源之丞始末記 一
生い茂る草木
「果たして、それは誠なのか?」
源之丞はなにかにつけて動揺することの無い、冷静沈着な武士の倅であった。
その源之丞が珍しく眼を見張っているのだ。傍にいたおときもその姿を認め、やや不安そうに俯いてしまった。
「では、拙者とおときは死後の世へと参ったということか?」
源之丞はおときをチラと見やり、目線を前のご老体に移す。
「左様であろうな。私達が住むこの世界にはこのような伝承があるのじゃ」
目の前のご老体、ドォゴンはこの世界のことについて語りだした。源之丞やおときがこれまで過ごしていた日の本の国ではなく、顔付きも服装も違う別の世界、異世界についてのことを…
遡ること一刻(約2時間)前、源之丞は草木が生い茂る中で目を覚ました。
瞼を開けると、目の前には緑に覆われた視界でいっぱいになった。途端、草木の蒸れる匂いが鼻を突く。が嫌な感じはしない。
やんわりと暖かな空気に包まれている感覚もあるり。どこか懐かしくて、どこか切ない…しかし、妙に落ち着いてしまう。
ぞくりと、背筋に冷たい汗が吹き出してきた。
【何故生きておるのだ?】
源之丞は起き上がり、身体をあちこち確認するが斬られたあとは無かった。
少しづつだが記憶がよみがえる。
再び視線をあちこちに移す。果たして源之丞は見覚えのある1人の少女を捉えた。
「おときっ!」
源之丞は何処も痛くない身体を俊敏に動かし、おときの元へと駆け寄った。
目の前にいるおときは仰向けに転がり、両手を投げ出していた。源之丞はゆっくりと優しく、赤子をあやすようにおときを呼び起こす。
「おとき、おとき、、しっかりしなさい、おとき」
なるべく手荒にならぬように源之丞は呼び起こす。
何回目かの呼び掛けで、おときの瞼がぴくりと瞬いた。
「ん…じょ…う……さ…ま」
「おとき!気がついたか?何処か痛いところはあるか?」
ようやく目覚めたおときは、眼をあちこに向け、そして源之丞に目を戻す。
「源之丞さま、ここは何処にてございますのでしょうか?おときは確かあの時…」
源之丞のように少しづつ記憶が蘇ったのだろう。おときは源之丞が斬られた処に居た。その時の恐怖と旋律が、今もって身体を巡りおときの血の気を引いてゆく…
「源之丞さまっ!おときは、おときは!あの…とき!」
おときは態勢を起こし、源之丞にすがりついた。
「良い。そなたが今無事であるのならば拙者はそれで良い」
源之丞は優しく声を掛け、おときを再び寝かせる。
おときはあの場のことをひどく悔やんでいる様子である。しかし、源之丞自ら彼女に協力を求めたのだ。おときが悔やむことなど何一つないではないか。
むしろ彼女はとても辛い思いをした。なぜ真っ先に自分の事ではなく、相手を気遣えるのか?これは彼女の優しい心根のなせることなのか。
しかし、俺はそれに甘え、つけ込んでしまったやもしれぬ。である。
握ったおときの手はまるで、真冬の氷水に浸けたかのようにひどく、ひどく冷たかった。
それはおときの手ではなく、俺の心の痛みが身体の感覚を麻痺させていたのであった。
いつもなら感情を表に出さない源之丞が顔を濁らせる。ここまでおときを思うのは、自分に非があるからだ。
「すまなかったな、おとき。そなたを巻き込み、怖い辛い思いをさせてしまった。本当にすまない」
源之丞は横になっているおときに目をやり、謝った。
「やめてください、源之丞さま。確かに怖い思いをしましたが、それはおときが望んでのことです」
落ち着いたのかおときは先程までの恐怖と旋律を、最早微塵も感じさせてはなかった。
さすがは、武家の娘だ。改めて源之丞は、目の前の見目麗しいおときに感心した。
「やはりそなたは強い娘じゃ」
源之丞は右手でおときの頭を撫でてやった。
されるがままにおときは頬を赤らめ、源之丞にそっぽを向き口をにんまりした。
源之丞とおときは家が隣同士であり、歳は4つ離れている幼なじみである。ゆくゆくは祝言を挙げるだろう、と周りから囁かれていた。
その矢先に今回の事件が起こってしまった。
源之丞の父源一郎は勘定組頭であり、ある不正を暴くため父は陰ながら行動していた。しかし、源一郎が内偵した相手に気取られ斬殺された。
その相手を突き止めた源之丞は、ある噂を聞きつけた。それは、父の仇がなんとおときを妾に欲しいというものだった。その仇は、さる豪商の旦那であり町で見掛けたおときに欲を狩られた。
これは上手く利用出来ると思った源之丞は、策を練った。ところが問題は果たしておときが了承するかどうか…
結果は二つ返事で返ってきた。危険も伴うことも承知だと言う。おときは、
「源之丞さまのお役に立てるのであれば、おときは勇んで火の中にも入りますっ!」
と、それに加えて、
「源之丞さまのお父上、源一郎様を手にかけた相手を絶対におときは許しません!」
と、十六の娘にしてはなんとも強気な姿勢で引き受けてくれた。
後は練った策の通りに進めば源之丞は仇を討てる筈であった。
しかし、ことはうまく運ばなかったのである。
仇は罠を承知で参り、こちらを嵌めたのだ。
相手は5人程を隠れて共にし、源之丞が助ける間もなくおときを攫った
源之丞は直ぐに後をつけた。奴らを何が何でも殺す、その意志だけで動いていた。父だけでなく、自分の妹のように可愛がってきたおときに万が一のことがあったらと…
追いついた源之丞は、走りざまに鯉口を切り1人を斬り伏せた。
仇は振り向いた。おときを伴い、下卑た笑いを堪えている。
瞬間、源之丞の糸が切れた。
血塗れた一刀、父の形見である無銘の備前業物を正眼に構える。仇含めて5人を相手に自分がどこまでやれるか。何よりおときを救うことを先決に動く。
ジリジリと互いの殺気が漂う。源之丞は小さい頃から学より剣を好んだ。父の知り合いにいた新陰流の道場に世話になり、めきめきと腕を上げ免許まで来た。
だが、実戦と試合とでは違う。そこには生と死かのどちらかである。
源之丞は正眼の構えを下段に構え直し、脚を前後に開いた。こうすることで踏み込みも引くことも出来る。
仇以外の用心棒4人は数に勝って余裕の顔である。が、そこが付け入る隙でもあると源之丞は考える。
とりあえず目の前の1人に殺気を放つ。返ってくる殺気は微力だ。どうやら相手はそんなに強くはないと判断した。
途端、気合を発し切り込む。切り込む。
1人を袈裟懸けに斬り、出血が止まらず、腹からは臓腑が溢れ手に腸を絡めている。振り向きざまに頭から刀を下ろす。脳天を割られ即死であった。
残りは用心棒2人と仇のみ。だいぶと気を発し体力の消耗が激しい。
肩で息をつきながら、目の前に注意を向ける。
おときは後ろ手に縛られている。恐怖で顔に生気が見受けられない。
「お前は勘定組頭の倅だな?」
傍観一方だった仇が口を開いた。なんとも悪人らしい声音であり不愉快でもあった。
「父の仇を打たせてもらう」
源之丞は静かに、殺気を込めて言った。
「残念だがそうはならない。よく見てみろ。自分の立場を分かっているのか?」
仇はぶつぶつ顔をおときに近づけた。
おときは顔をそらし、抵抗するも仇の腕の中でどうにもならない。
「そこの雨蛙、死ぬぞ?」
源之丞は疾駆しようとした。が、それは弾ける高音と共に阻まれた。
源之丞の顔に赤い線が走る。拭うとそれは血であった。
「どうだ!この短筒は命中率がいいなぁ!」
それは回転式の鉄砲であった。異国ではレボルバと言うらしい。
「さて、形勢逆転だ!早く刀を捨てろ。このお嬢ちゃんになにか起きる前にな」
源之丞は構えを解き、無銘の備前業物を放り投げた。
咄嗟に用心棒1人が源之丞を拘束した。
足と手を同じ箇所で拘束されている。
「さて、倅よ。お前が死ぬ前にこの生娘を頂くところを見て死ぬがよい」
典型的な極悪人を模写したような既視感を、源之丞は感じた。
しかしながらその後の記憶が無い。おときがどうなったのか。
なぜこのようなところにいるのか…
「それで源之丞さま、ここは?」
「ふむ、それがさっぱり分からんのだ。この様に草木が生い茂るところなど近所にあったものか…」
しかし、江戸にこのような樹木など見たことがない…。
源之丞は立ち上がり、膝程に生い茂る草を踏み均し若干の平地を作った。
「よし、拙者は少し辺りを見て回ってくる故、おときはここで待っておれ」
源之丞は先程まで横になってい、今はちょこんと正座で話を聞くおときに告げた。
「分かりました。おときは此処でお留守番しております。お気をつけていってらっしゃいませ」
おときは改めて背筋を伸ばし、源之丞を見送った。
さすがはおときだ。自分が一緒に行動したら足手まといになるやもしれぬと、自ら留守を言いでた。
いつもこちらを察して言動するおときを、源之丞はにこりと笑って懐手で歩いて行った。
源之丞は顎に手をやった。
【何故俺とおときは生きているのだ?⠀】