6-5
この世界の脱出方法を探し始めて、1週間が経過した。
結論から言えば、まだ脱出の目途はたっていない。
眼を覚ませばいいと。そう思っていたが、存外これが簡単な事じゃない。
あれこれと思いつく限りの手段を講じてみたが、この世界に変貌は無いのだ。
ただそれはそれとて、1週間分の模索で分かった事はある。
①この世界でスキルは使えない。ステータス画面も出てこない。
②偽りの世界と言えど疲れるし、休息は必要。
③この世界は俺の記憶を基に構成されているので、俺が行った事が無く、知識として知らない場所には行けない。
まぁ、①については説明不要だろう。出てこないモノは仕方が無い。今まで幾度となく助けられてきた人探しのスキルが使えないのは不便だが、使えないのなら使えないで、さっさと見切りつけるだけの話だ。
②は意外と言えば意外な事実だ。食事や排泄はしなくてもいいくせに、疲労はしっかり感じるのだ。夜になれば眠くもなるし、無理矢理に徹夜しようものなら、翌日はフラフラで脱出どころじゃない。
③も意外だったが、②に比べれば説明がつく事柄だ。そりゃあ……記憶を基に構成しているのであれば、知らない場所なんか描写のしようがない。例えば……と言うか、まぁ、事実なんだけど。新幹線で京都に行こうとした場合。俺は京都に行った事が無いので、京都駅で降りようとすると、何故か近くの別の駅……例えば名古屋駅とか新大阪駅に降りているのだ。アナウンスではしっかり京都駅と言っていたにもかかわらずだ。
そんなわけで。
さて、じゃあ……どうやって脱出をすればいいもんかね……
■ 妹が大切で何が悪い ■
「わぁ! すごい! 本物の海だ!」
はしゃぐミリア。タッタッタ、と。軽快なステップで彼女は波打ち際まで走る。
海。
そう。海だ。
俺とミリアは、今日海に来ている。
場所は静岡県熱海市。観光地として有名な、海沿いの街。
「溺れんなよー」
一応注意。何でもミリアは海に行った事が無いらしいので。まぁこんな世界で溺れるもクソもないだろうが。
俺は砂浜にレジャーシートを敷いて、その上に腰を下ろす。泳ぐつもりは無いので着替えもしない。ぼーっと。波打ち際で1人はしゃぐミリアを眺めるだけ。
「泳がないんですかー!?」
「気が向いたらなー」
俺にとって、海は泳ぐよりも釣りをしに行くところだ。熱海には時折来るが、すぐ近くにある海釣り施設や、もう少し先まで足を運んで手漕ぎボートに乗ったりと、ほぼほぼ釣りでしか来ない。ミリアに促されて水着は持ってきてはいるが……進んで泳ぎたいとは思わない。
一応言っておくと、泳げないわけじゃないぞ。ただ、単純に泳ごうと言う気が起きないだけだ。
「……ま、イイ天気だわな」
ミリアから視線を外し、空へと向ける。
見上げた空は雲一つない晴天。風は穏やか。寒すぎず、暑すぎもしない、丁度良い気温。
この世界の事実を知ったことで、世界はある意味で大きく変わっていた。天気や気温はその一つで、あれだけ寒かった冬は、いつの間にかに穏やかな春へと変貌していた。騙す必要がなくなったことで、俺の要望に応えてくれているのか……理由は分からないが、クソ寒い冬が継続するよりは断然いい。
「泳ぎましょうよー」
空を見上げていたら、いつの間にかにミリアが傍まで来ていた。さっきまで普通に洋服を着ていた筈だが、水着姿に変わっている。フリルの付いた、水玉模様の可愛らしい水着。
「せっかくの気分転換なんですから、泳がなきゃ損ですよ!」
気分転換……そう、気分転換に俺たちは海に来ている。
ミリアに真実を聞かされてから、色々と考えて、行動した。だが現実には、この世界から脱出できていない。出口なんてどこにも見当たらない。気持ちばかりが逸るだけ。ただ時間が過ぎていくばかり。
なら一旦気分をリセットしてみたらどうか。少し気分を落ち着ければ、何かいい案が浮かぶかもしれない。ミリアにそう提案されたのが、昨日の夜の事。
幸か不幸か、この世界と現実は時間の経過が異なっているらしい。少なくともこの世界では半月以上の時間が経過している筈だが、実際の時間的には半日も経っていない、とはミリアの言葉だ。
その真偽を確かめる術を俺は持っていないが、仮に同数の時間が経過していれば、栄養失調でとうの昔に俺は死んでいる。まだこうやって生きているのなら、ミリアの言葉はきっと本当なのだろう。
「泳ぐ、ったってなぁ」
「泳げないんですか?」
「お前なぁ……俺が泳げなかったらあのダンジョンで仲良くくたばっているだろうが」
「えー、じゃあなんで泳がないんですか?」
「今は気分が乗らないだけだ」
空を見上げ直す。青い空。澄み渡った空。……俺の記憶を基に作られた、偽りの空。
とは言え、どんな形であれ空は空だ。眺めていると、不思議と心は落ち着く。その青さに、うとうとと眠気すら誘発される。
「もう! せっかくの海なのに!」
「せっかくって……俺の記憶の中の海だろ?」
「それでも海は海ですよ。私は海なんて見た事無いんですもん」
「あー……そう言えば、武者修行中だったけか」
「そうですよ。アルム王国とフェルム王国しか回っていないので、海なんか名前しか知らないですもん」
海なんかどこも変わらないだろう。そう思ったが、そう言えば俺はあの世界で海に行った事は無い。一佳に会う事を最優先にしていた事もあり、あの世界の海を俺は知らない。
あの世界はドラゴンだのオークだのが普通に存在しているから、もしかしたら海にはトンデモナイ化け物がいるのかもしれない。だとすれば、この平和な海はミリアにとって僥倖なのだろうか。釣りでもしたらヤバいのが掛かったりするのだろうか。10mくらいの太刀魚とか。嫌だな、そりゃ化け物でしかない……イカン、眠さで思考が変になっている。
「……眠そうですね」
「充分……睡眠をとったと思うんだがなぁ……」
「いい天気ですし。それに、あれだけ休む間もなく頭を働かしていれば、疲れもしますよ」
。
うつらうつらと。瞼が閉じ掛ける。意思の力で逆らうことを試みるが、その甲斐空しく視界が狭まっていく。
「仕方ないですね……まぁ、この世界には私とキョウヘイさんしかいないんですから、遠慮なく寝ちゃってください」
俺の記憶を基に構成されている世界なのだから、道行く人々も当然俺の記憶の人たちだ。と言っても、四六時中知人が歩き回っているわけじゃない。ぼんやりとした顔の、のっぺらぼうとは言わないが、細部の見分けがつかない人が歩きまわっている。所謂……なんだっけ? あぁ、あれだ、モブキャラクター的なやつ。
だからミリアの言葉は真実。ここでは俺が何をしようと、咎める人物はいない。例え盗みを働こうが、不法侵入しようが、無賃乗車しようが、嫌いな課長の頭を叩こうが。誰も、何も、咎めない。
「おやすみなさい」
ミリアの声。それから、優しく髪を撫ぜられた気がした。
穏やかで、気持ちの良い。そんな日中のひと時だった。
■
夢の中で夢を見ると言うのも奇妙な感覚だが、実際に見て感じているのだから疑っても仕方が無い。
緊張から解放されるはずの夢の中。俺はこの世界で、何かどこかで見たことがある景色を眺めている。
青空と水面。風一つ吹かず、鏡面の様にピクリとも動かない水。水平線の先まで続く、凪いだ水面。白色の台座。設置された同色のテーブルと2つの椅子。うん、間違いなく最近同じ景色を見たわ。夢の中で。
「って事は、誰か来るのか?」
前は誰かと話をした記憶がある。なら、今回もきっとそうなのだろう。
所謂勘でしか無いが、俺はそうだろうと決めつけると、それ以上を考えることを止めた。違ったとしてもどうせ夢の中の話だ。
それにしても、何と言うか。海へ行き、浜辺で寝こけて水辺の夢を見る。どれだけ水系統が好きなんだって話だ。深層心理になんか影響でもしているのだろうか。いや、嫌いじゃないけどさ。
「……で、今度のお客さんはアンタかい?」
「うん。初めまして、橘さん」
少し視線を切っていた、その間に。
向かい側の椅子に女の子が座っていた。
黒色のセミロングに、同色の眼。アジア系……というよりは、日本人の顔つき。恐らくは一佳と同い年くらいか。高校生くらいの、可愛らしい女の子だ。
「初めまして。御存知の通り橘です。で、アンタは?」
「私の名前は入須恵。橘さんと同じ、日本から来た日本人だよ」
入須恵と名乗った少女の自己紹介は、ある程度の理解が前提とされているものだ。時間が無いのか、無駄を省きたがる性分なのか。いずれにせよ、初対面同士の自己紹介としては適切じゃない。
「俺と同じって事は、あの世界に入り込んだ同士、ってことでいいか」
「そう。と言っても、私は橘さんが来るよりもずっと前に来たけどね」
「なるほど。じゃあ、あの世界では先輩なわけだ」
「あの世界ではね。まぁ、もう意味は無いんだけど」
困ったように。彼女は笑った。
そんな彼女を、どこかで見たことがあると。記憶の端に疑問が引っかかる。
「思い出せなくてすまないが、どこかで会った事あるか?」
「ううん、直接は無いよ。私は一方的に知っているけどね」
それはまた謎が深まる返答だ。何故含みを持たすのか。答えを直接言って欲しいのだが……
「一方的にって事は、後輩か何かか?」
「ううん、そっちの世界じゃなくて、こっちでの話」
「こっちで? 悪いが、心当たりが無い。と言うか、会ったことは無いんだよな?」
「うん。会ったことは無いよ。勿論、会話をしたことも無い」
「なぞかけか? ……あー、まぁいいや。それより、用があるんだろ」
理解は放棄する。何が悲しくて夢の中で思考して悩んで疲れなきゃならんのか。さっさと会話を打ち切った俺は悪くないと思う。
「うん。……ただ、その……ゴメンナサイ、詳細に説明する時間が無いっぽいの」
「なら、結論を言ってくれ。必要な事は後から聞くことにするから」
何とは無しに嫌な予感を覚える。内容に、ではない。内容を理解への予感。要は、理解することが難解なんだろうなぁと言う予測だ。こういう話の切り出し方をされる場合は、結論の理解の為に結局根掘り葉掘り聞かなきゃいけない場合が多いのだ。
「じゃあまず、結論というか言いたい事。それは……『聖女イーリス、アレは何があっても殺して』」
……ほれ見ろ。早速何だこりゃ、な内容だ。
殺害依頼。しかも……なんだ? イーリス?
「わざわざ聖女ってつけるくらいだから、初代の聖女イーリスって事か?」
「うん。そうだよ」
「そいつを殺せと」
「うん。じゃないと、永遠にこのゲームは終わらない」
ゲーム、ねぇ。いや、確かに、アレにはうさん臭さを感じているが……殺さなきゃダメとは、随分と急いた結論では無いだろうか。
「アレが生きている限り、このゲームは永遠に続くの。蟲毒って知っている? 最後の1人になるまで殺し合わせる呪術的なやつ。イーリスは、それをしようとしているの」
「おいおい……じゃあそれを止めるために、アレを殺せと」
「そう。じゃないと、みんな死んじゃう。橘さんだけじゃない。一佳ちゃんもだよ」
聞き捨てならない言葉が出てくる。俺と、一佳も? 何故に?
「やばっ、時間がもう無いわ。チャンスは一度切り。タイミングは任せるから」
「待て待て待て、疑問しか――――」
「ゴメンなさい!」
スゥ、と。消える。瞬きの間に、消え去る。
疑問だけを残し、入須とやらは、消えた。
「……は? おい、ふざけ――――」
一拍遅れて席を立つ。席を立ち、周囲に視線を走らせる。
だがあの女の姿はどこにも無い。物陰にも、空にも、水平線の先にも。
俺はあの女の姿を見つけることが出来なかった。
■
「……最悪の目覚めだな」
目を覚ます。傾きつつある太陽。結構寝ていたのかもしれない。隣では俺にしがみつくようにしてミリアが寝息を立てている。
最悪の目覚めだ。くっきりと覚えている夢。入須が発言した意味不明な内容。こんなにも忌々しい気分で目が覚めたのは初めてだ。
「っ、はぁ……」
歯を食い縛った、その隙間からため息が零れ出る。所詮夢と。そう一笑に付すには、あまりにも生々しい夢。まるで精神だけ別の場所に移動して会話をしていたような、そんな感覚。
……イーリスを、殺さなければならない。
本当に、随分な内容だ。
「イーリスって、あのイーリスだよなぁ……」
栗色のロングヘアに、翡翠色の瞳。可愛らしい外見からは全く想像出来ない程の、強大過ぎる威圧感。そしてどこか不気味さを感じる、あの存在。
アレを殺せと。
夢では、そう言っていた。
「蟲毒、ねぇ」
詳細は知らない。古代中国ので毒虫をツボの中で争わせたとか何とか。そうやってなんかヤバいのを作ったとか何とか。
それを人で行うと。そう言う事なのだろうか。……ダメだ、理解が追い付かねぇ。
「よっ、と」
ミリアを起こさぬ様に、身を起こす。頭が痛くて仕方が無い。この痛みが寝過ぎのせいじゃない事は考える間でも無い。
ぐらりと。視界が傾く。どうやら今日は中々に具合が悪さが酷いようだ。
「……まずは、脱出しなきゃ」
先ほどの夢が本当の事なのか。或いは所詮は夢なのか。
その真偽を問うよりも、先に解決しなければならないことがある。
悩むのは、それからでいい。
「とりあえず――――?」
家に帰ろう。そう思って、立ち上がろうとして。
何かが胸に流れ込む。暖かく、しかし血流や呼吸とかとは違う、全く別の何か。
反射的に、その流れを追う。意識をする。
それはまるで線の様に、どこかへと伸びていて、
「っ、ぐっ、ぅ!!?」
一拍の間を置いて。
それは唐突に、俺の中に強制的に入り込んできた。




