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※20/7/29 誤字脱字修正
少しの動きで腹部が痛む。
呼吸の度に肺が痛む。
両腕両足とも動かすたびに強い倦怠感を感じる。
拳と刃を交えるたびに新たな傷が増える。
要は状況の悪さなんてのは、幾らでも挙げられる。
……にも関わらず、俺は断言できる。
俺は今、人生で最高に調子がいい。
■ 妹が大切で何が悪い ■
もうこれで何合目だろうか。
十程度じゃ済まない。
二十は越えている。
恐らくだけど三十くらいか。
いやもしかしたら四十は行ったか。
数えてないだけで五十を超えているかもしれない。
……まぁ、要は。
もう何合交わしたかは分からない。
ただ、本能の赴くままに。
自身の命を護るために。
相手の命を奪うために。
俺とシグレは互いの得物を交わし合う。
「――――づっ」
「――――フッ」
互いの呼吸音。そして擦過音。
それだけがこの場に鳴り響く。
シグレはもう、あの気色の悪い軽口を零さない。零さず、しかしそれ以上に雄弁に刃を繰り出してくる。但しそこには、かつての様な舐めた意図はない。
さぁ、死ね。
これで死ね。
これを防ぐか。
ならこれならどうだ?
じゃあ次はどうだ?
首は、胴は、眼は、肺は、心臓は?
繰り出される剣戟は、全て急所を狙って繰り出される。それを防ぎ、躱し、時にはわざと受けて、逆にカウンターを狙う。無論、こっちも狙うは相手の急所だ。
頭蓋を潰す。眼を潰す。肺を潰す。心臓を潰す。
首を刎ねる。眼を潰す。肺を貫く。心臓を裂く。
互いが互いを、確実に殺そうとする。それを身体捌き、視線の動き、得物の向き、自分の状況から読み取り合う。
今は必殺となり得なくともいい。今はまだ命を奪えなくともいい。
次、或いは次の次に。
俺の拳がシグレの骨を砕き、臓腑を抉り。
そうして斃すことが出来れば――――それでいい!
「づっ……腹に穴が空いて力が増すかぁ。手負いの猛獣やな」
刀をいなす。僅かにシグレのバランスが崩れたのを見て、腹部に蹴りを入れるが……逆にその力を利用して後方へ跳び退かれる。
距離は空いた。すぐに詰めれなくもない距離だが、下手に突っ込んでも迎撃されるだろう。事実、シグレは軽口に反して、一切気を抜いていないし、刀の切っ先はブレることなく俺に向けられている。
間。息をゆっくりと、静かに、細く、緩やかに吐き出す。腹部の痛みを紛らわす様に、ゆっくり。
……痛みは増しているが、まだ動ける。拳を握り締められるなら、まだイケる。
「そのレベルは……アイツ以来やな。長生きしてみるもんや」
ヒュッ。シグレが刀を振るう。それだけで触れてもいないのに地面に傷がついた。
刀身以上の傷跡。ラヴィアと同じだ。斬撃を飛ばす。理論がさっぱり分からないが……もうそう言ったのには慣れた。驚きはしない。
それにそもそもの話、今必要なのは、どうして、などと問う事じゃない。どうするか、だ。
「お、お兄ちゃん……大丈夫、なの?」
後ろから一佳が心配そうな声を上げる。大丈夫。色々な意味が含まれた大丈夫だ。
「大丈夫だ」
「大丈夫って……」
「お前に怪我はさせない。傷を負わせない。……お前だけじゃなくて、ここにいるアイツ以外の全員が、だ。だから、大丈夫」
「……でもっ」
「一佳」
名前を呼ぶ。大丈夫だと。心配する必要は無いと。
諸々の想いを乗せて、名前を呼ぶ。
「俺が死ぬと思うか?」
振り向きはしない。振り向かず、俺は一佳に向けて手を振った。安心させるように、やや軽やかに、ひらひらと。
今の発言を大言壮語だと俺は思わない。生きるなんてのは当たり前の話。生きて帰るのだ。2人揃って。こんなところで死ぬなんてのはありえない。
「精神が肉体を凌駕する。希少な例やな」
「見せものじゃねぇよ」
「感心しとるんや。……それでこそ、やな」
シグレは笑った。今までのあの悍ましい笑い方ではない。どこか年相応に思える、微笑み。
そして首を軽く回して、初めてシグレは俺に向けて構えらしき体勢を見せた。
身体を捻る様にして半身にする。刀はシグレの身体に隠れて見えない。
テレビで見たことがる構えだ。あれは、確か――――
「居合、か」
「ご名答」
眇められた眼。好色に彩られた眼。チロリと。舌が唇を濡らす。
「時間はかけん。この一撃で終いや」
「随分な自信だな」
「精神が肉体を引っ張ったところで、長くは保たんやろ。……持久戦なんて、つまらん真似はせん。欲しいのは、アンタの全力や」
……けったいな考え方である。が、まぁ、もしもその言葉が本心であるならありがたい。時間を掛けられないのは事実だからだ。
魔力(仮)を練る。一撃で終わらすつもりなら、それに乗る。拳に纏わせて、アイツにぶつける。文字通りの全力だ。
「後悔すんなよ」
「戯け」
握りしめた拳が熱い。体温による熱さじゃない。まるで炎を纏っているかと錯覚する様な、異様な熱さ。
タガが外れたのだろうか。原因は分からないが……今はいいさ。この熱さごとシグレにぶつける。全力をぶつけて……それで終いだ。
■
お兄ちゃんを中心に、魔力が吹き荒れる。渦を巻くようにして、濃密に魔力が束ねられていく。
黒い。ものすごく、黒い魔力だ。私が知るのとは大違いの魔力。
魔力には色がある。これはこの世界では知られていない事。だけど聖女の力を持った私には、魔力に色がある事を知っている。魔力の色で魔法には違いがある事、魔法に得手不得手が生じる事、相性が出る事。そう言うのを、知っている。
例えば私が持つ魔力は色無し。透明で、何も見えない。だから、回復と言う名目で人に作用する。他の魔力に上手く馴染む。そして透明故に、逆に他の魔力を拒絶する。
ターニャの魔力は黄色。ヴァネッサの魔力は水色。カタリナの魔力は赤色。教皇様とか、信者の皆は白色。
みんなそれぞれに長所と短所があって、一概にどの色が強いとかは無い。
けど、黒色は別。
何もかもを染める色。
黄色も、水色も、赤色も、白色も。
全部を塗りつぶす。
……塗りつぶされないのは、私のような透明な色くらいだ。
「――――わっ!」
呆けていたところに、暴風となった魔力が頬を打った。魔力はそれ単体だけだと、特に意味を為さない。魔法となることで、効能を発揮する。だってのに、お兄ちゃんの魔力は存在そのものが濃密過ぎて、魔法にならなくても周囲に作用を始めているのだ。
「イ、イチカ! ちょっとヤバいよ! 下がった方が……」
「分かってるよ! だけど――――」
お兄ちゃんを置いていきたくない。離れたくない。
分かっている。ターニャの言う通り、此処は危険。吹き荒れる魔力は勿論だけど、シグレが標的を私たちに変えたら、今の私たちじゃ防げない。なら、早くここから退散する方が良い。
分かっている……分かっているよ。そんなのは。
だけど……嫌だ。
嫌なんだ……っ!
せっかく会えたのに、また離れるなんて、そんなの……
「聖女殿、後ろへ。……壁にはなれます」
「文字通りの肉壁ですね。……全く、此処まで規格外とは思いもしませんでした」
私の前に、2人分の人影が立った。
アリアさんと、ネムさん。
2人とも私以上にボロボロだっていうのに。暴れ狂う魔力を気にもかけず、立っている。両の足で、立っている。今にも倒れそうなのに。
それを見て。私は泣きそうだった。
……2人の思いやりに、じゃない。
お兄ちゃんから庇われた、って。
その事実に、自分が情けなくて。
私は泣きそうになっちゃった。
「……大丈夫、です」
「聖女殿?」
2人の間に割って入る。無理矢理に押し退ける。
2人がどれだけお兄ちゃんと過ごしたか知らないけど。
私はお兄ちゃんの妹だ。
聖女イチカは、橘一佳で、橘恭兵の妹なのだ。
妹が、他人に兄から庇われるなんて、あってはならないんだ。
「聖女じゃない。……ターニャ。私はお兄ちゃんの妹として、此処に居続けるよ」
「イチカ……」
「ごめんね。けど、大丈夫」
「――――もうっ! このブラコン!」
ターニャはそう言うと、私のすぐ後ろに立った。立って、肩に手を置く。
「危なくなったら、私の魔力使っていいから。遠慮なく吸い上げちゃって」
「ターニャ……」
「此処まで来たら一蓮托生だよ。……私も、アイツは許せないし。この際ヴァネッサの仇を討てるなら、何でもいいよ」
ターニャはそう言うと、私の中に魔力を流し入れてきた。魔力を他者に分け与えるのは結構高度な技術なんだけど、私たちは万が一のことを考えて出来る様に練習していた。色によっては拒絶反応も出るけど、私は透明だから大丈夫。色を分解し、同じ色にする。どんな色だって、例外じゃない。
入ってきた魔力を、すぐに聖女の力に換算する。ターニャだけじゃない。アリアさんやネムさんも護る様に。体力も魔力も枯渇寸前だったけど――――大丈夫。だって私は橘一佳。お兄ちゃんの妹。だから、これくらいは出来なきゃ。
「――――っ!」
黒々とした渦が止む。無風。凪いだ。先ほどまでが嘘みたいに、魔力が収まった。……お兄ちゃんの腕に、収まった。
ものすごく、黒い。そこだけを塗りつぶしたみたいに、お兄ちゃんの右拳は真っ黒になった。そこから靄の様に、少し溢れた魔力が揺らめいている。
高濃度。あの暴れ狂った魔力が抑えつけられ、締め付けられ、凝縮された結果が、アレ。
……あんなのが解き放たれたら、幾らシグレでも防げはしないと思う。
「……ウソ」
……防げないと、思う。ううん、思った。思って、いた。本当に、今の、今までは。
私はシグレの背後で、お兄ちゃんと同じような黒い靄が揺らめいたのが見えた。
お兄ちゃんと同じ、高密度となった魔力。
お兄ちゃんと同種の、魔力。
……普通は魔力なんてぶつけ合わない。魔法に変えて、魔力を放つ。
だけど2人は、互いの魔力をぶつけ合おうとしている。それが意味するのは、小細工無しのぶつかり合い。絡め手も何も無しの、全力同士の特攻。
そうなれば、決着はどちらの魔力が濃いか。
勿論、お兄ちゃんが負けると思わない。思わないけど……魔力の扱い方なら、シグレの方が上手。
だって、お兄ちゃんが時間をかけて重ね束ねて凝縮した魔力と同等の魔力を……シグレは、お兄ちゃんよりも早くに準備し終えているのだ。
……大丈夫。大丈夫だよ。だって、お兄ちゃん言ったじゃん。大丈夫だって。だから、きっと、ううん、絶対に――――
「大丈夫……大丈夫、だよ。ねぇ――――えぇっ!?」
■
俺は居合の事はよく知らない。よくは知らないが、確か自分から動く構えではなかったと記憶している。
相手の動きに合わせて、相手よりも先に両断する。だったか。
まぁ、ともかく。待っていてもシグレから来ることは無い訳だ。
相手の得意とする間合いに、自分から行くしかない。
だけどそれは、逆に考えれば、自分の好きなタイミングで相手に仕掛けられるって事でもある。
「――――フッ!」
吸って、吸って、それから強く息を吐き出す。吐き出して、止める。
心音は平常。呼吸は定まっている。こんな時だって言うのに、我ながらケッタイな事である。あのまま生きていたら絶対に知らなかった側面。まぁ取り乱すよりかは全然マシだが。
さ、て。
シグレに訊きたいことがある。
だがそれ以上に、今はコイツをぶちのめす。
殺すつもりで、一撃見舞う。
もしも――――それでも生きていたら、その時に訊きたいことは訊けばいい。どうやって戻って来たのかとか、あの訳の分からない世界とか、宮下の事とか。
余計な手加減をする余裕は無いし……正直、痛みも無視するのがしんどいレベルだ。
シグレに啖呵を切ったはいいが、これ以上は戦闘行為に時間を掛けられないのは事実。
余計な手加減をしてアイツが無事だったら、その時は死ぬのは俺だ。
だから、全力でぶちのめす。
殺すつもりでぶちのめす。
今考えるのは――――それだけでいい。
――――カランッ
どこかで、瓦礫が崩れた。
多分上階から落ちてきたのだろう。視界の端で、落ちてきた瓦礫が転がったのが見えた。何の意図もそこには無い。誰かが落としたわけでも、何でもない。
そして、別にそれが合図だったわけじゃない。
ただ、同時に呼吸が整い切った。
ただのそれだけ。
何なら、多分俺の行動の方が一瞬速かった。動いてから、瓦礫が崩れたと思ったくらいだ。
「っ!」
わざわざこんな時に絡め手を使えるほど、今の俺に余裕は無いから――――真っすぐ行って、ぶっとばす。魔力(仮)の一部を両足に回して、加速させる。地面の一蹴りで、シグレとの距離を瞬間的に潰す。刀を振るわれるよりも速く、刀を抜かれるよりも早く、シグレの認識よりも速く――――潰す。
シグレはまだ動いていない。ピクリとも動いていない。だがその双眸は、俺を捉えている。俺を捉えて、動きの一つ一つをしっかりと見ている。
それは油断でも余裕でも無い。
シグレはしっかりと俺を見ている。
――――マズイな。
直感的に、俺はそう察した。
多分、間違いなく。シグレは、俺を迎撃できる。
まだ刀も収まったままで、予見のスキルも発動していないし、シグレの身体が動いていないのに。
俺はそう思った。……思ったと言うよりは、確信に近かった。
時間が引き延ばされるような感覚。
そして遅れて見えた光景。
笑みを消したシグレ。
閃く日本刀。
一呼吸を何分割も何分割も何分割もして、その一コマからさらに切り取ったような。
そんな瞬間的な、画。
――――そんなの、知った事か
間に合わない? なら加速しろ。
届かない? なら詰めろ。
足りない? なら埋めろ。
出来ないことを高らかに自覚するな。出来ないなら出来る策を瞬間的に仮定し、準備しろ。
泣き言は聞かない。そんな余裕は、今の俺に無い。
加速できないなら、その力を失くせ。
詰められないなら、その力を失くせ。
埋められないなら、その力を失くせ。
失くして――――回せ。他に必要とするところに――――回せっ!
出来ないなんて、そんなのは言わせない!
魔力だろうが(仮)だろうが……俺のものなら、俺の思う通りに動けっ!
■
「大丈夫ですよ」
「キョウヘイさん」
「言ったじゃないですか。負けないで下さいって」
「だから――――そのまま、どうぞ」
「後は、私が補いますから!」




