破壊と想像のシンフォニー 〜おさかな天国〜
テーマ:おさかな天国
さかなさかなさかな〜♪
さかな〜を〜食べ〜ると〜♪
あたまあたまあたま〜♪
あたま〜がよく〜なる〜♪
耳にこびりついて今も剥がれ落ちることのないメロディで目が覚めた。目の前には真白い天井。この病室に俺はひとりで居る。
「お目覚めですか、佐藤さん」
「ああ、おはよう」
今日もスピーカーに向かってあいさつを返す。向こうさんは俺のバイタル・サインをモニターして起床しているかどうかを観察しているので、声の主にはいまだに会ったことがない。
「何か変わったことはありますか?」
「特になにも。いつも通りだよ」
「わかりました。15分後に朝食をお持ちしますので朝のストレッチをしてお待ち下さい」
「ん」
顔を洗って、鏡に映る自分の顔を見る。
なんとなく切られたボサボサの髪、無精髭。疲れ切った目は一年前からなにも変わっていない。
「今日も冴えない顔だな、我ながら」
とは言いつつ自分では多少気に入っている顔をあらためて、朝日が差し込む窓を見る。
少し高い位置にある窓からは今日も青い空と背の高い木の葉っぱが格子越しに見えている。
「今日は……34枚かな」
収容されて以来、ここから見える葉の数を数えつつ微妙な色の変化を見るのが俺の数少ない楽しみになっている。葉を揺らすそよ風を最後に感じたのはいつだろうか。
この隔離病棟の個室には最低限生活できるだけの設備以外は何もない。娯楽物おろか、辞書のひとつも持ち込んではいけない決まりだ。差し入れも、そもそも持ってきてくれる人がいるかは別として、原則許されていない。
「朝食をお持ちしました」
カシャン、と扉下部の小窓から食べ物が差し入れられた。俺はいつも通りトレーに乗ったパンとタンパク質ジャーキー、ビタミン剤を受け取った。
トレーは回収され、この部屋に次の変化が訪れるのは昼食の時間となった。これもいつものことであり、俺は暇つぶしにゆっくりと朝食を頬張る。
はずだったのだが。
「佐藤さん。朝食はお済みになりましたか」
一時間ほどして、いつもの声が語りかけてきた。
「ああ、あとジャーキーを半分食べれば終わりだよ」
「では、済み次第お知らせください。面談を行います」
「面談だって?君らはいままでずっと、誰にも会わせてくれなかったじゃないか」
「『パラダイス・フィッシュ』事件の被害者は一年の療養観察を問題なく終了した場合、面会を交えた治療へと移行することになっています。佐藤さんの場合、本日から面会を行い社会復帰を目指します」
なるほど。一年経ったという感覚は当たっていたようだ。カレンダーも時計もないこの部屋では自身の感覚を確かめる手段は日光くらいのものだったので、なんとなく嬉しい。
「オーケー、食べ終わったよ。どうすればいい?」
「わかりました。ベッドに腰掛けるなどして、そのままお待ち下さい。担当の者が参ります」
「はいよ」
言われたまま、ベッドに腰掛けているとすぐにドアが開いた。
「佐藤さん、初めまして。わたくしがあなたを担当する面談官、野原です」
聞き覚えのある声だ。
「もしかして、いつもスピーカーから話している人かい?」
「はい。日頃より、あなたの療養観察を担当しております」
野原は自分で持ってきた丸椅子で俺と向かい合うように座った。手には質問とその答えを記入する用紙が挟まったボード、ボールペンを持っている。
「あなたに今からいくつか質問をします。正直に、思ったままを答えてください」
「わかったよ」
「では……あなたのお名前を教えてください」
「佐藤優」
「年齢は?」
「ここに入って一年だから……26歳だろう」
「いいでしょう。記憶に問題はないようです」
「こんな簡単なチェックでいいのかい?」
「日頃の観察から、あなたに関してはこの程度の質問でよいという判定が出ています。続く質問にも同じように答えてください」
「わかった」
真剣な雰囲気に、少し背筋が伸びる。磯の香りが鼻をくすぐった。
「あなたは喧嘩をしている酔った男たちを見かけました。どうしますか」
「面倒はごめんだ。関わらないようにする」
「災害が起きました。物資の配給の列に並んでいると割り込まれ、このままではあなたの取り分が足りなくなりそうですが」
「んー、これも面倒だよ。諦めて別の手段を考える」
「あなたが休憩していると、いとこの子が遊んでほしいとせがんできました。どうしますか」
「面倒だ……と言いたいところだけど、大人気ないマネはできない。遊んであげるよ。俺にいとこはいないけれどね」
「精神状態も安定しているようですね。結構です」
「よかった。ここには何もないからさ、おかしくなっちゃっているかもと思っていたんだよ」
心の底からホッとした。他の人にもしばらく会っていないし、早くここから出ないと。魚は好きだが、そろそろ飽きてくる。
「今日の面談はここまでにしましょう。何か他の質問はありますか?」
「そうだなぁ……結局俺らの治療はどれくらい進んでいるんだ?」
「スマートドラッグ『パラダイス・フィッシュ』の研究が進み、すべての被害者の脳活動を元に戻す理論が完成しました。あなたにも三週間後にプログラムが施され、その後の経過観察で問題がなければ通院治療へと移行する予定です」
「ありがとう。ところで、あそこの窓を見てほしい。葉っぱが見えるだろう、何枚か数えられるかい?」
「葉っぱ……ですか」
野原の目線が逸れた。そうだな、ボールペンが使えそうだ。
「ここからではとても数えられません」
「そうかい、ありがとう」
俺はボールペンを野原と名乗った奴の首筋に突き立てた。野原はそのまま横倒しになり、ぴくりとも動かなくなった。
「危ない危ない、これ以上魚人間たちに何かされてたまるかよ」
少し気色悪かったが、魚頭の怪物の首筋からボールペンを引き抜く。これを持っていけばもっと役に立ちそうだ。
「相変わらず磯臭い連中だよ。あの薬を飲んでなきゃ俺もこうなっていたと考えると恐ろしい」
あの薬は俺らを賢くしてくれただけでなく、突然の魚頭ウイルスから俺たちを守ってくれたんだ。治療とやらも、俺たちから抗体を取り除くための嘘だったと確信している。
「さて、他の連中も助けていかないと。三人寄れば文殊の知恵というし、まともな人間の仲間は増やしておかないと」
開きっぱなしのドアから外に出ると、廊下に並んだ同じようなドアから他の連中も出てくるところだった。
「みんな無事だったか。よし、力を合わせて脱出するぞ!」
さかなさかなさかな〜。
歌を口ずさむ。
みんなも同じく、慣れ親しんだ歌を口ずさんでいた。
パラダイス・フィッシュ事件
一年前に起きたスマートドラッグ『パラダイス・フィッシュ』を使用した人間による一連の暴動、破壊行動の総称。パラダイス・フィッシュ使用者は知覚、思考が強化され、長時間の労働に耐えられると謳われていた。実際には認識障害の副作用があり、使用者は口を揃えて魚人間たちに対抗すると言い、おさかな天国を口ずさんだ。現在、彼らのほとんどは収容されて治療を受けている。そもそものドラッグを流行らせた元凶はいまだに調査、捜索中である。