5-10
2021年になりました。
2週間近くの遅れではありますが、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
……今年中に、完結したいなぁ。
※21/1/11 誤字脱字修正
グルと。俺は言った。
グル。裏で手を組んでいる。
但しこの言葉は、一つの事だけを指すつもりで口にしたわけじゃない。
幾つもの意味を含んだ言葉だ。
「グルっつっても、魔族と人間の事じゃない。この世界の根本にも関係はするかもしれないけど、一旦そこは置いておく。まず俺が言いたいのは、稀人を連れてくる手引きについてだ」
稀人を連れてくる手引き。言うまでも無く、この世界に入る為の方法の事だ。
「俺がこの世界に来る前には、幾つかの質問を出されたよ。どんな職業がいいかとか、望むスキルはあるかとか、そんな質問。いや、選択か。当然、俺以外にも同じような選択肢が出されたと思っていたけど……実際には違いがあったみたいなんだ」
ジャック。一番最初に戦った魔族で、同じ現実世界から来た人間で、そして俺が初めてこの世界で殺した相手。
アイツは魔族としてこの世界に来たと言っていた。最初の選択肢で、それしか選べなかったとも言っていた。だけどその事を悔いたり残念に思っている様子は無かったと俺は記憶している。
そんなジャックについてを、シュヴァルグランは把握していた。アイツ自身が稀人であることは勿論、アイツ自身の能力や性格、そして欲の深さすらもだ。
「ジャックが言っていたんだよ。魔族しか選択肢が無かったって。俺や他の奴らは人間側の選択肢を豊富に与えられたのに、アイツは魔族しか無かった。……それを残念がる様子は、アイツには全く無かったけどさ」
自分の好きなように弱者を蹂躙をする。肉体的にも、精神的にも、ただ嬲る。思うがままに、好きなように。それがジャックの望みだった。
「俺は魔族なんて御免、なんては思わない。ただ、俺の目的を考えると、人間側でいる方が好都合だった。そこはジャックとの大きな違いだったよ。……でさ。そういう観点で選択肢の存在意義について見直すと、色々と偶然と呼ぶには出来過ぎている面があるんだ」
ジャックは欲望のままに蹂躙する事を望み、その願いは魔族と言う形で叶えられた。
アイツの欲望は褒められるもんじゃない。人として外れたソレは、受け入れてもらえる場所を選ばざるを得ない。だから魔族となったのは、何度も言うようにアイツにとっては良かった。同時に、魔族側にとっても。
「ニーズに迎合しているんだ。偶然と呼ぶには、出来過ぎているくらいに」
蹂躙する事を望んでいたら、偶然にもそれを良しとする面々の仲間になることができました。
……偶然? 馬鹿を言え。望み通りに配置しましたとしか思えない。
「それにさ。アンタはどういうわけか、俺の事を知っている。俺が何処から来たかを知っている」
稀人、という枠組みだけの話じゃ無い。
先程渡されたおにぎりを、シュヴァルグランにも見える様に掌に乗せる。コンビニとかで買うような、何の変哲もないおにぎり。何の変哲もなく、そして俺には随分と見慣れた、日本語で書かれたおにぎり。
「結論から言えば、アンタが渡したこれは大正解だよ。これは俺の生まれ育った国のものだ。よく分かったもんだよ。幾つもの国が、俺の住んでいた世界にはあるのにさ」
地球と言う世界の中で。そして広大なアジアと言う地域の中で。
シュヴァルグランは橘恭兵という人物が、日本という国から来ている事を知っているのだ。
「どうやったか、なんて。方法は分からん。だけどな。考えれば考える程、俺にはお前が関与しているとしか思えないんだよ。……俺の世界の誰かと手を組んで、この世界に定期的に人が来るよう手引きしているとしかな」
ゲームの世界に入れる。俺は一佳の友人から、確かにそう聞いた。
馬鹿げた話だ。ありえない話だ。
何せこの世界は、ゲームという程生易しいものじゃない。
簡単に人が死ぬ。魔物や賊、獣、竜……そういうのに襲われ、死んでいく。ゲームの世界観を謳いながら、そこにあるのは安全性の欠片も無い現実。そして帰ろうにも、帰る手段が酷く限定的と来ている。
そんな世界を、ゲームなどと軽々しく称せるのだろうか。極一部の者が仮に帰れていたとしても、わざわざこんな世界を広めるだろうか。
「だから、グルなんだろ。誰かと一緒に、仕組んでんだろ」
■ 妹が大切で何が悪い ■
パチパチパチ。
まるで芝居の様に。
シュヴァルグランは、ゆったりと、それでいて部屋中に響くように手を叩く。
そして。堪え切れないといった様子で、笑いを零し始めた。
「クックック……名推理だな。ああ、実に……名推理だ」
紅玉色の瞳。好奇の色に染まったその瞳が、俺を見据えている。まるでそこだけが別の生き物のように、俺に照準を合わせている。
「実に素晴らしい。素晴らしいぞ、キョウヘイ・タチバナ」
「さよけ」
答えはコイツの望むものだったらしい。俺の発言は中々に突拍子の無いものであったと自覚しているが、コイツの機嫌を損ねたり、興味を失わせるようなものでは無かったようだ。
「今まで何人かと問答を行ってきたが、そこまでたどり着いたのは貴様が初めてだ。限られた情報の中から、よくぞ導き出したものだ」
「……今の俺の話は正しいと」
「大凡な。相違点は2点。貴様の世界と、この世界の、それぞれの人間どもと手を組んでいる、と言ったな。そこは間違いだ」
「手を組んでいるわけじゃないって事か?」
「いや。手は組んでいる。但し我が手を組んでいるのは、イーリスのみだ」
「……そのイーリスってのは、どっちの世界のイーリスだ」
「答えとしては、どちらも、が正しいかもしれんな」
「はぁ?」
何を言っているんだ? イーリスってのが誰かは分からないが、コイツの言う事を真に受けるのなら、どっちの世界にも共通している存在って事なのか?
「そりゃあつまり……そのイーリスってのは、この世界と俺たちのいた世界とどちらにも存在しているってのか」
「そうなるな。……ふむ、分からん、と言う顔だな。理解しがたいのは仕方あるまい、か」
そういうと、シュヴァルグランは笑みを三割り増しくらい深めた。何と言うか、あくどい方へ。ただでさえ悪役面なので、何か企んでいるとしか思えない笑みだ。
「そうよなぁ……貴様もこの世界でイーリスと言う名は何度も聞いているであろう。あの欲深き集団の集まりだ」
「何度も聞いている? ……悪いが、俺には傍迷惑な集団の創始者くらいしか思い当たらんが」
イーリス聖教国。一佳を幽閉し、裏切り、あまつさえ罵詈雑言を浴びせてくる集団の国。
「その理解の通りだ」
「おいおい、待ってくれ。その創始者が生きていたのはもう何百年も前の話だろう。何で今その名前が出る?」
「常識で事を計るな。その言葉は、貴様が矮小であると認めてしまうことになるぞ?」
「……生きている、って事なのか。その言い方だと」
俄かには信じがたい。何百年も生きていられる人間なんて聞いた事も無い。
だがこの世界は、俺の常識が通用しない。ともすれば、何百年も生きている人間がいる事は、不思議ではないのかもしれない。
「その……創始者様とやらの犠牲を基に、あの国が建てられたと聞いたが、真実は違うって事か」
「ほう、そうなっているのか? クックック、あの女も上手い事謀ったものだ」
……随分とキナ臭い話になってきた。伝承として各国に伝わっている内容は作り物だとでも言うつもりか?
一頻り笑うと、シュヴァルグランは実に楽しそうに口を開いた。
「そうだなぁ……一つ一つ説明してやろう。我は今、すこぶる機嫌がいい」
そりゃ結構な事だ。疑問点が解決するのは喜ばしい。
シュヴァルグランは立ち上がると、天に向けて自身の右手を掲げた。
その親指と中指は合わさっていて――――
「では、見せてやろう。よく刮目するがいい」
――――パチン
「……は?」
景色が、変わった。
瞬きの内。俺たちがいたはずのあの屋内から、随分と開けた――――要は、外。
そう、外。
降り注ぐ日光。こすれ合う木々。若草の匂い。そこに威圧感を感じたあの室内の面影はどこにも無い。
そして――――
「あの女が、聖女だ」
――――血まみれで倒れている1人の女性と。
その傍に佇む。どこかで随分と見覚えのある、着物姿で刀を構えた女。
■
「これかは過去の記録だ。物語の中身を追体験しているものと思え」
シグレ。脳みそが弾き出した答えに、身体が追従して身を護るよう動く。大きく後方へと後退する。
そんな俺を嘲笑うかのように、シュヴァルグランはご丁寧な説明をしてくれた。
「この記録を見ているからといって、貴様に害が出るわけでは無い。そうも焦るな」
「……そりゃどーも」
ニヤニヤ。面白いものを見たと言わんばかりの厭らしい笑み。
コイツの顔を見て話しをしようという気は俺には起きないので、シグレ似の誰かと聖女……つまりは、イーリスとやらを改めて注視する。
「此処は人間どもに裏切られたところだな」
「裏切られた? あの女にか?」
「いや、別の奴らだ。名前は忘れたがな」
さよけ。それはまた随分な解説だな。人への説明や解説役としては恐ろしいほど不適合だな、コイツ。
「なに、出てくる事もない有象無象など気にしても仕方があるまい。ほれ、場面が変わるぞ」
言うが早く、場所が変わる。草原から、石造りの部屋へ。使われなくなって久しいのか、室内は荒れており、家具は朽ちている。
イーリスとやらは、その室内の一角に寝ていた。敷かれた藁の上で、苦し気に呼吸をしている。
先の光景から時間はそれほど経っていないらしく、彼女の青と白で構成された修道服には、赤黒い血の跡が付着したままだ。
「ぐぅっ……」
苦しそうに彼女は呻いた。
平時であれば艶やかさを覚える様な黒のセミロングは、汚れでくすみ、ぼさぼさに成り果てている。
日本人特有の黒色の眼には、苦渋の色が強く宿っている。
多分年齢は一佳と同い年くらいだろう。だがその幼さには似合わぬ、苦悶の表情が彼女の傷の深さを物語っている。
「イーリス、起きとるか?」
背後から声。シグレ似の、あの女だ。
「起きてます。……ひどく、疲れました」
「せやろなぁ。ケッタイな目に遭ったもんなぁ」
「はい。……裏切り。まさかそのような目に遭うとは、思いもしませんでした」
「信じ過ぎれば足元救われる。高い授業料やったと思うんやな」
どさりと。彼女は無造作に壁に背を預けると、着物が汚れるのも構わず、そのままずるずると床に座り込んだ。
そして溜息。
盛大な溜息。
「あの狂戦士は人に大人しく従うタマやなかったろ。それとも手懐けられるとでも思うたか?」
「信じなければ、歩み寄れないでしょう。……あぁ、でも……悔しいなぁ」
「ハッ。後悔する元気があるなら平気そうやな。貸し一やからな。ちゃぁんと後で取り立てるから、ここで死ぬんや無いぞ」
「シグレ……私がそう簡単に死ぬとでも?」
「思わん。自動回復持ちやもん、アンタ」
偶然か。コイツもシグレと言うらしい。……まさかあのシグレが、宮下に寄生する前の姿とかか? そう言えば前に、シグレの説明をアリアから聞いた時に、何か言っていたような……
「で、これからどうするん? 計画は変えへんのか?」
「ええ、変えません。……ううん、変えない。私は私がすべきことをする」
「そこまでして救う価値があるとは思わへんけどなぁ」
「いいの。それが私が呼ばれた理由だから」
呼ばれた? イーリスの発した言葉に疑問を覚える。
呼ばれたってのは、つまりは……
「ふっ」
シュヴァルグランはに視線を向けると、あの厭らしい笑みとともに首肯をされる。俺の考えが合っていると。そう肯定する態度。
「ケッタイな責務やな。まぁ、ええ。雇われた分は働いたる」
「ありがとう」
「お礼の言葉はええ。貰うもん貰うとるからな」
そう言って、シグレは刀を掲げた。鈍い輝き。それを愛おしそうに撫でる。……その表情が狂人のそれとしか見えないのは、刻まれたトラウマのせいだろうか。
イーリス聖教国で貫かれた事を思い出し、思わず傷跡に手が伸びた。
――――また、光景が変わる。
イーリスとシグレが、水浴びをしていた。
澄み切った泉。よくテレビ番組の観光特集で取り上げられるような、幻想的な雰囲気の泉だ。
そこで2人は水浴びをしている。身体についた汚れを落としている。
まぁ、つまりは……裸。
何とはなしに顔を背けると、ニヤニヤと笑っているシュヴァルグランと目が合った。
「童貞か」
「断じて違う」
「なら、堅物のつもりか?」
「うるせぇ」
……コイツの顔を見ているの嫌なので、視線を元に戻す。記録だから当然だが、2人は俺たちの視線なんて気にするはずが無い。外見年齢に対して発育の良さを覚える身体が、俺の眼には映っている。
「お天道様の下で生まれたままの姿になるのも、偶にはええもんやなぁ」
「親父くさっ。でも分かっちゃう自分がいるわー……」
「なんの気兼ねなしに有りの侭の身体を晒すのも、ええもんやろ」
「そうだねー……」
イーリスの言葉が、大分砕けている。年相応と言うか、さっきの会話時とは雰囲気が全然異なっている。恐らくはこれが素なのだろう。
「あー、やっば。これほんとやっば」
「ふぅ……んっ……ああぁ」
「……ちょっと、もぞもぞとやめてよ。見えるんだけど」
「見せとるんや。っ、あー、セックスしとぅなぁ」
大股を広げ……何だか視線を逸らしたくて仕方が無い行為を始めるシグレ。それからの爆弾発言。
眉根を寄せたイーリスが注意をするが、本人はどこ吹く風だ。
「溜まっとる。それは女も男も関係あらへん」
「まぁ、気持ちは分かるよ。でも、うっさい」
「分かるんかいな。随分な聖女様やな」
「こっちではまだ未経験ですぅ」
「はっはっは、稀人様となってリセットのつもりかいな」
……稀人。イーリスが、稀人。つまりは、俺と同じ世界から来たって事か。
さっきの呼ばれたの発言もある。きっとこの考えは正解なのだろう。名前が日本人離れしているのは気になるが……まぁ、そこはどうでもいいか。
だがそうなると、時系列が合わない。数百年前だろ。パソコンを使わずにどうやって来た? あ、いや、呼ばれたのだから、俺たちとは違って正規の方法で来たのか?
「リセットリセット。多分処女膜も復活しているし」
……聞こえない聞こえない、何も聞こえない。俺は考え事をしていて聞いていなかった。全く以って聞き逃して残念だった。仕方ない。オッケー、いいね。
――――また、光景が変わる。
酷い瘴気だ。先ずそう思った。何も見えない。視界一杯に黒い靄が広がり、傍のシュヴァルグランの姿すら朧気になる。
だが次の瞬間に、その瘴気は吹き飛ばされる。綺麗に、跡形もなく。
「ほんまケッタイやな。一撃や」
「相性があるの、なんたって一応聖女だし」
どうやら消し飛ばしたのは、イーリスの力らしい。そう言えば聖女は瘴気を祓えるのか。アリアから、前にそう聞いている。
イーリスが靄の跡地を先導し、後をシグレが付いて行く。祓ったとは言え、まだ地面からは微かに滲み出ているのだが、それをイーリスの一足一足が潰し、消して言っている。
「で、行くんか?」
「行くよ。私は知りたいの。全部をね」
シグレの問いかけに、イーリスはハッキリと答える。決意を漲らせているのが、傍から聞いていても分かるような。そんな声色。
はぁ、と。シグレは溜息を吐く。
「……ま、好きにせぇ。道は開いたる。ただ、ここまでや」
「うん、ありがとう」
「アンタが感謝する筋合いは無いやろ。私は雇われただけや」
「それでも、ありがとう。シグレがいたからここまでこれた」
「せやろか。……まぁ、ええ。悪い気はせぇへん」
パン、と。2人は手を叩きあった。よくよく見れば、2人の装いは変わっている。先の光景からは、それなりに時間が経過している。それはそれだけ、仲を深めてきたということになる。ただの雇い雇われの関係では無くなっているのだろう。
「ま、気が向いたらまた雇われてもええ。……死ぬんや無いぞ」
「うん……ありがとう。本当に、ありがとう。大好きだよ」
「……はいはい」
もう2人とも視線は合わせない。背中向きの会話。それから、イーリスは一歩を踏み出した。一歩を踏み出して、深く息を吸い込んだ。
「■」
何を彼女は言ったのだろうか。
日本語、では多分無い。英語でも、多分無い。
ただその言葉に呼応するように。
イーリスの足元から黒い靄が噴出する。
噴出し、彼女を包み、俺たちの視界を塗りつぶして――――
「来てやったわよ」
暗がりの世界。声だけが響く。
「認めたくないけど、アンタの言う通りだったわ」
イーリスの声。覚悟を決めたことが分かる、弦をキツク引き絞ったような、そんな声色。
「教えてもらうわ。この世界の全てを」
途端に、世界に光が満ちる。露わになるイーリスの姿。どうやら彼女が掲げている杖が発光しているらしく、この世界を強く照らし出す。
そこは随分と見覚えのある場所だ。
それもその筈で、ついさっきまで俺たちが居た場所だ。
そしてイーリスの視線の先。
そこにも、見覚えのある人物が座っている。
「漸く来たか、『聖女』様」
「……来たわよ。知らなきゃいけないもの。今まで見てなかった事、見えていなかった事、その全部を。何もかもを」
「何もかも、か。決意は結構だが……果たして、知ってどうする? なにをする? 今更、裏切られた分際でだ」
そいつは見覚えのある厭らしい笑顔で、精神を嬲る様に言葉を選んで口を開く。
イーリスは分かりやすいほどに顔を苦渋に歪めた。それだけで、此処に至るまでの道程に艱難辛苦があった事は見て取れた。
「アンタの事だから、どーせ見てたんでしょ。なら、分かってるでしょ? それとも今更言わせるつもり?」
「いや、今更はいらん。貴様の道程は充分に楽しんだからな」
「ふん、魔王の名に恥じないゲスっぷりね。シュヴァルグラン」
「好きに言え。せめて退屈しのぎにくらいにはなることを望むぞ。聖女」
そう言って。
シュヴァルグランが何かを放り投げる。
それをイーリスは掴み、
「飲み込め。それで、全ては解決する」
その言葉に従う様に。
彼女は飲み込んだ。
その何かを、躊躇いもせずに。
――――そして彼女は、変貌する。
黒かったセミロングは、栗色のロングヘアに。
黒色の眼は翡翠色に。
そして何と言うか……魔力の波動。それが先ほどまでから大きく変わっている。
全くの別人。
あり得ない事だが、直感的に俺はそう感じた。そうとしか思えなかった。
「……ふふっ」
零れる笑い声。
その不気味さに、思わず後ずさり、
「あら?」
可愛らしく、しかし不気味な声色が響いて、
「見てますね?」
グリンッ、と。
その顔が、その眼が、此方を――――
■
場面が戻る。
いや、戻ってはいないか。
場所は同じだ。
先ほどと同じ。
ただ、帰って来た。
俺たちが、この場所へと。
シュヴァルグランの根城へと。
「っ、はぁっ!」
知らず知らずの内に、呼吸を止めていたらしい。心音がうるさい。飛び出さん程に鳴り響いている。吸っている? 俺は吸っているか? 息を吸えているか?
酷く暴れる心音はそのままに。その場に片膝を着き、先ずは呼吸を整える。
「あれは……」
何だ? いったい、何だ?
先ほどまで見ていた人物。
最後に見た、人物。
あれが、イーリス?
「シュヴァルグラン、ありゃ何だ?」
「知れたこと、イーリスだ」
「なるほど、質問を変える。アイツは何を飲み込んで、アンタの言うイーリスになった?」
質問は、より具体的に。相変わらず厭らしい笑みを浮かべたままのコイツには、抽象的で他人任せな質問をしても意味がない。
「全くの別人だろう、あれは」
「そうだな。それは貴様の言う通りだ」
「なら、何だ?」
「最後のイーリスの事か? なら、名前はイーリス・アロイ・ローリエだ」
長い名前だ。欧米系の名前。だがそれは、俺の知りたい答えではない。
「最後、つったな。じゃあ、それまでのイーリスはどうなった」
全くの別人に成り果てた。根拠も、道理も、論理も、何もかもをすっ飛ばした結論。最期に見た印象からの、暴論としか言いようの無い結論。
だけど。俺はその結論が正しいと思っている。思って、しまっている。
「さてな。聖女のどうのなんぞ、知らぬ」
突き放した言い方。本当に興味は無いのだろう。それも、名前では無く、聖女呼ばわり。
だがそれは答えだ。俺の暴論が正しいと言う、答え。
最後の女は、それまでのイーリスとは全くの別物だと。
シュヴァルグランは言っているのだ。
「言っておくが、我は望まれた事を行ったに過ぎぬ。全ては聖女が望んだことよ」
「……分かった。もう少し詳細な事は、本人に訊いた方が良いって事か」
今しがた見た光景。それのせいで、俺の頭の中はぐちゃぐちゃだ。整理する時間が欲しくて仕方が無い。
だから、今の状況は幸いだ。シュヴァルグランが言うつもりが無いと言うのなら、これ以上に余計な情報の追加は、一旦ストップだ。落ち着いて物事を考えたい。何なら紙に書き出したい。これまでの全てを書き出したい。
改めて、息を吐く。先の見えない真っ暗な天井を見上げて。眼を閉じて、息を、吐く。
「話は終わったようですね」
……相変わらず、タイミングが悪いな。そう、思った。俺自身の絶妙とも言える運の悪さ。それを呪いたくて仕方が無かった。
視線を戻す。天井から、声の方へ。シュヴァルグランの方から聞こえた、彼とは全く別の、それでいてさっき聞いたばかりの声へ。
視線を、戻す。
「こうやって会うのは初めてですかね」
予想通りだ。最悪の、予想通り。
栗色のロングヘア。
翡翠色の優しげな瞳。
青と白の修道服。
そして安らぎを覚えるであろう魔力。
……だと言うのに、何故、
「改めて、初めまして。キョウヘイ・タチバナ」
俺は、目の前の少女を相手に、
「イーリス・アロイ・ローリエと申します」
恐れを……抱いてしまうのだろうか。




