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※20/7/16 誤字脱字修正

 お兄ちゃんは、何でもできる人だった。

 勉強も、運動も、何でも。

 パパやママ曰く、全然手が掛からなかったみたい。

 小中高は地元の学校。部活はサッカー。全国って言うのかな。お兄ちゃんが高校生の頃には、年末にある大会に出場して。それでいながら学年トップの成績で。大学も学校推薦でささっと決めていた。

 大学は遠くにあったから、お兄ちゃんは1人暮らしをしていた。だからどんな生活をしていたかは知らない。知らないけど、しっかり4年間通い、それなりに良いところの会社に入った。自動車のメーカーだったっけ。やっぱり家からは離れているから、お兄ちゃんは1人暮らし継続。時々帰ってきて、顔を見せる程度になった。


 そう。お兄ちゃんは優秀だった。

 私と違って、とても優秀だった。


 私は手の掛かる子だったと思う。

 お世辞にも勉強や運動が出来るとは言えない。

 すぐ泣くし、我儘だったし。

 パパやママは「一佳はしょうがないな」って感じの笑顔を良く浮かべていた。

 多分、お兄ちゃんだったら一度も浮かべさせなかった笑顔だ。

 私しか浮かべさせない笑顔だ。

 そしてその笑顔を見るたびに思うんだ。

 私のお兄ちゃんはすごく優秀で、私なんかじゃ全然追い付けない程で。

 一生かかっても、絶対に勝てない、って。




 だから。

 お兄ちゃんが何かに負けるなんて。

 そんなことは、ありえないんだ。











■ 妹が大切で何が悪い ■











「……つまらん幕切れやな」


 シグレはそう言って、刀を振るった。ついた血を払う様に。無造作で、力任せで、そのくせ綺麗って思ってしまうような一振り。血がピシャリと、地面に飛んだ。……お兄ちゃんの血が、飛んだ。


「気ぃ抜くのが早すぎや。舐められたもんやで、まったく」


 呆れを隠す事無い言葉。でも誰も動かない。お兄ちゃんは勿論、私もターニャも、お兄ちゃんと一緒に落ちて来た2人も、誰も動かない――動けない。目の前の光景に意識が追い付いてくれない。

 私たちはシグレが刀を収めて、余裕綽々って感じの溜息を吐くまで、ずっと動けなかった。


「……で、いつまでそうしているつもりや?」


 その言葉が、止まっていた時間を再稼働させた。

 まず動いたのは、お兄ちゃんと一緒に落ちて来た2人だ。同時に2人は飛び出して、シグレに到着する前に、その様相を変えた。

 褐色肌の女性の左腕が、大きく禍々しく変化する。

 小柄な女の子の背から、黒くて大きな翼が現れる。


「……っ!? これって!?」


 ターニャが血相を変える。無理もないよ。私も目の前の光景に全然理解が追い付いてくれないから。まだ疑問が沢山出て来て、それでいて解決しなくて膨れ上がり続けている状態だから。

 でも2人を見て。私は色んなものをすっ飛ばして、一つの事実だけを理解した。

 2人は……魔族だ。


「ネム!」

「ええ!」


 ネムと呼ばれた女の子が、手に持った大きな斧をシグレに向かって投げつけた。体格に見合わない力。魔力によるブースト付き。あんなの、大きな弾丸みたいなもの。当たったら、真っ二つどころじゃ済まない。

 けどそれを、シグレは躱した。どうやったのか私の眼じゃ追えない。追えないけど、ネムの斧が当たらなかったのは分かった。


「織り込み済みです!」


 だけどシグレが避けた先に、既にネムは翼を繰り出していた。巨大な槍みたいに、黒色の翼がシグレを穿とうと、真っすぐに向かう。


「はいはい」


 けどそれも無駄に終わった。シグレに到達する前に、翼がみじん切りになる。一片たりとも届かずに、みじん切りからのコマ切れになった後、霧散する。


「フッ!」


 けどその間に、もう一人の女性――多分、アリアって呼ばれた人――が距離を詰めていた。そしてその異形化した真っ黒な左腕を、シグレに向かって叩きつける。


「っらぁぁああああ!!!」


 途端に叩きつけた箇所を中心に、紫色の光が生じた。十字架みたく象られた光。それから崩壊音。叩きつけられた衝撃で、多分床が耐えきれなかったんだと思う。光を中心にして、床が崩落を始める。


「ネム! キョウヘイを――――」

「ハァ……気ぃ抜くん早すぎんか?」


 左腕がトぶ。異形化した左腕が宙を舞う。

 鈍い輝き。私にも見えた。それから少し遅れて、アリアさんが弾き飛ばされた。


「確認もせぇへんのに判断を下すなや。萎えるわ」

「化け物めが……っ!」

「はいはい、っと」


 追撃。崩壊を逃れ、まだ残っている足場を飛びながら、2人は尚も戦闘を続けている。だけどアリアさんが劣勢なのは明らか。片腕で、かつ相手は得物持ち。まだ首を落とされていないのが奇跡的だ。


「チィィ!」

「粘るやないか。諦めのが悪いのは嫌いやないで」

「ほざけ、クソがっ!」

「アリア!」


 ネムさんが翼を、身を護る様にして纏った。黒色の巨大な弾丸となってシグレに突撃する。

 流石に当たるとマズいと思ったのか、シグレは大きく跳び退いた。

 ホールの中心部は崩壊しているので、まだ崩れるのを免れている僅かな足場に彼女は着地した。それはちょうど、私たちから一番遠くの位置。

 アリアさんはネムさんにつかまり、私たちとシグレとの間の、中間位置に陣取っている。 

 もしもお兄ちゃんを助けに行くのなら……チャンスは、多分今この瞬間だけだ。


「!? イチカぁ!?」


 ターニャの焦ったような声が聞こえる。

 けどその声に反応することはしない。

 私は手すりを乗り越えると、そのまま階下へと落ちる。

 ――――つまり。崩落に巻き込まれたお兄ちゃんを追って、下へ。











 お兄ちゃんにより私が優れているところなんて、数える程度だ。

 例えば、肌の張りとか。

 視力とか。

 学校での過ごし方とか。

 そんな取るに足らないモノばかり。

 けど一つだけ、面と向かってお兄ちゃんにこれだけは勝てるって言えるものがある。

 ……ゲームだ。

 お兄ちゃんはゲームが得意じゃなかった。

 スポーツ系のゲームでは変な動きをしちゃうし、シューティング系だと操作をバグってすぐ死んじゃう。

 唯一、育成系のRPGなら出来てたけど、努力値だとか成長率だとか、そう言うのは全然分かっていない。

 私と交換したモンスターの能力とか適正とか考えずにただ育てるだけだ。

 レベルを上げて、殴る。

 そんなの、ふた昔は前のゲームのやり方だ。

 今どき幼稚園の子供でも、もう少し効率的な方法を知っている。

 でもお兄ちゃんは分かっていない。

 分かっていないし、分かろうともしない。

 だからゲームだけは、私はお兄ちゃんに勝てるんだ。




 お兄ちゃんは酷い状態だった。

 息はしているけど、眼を開けない。その息だって荒い。腹部からは血が流れている。医療技術や知識なんて私は無いけど、それでもヤバいって事は分かる。

 このまま放って置けば、多分死んじゃう。

 でもそんなわけには、絶対に行かせない。


「ちょっとだけ待っててね!」


 魔力を練り上げる。此処に来るまでに大分失ったけど、此処で無理矢理にでも絞り出さなきゃ、お兄ちゃんが死んじゃう。

 なら、無理でも出す。ひねり出す。絶対に出す。

 医療技術や知識が無くても。

 此処がゲームの世界なら、私だって出来る事はある。


「治って!」


 出てきた魔力。それを回復魔法として使用する。

 出来ないわけは無い。だって私は聖女だ。魔の属性への特効能力及びに、回復とサポートに優れた人間。

 なら。

 兄の一人くらい回復できなくて、何が『聖女』なんだ――――っ!


「回復阻害……そんなのっ!」


 ターニャの時と同じで、回復をした矢先から傷が開く。あの呪具のせいだ。でもそれなら、同じように呪いを断ち切ればいい。

 平行して呪いを断ち切る。一度断ち切っているから、別に難しい話じゃ無い。

 ただ、状況が悪い。

 早くしないといけない。

 だってターニャの時と違って、お兄ちゃんは刺されてから時間が経過している。加えて無防備な状態での墜落。ターニャの時よりも状況は悪いんだ。


「解けて……、早くっ」


 私の口から出てきたのは、懇願する様な声だった。

 回復と解呪の両立。それをするには、魔力が足りない。ターニャの回復と、あの閉鎖空間からの脱出で、大半の魔力を失ってしまったからだ。

 足りない。足りない、足りない、足りないっ!

 何もかもが、足りないっ!


「イチカ!」


 ターニャが私を追って降りて来てくれた。けど、言葉を返す余裕は無い。私はターニャに振り向きもせず、ひたすら回復に力を注いだ。


「此処は危ないよ! どっか別の場所に行こう!」

「そんな余裕……ないっ」

「私が移動させるよ!」

「ダメ! 集中させて!」


 他に思考を割く余裕は私には無い。動かすこともダメ。今この場で、ただ全力で回復をする。呪いを断ち切り、失った血を増やして、後遺症が残らない様に元に戻す。

 そう。元に戻す(・・・・)

 ただ傷を塞ぐんじゃだめだ。失った血は、今も流れている血を複製させて、お兄ちゃんの体内を巡回させる。貫通した臓器の細胞を複製させて繋げる。切り裂かれたターニャの時と違って、お兄ちゃんは傷が貫通してしまっている。回復阻害は、体内の臓器にもかかってしまっている。

 呪いを全て断ち切って、細胞や血液を複製させて、元に戻す。

 ただの回復じゃだめだ。

 ただ傷を塞ぐだけじゃだめだ。

 その程度ではお兄ちゃんを元には戻せない――――っ!


「死なせない! 絶対に、死なせない……っ!」


 私は自分の唇を噛み切り、血を出した。それをお兄ちゃんの傷に混ぜる。

 『聖女』の血。効能は充分。昔カタリナの大怪我を治したくらいだ。

 使えるもの何でも使う。血でも、魔力でも、何でも!

 お兄ちゃんを救うために、何でも!


「イチカ! 回復薬!」

「傷口にかけて! 他に何かある!?」

「――――無いよっ! 回復薬一本だけしか、無いっ!」

「まだ全然良くならない! あと、何か!」

「イチ――――」


 ターニャが声を上げた。もしかしたら私の名前だったのかもしれない。何かを言った。けど、良く分からなかった。

 だって。その声を耳にした直後に。


「――――ガッ!」


 頭部に何かが当たった。

 それは分かった。

 分かったのはそれだけ。


「おに、い……ちゃん……」


 意識が薄れてしまう。

 そんな余裕は無いのに。

 でも幾ら唇を噛んでも。

 眼を見開こうとしても。

 制御を失った回復魔法は全然、効果を発揮してくれなくて。

 乱れた魔力は形となってくれなくて。


「いや、だぁ……」


 お願いだからと。

 何でもするからと。

 願っても、祈っても。

 現実は変わらない。


「やだよぉ……」


 やっと会えたのに。

 なにも出来ないなんて。


「おにぃ……」


 視界が、暗転する。

 もう、何も見えない。

 もう、何も……











 お兄ちゃんは優秀で、凄い人だし、尊敬もあるけど。

 だったら好きかと問われると、ちょっと答えに困る。

 家族としては勿論好き。

 でもそれが、純粋に好きと言えるかといえば、ちょっと違う。

 だって。

 私はお兄ちゃんに嫉妬しているから。

 私に出来ないことは何でも出来るから。

 私が出来る事を、それ以上に出来てしまうから。

 だから私は、ほんの少しだけ、お兄ちゃんの事が嫌いだ。

 それがくだらない感情だって分かっていても。

 私はお兄ちゃんを、全力で好きとは言えない。

 どうしても不純物して、マイナスの感情が混ざってしまうから。




「誕生日だろ。ほら」


 中学生の頃。

 そう言って。お兄ちゃんはゲーム機をプレゼントしてくれた。

 出たばかりの最新機。予約不可で、店頭に並んでないと絶対に入手できないヤツ。


「ゲームは親父に買ってもらってくれ。あんまり詳しくないんだ」


 そう言って、何でも無い事の様にお兄ちゃんは笑っていた。そうして、私の反応も見ずに、部屋を出て行こうとする。

 慌てて、どこ行くの、って。声をかけたら。

 後輩を待たせている、って。そう言った。

 ……つまり、私の欲しいものを買って渡すためだけに。

 わざわざ寄り道して来たって事だ。


「……ありがとう」

「おう、おめでとう」


 手をひらひらと振って。

 お兄ちゃんは部屋を出て行った。

 ……私はお兄ちゃんの様に。そんな風にはプレゼントを渡せない。

 多分。どれだけ苦労したかを口にしちゃう。

 少しでも感謝をしてほしいと思っちゃう。

 嫌な言葉を使えば、恩着せがましくなっちゃう。

 でもお兄ちゃんは口にしない。

 何てことも無かったかのように、苦労なんて出さない。

 その癖、私が欲しいものを、どれだけ入手が難しくても、渡してくる。

 お兄ちゃんが持つような余裕も、スマートさも、心持も。

 私には、無い。

 大人とか、兄とか、先に産まれたからとか。

 そんなのは、只の言い訳だ。

 だからそんな感情を覚えさせてしまうお兄ちゃんが……嫌いだ。




 覚えているかな。

 欲しいものがあると言ったら、買ってくれたよね。

 映画を見たいと言ったら、連れて行ってくれたよね。

 食べたいものがあるって言ったら、食べさせてくれたよね。

 伊勢神宮に行きたいって行ったら、一緒に行ってくれたよね。

 私の我儘を全部叶えてくれたよね。

 何でもしてくれたよね。


 ねぇ。


 私、まだお兄ちゃんに何も返せていないんだよ。

 与えられているばかりなんだよ。

 少しも、一つも、何も返せていないんだよ。

 今だって、ほら。

 私を探しに、此処まで来てくれて。

 でも、何も出来ていないんだよ。

 無茶ばかりさせて。

 こうやって怪我をさせて。


 ねぇ。


 覚えているかな。

 私の将来の夢。

 お兄ちゃんに話したよね。

 幼い頃の、漠然とした、夢。

 世迷言かもしれないけど。

 阿呆に思われるかもしれないけど。

 抱いていた、小さな、けど最初の夢。


 ねぇ。


 優しい人になりたいって。

 何でもできる人になりたいって。

 ――――お兄ちゃんみたくなりたいって。

 そう言ったの、覚えているかな?

 覚えているよ。私は覚えている。

 今も覚えている。

 あの日から、ずっと。

 私は、覚えている。

 これまでも、今も、これからも。

 きっと、ずっと。




 だからね。

 お願いだから。




 こんな、格好の悪い感情なんて捨てるから。




 何でもするから。




 だから、




 目を、開けてよ……




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