第2話 〜「転移」について〜
気がついたら私、碧海智子は真っ白な世界にいた。
目の前に広がるのはただ白一色に染められた無機質な光景。下を見ても上を見ても、彼方に目を向けてもそこにあるのは白い景色だけ。
慌てて後ろを振り返って見たけど、そこも同じように白い世界が広がっているだけだった。
「ここ、どこ?」
何が起きているのかさっぱりわからないといった調子で声が漏れ出る。
これは夢の中の世界なのかな? それにしてはやけに不気味な夢だけど…こんなこと初めて。
夢なら覚めろ! もっと楽しい夢に変われ!
頭に力を入れて強く念じて見たが、無駄だった。辺りは真っ白なままだし、頭を力みすぎたのかクラクラして気のせいかさっきより世界が白く見える。
念じても意味がないようなので、とりあえずそこらへんをぶらぶら歩くことにしてみた。
どこかに出口はないものかと色々と動き回ってみたけど、結局そんなものはどこにも見つからなかった。
そもそも見える光景が真っ白なまま何一つ変わらないので、自分が本当に動けているのかすらわからない。ああ、頭がおかしくなりそう。
夢が覚めるまで我慢するしかないのかなあ。でも、ずっとこんなとこにいたら頭がどうにかなっちゃいそう…
念じるのも歩くのも無駄だと悟った私は、とりあえずここに来る前までの状況を脳内で整理し直してみた。何か考えていないと気が変になりそうだし。
まず、今日は放課後学校に残って友達と倫理のテスト勉強をして、それから6時くらいかな? 友達と一緒に帰ってて…それで電車を乗って自分の駅に着いたところで別れて一人になって…
そうだ! 駅から家まで歩いて帰っている途中に、商店街の裏路地から変な光がチラッと見えたから、なんだろうと思って近づいてみたんだった。
すっぽり裏路地に入って歩いてくと、その光の正体が綺麗な結晶?宝石?だったのがわかって、一気にテンション上がっちゃって思わずその石に手を触れたんだ。
そしたら、急に石の光が強くなって溢れて、目の前が真っ赤になったかと思うと凄い音が鳴り響いて……そこから先の記憶がないけど、気がついたらここにいたんだった。
つまり……私は今あの裏路地で気絶したままこの変な夢を見てるってこと!?
いやっ、それマズくない? もし知ってる人に見られたら恥ずかしいってレベルじゃないよ!
せっかくインスタ映えしようと宝石に近づいたのに、これじゃあ私の醜態がインスタじゃなくてツイッターでバズることになるじゃない!
ちょっ!起きて!私!早く起きて!
………はあ、ダメっぽい。
大人しく目の覚めるのを待つしかないかぁー………
……あれ、なんか向こうの方にまた変な光が見える。
なんだろう、白い光みたい……不思議だなあ、既にここはこんなにも真っ白だっていうのに、あの光はさらに白く輝いているみたい。
白って色が何もない状態なのに、白より白いって論理的にあり得ないはずなのに、本当に変な夢だなあ……
あ、光がこっちに近づいて来る。
どんどんこっちの方にやってきて、みるみるうちに大きく広がって、私の目の前に……
あれ、なんだろうこの感覚。
目の前の景色がぼんやりしていってる。
私の手も足もどんどん見えなくなっていく……やだ、私自身まで真っ白に染められてちゃうの?
ほんと、訳がわからない……変な夢………………
やがて私の前身は光に包まれて、目の前の光景は完全に真っ白になった。
…
……
…………
「………………」
「……っ………」
「んっ……」
おぼろげな意識の中で私は微かに目を開いた。
じわじわと揺れる視界に映ったものは、何やら淡い茶色の天井のようなものだった。その真ん中に、ポカッと空いた穴があって、そこだけが青色だった。
視界がだんだん鮮明になってくる。目線の先にあった天井はよく見ると布でできていて、真ん中の穴から見える青いものは空のようだ。
「ここは…」
私は上半身を起こした。
今気づいたのだけれど、下半身には毛布が掛けられていた。
いつも使っているような肌触りのいい毛布とは違い、酷くザラザラとした固い……まるで動物から剥ぎ取った皮をそのまま使ったかのような毛布だった。ゴワゴワとした毛が私の太ももにまとわりついている。
私は気味が悪くなって、思わず毛布の端をつまんで何処かへ放り投げた。
「どういう状況なのよこれ…」
注意深く周りを見回して見ると、布のテントらしきものの中にはバラバラに置かれた小物類が散らばっている。
その奥の方には瓶に詰められた色とりどりの液体や粉が、小綺麗に並べられている。薬か何かだろうか……綺麗。
その近くを見てみると、布の壁に立てかけられた木の棒が目に入った。
濃い茶色の木でできた杖のようなもので、頭の部分は取っ手の代わりに大きな青い宝石が取り付けられている。RPGゲームに出てきそうな感じの大きく綺麗な形をしたクリスタル、普通に買ったらいくらになるんだかとてもわからない。多分、おもちゃか何かだよね?
というか、なぜこんなものがこんなところに。
「……魔法使いか何か?」
ちょっと待って、さっぱりわからない。
なんで私が魔法使いのテントの中にいるの? なに? 一般人を対象にしたドッキリか何か? モニ●リング?
目を覚ましたらいきなりRPGの世界に自分がいたら、人はどんな反応をするのか、みたいな企画なの? これ
向こうに置かれてる光る液体やあの魔法使いの杖なんか、そこらの素人がいたずらの一環で作れるようには思えないし、テレビ局が絡んでるとしか思えない。
とすると私のこの様子もまさに今カメラで盗撮されてる?
いけないいけない、全国ネットでみっともない有様を晒すわけにはいけない。
私はそれまで開きっぱなしだった口を即座に閉じ、呆然としていた表情に力を込めて凛々しい顔立ちを作った。
これでよし。
とりあえず、このテントから出て周囲に何があるのか見てみよう。
これがドッキリだったとしても私が動かないと何も進行しないし、もしかしたらすぐ外にカメラマンの人がいて、私にドッキリ大成功! だとかなんとか言って来るかもしれない。
もしそうならずっと待たせるのは悪いし、それに私も早いとこ解放されたい。
私はまだ少し重たげな体を持ち上げるように足を立たせた。
ふと足元を見ると私の持っていたスクールバッグがそこに置いてあったので、ヨッと身を伸ばして手にとった。
体は制服、片手にはスクールバッグ。帰り道と寸分違わぬ出で立ちである。
ただ違うことと言えば、ここがいつもの帰り道ではなくRPG風のキャンプということだけだ。
いや、それかなり重大な違い。
まあこれ以上ここで困惑していても仕方ない、ひとまず外に出てみよう。
慎重を期した小さい足取りで私はすぐそばにある布の切れ間、テントの出入口へと進んだ。
光が微かに漏れる布と布の隙間に静かに右手を入れて、そっと隙間を広げるようにして布を持ち上げた。
眩しい光が目に飛び込んで来る。
一瞬くらんだ目が慣れてくるまで、私は右手をおでこにかざして目の辺りに影を作った。
徐々に目が慣れてきて視界を覆っていたモヤモヤが消えてきたので、私はおでこに当てていた右手を降ろしてテントの外へと進み出ることにした。
外の世界を始めて鮮明に目にした私の口から出た第一声、それは
「ナニコレ……!」
外の景色を目にして衝撃。凛々しく保っていた顔は再び崩れることになった。
まず目に飛び込んできたのはおびただしい数の木。私の前にあるのはただひたすら木、木、木。木と木の間から見えるのもまた木で、それがずっと向こうまで果てしなく続いている。
思わず右に顔を向けて見たけど、その先も同じように木が立ち並んでいる。
恐る恐る左を振り向いてみたけど、そっちもやっぱり同じ光景だった。
私の周囲は木の群れに囲まれていた。ぽっかり空いたように地面が広がっているのは、私のいる周囲の丸い範囲だけのようだ。
下に目を向けてみると、鮮やかな緑色の草が日の光を受けて力強く生え茂っている。
次いで、私は上を見上げた。
木の葉っぱは、ちょうど私のいるこの場所を避けるようにして遠くに生えていて、遮るものがない空には燦々(さんさん)と輝く太陽が映っている。
太陽の眩しさを目一杯に取り込んだ私は苦しい顔をして、また地面へと目を降ろした。
私は顎に手をかざして考えを巡らせる。
さて、これで私の周囲の状況はおおよそ掴めた。
そのおかげで、私が今いる場所も推測できた。
私がいる場所、そう、それは森の中だ。それもかなり深い森。
うん、当たり前の結論。
テントから出た瞬間にわかっていたことだ。
そんなことよりも問題なのは、なんで私がこんなところにいるのかということ。
なんで? ここどこ? 誰かいないの!?
辺りを見回しても見えるのは木ばかりで、カメラマンなんてどこにもいない。
注意して木の枝に目を凝らしても見たけど、隠しカメラらしいものもどこにもない?
どういうこと? なんでドッキリなのに私を撮影してないの?
考えられる理由は、そもそもこれがドッキリじゃないといこと。
となると、ドッキリ以外の理由で私がここに連れてこられた理由を考える必要がある。
ちょっと考えてみる。
両腕を前で組んでうーん、うーんと頭を唸らす。
すると瞬時、私の中でサーっと血の気の引く音が聞こえた。
私がこんなとこにいる理由に対する、ある恐ろしいアンサーが浮かんだからだ。
「誘拐…?」
私の体は急に身の寒くなる気配を感じ、ガタガタと震えだした。
今まで自分を包んでいた自然の景色が突然恐ろしいものに思えてきた。
どうしよう。まさか本当に誘拐だなんて……
でも、こんな外も見えないような森の奥深くまで連れてこられて放置だなんて、ドッキリじゃないとしたら誘拐以外に考えられない。
誘拐だとしたら私の身動きを縛らないのは変だけど、こんな深い森の奥にいたら逃げようにも逃げようがないから、私を放置しても問題ないと考えたのかもしれない。
じゃあ、私を誘拐した人たちは今どこにいるの?
トイレか何かで遠くに離れているの?
それともすぐそこにいる!?
すぐそこの木の裏に誰かがいるかもしれないと思うと、足の震えがさらに激しくなった。
でも、こんな誰も見てない森の中でトイレするのに、わざわざ遠くまで離れる必要はないし、離れていたとしてもこんな長い時間もかかるのも考えづらいし……
もしかして……警察との交渉が決裂して私は犯人に捨て置かれた!?
いや父さん母さんが私を見捨てるなんてことあるはずないけど、もし犯人が私を置いて逃げたとしたら……私はどことも知れない樹海の中で一人ぼっち!?
暗くなった森の中に一人取り残された私のことを想像すると、手の震えがより一層強くなった。
「!? そうだ、スマホ!」
私はバッグのポケットに手を突っ込んだ。
その手の先には、触り慣れたあの硬い感触。
「よかった、あった!」
りんご色の赤いケースに包まれた私の愛用のスマホ、どうやら犯人に取り上げられることなく私のポケットに隠れていたようだ。
「これでマップを見れば私が今どこにいるかもすぐ…」
半ば希望がそこにあるかのような表情を浮かべながら、私はスマホの電源ボタンを強く押した。
そしてパッと現れた画面を食い入るように見て
そして戦慄。
右上の電波のマークのとこに立っていた棒の数は、なんと0本。
圧倒的なまでの圏外状態だった。
「そんな!」
私は、ほとんど悲鳴に近い声で辺りの空気を揺らした。
「お願い、電波拾って!」
私は上に広がる青い空に向かってスマホを突きつけて、なんとか電波をキャッチしようと試みたが、どんなに経っても棒の数が増えることはなかった。
私は絶望して腰を草の上に落とした。
「嘘でしょ……」
もう何がなんなのかさっぱりわからない。
さっきまでドッキリと勘違いして舞い上がっていた自分が嘘みたいだ。
今や私は誘拐された身を通り越して、誘拐犯にすら捨て置かれた孤独の身だった。
「これからどうしよう……」
見知らぬ森の中で、スマホも使えない状況で取り残されているのが現状。
いやどうしようもない。
こんな時の対処法なんて授業で教わったことある訳がない、何をすべきかもわからない。
今はまだ明るいから大丈夫かもしれない。
でも恐ろしいのは夜……暗くなってから。
周りは何も見えなくなって、熊とか狼とかがこちらに近づいてきたりして……
体が硬直した。
もしこのまま何もできないままで夜になったら、怖いなんてものじゃない。死ぬ。
私はそれまでの慌てふためいた態度を切り替え、精神を脳みそに集中させて、この最悪の結末を免れるための術を見つけようと思考を巡らせ始めた。
脳みそをフル回転させて考えにふけることおよそ10秒、私はある考えに思い至った。
今私に必要なこと、それは…………火を起こせるようになること!
私は辺りを見回した。
すると、すぐ後ろの方に太い枝と細い枝の二つが折れて転がっている。
私はすぐさまそれを手に取り、太い枝を自分の前に置いてあぐらをかく姿勢をとった。
両足で抑えて固定した太い枝、それに垂直になるよう細い枝を当て、その細い枝を両手で挟むように持つ。
そのまま両手をすり合わせることで細い枝をグリグリと回転させる。
歴史の教科書でよく見かける原始時代の人の火起こし、摩擦熱を利用した火起こし術だ。
「……これで合ってるよね?」
見よう見まねで枝をひたすら回し続ける。このまま続けていればいつかきっと火が着くはずだ。
私は祈りながら両手に力を込め続けた。
そうしてそれを続けることかれこれ10分(体感時)
「はあ…はあ…」
私は枝と枝の擦れる部分にチラッと目を向ける。
しかし枝は擦る前とほとんど同じ姿だった。
火は一向に着く気配がない。
擦った部分に焦げすら見えてこない。
「はあ……もうだめ」
私は疲れ果てて両腕をだらんと下ろした。
細い枝は倒れて地面へと落っこちた。
まさかこんなにも火がつかないとは思わなかった。
木なんてすぐに燃えるものだと思ってたのに、こんなにやっても何一つ変わらないだなんて……
もしこのまま火をつけられずに太陽が沈んだら…
私の顔を冷や汗が伝った。
何としても、今のうちに火のつけ方を覚えておかないといけない。
私は再び枝を手に取り、擦り付ける作業を再開した。
さっきよりももっと強く、もっと速く。
一擦り一擦りに意識を注いで枝を回転させる。
枝の先端に光が灯るまで、枝の先端から煙が出てくるまで、私は全ての注意を自分の両手に集中させ続けた。
そしてまたしばらく時間が経った
「ふぅー…ふぅー…」
呼吸が乱れてきた。でも、ここで止める訳にはいかない。
自分の手を無理やり動かして、なおも枝を擦り続ける。
シューシューシューシュー…… 枝は太い幹を削り取るような鋭い音を立てている。
シューシューシューシュー……
シューシュー…… ジュッ シューシュー
「ん?」
今、明らかにこれまでとは違う音がした。
慌てて目線を枝の先に落としてみる。
すると、なんと枝の先端からほのかに白い靄が溢れているのが見えた。
!!??
こ、これはまさか!?
私は手の動きをさらに加速させた。
シューシューと繰り返すばかりだった枝は、今やそこに濁音をつけてジュージューと音を鳴らしている。
靄の勢いはどんどんと強まり、ついにそれは煙と呼べるほどまでに広がった。
「!? キタ!? キタよねこれ!!??」
この森で目覚めてから、私は初めて笑顔を表に出した。
枝の先端でわずかに燃える火が、まるで今の私の心の興奮を表しているかのようだった。
「そうだ、火のついてる周りの部分に乾燥した葉っぱをばら撒いておかないと!」
何かの漫画だったかな、遭難した主人公が火を起こすシーンにそんな描写があったような気がする。
私はそこらに散らばっている落ち葉を適当に広い、小さくバラしてから火のついた部分に軽くばら撒いた。
すると火の勢いが強まり、細い枝の先を包めるくらいの大きさにまで成長した。
「やった…… やった!」
歓喜の気持ちでいっぱいになった私は、思わずその場に立ち上がって両腕を広げた。
「これで夜になっても大丈夫なはず!」
下から浮き上がってくる煙を前にして、とりあえず最初の関門は乗り越えられたことに安堵の表情を浮かべた。
そう、心から安心しきっていた。
その時
ガサッ
「えっ?」
向こうの木の奥から、何かが草を踏む音が聞こえた。
私は思わず手に持っていた細枝を落とした。細枝は下に横たわる太い枝にぶつかりカランと寂しい音をたてた。
ガササッ
また草を鳴らす音、さっきよりも近くなっている。
私はその場で固まったまま、ただ音のする方を見つめることしかできなかった。
ガサッ ガサッ ガサッ
どんどん、どんどん音はこっちに近づいてくる。
え、何これ? 動物? でもそれにしては足音のなり方が人っぽいような……
じゃあ人間? 人間だとしたら……まさか?
私は固まって言うことを聞かない体を無理やり動かして、どうにかして一歩だけ後ずさった。
もしあの音の正体が人だとすれば、それは間違いない、私を誘拐した犯人だ。
私を置いて逃げていなかった? ちょっと離れてただけで今戻ってきたの?
どうしよう。どうしよう。
逃げたい気持ちでいっぱいだけど、体が固まってとても走ることなんかできない。
もし逃げて追いつかれでもしたら、余計ひどい目に合わされそうだし……
それにたとえ逃げ切れたとしても、そのときにはここみたいに安全な場所を失って、深い森の中でどことも知れず一人さまようことになる。
どうしようもない。
誘拐犯がこちらにやってくるのを、こうやって震えながら待つことしか私に選択肢は残されていなかった。
ガサッ… ガサッ… ガサッ
草を踏む最後の音が聞こえると、木と木の間に生えていた長い草が揺れ動いた。
そして、ついにその音の正体が草を掻き分けて現れた。
その姿を見て私の目は全開となった。
草から出てきたのは、やっぱり人間。
それは私の予想通りだった。けど、それがどういう人かというイメージは私が抱いていたものと大きく違っていた。
最初、私を誘拐した人は筋肉モリモリの腕っ節の強い男性か、そこまでじゃないにしろ大柄な男性だろうと思っていた。
車で来れないようなこんな森の奥まで私を抱えて来たんだから、きっと屈強な男なんだろうと思っていた。
しかし、今私の目に映っているのはそんな逞しい体つきとはとても言えない、どちらかと言えば細身の男の子……多分私と同じくらいの若い男の子だった。
いろんなところが傷んでいるローブに全身を包ませているからハッキリとした体つきはわからないけど、とにかく私のイメージとは全然違うってことは確かだ。
そして今いったローブ。深い紺色を基調にしたそのローブは、とても現代人が日常で着るものとは思えない。まるで、ファンタジーの世界で賢者が見に纏ってそうな風格のあるローブだ。
そして、そのローブと一体になっているフードの奥に見える顔。
これが一番驚いたことだけど、その顔はどう見ても日本人ではなかった。
銀色に輝く髪に、鮮血が煌めいているかのような紅色の瞳。
まさにゲームのキャラがそのまま飛び出て来たかのように、神秘的な風貌をフードの奥に隠すようにして私に見せつけていた。
これはひょっとすると……
「あ、やっぱりドッキリだったんですね?」
私は緊張のあまり裏返った声で言った。
「いや〜ビクビクしましたよ! 私てっきり誘拐されたんだと勘違いして、まさに今誘拐犯が現れるんだとばかり思ってて……すっごい怖かったです!」
完全に体の硬直が解けていなかった状態で、なんとか私は振り絞るように声を相手に届けた。
もう、ドッキリでもなんでもいいから早く解放してほしい。
しかし、賢者風の男子は私の言葉を神妙な面持ちで聞いているばかりで、何の反応も口にしなかった。
アレ? ひょっとして外人さんだから日本語が通じてない?
どうすればいいのかわからずドギマギしていたが、しばらくすると賢者のコスプレをした男子がその重そうな口を開いて、ついに言葉を発した。
「やっぱりあの世界の言葉だ」
「?」
あ、日本語喋れるっぽい。言ってる内容は意味不明だけど。
「君のその服装と持っていた荷物を見てほぼ確信はしていたけど、これでついに間違いなくなった。君はあの世界……日本から来た少女なんだろう?」
ん、ん〜???????
何を言ってるんだこの人は。
喋り方はとても流暢なのに、言ってることが何一つ理解できない。
あの世界って、どの世界のこと? この世界以外の世界って何?
「あの〜……」
「……何?」
「これはドッキリですよね?」
「……ドッキリって、あのテレビでよくやってたやつのこと?」
「そう、それです!(やっ“てた”? 何で過去形なんだろう?)」
「まあそう思うのも無理はないか、僕にとっても不可解な話なんだから」
「え、……ドッキリじゃ……ないんですか?」
「結論から言うと、そういうことになるね」
「……じゃあ何なんですか」
やっぱり……
私の脳内に、再び恐ろしい考えが私の脳内に浮かび上がってきた。
「誘拐」
「!?」
「でもないよ、もちろん」
男はフードの陰からからかうようにして、薄い笑みを浮かべた口元を私に見せた。
私はそれを見て少し腹が立つ気分で「それなら、一体なんなの!?」と声に少し力を込めて言った。
すると、男の方は相変わらず笑みをたたえて私にこう返した。
「君は異世界から次元を超えて、この世界へとやって来たんだよ」
「……は?」
私は何も理解できなかった。
「言い方が悪かった、君からすればこちら側こそが異世界か。つまり、君は日本からこの異世界へと時空を超えて転移して来たってこと」
「ちょっ……! ちょっと待って!」
「なんだい」
「……言ってる意味がわからないんだけど」
「う〜ん…どうしたらいいんだろ……」
賢者風の男子は少し困惑した面持ちになり、指を顎に当てて考え事を始めた。
「………んっ? 君、火を起こそうとしてたのかい?」
「え?」
男が指を指した先に目線を向けると、そこには私がさっきまで格闘していた木の枝が煙を出して転がっているのが映った。
「ええ…まあ」
「じゃ、ちょうどいい。ちょっと見てて」
男はそう言うと辺りを見回し始めて、ふと何かを見つけた目をしたかと思うとその方向へと片腕を伸ばしてローブから白い手を覗かせた。
「レーツ・エル・ロー」
男がよくわからない言葉を口にすると、突如、彼の伸ばされた手の先が紫色の光を発し始めた。
「嘘っ……!?」
光はみるみるうちに強さを増し線となり、その線が彼の開かれた手のひらを走り始めて魔法陣のようなものを描きだした。
私は目の前で起きていることが信じられないといった呆然とした表情でその光景を眺めていた。
線の動きが止まり、魔法陣が完成したのを確認すると、彼は体の前方へと自分の腕を突き出した。
浮いていた魔法陣を突き崩すようにして腕が動かされると、その手の先から紫色をした光線が何本も放たれた。
その光線は地面に積み重なって倒れた木の枝へと向かい、無数に別れた紫の光線がその枝に触れて吸収されていく。光を受けた大小の枝たちは、不気味な紫のオーラを身にまとって小さく振動しだした。
これから何が始まるのか、私は追いつかない頭をなんとか集中させて次の光景を固唾を飲んで見守った。
すると、男は私の方へと目を向け直して、再び薄い笑みを作った。
そして、枝に向かって伸ばされていた腕を私の方へと振り向けた。
(なに?)
私はローブの男が次に何をするのかを考えようとした。
が、その試みは次に私の目に飛び込んできた衝撃的な光景によって中断された。
先ほど魔法のような光を受けて紫色に揺らめいていた無数の枝が、彼の腕の一振りと共に私の方に向かって来、ミサイルのように宙を裂いて飛び始めたのだ。
「キャッ!」
鋭い枝が私に襲いかかる姿が脳裏に浮かび、思わず目を伏せて地面に屈み込んだ。
グササササササササササッ!!!!
枝の突き刺さる音が私の耳を突き抜けた。
「イヤッ……………………あれ?」
痛くない。
私の体のどこからも、痛みという感覚が起こってこない。
私は地面にくっついていた顔を恐る恐る持ち上げ、何が起こったのかを確認した。
その目に映ったのは、沢山の枝が輪を描くように地面に刺さって並んでいる光景だった。
刺さっている枝はどれも斜めに傾けられていて、そのどれもが輪の中心方向に向いている。そして枝は中心で他の枝と先端同士を触れさせている。
この形はもしや……
「……たきぎ?」
「ギアゴ・エル・ロー」
薪の形に並べられた枝を半ば放心状態で眺めていると、私の耳に謎のカタカナ語の羅列が入り込んできた。
その意味を理解する間も無く、突如目の前の薪が勢いよく燃え盛りだした。
「キャアアアア!!!!!!!」
絶叫をあげながら目前の火から慌てて逃げる私。
さっきからあり得ない現象が次々と私を襲い、もう何が何だかわからない。
そろそろ頭がパンクしてしまいそう。
「なんか火が必要だったらしいから」
平然とした感じの声が聞こえる方向に、私は顔を向けた。
その顔はとても落ち着き払っていて、その目は私を向いていた。
「用意してあげたよ」
私はただ気の抜けた表情で前の方で燃えている火を見つめた。
そして、返事もできないでいる私に彼はこう続けた。
「これで僕の言っていること、信じてくれる?」
声を出す気力もなかった私は、ただ力なく頭を頷かせることでその言葉に答えた。
そんな私を気にもかけず、火の粉は元気に空を目指してまたたいていた。
枝が熱で弾ける音が、静かな森の中を抜けるように響いた。