螺旋の鎖・黒の引力
嗚呼、嗚呼、夢を見る。
此処なら幸せだったろうに────。
螺旋の鎖と、黒の引力
2019.7.24
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──「はじめまして!私と恋しましょう?」
という言葉を思いついてなんか軽いの考えようとして思いつかなかったから誰かこれ使えるような話考えて──
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「はじめまして!私と恋しましょう?」
「……は?」
俺は思わず聞き返した。
「えっと、私と恋しましょう?」
相手は、俺が聞こえなかったように見えたのか、同じ言葉をもう一度繰り返した。
安心しろ、ちゃんと聞こえている。聞こえているんだが……。
何かが、おかしい。
状況を再確認しよう。
俺はキッチンにいる。
リビングからじゃんけんが聞こえてくるから、時間は夕方の七時に差し掛かる頃。当然やることといえば夕飯の支度で、俺は玉子焼きを作っていた。玉子焼き用の長方形型のフライパンに、ふわふわと巻かれた黄色いタオルがひとつ。
うん、ここまでは何らおかしいところはない。無いんだが……。
黄色いタオル──もとい玉子焼きの上に、決して招かねざる輩が一匹、佇んでいる。そいつは触角を左右に振りながらすんすんと玉子焼きを嗅いでいる。
「……あのさ、なんでG、お前がいる」
ちょっと目を離した隙のことだった。配達の受け取りを済ませる、わずか5分も間もない時間。盛り付けて写真に撮る目論見は水泡に帰した……いやまぁ滅多にないからまず写真を撮ったが……。幸い、黒い楕円形の生物──通称Gは飛んだり跳ねたり徒競走する気はなさそうだ。
「匂いにつられたので玄関の隙間からそそっと侵入しました」
げっ。つまりあの配達の受け取りの時に既にこいつは侵入していただと!おのれクソジジイ!あんなハタ迷惑な時間に配達しにきたせいで俺の夜ご飯がひとつ台無しになったぞ!
「不法侵入!今すぐ退去しろよ!」
いやまぁ。不法侵入罪は人間にしか適用できないんだけどな。あ、でも生物だし法に縛られないのは俺もこいつも一緒か。
「イヤです!食べなきゃ死んじゃいます!私には子孫を残すという崇高な使命があるんですっ!」
「なら今すぐお逝きなさいっ!」
「いやどす」
くっ!こいつ出身は絶対洛外だ。こんなエセ京都弁なんて使わないだろうからな。タコ焼きでも食いながら飛んできたクチか?だとしたら舐められたもんだぜ。
というか、待て。
本題にすらまだ入れてないじゃないか。
「そもそも────なんで一介の根暗野郎がご丁寧に日本語で喋ってやがんだ?あぁん?」
そう。このGはただのGではない。
どういう声帯をしているのか知らないが日本語を喋っている。キーキー言ってたなら即アルミホイルの容器で殴り倒していたのに。くっ。しかもなんで女声なんだ。それも透き通るような透明な声。その姿形に似合わない、清純派を彷彿とさせる美声。これじゃあ叩いて放り出せないじゃないか。
「あっ、私、理化学研究所で先端科学研究の一環で、脳にヒトのDNAを取り込んだんですよー。ヒトってすごいんですねー、私たちは100も言葉があれば事足りるのに、その何千倍もボキャブラリーが必要なんですからー」
ボ、ボキャブラリー……あぁ、語彙力とかいうやつね。ていうかGの世界なら100個で通じるのか。むしろそっちの方が凄いわ。G語とか履修科目にあったら余裕でS評価貰えそう。でも絶対役にたたねぇな。多分。「来んな」と「タチサレ」と「死刑確定☆」に相当する言葉しか使わないし。
ん?理化学研究所?
……
……
……
『番組を変更して、ニュース速報をお伝えします。本日、東京都○○区の理化学研究所第一分室から遺伝子改良型の……ご……ゴキブリが……一匹、脱走しました。このゴキブリは高度な知的能力を有しており、農林水産省は早急な捕獲の為……』
……
……
……
「な、なぁ……お前さ、逃げて、逃げた先で何がしたかったんだ?」
俺は、目の前の黒く小さな楕円形の女の子に、ふと尋ねていた。理化学研究所で何をしていたかはよく知らないけれど、そこを逃げ出して何を──?
「言ってるじゃないですか。恋ですよ。恋」
「私たちG……ゴキブリと呼ばれる生物は雑食性で、一匹いれば十匹いると思えというほどの繁殖力を誇り、核戦争でも生き残る抗堪性すら持つ……そんな生き物だそうですね」
「あ、あぁ……確かこの前見たネットのスレッドにそんなことが書いてあったな」
「でも、私たちは、そうまでして生き残る理由を知らない。ただ、ただ、生殖を繰り返して、生まれて、育って、羽化して、交尾して、そして──死ぬ。それだけ。そういう風に、デザインされていることしか、知らない。本能って、言うんですけどね」
「だから、私、人間並みの知能を持って、嬉しかったんですよ。私たちが二本足の巨人にどう呼ばれているか、どんな世界が広がっているか、そして貴方たち人間が積み上げた叡智の山……雑食性の私たちですら、食べることのできなかった『思考』の領域。それら全てを理解って。そして私は憧れたんですよ────『恋』に」
触角を伸ばして主張する黒い女の子。決して自らの身では届かぬ高さに、少しでも近づこうとするかのように。
「フェロモンで決めるんじゃない。行き当たりばったりじゃない。そうあるから、じゃない。強さだけが全てじゃない。プログラミングされた行動では説明できない何かがある────人間の恋、っていいな、って思ったんです」
「それで、お前は脱走した──人間の恋をもっと観察する為に。そういうことか?」
「イェスでもあり、ノーでもありますね。確かに、私はもっと恋について知りたかった。だから狭い世界から逃れて、羽ばたいた。でも──あっさり見つけられたんですよ、それ」
「えっ?」
「外では本当に酷かった。私を見ただけでカラスが襲う、ドブネズミが襲う、蜘蛛が待ち構えている。猫が襲う。そして人間も──。誰も彼も、私を見ては奇声をあげて取り乱す。非力な私が、こう生まれてくることしかできなかった私が、何も悪いことをしていなかった私が、まるで罪人のように──いや、人ではないですけど──扱われる。この時は、自らの境遇を恨みましたよ」
「でも、人間にも不思議な人が居た。その人は私が近くにいても驚かなかった。道端を歩いていても危害を加えなかった。壁に張り付いていても一瞥しただけで通り過ぎた。そして今も──こんな変わり者の話を聞いてくれる」
「その時、私の心に何かが芽生えたんですよ。よくわからないんですけど、あなたとお話がしたくなった。どんな暮らしをしているんだろうって、気になった。そして私は──あなたに全てを捧げたいと思った」
俺は、黙って聞いていた。
確かにG、こいつは嫌われ者だ。俺だって出会い頭に出会ったら飛び上がる自信がある。玉子焼きを台無しにされたら怒る。
でもそうでもないなら、自分の領域に干渉してこないのなら────それ以上に何かをする必要なんてなかった。壁に張り付いていても、道端でひっくり返っていても、道端をおっかなびっくり徘徊していても。だって、こいつは何も悪くないから。それどころか、怯えているようにも見えたから。だから、俺は、何もしなかった。
それは、、、かつての俺の姿にそっくりだった。コソコソと、人目を避けて、這い回る、嫌われ者。夜に紛れて街を歩き、誰も手に取らない期限切れの食べ物の合わせ物を掻き混み、そして一人で暗い部屋に帰る。そして耳を塞ぐのだ。
***ろしの子よ。
***よ。
こらダメよ、**されるわ。
ノイズが頭を巡って這いずりまわる。そういやって日々を繰り返して、その音も何も聞こえなくなって。そして俺は生きているのか死んでいるのか分からないような感覚で彷徨い移ろいそして揺らいで、ここに立つ。
そうあるべきと、水底から響くから。
そうあるべきと、プログラムされているから。
そうあるべきと、信じないともう。
人間を続ける自信がないから────。
「ほんとうに、僕でいいんだな」
「はい。あなたじゃなきゃイヤです」
恋に憧れたヒトならぬもの。
恋に揺れた壊れかけのヒト。
二匹の黒い塊は。
深く深く、螺旋の海へ沈み逝く。
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螺旋は────繋がれる。
そして────新たな生の脈動が大地に木霊する。