7-11
繰り返しになるが、今の俺の状態は最悪だ。
動かない右腕に、疲労困憊の身体。
ミリアも一切動けない状態で、魔力も枯渇気味。
今此処で敵の襲撃を喰らえば、間違いなく負ける。
ならばこそ、戦力は必要だ。例えそれが毒になる可能性があろうとも。
『……いやいやいや、何を言っているんですか!?』
焦ったようなミリアの声が聞こえるが、今は無視。知りたいのは出来るか出来ないかだけ。そしてミリアが声を荒げて可否以外の言葉を発したと言う事は、出来る可能性はあるってことだ。
「ライオット。手を貸せ、とは言わん。無理矢理に使役する」
転がっている剣の、その柄を掴む。ドクン、と。一際大きく心臓が跳ねたかと思うと、先ほどよりも至近距離で、盛大な溜息が聞こえた。
『大した判断だと思うよ。けど、英断とは言い難いね。逆に僕にその身体を乗っ取られても、それでも良いって事かい?』
「馬鹿言え、誰が渡すか」
『君の言う事を聞くつもりは無いけど?』
「構わねぇよ。言ったろ、無理矢理に使役するって」
『会話になって無いんですけど!? 止めた方がいいですよ、キョウヘイさん!』
ミリアが焦りを隠さずに止めようとするが、それを聞いてはいられない。聞いていられる余裕が俺には無い。
「ライオット。お前を取り込む目的は三つある」
ミリアとライオット。双方に聞こえる様に、意思を声に出す。
「一つ、サイへの対抗策」
『まぁ、そうだろうね』
「二つ、イーリスへの対抗策」
『それも予想の内だ』
頭が回るようで結構。まぁこの二つは想像もつきやすいだろう。
「三つ」
言葉を、一旦区切る。平静を装う様に、鼓動を落ち着かせる。
「シグレへの対抗策」
『……ふぅん? 舐められたもんだね、シグレの名を出せば僕が靡くとでも?』
怒り。一瞬で気配がどす黒く染まる。分かりやすいほどの不機嫌。
「馬鹿言うな。言っただろう、対抗策って」
『シグレの名を出せば、僕が喜んで協力する。そう考えている様にしか聞こえないんだよね』
「うわっ、めんどくせぇ」
やべぇ。そう思ったが遅い。思わず漏れ出た本心に、ライオットは柄の部分からどす黒い何かを放出し始める。
『はあああぁぁぁぁぁぁぁぁ……気に入らないと思っていたがやはりその通りだ君は筋金入りの愚か者だよ全く以って理解が出来ない度し難い事この上ないね一片どころか百片程死んでも君のその愚かさは改善しないだろうああそうとも間違いないもう限界だそもそもの話君はシグレに認知されていると言う事実に泣いて喜ぶべきだと言うのにその態度は何だって言うんだい全く以って嘆かわしいよああ本当に嘆かわしい彼女の素晴らしさを1μも理解できていない愚か者がこうして存在しているこの状況が――――』
「うわっ、キモッ」
思わず――――そう、思わず。俺は握っていた柄を話してしまった。流れ込む様にして浴びせられたキチガイの言葉に、反射的に拒絶をしてしまった。
当然、放してしまえば剣は落ちる。重力に従う様に、真っすぐに真下に。
そして真下には、俺の影。即ち、影鬼。
『き、君と言う奴はっ!!!』
我に返ったのであろうライオットが、何かを言った。言ったが、最後までは聞き取れない。聞き取る前に、ずぶずぶと影の中に入っていく。
『えぇ……本気ですか、キョウヘイさん』
ミリアの呆れを隠さない声。
それに何も言い返すことが出来ず、俺は溜息を吐くしかなかった。
■ 妹が大切で何が悪い ■
昔の話だが。
まだ社会人になって、2年目くらいの時。
俺は牡蠣を食って、ノロウィルスに当たった事がある。
アレはもう最悪だ。出しても出しても終わりが見えない。上からも下からも水を出し続け、トイレから出る事ができずに、ひたすらに世界を呪う。
今の気分は、その時に近い。
言葉にし難い気持ちの悪さ。吐き気の範疇に治まらない旨のむかつき。点滅する視界。先ほどまでの絶不調が笑えるくらいの、サイアクの気分。
「おっ、ぅぅえ……」
吐き気を外に出そうとも、元々胃の中には殆ど入っていない。僅かな水分が飛び出ただけだ。
回った視界に屈して地面に膝を着けば、脳内にあのキチガイの声が響く。
……何を言っているかについては、言葉にするのも悍ましいのでノーコメントで。
「失敗だ……」
毒を喰らわば何とやら。だがその毒に当たっちゃ意味はない。
手早く成果を得ようとしたはいいが、これじゃあ本末転倒である。
「黙ってろ、キチガイが」
こりゃあ消化までにどれだけの時間が掛かる事やら。流石のミリアも、ライオットを制御する事は出来ずに、寧ろ追いやられてしまっているらしい。残念ながら声が聞こえない。
我ながら選択肢を間違えたとしか言えないが、今更後悔しても遅い。
「一佳がいれば……いや、無駄だな」
一佳ならばこの手の事には強いかもしれないが、今それを考えても仕方がない。無いものに希望を託しても仕方がない。今俺の手元にあるものだけで、この状況の改善方法を考えなければならないのだ。
と言っても残念ながら、そんな都合のいいものを俺が持ち合わせている訳もなく、堪える以外の選択肢は無いのだが。
「はぁ……ったく」
己の迂闊さ、愚かしさ、馬鹿さ加減。そういったモノにほとほと愛想を尽かしながら、それでも立ち上がり進む。寝転んでいても、何も解決しないからだ。
「アンタ、橘恭兵だな?」
そしてまぁ何と言うか……我ながら巡り合わせの悪さに呆れてしまいそうだ。
進もうと思ったその先。手を掛ける前に扉が開いたかと思うと、そこには見知らぬ男がいた。加えてご丁寧に、人の事を名指しで指名してくる始末。しかも友好的とは到底思えない、敵意に満ちた声色。
畳み掛けてくれるね、全く。愚痴を溜息に変えて吐き出す。何と言うか、まぁ……こういう不都合な事って、よく重なるよなぁ。
「……だったら?」
嘘を言っても意味はない。顔も知らぬ筈の相手に、断定に近い問いかけをされているのだ。相手方には俺が橘恭兵である確証があるのだろう。
左拳を握る。魔力も籠っていない、その拳。何かあればいつでも見舞えるように、固く握る。
「タカハシタクマの事を覚えているか?」
誰だよそれ。いきなりの問いかけに、思わず渋面を作る。知らない奴の名前を出されても分かるわけが無い。
ただ、まぁ。恐らくだが。出された名前の響きが日本人であることから察するに、この世界に来る前の間柄なのだろう。知らないけど。
「そうか、覚えてないか……クソ野郎が」
そしてどうにも俺はコイツに恨まれているらしい。渋面を見て俺が覚えていないことを察したのか、元々隠してもいなかった敵意が、より指向性を以って俺にぶつけられる。知らないところで恨みを買っているようだ。
「悪いが物覚えは悪い方でな。すまんがもう少し情報をくれ」
「その必要はねーよ」
言うが早いが、拳が飛んでくる。それを咄嗟に避けて、握っていた左拳でカウンターを決める。
顔面。その鼻っ柱。
「ッ……チィィ、クソッ!」
綺麗にカウンターは決まったが、如何せん地の力が不足しているので、顔面陥没までには至らない。
お相手さんは鼻が折れたのが、ぼたぼたと血が落ちていた。中途半端なダメージ。そこそこ痛いだろう。それが一層、相手の闘志に火をつけてしまったらしく、俺を睨んでくる眼は憎悪に満ちている。
めんどくせぇなぁ。口に出すのも億劫なので、そう考えるだけに留める。そして左拳を、もう一度握る。平時ならこの程度の輩、最初の一撃で終わったってのに。
「つーかシグレたちは何をしてるんだか」
コイツが来たのは、シグレ達が出て行った扉からだ。奇跡的に出会わなかったのか、或いはイーリスの意志が介在したのか……何にせよ、俺にとっては良くない事ばかりが起きている。面倒だよ、ったく。
「アンタ、名前は? さっきのタクマってのがアンタの名前か?」
時間稼ぎの意味を込めて聞いてやる。これに乗ってくれるくらいに阿呆なら楽なんだが……
「テメェが知る必要はねぇよ」
変わらぬ態度。イーリス云々を抜きにして、俺に恨みを持っている奴ってことだ。それでいて、さっきの名前の張本人では無いと。という事は、コイツの知り合いが関係するってことか。
だが如何せん、タカハシタクマと言う人物を俺は覚えていない。タカハシって奴なら、そりゃ何人か知り合いはいるが……いずれも下の名前はタクマじゃない
「教えてくれよ。流石に知り合いの知り合いをぶちのめすのは気が引ける」
「テメェ……いけしゃあしゃあとッ!」
選択肢を間違えたようだ。より一層の怒りをぶつけてくる。
だが、まぁ……逆に考えれば、この程度の言葉に揺さぶられる精神性が相手だっていうのなら好都合か。
「気に障ったようだな。悪い、怒らせるつもりは無いんだ」
「いらねーよ、そんな言葉!」
「だから悪いって。怒んなよ」
「ふざけてんのか!」
「ふざけてんのはお前だろ? いきなりキレるとか……っと」
安い挑発……にすら満たない、程度の低い煽り。だがそれにすらコイツは突っかかって来る。よっぽど俺の事が憎らしいようだ。
一直線に拳が突き出される。俺の顔面を砕こうという意思が乗せられた拳。何の変哲もない、感情のままの拳。
そんな程度の拳、カウンターを合わせるのは容易だ。
余計な力を入れず、的確に顎を狙って振り抜く。
「ッ!?」
「ほら、無理するなって」
この世界に来てから、眼は良く見えるようになった。単純な視力としてもそうだが、動体視力と言う意味でも。
俺の繰り出した拳は、しっかりと脳みそを揺らせたらしく、相手は一瞬意識が飛んだらしい。ガクンと膝が落ちて、俺に倒れ掛かる様にバランスを崩す。けどすぐに意識を戻し、耐える様に力んだ。距離を取るのではなく、その場で耐えようとする、反射的な動き。
その身体引いてやる。前のめりになる様に、優しく。耐えるなんて無駄な労力を割かせずに、寝転がりやすいように。
すると面白い様に、相手の身体は前方へと泳いだ。俺の視界には、相手の無防備な背中が広がった。護る気も無い、隙だらけの身体だ。
当然見逃すわけなく、そこに全体重を乗せてやる。
「ガッ!」
「ほら、落ち着けって。な?」
殴る力が不十分でも。影鬼を出す余力がなくても。
相手の上に馬乗りになってしまえば、動きを封じることは容易だ。ましてや背中側なら尚更。
後頭部に左手を沿わせ、その髪の毛を掴む。
「ちょっと大人しくしてくれ。な?」
言いながら、叩きつける。床に。相手のその顔面を。まだ少しでも余力がある内に、何回でも。叩きつける先が固ければ固いほど、此方の力が弱くても与えるダメージは大きくなる。
「こ、ころず」
「ん?」
「こr、ころじてや」
「そうか」
床に顔面を付けたまま、左右に擦ってやる。床と言っても、さっきまでライオットと戦って、荒れてしまった床だ。そこらの綺麗な床とは訳が違う。
「ころず」
「ああ、そう」
「あにきの、かたき」
……兄貴、か。そうか。
あれだけ煽って、カウンターを決めて、転がして。
それでも尚、怨みも、敵意も、殺意も、何もかもが衰えなかったのは、それが理由だったのってことか。
俺が覚えてないだけで、コイツの兄貴とやらに、俺は何かをしたのだ。それも酷い何かを。
これだけ強烈な感情をぶつけられる何かを。
「……ああ、タカハシって、アイツか」
ふと。記憶の端に、1人思い浮かぶ。
まだこっちに来る前の話。
一佳の事を知っていると、そう嘘を吐いたクソ野郎。
人を騙して金を取り、挙句の果てに馬鹿にしやがったヤツ。
下の名前なんて知らないけど、多分アイツだ。
「両足と両腕を折って、眼を潰して、それで山に放置したアイツか」
「て、め、」
「こんなことになるんなら、殺しときゃよかったな」
後悔先に何とやら。あの頃はまだ人殺しにまで手を染められなかった。だから中途半端にしてしまった。我ながら阿呆だ。
「げ、ぺっ」
「お前は殺すよ」
抵抗が弱まった、その隙に。
傍の影から、カタリナの剣を取り出す。今は不思議とライオットの不快感を感じないので、スムーズに取り出せた。
そしてそのまま、首に切っ先をあてがい、突き刺す。途端に飛び散る鮮血。剣は元より、俺の身体まで赤く染めて行く。
不快だが……撲殺する力が無い以上は道具に頼るしかない。
「じゃあな」
もう聞こえているはずが無いだろうけど。
まぁ、あれだ。
恨むなら、お前の馬鹿な兄貴を恨んでくれ。
■
『君は変わったやつだな』
殺した弟君の遺物を漁っていたら、不意にライオットが声をかけてくる。今までの敵意や呆れとは異なる、驚きを含んだ声。
『先ほどまで死にかけだったのに、あの男と話をしていたら、不意に枯渇していた筈の魔力が湧き出ていた』
「……そうなのか?」
『ああ、そうだ。さらに言えば、その際に今代の聖女の姿が出て来たな』
「一佳の事か。……悪いが理由はさっぱりだぞ」
『だろうな。だが事実だ。自覚がないようだが不思議な体質だな』
ライオットの言葉の通り、全く俺には自覚がない。魔力が沸き出たと言われても、他人事のようにしか思えない。
と言うか、それよりも今は何か体力回復系の物が欲しい。今回は何とかなったが、次も同様に凌げるとは限らないからだ。
「くそっ、何もねぇな」
ポーチの中にもポケットの中にも何も無い。せいぜいメリケンサックがあるだけ。と言うかこれを使わずに生の拳で向かってくるとか、そうとう俺はコイツに恨まれていたらしい。まぁ、反対の立場で物事を考えれば、俺だってコイツと同じ気持ちになっただろう。……一佳に危害を加える奴らは、殺して然るべきだ。
『怒りが魔力の回復を担っている訳か。単純な性格だね』
「うっせ」
『あの聖女の事が余程大事なんだな』
「まぁな」
別に隠す事でもないので肯定。遊仙にはシスコン呼ばわりされたが、それがどうしたって話だ。
「大切さ。大切で何が悪い。兄が妹を護らなくてどうするんだ」
『悪いと言ってないさ。お好きにどうぞ。それよりもそんなに大切なら、尚の事サイには気を付けた方がいい。きっとロクでも無い事を考えている』
「御忠告痛み入るよ」
その為のライオットだ。サイのような腹に一物も二物も抱えているような奴の裏をかくなら、こっちも相応の物を準備しないとならない。……コイツが期待通りに動く保証はどこにも無いけど。
まぁ仕方ない。暴れないだけマシだと思おう。
疲れた体を引き摺りながら、溜息が零れる。
全く以って、前途多難だよ。
※今話に出てきた名無しキャラの補足説明
タカハシタクマ(高橋琢磨)の弟
・本名は須々木拓馬。
タカハシタクマとは兄弟ではなく、兄貴分と弟分の関係。中学生のころからの仲。下の名前の読みが同じなので目を掛けられ、拓馬も慕ったのでずっと可愛がられていた。
2人とも素行の悪さで高校を中退している。実家からは勘当をされており、金を稼ぐために強盗、恐喝、詐欺と、殺人以外は何でも2人でやっていた。
恭兵の事は騙して有り金を奪うつもりだったが、失敗してタクマが半殺しにされる。その事で拓馬は恭兵の事を恨んでいた。
初期から出そうと思っていたキャラクターでしたが、機会を逸して最終章での登場、しかも1話で処理と言う憂き目に。本当はもう少し掘り下げるつもりでしたが……ある意味可哀そうなキャラクター。




