6-3
知人が亡くなった。
とは言え。だからと言って、日々の生活に劇的な変化が生じるわけでは無い。
ましてや暫く会っていないような仲であれば尚更だ。
「お早うございます」
葬儀明けの月曜日。いつも通りに起きて、いつも通りに会社に出社する。ルーティーン化した平日の動きに変わりは無い。違うところがあるとすれば、始業後の課の朝礼時に、先週の出張の報告をするくらい。いや、それさえも業務と言う枠組みで見れば、いつもの通りだ。
いつも通りの日々。
いつも通りの時間。
何も変わりはしない。
「お早う。早速で悪いけど、プレゼンしに行った件で松竹梅から連絡きてるから対応頼む」
「すぐ確認します」
始業時間は、あくまでも業務を始めなければならない時間。それ以前に業務を振られる事なんて、何時もの事だ。
パソコンを開き、メールをチェック。まずは松竹梅技研のメールから目を通す。
内容は……以外にも、電話会議の連絡。こんなにも早くに、しかも相手方から連絡をくれるとは、どうやらこちらの予想以上に関心を持ってくれているらしい。
「電話会議の連絡です。明日の10:00-12:00、もしくは15:00以降で時間を作れないかとの事です」
「俺出なくて大丈夫なやつか?」
「内容の詳細は記載無いので、問合せします。ただ、価格の話になる場合は、課長にもご出席いただきたいと考えます」
「価格なら、そうだな。購買は出るのか?」
「確認します。ただ、CCに入っているので、出席される可能性は高いかと」
「購買も出るなら、価格の話になるだろう。逆に購買が出ないなら、俺が出る必要は無い。訊いとけ」
言われなくても訊くさ。アンタが出るのと出ないのとじゃ、俺の精神的疲労も段違いだっての。
思えど、口にはしない。口にしたところで何も解決はしないから。
嫌いな相手だが、同じチームとして仕事をしているのだ。好き嫌いで露骨に態度を変えていては、社会人として生きていけない。
「向こうは9:00始業なので、とりあえずメール入れときます。分かり次第報告させてください」
「はいよ」
そう言って、課長は席を立った。多分、煙草だろう。始業時間まで、ゆっくりと一服。課長の朝のルーティーンだ。
つまりは。朝礼まで課長との会話はひとまず終わり。
「……朝からうるせぇっての」
ぼやき。周囲に誰も居ないことを確認した上での、小言での愚痴。
愚痴を零して、それでおしまい。課長の言葉なんていつもの事、いつもの事。この程度で気分を害していては一日はままならない。
ぐっと、伸びをして。溜息を一つ。
さぁ、今日も一日が始まる。
■ 妹が大切で何が悪い ■
「お疲れさまでしたー」
最後のメールを送り、パソコンを閉じる。メールの出し逃げ。今日はもう、この後何のメールを送られようとも反応しない。絶対にしない。
漸く一日を終え、俺は仕事の緊張から解放される。今日は定時退社。昨今の社会的風潮……と言うよりは我が社の業績的な問題から、残業に規制がかけられているのだ。終わっていない業務は、家に持ち帰ってやるか、朝一に終わらすか。基本的にその二択だ。
まだ職制たちはいるようだが、彼らは残業しようと手当てが付かないから、悪い意味で残業し放題なだけである。全く羨ましくはない。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
「お疲れっすー」
他部署の人たちとすれ違いざまに挨拶。足早に通り過ぎつつ、ロッカールームへ。それでもって上着にコート、マフラーを身に着けて外に出れば――――
「はい、これで月曜日はお終いっと」
会社に残っていても、何も意味は無い。手伝おうと言う気が無いわけでは無く、残れないから帰るだけ。残り続けたところで、逆に叱責を喰らうのだ。
会社の方針とは言え、もう少し残業に対して柔軟に考えて欲しいと思わなくはないが、若手枠の俺が何を言ったところで、トップ層を変えることは出来ない。今は方針に従う方が吉だろう。……そもそも、のこってまでして仕事をしたいとも思わないし。
「っとに寒ぃな」
会社を一歩出ると、寒風が身に吹き付けた。室内との寒暖差はコートやマフラー程度では緩和しきれない。思わず身を竦めつつ、足早に駅に向かう。
……寒い事を除けば、何時もの月曜日の終わりだ。
「メシは……今日も鍋で良いか」
鍋は便利だ。買い置きしておいた食材を、市販の鍋の素と一緒にぶち込み煮るだけ。1人前なんて大した量じゃない。帰ってぱっぱっと用意して終わりだ。
よく一人暮らしは料理が面倒と聞く。
そりゃまぁ、1人暮らしを始めたばかりならそうだろう。何せ今まで自動出てきた食事を、全て自分が用意しなければならないのだから。
俺だって最初の頃は面倒だと思っていたさ。料理をする事は勿論、バランスの良い食事を心がけるとか、使っていない食材の賞味期限を考慮するとか、調理器具の後片付けとか。そう言った諸々を考えれば考える程、より楽な方へ人は流れていく。その極めつけが外食になるのだ。コストはかかるが、手間暇時間を大幅にカットできる。
ただ、そうは言っても。一人暮らしの夕飯なんて、大して力を入れるものじゃ無いって俺は思っている。外で食べる方が確かに楽だが、俺の場合はどうせ帰っても大して何かがある訳じゃない。だったら料理に時間を割いたところで不都合はないのだ。
そう。
何かがある訳じゃない。
仕事をして、帰るだけ。
キックボクシングのジムは止めた。
友人たちと遊びに行くことも無くなった。
映画を見に行くことも、レンタルする事も無くなった。
仕事の付き合いの為の、ゴルフの練習をすることも無くなった。
仕事をして、帰る。
仕事をして、帰って料理をして。
そして食べて、寝る。
もうずっと続いている、いつもの過ごし方だ。
「……?」
ふと。
疑問を覚える。
「俺、何時もこんな風に過ごしていたっけ?」
足を止めて。会社の方向へ振り返る。
別に何も変わらない。見慣れた景色が映るだけ。
進もうとした先に視線を向ける。
別に何も変わらない。見慣れた景色が映るだけ。
そこになにかおかしなものがある訳じゃない。
「?」
疑問に首を傾げるが、答えなんてのは見つからない。見つかるはずが無い。
だって、疑問の正体が分からないのだから。
もっと言えば、なんで疑問を抱いたかすら分からないのだから。
俺は何時もと同じように過ごしているのに、何故疑問を抱いてしまっているのか?
「……帰ろう」
頭を物理的に振って、思考を無理矢理リセットする。
答えの出ない疑問を考えても仕方が無い。1人で悩んで解決できないことに思考を割いても意味は無い。
そんな意味不明な事よりも、目前の問題を終わらせることが先決だ。それこそ、今日の夕飯とか。
釈然としない感覚はあるが、それにいつまでも引き摺られるわけにはいかない。もしかしたらこの感覚は大切なことかもしれないが、今悩まなくても良い事だ。
暇なときにでも考えればいいさ。
そう自分に言い聞かせ、それ以上の思考を俺は止めた。
そうして、残りの日々も過ぎていく。
月曜日が火曜日になり、火曜日が水曜日になり。水曜日が木曜日になり。
8:30始業の時計は一定のリズムで時を刻んで、気が付けば17:30を指し示して。
終業合図のチャイムが鳴り響けば、今日の仕事はもうおしまい。
そうやって繰り返して、気が付けば金曜日。時刻は定時の17:30。
時刻の認識と同時に、まるで待っていたかのように。
いつものようにチャイムが鳴り響く。
いつものように片づけを始める。
何も変わらない。
いつものように挨拶を交わし。
いつものように会社を出る。
何も変わらない。
いつものように駅へ向かい。
いつものように献立を脳内で組み立てる。
何も変わらない。
いつものように電車を降り。
いつものように自宅まで歩き。
そして鍵を開けて、部屋に入る。
……何も変わらない。
「ただいまっと」
いつもの呟き。帰ってくる言葉なんて期待しない。そもそもあるはずがない。だって俺は1人暮らしなのだから。
鞄を置いて、コートを脱ぎつつ。慣れた手つきでスイッチをオンにし、暗くなった部屋を明かりで満たす。
一週間。ああ、疲れた。シャワーを浴びたら、さっさと寝てしまおうか……
「はい、お帰りなさい」
まず思ったのは。
聞いた事がある、だった。
どこかで聞いた事がある。それが一番最初に思考を満たした。
だから反応は遅れたし、実に無様な顔をしていたと思う。
「っ!?」
遅れて、驚愕。
硬直した思考に反し、反射的を具体化したような反応で、俺は声の方へ向いた。
「お久しぶりです、キョウヘイさん」
そこには少女がいた。
亜麻色の髪。
小柄な体躯。
髪と同じ亜麻色の眼。
そして幼さが残る可愛らしい顔立ち。
そこまでを認識して、俺の思考は再びフリーズした。
……見たことがある、だけじゃ済まない。そんなレベルじゃない。
「おま、え……?」
人間驚きが極限に達すると、言語中枢に障害が発生するらしい。それぐらい、俺は意味の無い言葉を零していた。
「ごめんなさい。本当はもっと早くに出ようと思っていたんですけど……ちょっと手間取ってしまって」
一方で。相手は俺の驚きななんて気にせず、何てことの無いように言葉を紡いでいる。だがその内容は、俺が理解出来るものじゃない。湧き出て飽和状態の疑問への解決には、一切たりともなり得ない。
「私との親和性の高さから、もっと早くにお話し出来るかなって思っていたんですけどね。ここまで時間が掛かるのは予定外でした」
彼女の言葉に驚きはない。予定調和のように。なんなら、何故か申し訳なさを含んで。
彼女は言葉を紡いでいる。
……ありえない。
目前の不可思議な現象に、意識が否定を脳に訴える。
だが、目前の光景に変わりは無い。
「この辺りは私の修行不足でした。本当に、遅くなってしまってごめんなさい」
幻覚でも見ているのかと思った。
だけど、間違いは無い。
否定しようとすればするほど、脳が目の前の事実を現実と認識する。
「なん、で……」
相当に俺は無様な顔をしているのは間違いない。
だけど、どうしようもない。
分かっていてどうにかできる事じゃない。
だって、今。
俺の眼に前には。
つい先週、葬儀で見送った筈の――――
「ミリ、ア?」
ミリア・パルムが。
そこに、いるのだから。
■
「っ! はいっ、ミリアですっ! やっぱり、覚えていてくださったんですねっ!」
俺の言葉に、名前を呼んだことに。ミリアは喜悦の色を浮かべた。
亜麻色の眼。忘れるはずもないその眼が、俺の眼を真っすぐに射貫いている。
「私っ、わたしっ……」
喜悦から一転して、ミリアは双眸に涙を湛えた。ちょっとの衝撃で零れ落ちそうなくらいにいっぱいになっている。俺が次にどんな言葉をかけても、きっと彼女はその双眸から涙を溢れさせることだろう。それは予感では無く確信だった。
……訳が分からない。
そんな感情で大忙しのミリアに悪いが、今の俺の思考はそれでいっぱいだ。
何故死んだミリアがここにいる?
あの葬式はフェイクなのか?
何か質の悪いドッキリなのか?
或いは、本物の幽霊とでも言うのか?
「……ミリア、何だよな?」
「はいっ!」
確信が違う事無く、名前を呼んだだけで彼女は涙を零した。状況的には完全に俺は置いていかれているが、どういうわけか少し平静を取り戻せた。慌てふためいている人間を見ると、逆に落ち着くって奴だろう。
自覚と同時に、身体の緊張も解ける。内部から熱を取り戻し、筋肉が弛緩したのが分かった。試しに両手の指を動かしてみると、まだ硬さを覚えるが、一応意思通りに動くことは動けた。
立っているのも何なので、一先ず傍の椅子に座る。
「状況を整理したい。話を聞いて良いか?」
「勿論ですっ!」
ぐしゃぐしゃに顔をしながら、彼女は力強く頷いた。随分と泣き虫な事である。記憶の中の彼女はそこまで泣き虫で無かったと思うが……
「とりあえず……そうだな、適当に座ってくれ。何か飲むか?」
「あ、えっと……お構いなく、です!」
「じゃあミルクティーで良いな。少し待ってろ」
ポットなんて持ってないので、鍋に水を入れて火にかける。それから開封済みの市販のインスタントミルクティーの粉末を用意。安いしお手軽に用意できるので、学生時代から重宝している一品だ。
沸くまでのは時間があるので、俺の分の飲み物を用意する。と言っても、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すだけだ。
「沸くまで待ってくれ……って、どうした?」
「あ、いえ……その、話には伺っていましたけど、本当に魔法無しでこう言う事出来るんですね……」
魔法無しで? 何を言っているんだ、コイツは?
意味不明な言葉に思わず眉根を寄せてしまう。こんなのは一般常識であり、別に何も特別なことは無いだろうに。パルム家だって同じな筈だ。
と言うか、何だよ、魔法って。それを言ったら、葬式を上げた筈のお前が生きている事の方がよっぽど魔法だよ。
「……そのまま待っててくれ。先に着替えたい」
魔法って何だよ、とか。いやその前にあの葬式は何だったんだよ、とか。お前は何者だ、とか。本当にミリアなのか、とか。
言いたいことは色々とあるが、一先ず着替えと言う名目で思考の整理の時間を取る。そうでもしないと、感情のままに言葉を吐き出してしまいそうだ。物事は何時だって整理をした上で臨まないと、理解はままならない。
「へ、あ、はい……あ、ま、待って下さいっ!」
「……なんだよ」
「最初に、先に一言だけお話させてください!」
最初に一言? そんな緊急で?
着替えの時間も待てない程の緊急なら、先に言ってくれ。そう言――――いたくなるのを寸でのところで堪えた。堪えて、先を促す。
ミリアは一転して、決意と気迫に満ちた感情を、その双眸に宿していた。
「結論から先に言います」
「このままだと、キョウヘイさんは死んでしまいます」




