科書に君の名前が書いてあったから、それで知っただけ。悪いね、勝手に荷物を開けて」
「ああそういうこと……でも、ちょっと違う。“あおうみ”じゃなくて“あおみ”が正しい読み方よ。碧海智子、ともこの方は合ってる」
「アオミ トモコ…ね、わかった」
「……よ、よろしく」
「ん、よろしく」
「……あのー」
「何?」
「さっきから気になってることがあるんだけど…」
「どうぞ」
「ここは私がいた世界とは全く違う異世界なんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、何であなたはさっきから日本語を話しているの? 何で私の話す言葉が理解できるの?」
「あ、やっぱ気になるよね、ソレ」
「……もしかして」
「?」
「よく転生もののファンタジー小説でありがちな、実は全然違う言葉を話しているけれど謎の魔法の力で意思疎通ができているみたいな、あんな感じ…!?」
「アハハ! 違う違う! そんな都合のいい魔法なんて存在しないって」
「え、そうなの? じゃあ、一体何であなたは日本語を理解しているの?」
「何でだと思う?」
銀色の髪の奥に潜む赤い目に力を込めて、彼は問うようにして私を見つめてきた。
「…………全然わからない」
「答えは、僕も君の世界にいたことがあるからだ」
「!? それって、つまり……あなたもこの世界から日本に転移したことがあるってこと?」
「そういうこと」
面白おかしそうに彼は答えるが、私の方は驚いてばかりで表情を取り繕う暇もない。
「今からちょうど10年前かな、僕が7歳の時だ。その日の夜はなかなか寝付けなくて、夜風に当たろうと部屋から出て散歩することにしたんだ。その日の夜は雲一つない満月で、野原は月の光を目一杯に受けていたから暗闇に足をすくわれることもなく歩き続けることができた」
彼は昔を懐かしむように柔らかい表情をたたえながらゆっくりと話す。
「で、僕が小高い丘の上まで歩いてそこから夜空を見ていた時だったかな。急にどこかから赤い光が目に飛び込んできて、何かが崩れるような音が耳に入り込んできた。……そして気がついたら僕は真っ白な空間をさまよっていた」
「私と同じ…!」
思わず私は口を開いて話を遮ってしまった。
「あ、ごめんつい。気にせず続けて!」
「いや、興味深い言葉だよ、今のは。異世界に移転する人はみんな同じ経験を通して飛んでいくってことがわかれば、この不思議な現象を解明する手がかりにもなるかもしれない」
ウルスはその赤い目を更に燃やすようにして、好奇心にあふれた眼差しを私に向けて言った。
「…まあいいや、そして真っ白な世界をしばらく漂っていたかと思うと、気がついたらその世界も消えていて、そして目を覚ますと……そこは僕のそれまで生きていた世界とは全く違う世界だった」
「…君はこんな森の奥に放り込まれた訳だから、多分僕が現れるまではここが異世界だとは考えなかっただろうけど、僕は目を開けた瞬間にそこが別の世界だってことを知った。だって、目を開けたら元の世界にはなかった謎の品物が部屋中に溢れてる光景が目に飛び込んできたんだから。薄い板の中で人が動いて喋っていたり、天井では火よりもずっと明るい光が途切れることなく輝き続けていたり、取っ手を捻るだけで鉄の棒から水が湧き続けてきたり……驚いたものを一々あげていたらキリがなくなるってくらい、未知なものの中に放り出されたんだ」
「…僕が送られたその場所ってのは既婚の夫婦の家でね、夫婦二人で夕食をしているところにいきなり僕が時空を破って現れた訳だから、それは酷く驚いたらしい。でも、二人はそんな僕をソファーに寝かせて様子を見守ってくれて、目が覚めた後は行き場も身よりもなくまだ幼い僕のことを育ててくれたんだ。二人は子宝に恵まれなかったという事情もあって、僕のことを本当に大切に育ててくれた。今、僕がこうやって生きてられるのも、あの「父さん」と「母さん」のおかげだ。その二人の下で僕は日本語や、他にも色んな異世界の知識を学んだ、だから今こうして君と話すことができるってわけ」
以上のことを喋り終えると、ウルスは黙って口を閉じた。
彼の話はどうやらこれで終わりのようだ。
でも、この話には気になる点がたくさんある。
第一……
「この話を聞いて、君はきっとこう思ってるだろうね。『じゃあ何であんたはまたここに戻っているんだ』 って」
「すごい、その通り。どうして、また戻ってくることができたの?」
この質問は私が日本に戻れるかどうかに関わってくる。
ウルスの答えを聴き漏らさないよう、私は神妙な面持ちで静かに彼の言葉を待った。
「それはね…………」
ゴクリ
「…。。。実は僕にもよくわからないんだ」
「ヘッ!?」
予想外の答えに思わず裏声で驚きの声をあげてしまった。
「本当になんにもわからないの?」
「今のところは、ね。向こうの世界、日本でいつものように暮らしていた……あの時は確か学校からの帰り道だった。夕方の道を一人で歩いていると、突然何の前ぶりもなくあの赤い光が現れた。そして気づいてみれば、僕はまたこのエルギアの地に一人横たわっていた…… 別に帰ろうと思って何か魔法を唱えたり、祈りを捧げたりしたわけでもない。僕が何をするでもなく、本当に突然元の世界に戻されてしまったんだ」
「……じゃあ、私が元の世界に戻る方法もわからないってこと?」
「残念ながら」
「……ちなみに、ウルスは日本にはどれくらいの間いたの?」
「8年」
「は、8年!!??」
私は驚愕した。
現状、私が元の世界に帰る方法は何もわからない。
もし帰れるとしたら、それは再びあの赤い光が私の前に現れてくるのを待つ以外に方法はない。
その光が再び現れてくるまでにかかる例の、私が現在知る唯一の例が、8年。
私は8年もこの見知らぬ世界で生きていかねばならないかもしれないのだ。
「嘘でしょ……」
私は絶望を声に込めて漏らした。
全身が悲しさに包まれる。
別に、元の世界の暮らしが素晴らしいものだった訳じゃない。
友達はそこまで多い方でもなかったし、彼氏だってできたことはなかった。
それでも私はそんな平凡に過ぎ行く毎日を私なりに楽しく過ごしていたし、そんな毎日がこれからも続くのだろうと考えていた。
学校を卒業して大学に行き、それから就職をしてその後に結婚、そこから先の人生のことはあまり考えていなかったけど……
私の前に漠然と広がっていたそれらの未来が、それら全てがいま、彼方へと去ってしまったのを見て、私の心は不安に押し潰された。
今まで生きていた世界はどこかへいってしまった、私のこれまで積み上げてきたものは全て無意味なものになってしまった。
私は一体、これからどうすればいいのだろう。
光を見失った私の目から、一雫の涙がこぼれた。
いつの間にか、視界が揺れていた。
一度涙が頬を伝うと、後を追うようにして涙の粒が滔々(とうとう)と溢れ始めた。
「グスッ… 嫌だよ… 帰りたいよ…」
どうしようもないことはわかっていながら、私は抑えきれなくなった自分の感情をさらけ出すしかなかった。
ウルスはそんな私をしばらく黙って見つめていたが、しばらくして私に呼びかけた。
「アオミ」
「……なに」
「何で帰れないと決めつけているの?」
「だって、ウルスが言ったじゃない……帰る方法はわからないって……またあの光が現れるのを何年も待つしかないって……」
「確かに僕はわからないって言ったけど、肝心なところを聞き逃していないか?」
「えっ?」
私は涙を拭っていた手を止め、赤く充血した目をウルスの方へと向けた。
「君が帰る方法がわからないのかと聞いた時、僕はこう答えただろ 『今のところは』って」
「今のところは………じゃあ… それじゃあ、もしかして!」
私の目は一気に見開かれた。
「そう、これから帰り方を見つけられる可能性は、0ではない。 ……アオミはこの世界に飛ばされる前、何か宝石のようなものを目にしなかった?」
「うん、見た! なんか変な宝石が光っているのが見えて、それに触ったら急にその宝石が眩しく輝きだして…」
「やっぱり僕と同じだ……アオミ、よく聞いて。もしかしたら僕たちはこの現象の正体を突き止めることができるかもしれない。この現象の正体、そしてそれを引き起こす方法さえ掴むことができれば、きっと君は元の世界に帰ることができる」
「本当に!? でも、どうしてそんなことが言えるの?」
「そう言える根拠は、僕とアオミが時空を転移したこの現象…これが自然現象ではなく、おそらく魔法によるものだからだ」
「ま、魔法?」
「うん。もし自然の気まぐれでたまに時空が裂けて転移が起こるだけなのなら、僕に手を下す余地はない……また空間が裂けるのを待つしかない。でも、これは自然現象ではなく人為的な魔法によるものだと思うんだ」
「本当にそうなの?」
「根拠はある。まず、転移の仕方が僕と智子とで全く同じな点が気になる。智子が目にした謎の宝石、あの赤いやつね。あれ、実は僕が転移する夜にも同じような謎の石を見かけているんだ」
「えっ、そうなの……」
「うん。そして赤い光が現れて、そして次に現れたのが謎の白い空間……」
「私がここに来たときと全く同じ……」
「もしこの転移が何の法則も持たない、ただの自然の気まぐれによるものと仮定したら……僕と智子の転移にこんなにも共通点があるのは、少し不自然じゃないか?」
「確かに、私もウルスも謎の宝石で異世界に飛ばされたってことを考えると、何らかの人の手が加わっている可能性があるのかも……」
「もし転移が起きる際にその謎の宝石が必要となるとしたら、これは転移がある一定の手続きを経て行われることを示している……つまり転移が人為的な魔法により構築された現象だと見ることができる」
「えーと……ちょっと難しくてこんがらがってきたんだけど……要するに私とウルスが時空を転移したのは魔法によるものだった、ってことだよね?」
「まあそういうこと」
「そこがよくわからないんだけど……何でこれが魔法だと、私が帰れるかもしれなくなるの?」
「簡単な話だよ、僕は魔法を使えるでしょ?」
「……………あっ!!!」
「気づいた? そう、僕がその魔法を習得してそれを唱えれば、8年も待つことなく君を元の世界へと送り帰すことができるってこと」
「それは……」
私は生唾をごくりと飲み込んだ。
「本当にできることなの?」
「確信を持って言うことはできないけど、可能性は十分にある」
ウルスは続けた。
「ある程度以上に強力な魔法を唱えるには、長く過酷な修練に加えて個人の特性……言ってしまえば魔法への才能が必要になってくる。回復系統の魔法に特性が偏っている人は、どれだけ修練を積んでも強力な破壊系統の魔法を習得することはできない場合があるし、その逆もまた然り」
「それじゃあ、ウルスがその……異世界へ転移させる魔法を習得できるとは限らないじゃない」
「まあ聞いて」
ウルスがニコッとして話を続けた。
「その中においても、あらゆる魔法への特性を有し、常人よりも遥かに短い期間で魔法を習得できる者が稀に現れる。そして、その類稀なる存在を代々生む血族が存在する」
呆然としながら話を聞く私に向かって、ウルスは続ける。
「…その血族こそが僕の血族、「世界を記す者 イゼル」の血なんだ」
「?」
「…僕の血族はこの世界の歴史と人類の英知を余すことなく記すべく、神からこのような力を授かったと言われている」
「??」
「…これが本当かどうかは知らないけど、とにかく僕の血族に魔法に対する類まれな才が与えれているのは事実だ。そして、その血は僕にも受け継がれてこの身体を巡っている」
「う、うん」
「…だから、僕がその空間転移魔法を習得できる可能性は十分にある。そんな魔法の存在はどの魔道書にも記されていないけど、僕と智子に起きた出来事を辿っていけばきっと手がかりにたどり着くことができるはずだ」
ウルスの口から出てくる言葉は、すべて古典ファンタジー小説の難解な設定みたいに聞こえて、正直内容を1割も理解することができなかった。
でも、とても不思議なことに………….彼の言葉を聞いているうちに、いつしか私の目から涙が消えていた。
そしてなぜか、心のうちに暖かいもの……希望のようなものが芽生えてくるのが感じられた。
「ウルスはその魔法を習得して、私を元の世界に送り帰せるかもしれないってことだよね?」
「そういうこと」
「つまり……私が元の世界に帰ることを、手伝ってくれるってこと?」
「ん?」
ウルスは私の言葉を受けてしばらく何かを考えているようだったけど、何かを決心した表情を作るとこう口を開いた。
「ああ、約束するよ。僕がきっと、君を元の世界に送り帰す」
「……何で出会ったばかりの私にそこまでしてくれるの?」
彼の希望に溢れる言葉に暖かさを感じつつも、どうして私なんかのために聞くも過酷な道を歩もうとしているのか、それが不可解に思われたのだ。
「はぁ……向こうの世界の人間は、本当に人の好意を素直に受け取ることが苦手だね」
「うえっ!?」
思いがけないウルスの言葉に戸惑う。
「何で君を助けるのかって? こんな人気のない深い森の中のこの場所を、偶然にも君がこの世界に移転してくる瞬間に、たまたま通りがかったんだ。しかもお互いとも同じ現象を経験した身……偶然で片付けられる話だと思う? 僕は一族の中ではあまり信心深い方ではないんだけど、流石にこれは神が仕組んでやったとしか思えない。何の意味があってかは知らないけど、ともかく僕と君が巡り会うように仕向けたんだろう。だとしたら君を見過ごせるはずもないだろ、これでも僕は一応、神の命を受けた一族の末裔なんだから」
「…あと、付け加えて言うなら君のためだけを考えて魔法を習得しようとしている訳じゃないよ、僕のためでもある。正直、気持ちの半分以上はこっちかもしれない。僕が日本に住んでいた時に、僕のことを育ててくれたあの二人……僕は二人に何も感謝の言葉を残すこともできずにこっちに戻ってきてしまった。2年経った今でもそれがずっと心残りでね、突然消えた僕のことを思って二人は心配で心を痛めているかもしれない。だけど、空間転移魔法を習得することで僕が日本へと自由に行けるようになれば、またあの二人に会うことができる、それもいつでも」
「…君が帰らなければならないのと同じように、僕も一度あの世界に戻る必要があるんだ。だからあの空間転移が魔法かもしれないとわかった今、それを習得しようと心に決めたのさ」
快活に語るウルスの顔は、暖かな光を受けて鮮やかな姿を見せていた。
気がつくと太陽は真上に上っている。
昼の麗らかな日の光に照らされて、ウルスの銀髪は透き通るような艶を放ち、紅眼はその血潮のごとき赤い瞳を更に燃やすように輝きを放った。
彼は今、これから始まる新たなる魔法探求の旅を想い、溢れ出る冒険心と好奇心を心の内に抑え込められず、大きく広がった目からそれを放出させていた。
「僕はこれからの旅に新しい目標を一つ加える、それは空間転移魔法をこの身に修め、僕と君をあの世界へと送り戻せるようにすることだ」
明るい口調でそう宣言するウルス、そんな彼の表情を見ていると、自然と私の顔からも固さが消えていった。
「…とまあ、僕の方ではするべきことが決まったんだけど、君の方はこれからどうするの?」
「わ、私!? 私は…………」
そういえば、私はこれから何をするべきかを何も考えていなかった。
ここが異世界であることを考えるとウルス以外に言葉が通じる人はまずいないだろうし、どこにも行くあてがない。
そもそもこの世界で通用するお金すら全く持っていないし、どうやって生きていけばいいのかさえわからない。
……あれ、これ詰んでるんじゃ………………
前途が見えずに押し黙っているだけの私を見かねて、ウルスが口を開いた
「……まあ僕以外に言葉が通じる相手もいない状態だし、このまま一人で行動するのはやめておいた方がいいかもね。いつの間にか奴隷商人に売られていてもおおかしくないし」
「ど、奴隷!? そんなの本当に存在するの?」
「するよ? ここはあっちの世界と違って、人権なんて概念は存在していないんだから」
「奴隷になるのは嫌だ………私、どうすればいいんだろう、ウルス」
自分で何を言うべきか、本当はとっくにわかってはいたのだけど、それを口に出して言うとなると恥ずかしくって……お茶を濁した回りくどい尋ね方しかできなかった。
向こうの方でもそれを察したのか、少しため息を履いて見せてから、こう口を開いた。
「僕についてくる?」
そして私の方を見てこう言った。
「ここから大分歩いて行った先にテルニアって都市がある。そこには僕のおじさんが住んでいるんだけど、僕から彼に頼めば君のこの世界での暮らしはなんとかしてくれるはずだよ。……まあここからおじさんのとこまでは結構な距離を歩いてく必要があるんだけど……どうする、来るかい? 僕は別にどっちでも構わない」
「うん!」
待っていた言葉を捕まえるかのように、私はこの短い二文字(ビックリマークを含めるなら三文字)の返事で反応した。
「決まりだね」
そう短く言うとウルスは私の方に手を伸ばしてきた。
「おじさんのとこまでは少し長い二人旅になると思うけど、それまでの間よろしく、アオミ」
その言葉に答えるため、私は彼よりも小さな自分の手を伸ばしてウルスの手をとった。
「この世界でもこう言う時は手をにぎり合うのがマナーなんだ」
「そうだよ」
「よろしく、ウルス」
私は力強くウルスの手を握り、互いに握手を交わした。
彼の手のひらから血管の鼓動が伝わってくるのが感じられる。魔法探求の旅……新しい旅の始まりに彼の心も燃えているようだ。
堅い握手を終えると、ウルスは私に語りかけた。
「それじゃあ早速旅を始める前に……まずはご飯でも食べよう、ちょうど火も燃えていることだし。アオミ、魔法は使えないだろうけど、料理はできるよね?」
「まあ、多分人並みには……」
自信なさげに答える少女。
「じゃあ智子も手伝って、テントの中に穀物と水が入ってるから、それを取ってこっちに持ってきて、それから米を炊くから。この世界でのご飯の作り方を今のうちに教えておくよ」
「うん、わかった!」
今ままでずっとじっとしていた分を発散させるようにして、二人はキビキビと動いて食事の準備に取り掛かりだした。
この瞬間から、私の想像よりも遥かに長く、過酷で、そして刺激的な旅が始まることを、私はまだ知らなかった。
これまで私が生きてきた世界を全てひっくり返してしまうような経験に、この異世界で何度も出会うことになることを、私はまだ知らなかった。
この時の私は、まだ何も知らなかったのだった。
ただの平凡な女子高生……そんな私を完全に変えてしまうこととなる異世界の物語が、これから始まる。
序章 旅の始まり 編 完