7-13
動かなくなる四肢、
暗くなる視界、
緩やかに全てが曖昧に、
そして脳裏を過るこれまでの記憶、
ああ、
これがきっと、
全ての生命体が必ず迎えるという、
等しく受け入れざるを得ない、
死、というやつなのだろう。
■ 妹が大切で何が悪い ■
「……これはまた随分と穏やかな場所だな」
雲一つない青空と、風一つ吹かずに凪いだ水面。鏡面の様にピクリとも動かず、水平線の先までそれは広がっている。そして白色の台座と、その上に設置された同色のテーブルと5つの椅子。
気がつけば。俺はその1つに座って、水平線の先を眺めていた。先ほどまでのビルの内部とも、或いは真っ暗な世界とも違う世界。幻想的で、だけどどこかで見た事とがあるような気がする世界。
はてさて。此処はいったいどこだろうか。いつの間にかに別の場所へワープでもしたのだろうか。
……いいや、そんなはずが無い。
「……右腕、動くのか」
ぐっぱっ。開いて、閉じる。掌と拳。
全く動かなかった筈の右腕から先が、何の問題も無く動いていると言う奇妙奇天烈な状況。そしてどこか軽い身体。疲労が失せたかのような、そんな気持ちの良さ。一瞬で全快でもしたというのだろうか?
……ははっ。ありえねぇ。ありえるはずが、ねぇ。
そんな安い奇跡、ありえねぇ。
「死んだか? ……いや、そんな単純な話でもなさそうだ」
死んだのかと。そう思った。だがすぐに否定する。
まだ魔力を感じる。俺とネムを繋いでいる線。そこから鼓動の様に、ゆるやかに流れてくる魔力。
もしも本当に俺が死んだのなら、そうはいかないだろう。
とすれば、察するに、
「仮死状態。夢みたいなもんか」
「まぁ半分正解と言うところかな」
尊大な物言い。それはすぐ傍らから。
視線を向ければ、席が2人分埋まっている。
亜麻色の髪。小柄な体躯。髪と同じ亜麻色の眼。そして幼さが残る可愛らしい顔立ち。
鈍色の髪。俺と同程度の身長。挑発的な黄金色の眼。そして某少年アイドルグループを彷彿させる、所謂イケメンと言う呼称が合う顔立ち。
少女の方はミリアとして、もう1人は、
「お前が、ライオットか」
「その通り」
訳もなく肯定される。まぁ否定されたらそれこそ誰だお前って話だけど。
「なるほど。死んじゃないけど、その瀬戸際か」
「そちらの方が正しいかな。ま、諸手を上げて歓迎できる状況ではないよ」
そりゃ困ったもんだ。深く椅子に座り直す。
とは言え、死んでないならやりようあ幾らでもあるさ。
「氷雪系……あれが噂に聞く『氷眼』でしょうかね」
「『氷眼』?」
「はい。教会が定めたトップクラスの実力者にして、『鬼神』シグレと並ぶ危険人物です」
「てことは、強いってことか」
「馬鹿言わないでくれ。あの程度、シグレの足元にも及ばないね。凍らすだけが能だろう」
「あー……察するに俺は、その『氷眼』さんとやらの能力で、凍っているってことか」
ノイズは置いておき、ミリアに状況の確認を取る。話が出来ない奴に構っても意味がない。
「その通りです。キョウヘイさんは元より、あの部屋自体が今は氷漬けになっています」
「……そらマズイな。このままだと凍死するってことか」
「あー、その、言い難い事なんですが……」
「どっちかと言うと凍死している方か? でも凍った状態から生き返った人がいるって話を聞いた事があるな。なら、仮死状態か。死にたてホヤホヤってことだな」
「察しが良すぎてなんか複雑ですが、概ね仰る通りです」
「意外と取り乱さないね。まぁこの僕を無理矢理にでも使役すると言ったんだ。そうでなくちゃ困るけどね」
「お前ホントうるせぇのな」
ああん? おおん?
思わずライオットとにらみ合う。こちらと喧嘩を売られて易々と引き下がれるほど、大人びているつもりはない。ましてや死にたてで気が立っている状態だ。
殺すか、こいつ。何の役にも立たねぇし。
テーブルの下で、握り拳を作り、
「言っときますけど、喧嘩しても無駄ですよ。ここはキョウヘイさんの精神世界の中ですから」
「ミリア、どういうことだ?」
「この精神世界では実体なんてありません。魔力で形作っているようなものです。ですから、喧嘩したところで疲れるだけです。なーんにもなりません」
怒るだけ無駄ですよぉ。そう溜息と共に吐き出す。その様子を見るに、似たような状況はミリアも何度か経験済みなのだろう。……ライオットを取り込んでから然程も時間が経ってない筈なんだけどなぁ。
「精神世界って、思ったより自由度低いんだな」
「まぁ、そこはなんというか……本来ならそうじゃないんですけどね。アレがイレギュラーなだけですから」
「2人揃って先ほどから失礼な物言いだね、全く」
件のイレギュラーことライオットからの冷めた視線。
どうでも良いけど、それを向けたいのはこちら側なのだ。
■
「状況を整理すると、俺は死にたてホヤホヤで、氷漬けにされているってことか。それでもって、生き返られる可能性は五分五分なんだな」
「そうですね。付け加えるのなら、私たちだけの力で復活する事は難しいってところでしょうか」
「部屋ごと氷漬けにされているのは厄介だね。目を覚ますことは難しくないが、そこから先が続かない。氷漬けで即再冷凍からのこの場所に戻ってくるのがオチだろうね」
「それでもって、この状態が続けば目覚める可能性も無くなっていくと。……ったく、中々素敵な状態じゃないか」
無事に復活するには、第三者による助けが必要。他者に頼らざるを得ない状況ってのは、中々に厄介だ。
ましてや今は、氷漬けで身動きすら取れない状況。
本当に素敵な事である。クソッたれ。
「目覚めたとしても、『氷眼』が相手側にいるのは厄介です。今回みたく一瞬で氷漬けにされては、対処のしようがありません」
「寒けりゃ筋肉も固まる。疲れていたとはいえ、まさか全力の蹴りが防がれるのは予想外だった」
「あの程度で全力かい? それは笑えるね」
「おう『氷眼』以下の負け犬。キャンキャン吼えるな見苦しい」
「はぁ? 死にたいのかい?」
「そっくりそのまま返してやるよ」
ああん? おおん?
再びライオットとにらみ合う。そして溜息をこれ見よがしに吐くミリア。
「イライラするのは結構だけど、事実を指摘されたからって噛みつかないでほしいなぁ。その余裕の無さが君の浅ましさを如実に表しているよ」
「そっくりそのまま返してやるよ。シグレのケツばかり見ていてアレの思惑も分からない分際に説かれたくねぇんだよ。そもそもサイの裏切り者云々の前に、アイツもお前を切り捨ててんだろうが。状況も何も分かろうとしないそのキチガイ狭窄症治してこい」
「お尻を見てばかり? 馬鹿な事を言わないでくれ。ボクはシグレの全てを愛している。彼女の着物越しに見えるなだらかで小ぶりなその形状には確かに目を奪われるが彼女の魅力はそこだけじゃない。あのきめ細やかな肌も少し眇められる眼も可愛らしい口元も悪戯っ子ぽく微笑む表情も迸る汗も喘ぐような息づかいも抱きしめてしまえば折れそうな儚さも何もかも全てを僕は愛していると高らかに言えるね。ああそうとも宣言できる。どれか一つだけしか好きなところを挙げられないなんてナンセンスの極みだよ。全く以って度し難い」
「本当に気持ち悪いのな、お前」
なんだか馬鹿らしくなってきた。溜息で会話を打ち切る。どうでもいいわ、コイツ。マジで。
「『氷眼』の特性上、寒さが効かない様に、影鬼で身を包んで戦う方が良いかもしれません」
「なるほど。確かにアリだな、その戦法は。氷漬けにさえされなければ、動き続けられるもんな」
「はい。ネックは今仰られた通り。氷漬けにされたらアウトなこと。あとは影の中に引っ込み、奇襲をかけるかってところですね」
「そうか……つくづく本調子じゃないことが悔やまれるな」
「はい。せめて影鬼さえ行使できれば、私たちが影鬼としてカバーするなど抵抗の手は増えましたし、影の中に逃げる事も出来ました」
タラレバを言っても仕方がない。結果だけを言えば、俺たちは命の奪い合いに負けたのだ。ただ死んでないだけ。
ギシッ、と。背もたれが鳴るのにも関わらず、体重を預ける。
そしてそのまま天井を見上げる。
「残された時間は有限……この世界が真っ白に染まり切ったら終わりって感じかな」
「タイムリミットとしては、そうですね。その前に目覚める事が出来ればいいのですが……」
「この氷を解かすんだ。サイみたいな阿呆が来ても仕方がない。炎を操れる者が来るのがベストだ」
炎、か。それならばアリア……と言いたいところだが、生憎と彼女の大剣は壊れてしまっている。この日までに他の剣を探し回ったが、終ぞ彼女に合う剣は見つからなかった。
巡り合わせの悪さに思わず顔を顰めるが、今更どうもしようがない。カタリナの剣も、影鬼に仕舞ったままである以上、俺が目覚めない限りは取り出せないだろうし……
「そこは考えても仕方がないか。それより、『氷眼』の対処法だな」
第三者の助けがない限りは、俺は目覚められない。癪だが、今はそう言う状況だ。
なら、考えるべきは目覚めた後の事。リベンジの機会を得られた時の事を考え、対策を練る。その方がよっぽど建設的だ。
「相手が氷なら、溶かせるくらいの炎を用意するのが、一番簡単に出せる案だよな」
「或いは凍結より早くに仕留める。それこそシグレの様に、ね」
「一太刀で首を刎ねる、か。確かにシグレ程の実力なら、それも容易いな」
「見たところ、『氷眼』は凍結させるというその能力に比重を置いている。才能に胡坐をかいているわけじゃなさそうだけど、それ以外に次点で繰り出せる手があるとは思えない」
「己の才能を突き詰めるのも立派な戦略だが、それ一つしか手が無いのならやりようはあるな。……万全の状態で、抵抗の間も無く、一撃で潰すのが最も有力な手か」
「だろうね。そもそもボクを倒したんだ。君なら凍る前にさっさと仕留められるだろう?」
「言ってろ。理由がどうあれ負けたのは癪だが、次は殺す。絶対にな」
「……本当はお2人って仲良しなんですかぁ?」
「「失敬な」」
ミリアには悪いが即答で否定する。コイツと仲良しとかたまったもんじゃない。
「目的が一緒なだけさ。それは取り込みの時からそうだろう?」
「サイもそうだしイーリスもそうだし今回の『氷眼』もそう。対抗できる手は多い方がいい」
「最終目的のためには、プライドを捨てる時もあるだろう。そんなようなものだよ」
「アイツらを殺す。それが俺たちの共通の考えだからな」
そう、殺す。アイツらを。その言葉の通りだ。
イーリスはともかく、サイや『氷眼』に恨みはない。だが邪魔をするのなら殺す。邪魔になるのなら殺す。それはアイツらだって同じことだから。『氷眼』も同じような事を言っていたのだから。
「……そう言えば。『氷眼』の奴、何か言っていたな」
「何かって?」
「えーっと……」
何かが脳に過る。記憶を掘り返す様に、必死に思い出そうとする。
恨みが無いとか、前から知っているとか……えーっと、そう言うのじゃなくて……
「何だっけな……アイツ、なんて言っていたっけ?」
「状況が状況なので、あまり覚えていませんが……えーと、そう言えば、キョウヘイさんの事を知っていたような」
「偶然だけど、って言っていたね。確かに不思議な言い回しだった」
「あと、いることは分かっていた、とも言っていたかな」
「ああ、そうそう。そう言って――――」
納得。そしてすぐに疑問。
それは、今の言葉に。
より詳細に言うなら、その発言者に。
「……何かいると思いはしたが、君は?」
「……今まで、いなかったですよね?」
ピリッ、と。空気が固まる。明確な敵意。それは現れた第三者へ。
真っ白なローブに全身を隠した、小柄な人物。声から察するに、女性だろうか
そんな人物が、空いている席の一つに、いつの間にかに座っていた。
「疑われているね。でも、怪しいものじゃないよ」
「どーだか」
「信頼が無いね。まぁ、仕方ないけど」
そう言って、頭部を露わにする。現れたのは、さらりと揺れる黒色のセミロングに、同色の眼。一佳と同い年くらいの、高校生くらいであろう可愛らしい女の子。
どこかで見たことがある。そう思うよりも先に動いたのはライオット。
無手のまま。彼は飛び掛かり、
「甘いよ、ライオット」
弾かれる。何もしていないのに、まるで見えない弾力性の壁に突っ込んだかのように、水面へと弾き飛ばされる。
「……チィ」
ライオットは聞こえるくらいに激しく大きな舌打ちを零した。それからその女に向けて、離れていても分かるくらいの殺意を飛ばす。
「相変わらずだね、もう。そんなに私の事が嫌?」
「よく言う。人のシグレを誘惑する阿婆擦れが」
「……前々から言おうと思っていたけど、気持ち悪いよ」
「どうした? 被っていた皮が剥がれているぞ」
敵意も殺意も隠さずにぶつけるライオット。それに対して流すようで流せずに不機嫌さを露わにする女の子。
どこかで……そう、どこかで彼女の事を目にしたような覚えはあるのだが……
――――うん。初めまして、橘さん。
「……そうだ。イーリスになる前の、イーリス。確か、名前は、」
「入須恵。お久しぶりです、橘さん」
ぶわっ、と。脳裏に過る記憶。シュヴァルグランが見せた光景。シグレとの二人旅。相対と変貌。そしていつの日かに、同じような場面で会話をした事。
頭痛すら覚えるかのような痛みと共に、脳裏に過る……いや、蘇る光景。
■
「キョウヘイ、コイツを知っているのかい?」
「シュヴァルグランに色々とやられた時にな。それと、前に少しだけ話をしたことがある」
あの時はなんだったか……そうだ、シュヴァルグランの試練の真っ最中だったか。
ミリアと脱出方法を試行錯誤している最中に見た、夢の世界での話。
「御気の毒と言うかご愁傷さまと言うか……コイツに関わるとはキョウヘイも運が無いね」
「シグレのストーカーは黙ってよ」
「は? 誰がストーカーだって? それこそ君のことだろう?」
うーわっ。思わず引く。いきなり喧嘩腰のライオットもそうだけど、それに応じる入須も入須だ。
ミリアは傍で呆れを隠そうともせずに溜息を吐いた。これはもう建設的な意見の交換は望め無さそうな雰囲気である。ここは俺の内面の筈なのに。
「なんですぐに喧嘩腰になるのかね?」
「それ、キョウヘイさんが言います?」
ジト目で睨まれる。解せぬ。ライオットと口論をしている時の俺はあんな感じなのだろうか。それも解せぬ。
「此処に来たって事は、口論意外に何か用があるんだろ? 端的に簡潔に説明してもらえるか」
にらみ合っても何も生まれないので、説明を求める。時間は有限なのだ。
視線を先に外したのは入須の方だった。溜息とともに視線を切り、此方の方を見る。
「ゴメンね、いきなり。でもいい機会だから」
「氷漬けにされているところがいい機会か。中々皮肉が効いているね」
「うるさい黙れ」
「ライオット、ストップ。どうどう」
「なぁ、馬鹿にしてるの?」
それ以前の問題なんだよなぁ。馬鹿にする云々じゃなく、割と本気で真面目に黙っていて欲しいのだ。
そもそもとして説得は無理なので、続きの言葉は無視をして入須に向き直る。
「話の続きだけど、此処にこの状況で現れたって事は、『氷眼』関係ってことか?」
「あー……まぁ、そんな感じ。何て言うか、本当に端的なっちゃうんだけど、このままだとイーリス逃げちゃうから」
「は?」
突然の言葉。だが俺の理解を待つことなく、入須は続きを紡いだ。
「イーリスは、もう逃げる算段を整えている。最初からアイツは、こんな戦いなんてどうでもよかったんだよ」




