夕方5時
平日はいつもその時間になると
母は身支度をする。まず着物を着て次に
頬紅と口紅をし最後に日本髪を結ったかつらを
付けると
「行ってくるわ」と
僕に告げてお店へと向かう。
僕が産まれてから芸者座敷だけでは
食べていけないと判断した母が
始めた小さな小料理屋だ。
おでんが売りで母の器量と話し上手もあり
毎日のように満席になる小さなお店だった。
僕はその時間が近づくとソワソワと
落ち着きが無くなってくる。
何故ならアル中になってしまった叔父の
的にされてしまうからだ。
アルコール依存症の周期はだいたいいつも
2ヶ月まともで3ヶ月は常にお酒を飲み暴れ
やがて1週間ほど禁断症状になり震え
またしばらくの間まともになる。
お酒を飲んでいない時の普段の叔父は
本当にとても優しい人だが
いったんアル中になってしまうと
みんなが怯えて近づかなくなる。
それに苛立った叔父は当たり前のように
決まって僕を殴りにやって来た。
掘りごたつに隠れてもトイレに籠もっても
結局見つかり引き吊り出される。
だから僕は考えた。
母の最後に被るかつらさえ無くなれば
母はお店に行く事が出来ず
ずっと僕のそばに居てくれるだろうと。
夕方5時
母のいつもの身仕度が始まった。
僕は横で落ち着き無く一連の仕草を見ていた。
「あれっ?」
母は かつらが無いのに気づくと僕に
「かつらどこいったか知らん?」と
聞いてきた。 僕は目を反らし
「知らん…」と
首を横に強く振った。
母はあちこちを探しやがて鏡台の裏に隠して
あったそれを見つけた。
僕は涙を溢れさせながら
「いやや!かぶらんとってや!
それつけたら お母さん どっか行くやろ!
僕またどつかれるねん!」と
泣きながら必死にしがみついた。
だが母は
「ごめんなごめんな、でもお母ちゃん
働けへんだらみんな食べていかれへんねん」と
言って涙ながらにそのかつらを身に付けた。
僕は脱力し握りしめていた
母の着物の袖から手を外した。
玄関に向かういつもの長い廊下
母は いつになく何度も僕を振り返りながら
そして仕事へと向かった。